第10話 シェイクスピア風に「愛せるか愛せないか、それが問題だ」
それから、
リアルな視力で、ロボットが代行する雫さんのボディと向き合う。不思議と、相手が無機質の強化プラスチックだと認識すると、あまり緊張せずに「付き合ってください」と言えた。
タイミングを見て、その手に触れる。
もちろん、Vスーツを着た本物の雫さんは顔を赤らめたと思う。びくりと手が震えていた。
自分が握った
不思議な感じだ。
―――もう、一生このままでもいいかも……。
あの、アバターに恋をしていた甘苦しいときめきはもうないけれど、視覚に惑わされない分、確かに雫さんの言動とか、考え方に意識を傾けることができた。
本当に、顔を見た時の印象通り、真面目な人なのだと思う。真面目過ぎて、軽やかな対応ができない。たぶん、だいぶ生きづらい人生を送ってきたのだろうなと思った。
彼女がかすかに笑う時、胡椒の
彼女のシフトに合わせて週三回、テイクアウトでマグにお茶を入れてもらい、ベンチで待つ。
他愛無いことを話す。あれから、絵の話は一切していない。それは彼女の人生だし、自分があれこれ口を出す筋合いのことではない。
天気の話、次のシーズンのオリジナルドリンクのこと、流行りの音楽、スイーツ……なるべく当たり障りのない話題を選んでいるけれど、話していれば、いつの間にかその人のパーソナルな部分を知ることもある。
雫さんは、五つ年下の妹さんに、コンプレックスがあるという。明るくて、誰にでも好かれる行動的な妹がうらやましいのだという。
彼女が生まれて、一家の中心になった時から、妹のように
「祖父母とか親戚も、やっぱり妹のほうを可愛い、可愛いというから、余計こじらせちゃったんですね」
自分でも、自覚しているのだという。
「幼稚園児と赤ちゃんだったら、赤ちゃんのほうが大事にされるのは当たり前なんですけど、当時は、やっぱりそういうのはわからないから……」
妹は可愛いから、自分は可愛くないから愛されないのだと思い込んだのだそうだ。
周囲から可愛がられた妹は、他人の愛情を疑わない。それが
「そういう、子どものころのことを、いつまでも引きずるのはみっともないってわかってるんですけど……」
すべてに自信がなかった。心の中の支えになるものがない。自己肯定をするのに必要な、自分を認めてあげられる“根拠”がないのだ。
胡椒のボディがため息をついて苦笑いをする。
「本当は、唯一の根拠が“絵”だったんですけど……」
絵は得意だった。学校でも、友だちに上手だねと
技術だけなら、機械が補正してくれる。ほぼ、ワードによる指示だけで絵を作ることもできる。でも、それでもできないのが、ニュアンスとか発想とか、人工的には描き切れない表情だという。
「デッサン力とか再現力とかがそんなにすごくなくても、魅力的な絵ってあるんです。でも、私にはそういうものが欠けていて……」
「……」
彼女も、ちゃんとわかっていたのだと反省する。
絵で食べていきたい希望はある。でも、安易に言えるほど、現実は甘くないと分かっているから、「理想」と言わざるを得なかったのだ。
「ごめん……」
部外者が、好き勝手なことを言った。謝ると、雫さんのロボットは小首を傾ける。
なんとなく、その仕草に、ふんわりとした笑みが思い浮かぶ。
「いえ、ああいう厳しいことを言ってくれる人は、あまりいないので、すごくありがたかったです」
「雫さん……」
「いつまでも、メンタルが……とか、逃げていたらいけないって、わかってるんです」
彼女はどこともいえない遠いところへ目を向けた。
「宮地さんの経験を聞いて、すごく感銘を受けたんです。私も変わりたい、変わらなきゃって思って……でも……」
言葉の続きは、待ったけれど出なかった。
「すみません、もう、学校に行かなきゃ」
「あ、そうだね」
また明後日……と胡椒の後ろ姿を見送る。足は、なんとなくコンビニのほうへ向いていた。
―――雫さん……。
彼女とは、アバターで会うのをやめてから、肩の力を抜いてしゃべれるようになった。好きか嫌いかでいうと、好感は持てるけど、友だちのような気分だ。
そういえば、最初は自分の姿を投影して、応援したい気持ちで見守っていたんだったなと思い出し、振り出しに戻っただけかと苦笑した。
「霧くん」
「あ、ポル君」
レンタルタイプの胡椒が歩いてくる。
僕はスマートグラスを外しているけれど、ログアウトしたわけではない。持ち歩いているスマホは、仮想空間で常に自分の位置を発進している。だから、ポル君からは相変わらず白い犬のアバターに見えている。
ポル君の胡椒は、シリアル番号のほかに置いてある店名も頭の後ろに
「デートだったの?」
「そう、これから深夜まで仕事」
あれから、コンビニに行くたびにポル君とあいさつを交わし、いつの間にかしゃべるようになった。
「霧くん、うちでバイトしない?」
キャストが足りないんだとポル君が言う。彼は誰にでも話しかけるので、馴染みやすい。きっと、あの眉毛犬
「コンビニかあ。意外と、やることが多くて大変なんだよね」
レジや品出しだけではない。タバコ、飲み物、公共料金の支払いから収入印紙、有料ごみ処理シールに至るまで、公共機関なのかと思うほど、取り扱いの幅が広いのだ。
「ポル君だけじゃなくて、外国から来てる人は、よくあんなややこしいのを全部こなせるなって、尊敬する」
いくら翻訳機能がついていても、いくらマニュアルがすぐ表示されても、やっぱり大変ではないかと思うと、ポル君は笑った。
「日本語のいい訓練になるよ。来年は、来日するつもりだし」
「え?」
驚いて思わず胡椒を見つめる。慌ててスマートグラスをポケットから出し、かけ直すとスーパーイケメンが色気のある笑みを向けてきた。
「麗にはまだ内緒だよ?」
びっくりさせたいのだそうだ。どうやって日本までくるのだろうと突っ込んで聞くと、実は、ポル君の家はかなり大きな政府系企業を運営していて、彼は現地の大学の学生だという。ちょうど卒業したので、来春から日本の大学院に留学するつもりらしい。
―――てっきり、すごく貧しくて、だから外国まで稼ぎに来てるんだと思ったのに……。
端末一つを握りしめ、Vスーツすら現地でのレンタルで、代わる代わるそれを着てはコンビニの時給を稼ぐ……そういう途上国の労働者のイメージに当てはめていた自分が恥ずかしい。
ポル君は、そんな思考をおそらく読んだんだと思う。
「本人を見たことがないんだから、まあ、大体が貧しくて出稼ぎしてると思うよね」
これが僕の写真、とポストンメールに画像を添付して送ってくれる。開けてみると、どこのモデルかと思うほど美しいポートフォリオだった。
自宅の庭にあるという大理石のプールサイドで撮られた写真だ。
シルバーアッシュの髪と、野生の獣みたいな、シュッと瞳孔が引き絞られたグレイの瞳。本当に、しなやかな肉体美と、モードから抜け出てきたような造形美だ。
「……アバターよりイケメンて、有りなの?」
見比べて、絶句してしまう。ポル君はさらりと「自分の顔に似た、東洋系のアバターにしたんだ」という。確かに、髪とか肌は、東洋系っぽかった。
―――まあ、これなら、麗さんはがっかりしないだろうけど……。
でも、あの
果たして、彼女はアバターではない自分を見せることはできるんだろうか。心配したら、ポル君は苦笑した。
「僕は、眉毛が張り付いたあの犬を可愛いと思ってるんだ。麗が望むなら、ずっとスマートコンタクトレンズを入れて、彼女の素顔を見ないで人生を送るよ」
いつか、彼女が自分の意思で素顔を
霧はぽかんと口を開けたままだ。
「それがポル君の愛……なんだ」
「そうかな……でも、君だってリアルな顔を見ないで付き合ってるんでしょ?」
麗から聞いている、と言われた。麗さんはきっと、雫さんから聞いてるのだと思う。
僕らもまた、リアルで会ってはいない。でも、本当は僕だけ、彼女の本当の姿を知っている。
「……あの」
僕は、ポル君に自宅の窓から見てしまった過去を打ち明けた。
それでがっかりしてしまった自分、アバターの外見に惹かれていた自分。ルッキズムを体現したような自分の根性を、誰かに叱ってほしくて
けれど、ポル君はしばらく黙ってからさらりと言う。
「視覚から入る情報は八割っていうからね。それは当然なんじゃない?」
「ポル君」
「僕だって、あの眉毛犬のアバターがほかの動物だったら、麗を好きになったかどうかわからない」
―――結局、ポル君も見た目で好きになったってこと?
「当たり前だよ。人間の目は、何のために
犬とかは、正面というより、左右両脇のほうに視野角が広い。それは、獲物や敵を見つけるために効率がいいからだという。
「その点、人間の目は、真正面の相手を見るのに都合の良いつくりだろ? 目から入る情報で、多くを判断してる証拠だよ」
ルッキズムを否定するなら、モデルやアイドルは
「顔だけじゃないよ。ボディラインだって優劣をつけるじゃないか。目で見て
見た目は重要、ルッキズムは消せない。どんなに
「保育園児だって、綺麗なもののほうに素直に行くからね。むしろ、そこを無理やり止めるほうが不自然だよ」
なんだか、自分が一生雫さんと恋愛できないと言われたような気がして、落ち込んでしまう。
「見た目が、好みじゃない場合って、やっぱりだめなのかな……」
僕らは、というか、僕は、やっぱり雫さんを恋愛対象にできないのだろうか……。
ポル君が面白そうに見る。
「なんで考え込むの? 好きになるのは義務じゃないよ?」
素顔が好きになれなくて別れるカップルなんか、めずらしくないという。
「でも……」
色々話して、雫さんの内面は好きになったと思えるのだ。あの、生真面目で不器用な生き方を、可愛いと感じる。
そう言うと、ポル君は手を打った。
「視覚以外の、残りの二割の情報を忘れてるよ」
「?」
「嗅覚、触覚、聴覚……人間の五感を舐めちゃいけない」
声を好きになることだってある、と言われて、なんだかそれは腑に落ちた。
「おススメは触覚かな。肌が合うかどうかって、大事だよ」
セックスの相性は重要、と言われてコメントできない。
―――まさか、ポル君たちは、Vスーツオプションを使って……。
「?」
「う、ううん、なんでもない」
アレを知ってるってこと自体を知られたくない。霧は慌てて
「い、いろいろと相談に乗ってくれてありがとう」
超絶イケメンは、
「どういたしまして」
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*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。
逢野 冬
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