第10話 シェイクスピア風に「愛せるか愛せないか、それが問題だ」

 それから、しずくさんに会う時は、いつもスマートグラスを外した。


 リアルな視力で、ロボットが代行する雫さんのボディと向き合う。不思議と、相手が無機質の強化プラスチックだと認識すると、あまり緊張せずに「付き合ってください」と言えた。


 タイミングを見て、その手に触れる。


 もちろん、Vスーツを着た本物の雫さんは顔を赤らめたと思う。びくりと手が震えていた。


 自分が握った胡椒コショウの硬い指に、僕の感触が伝えられる。電気信号に変ったそれは、雫さんのグローブまで届いて、また電気信号と空気圧に変換される。


 不思議な感じだ。


 ―――もう、一生このままでもいいかも……。


 あの、アバターに恋をしていた甘苦しいときめきはもうないけれど、視覚に惑わされない分、確かに雫さんの言動とか、考え方に意識を傾けることができた。


 本当に、顔を見た時の印象通り、真面目な人なのだと思う。真面目過ぎて、軽やかな対応ができない。たぶん、だいぶ生きづらい人生を送ってきたのだろうなと思った。


 彼女がかすかに笑う時、胡椒の無骨ぶこつなボディも少しだけ印象がやわらかくなる。よく見ると、あの無表情そうな三白眼の黒目のところが、ちゃんと瞳孔どうこうとして拡大したり、細目になったりするのだ。アバターのアクションの大きさに比べると地味だけど、見慣れてきたら、ちゃんとその変化を感じ取れるようになってきた。


 彼女のシフトに合わせて週三回、テイクアウトでマグにお茶を入れてもらい、ベンチで待つ。


 他愛無いことを話す。あれから、絵の話は一切していない。それは彼女の人生だし、自分があれこれ口を出す筋合いのことではない。


 天気の話、次のシーズンのオリジナルドリンクのこと、流行りの音楽、スイーツ……なるべく当たり障りのない話題を選んでいるけれど、話していれば、いつの間にかその人のパーソナルな部分を知ることもある。


 雫さんは、五つ年下の妹さんに、コンプレックスがあるという。明るくて、誰にでも好かれる行動的な妹がうらやましいのだという。


 彼女が生まれて、一家の中心になった時から、妹のように振舞ふるまえない自分に、苦しんできたと話してくれた。


「祖父母とか親戚も、やっぱり妹のほうを可愛い、可愛いというから、余計こじらせちゃったんですね」


 自分でも、自覚しているのだという。


「幼稚園児と赤ちゃんだったら、赤ちゃんのほうが大事にされるのは当たり前なんですけど、当時は、やっぱりそういうのはわからないから……」


 妹は可愛いから、自分は可愛くないから愛されないのだと思い込んだのだそうだ。


 周囲から可愛がられた妹は、他人の愛情を疑わない。それが屈託くったくない明るさに繋がり、大人の顔色をうかがうようになった雫さんは、過敏になりすぎて反応が慎重になり、“愛想のない子”になるという、みごとな悪循環あくじゅんかんが起きた。


「そういう、子どものころのことを、いつまでも引きずるのはみっともないってわかってるんですけど……」


 すべてに自信がなかった。心の中の支えになるものがない。自己肯定をするのに必要な、自分を認めてあげられる“根拠”がないのだ。


 胡椒のボディがため息をついて苦笑いをする。


「本当は、唯一の根拠が“絵”だったんですけど……」


 絵は得意だった。学校でも、友だちに上手だねとめてもらえた。でも、ネットを漁れば、嫌になるほどうまい絵が転がっている。


 技術だけなら、機械が補正してくれる。ほぼ、ワードによる指示だけで絵を作ることもできる。でも、それでもできないのが、ニュアンスとか発想とか、人工的には描き切れない表情だという。


「デッサン力とか再現力とかがそんなにすごくなくても、魅力的な絵ってあるんです。でも、私にはそういうものが欠けていて……」


「……」


 彼女も、ちゃんとわかっていたのだと反省する。


 絵で食べていきたい希望はある。でも、安易に言えるほど、現実は甘くないと分かっているから、「理想」と言わざるを得なかったのだ。


「ごめん……」


 部外者が、好き勝手なことを言った。謝ると、雫さんのロボットは小首を傾ける。


 なんとなく、その仕草に、ふんわりとした笑みが思い浮かぶ。


「いえ、ああいう厳しいことを言ってくれる人は、あまりいないので、すごくありがたかったです」


「雫さん……」


「いつまでも、メンタルが……とか、逃げていたらいけないって、わかってるんです」


 彼女はどこともいえない遠いところへ目を向けた。


「宮地さんの経験を聞いて、すごく感銘を受けたんです。私も変わりたい、変わらなきゃって思って……でも……」


 言葉の続きは、待ったけれど出なかった。


「すみません、もう、学校に行かなきゃ」


「あ、そうだね」


 また明後日……と胡椒の後ろ姿を見送る。足は、なんとなくコンビニのほうへ向いていた。


 ―――雫さん……。


 彼女とは、アバターで会うのをやめてから、肩の力を抜いてしゃべれるようになった。好きか嫌いかでいうと、好感は持てるけど、友だちのような気分だ。


 そういえば、最初は自分の姿を投影して、応援したい気持ちで見守っていたんだったなと思い出し、振り出しに戻っただけかと苦笑した。


「霧くん」


「あ、ポル君」


 レンタルタイプの胡椒が歩いてくる。


 僕はスマートグラスを外しているけれど、ログアウトしたわけではない。持ち歩いているスマホは、仮想空間で常に自分の位置を発進している。だから、ポル君からは相変わらず白い犬のアバターに見えている。


ポル君の胡椒は、シリアル番号のほかに置いてある店名も頭の後ろに印字いんじされていた。わざわざ、店員さんの胡椒以外にログインしてるということは、あの眉毛犬さんと会うためだろうと思う。


「デートだったの?」


「そう、これから深夜まで仕事」


 あれから、コンビニに行くたびにポル君とあいさつを交わし、いつの間にかしゃべるようになった。


「霧くん、うちでバイトしない?」


 キャストが足りないんだとポル君が言う。彼は誰にでも話しかけるので、馴染みやすい。きっと、あの眉毛犬うららさんも、こうして仲良くなったのではないかと思う。


「コンビニかあ。意外と、やることが多くて大変なんだよね」


 レジや品出しだけではない。タバコ、飲み物、公共料金の支払いから収入印紙、有料ごみ処理シールに至るまで、公共機関なのかと思うほど、取り扱いの幅が広いのだ。


「ポル君だけじゃなくて、外国から来てる人は、よくあんなややこしいのを全部こなせるなって、尊敬する」


 いくら翻訳機能がついていても、いくらマニュアルがすぐ表示されても、やっぱり大変ではないかと思うと、ポル君は笑った。


「日本語のいい訓練になるよ。来年は、来日するつもりだし」


「え?」


 驚いて思わず胡椒を見つめる。慌ててスマートグラスをポケットから出し、かけ直すとスーパーイケメンが色気のある笑みを向けてきた。


「麗にはまだ内緒だよ?」


 びっくりさせたいのだそうだ。どうやって日本までくるのだろうと突っ込んで聞くと、実は、ポル君の家はかなり大きな政府系企業を運営していて、彼は現地の大学の学生だという。ちょうど卒業したので、来春から日本の大学院に留学するつもりらしい。


 ―――てっきり、すごく貧しくて、だから外国まで稼ぎに来てるんだと思ったのに……。


 端末一つを握りしめ、Vスーツすら現地でのレンタルで、代わる代わるそれを着てはコンビニの時給を稼ぐ……そういう途上国の労働者のイメージに当てはめていた自分が恥ずかしい。


 ポル君は、そんな思考をおそらく読んだんだと思う。


「本人を見たことがないんだから、まあ、大体が貧しくて出稼ぎしてると思うよね」


 これが僕の写真、とポストンメールに画像を添付して送ってくれる。開けてみると、どこのモデルかと思うほど美しいポートフォリオだった。


 自宅の庭にあるという大理石のプールサイドで撮られた写真だ。褐色かっしょくの肌は腕も胸もなめらかに隆起りゅうきして、割れた腹筋と引き締まって細い腰に続いている。


 シルバーアッシュの髪と、野生の獣みたいな、シュッと瞳孔が引き絞られたグレイの瞳。本当に、しなやかな肉体美と、モードから抜け出てきたような造形美だ。


「……アバターよりイケメンて、有りなの?」


 見比べて、絶句してしまう。ポル君はさらりと「自分の顔に似た、東洋系のアバターにしたんだ」という。確かに、髪とか肌は、東洋系っぽかった。


 ―――まあ、これなら、麗さんはがっかりしないだろうけど……。


 でも、あの美醜びしゅうをこじらせた眉毛犬の、ほどけないややこしさは、リアルを晒さないことで保たれているのだ。

 果たして、彼女はアバターではない自分を見せることはできるんだろうか。心配したら、ポル君は苦笑した。


「僕は、眉毛が張り付いたあの犬を可愛いと思ってるんだ。麗が望むなら、ずっとスマートコンタクトレンズを入れて、彼女の素顔を見ないで人生を送るよ」


 いつか、彼女が自分の意思で素顔をさらすまで待つという。


 霧はぽかんと口を開けたままだ。


「それがポル君の愛……なんだ」


「そうかな……でも、君だってリアルな顔を見ないで付き合ってるんでしょ?」


 麗から聞いている、と言われた。麗さんはきっと、雫さんから聞いてるのだと思う。


 僕らもまた、リアルで会ってはいない。でも、本当は僕だけ、彼女の本当の姿を知っている。


「……あの」


 僕は、ポル君に自宅の窓から見てしまった過去を打ち明けた。

 それでがっかりしてしまった自分、アバターの外見に惹かれていた自分。ルッキズムを体現したような自分の根性を、誰かに叱ってほしくて暴露ばくろした。


 けれど、ポル君はしばらく黙ってからさらりと言う。


「視覚から入る情報は八割っていうからね。それは当然なんじゃない?」


「ポル君」


「僕だって、あの眉毛犬のアバターがほかの動物だったら、麗を好きになったかどうかわからない」


 ―――結局、ポル君も見た目で好きになったってこと?


 ふたもなさ過ぎて、救いがない。情けない顔になったら、ポル君は笑った。


「当たり前だよ。人間の目は、何のために平行へいこうについていると思うの?」


 犬とかは、正面というより、左右両脇のほうに視野角が広い。それは、獲物や敵を見つけるために効率がいいからだという。


「その点、人間の目は、真正面の相手を見るのに都合の良いつくりだろ? 目から入る情報で、多くを判断してる証拠だよ」


 ルッキズムを否定するなら、モデルやアイドルは廃業はいぎょうするしかないと真顔まがおで言う。


「顔だけじゃないよ。ボディラインだって優劣をつけるじゃないか。目で見てかれるかどうか差をつけるものすべてを排除はいじょするなんて、ナンセンスだ」


 見た目は重要、ルッキズムは消せない。どんなに建前たてまえを言っても、可愛いものとか綺麗なものに人が惹かれるのは、止められないという。


「保育園児だって、綺麗なもののほうに素直に行くからね。むしろ、そこを無理やり止めるほうが不自然だよ」


 なんだか、自分が一生雫さんと恋愛できないと言われたような気がして、落ち込んでしまう。


「見た目が、好みじゃない場合って、やっぱりだめなのかな……」


 僕らは、というか、僕は、やっぱり雫さんを恋愛対象にできないのだろうか……。


 ポル君が面白そうに見る。


「なんで考え込むの? 好きになるのは義務じゃないよ?」


 素顔が好きになれなくて別れるカップルなんか、めずらしくないという。


「でも……」


 色々話して、雫さんの内面は好きになったと思えるのだ。あの、生真面目で不器用な生き方を、可愛いと感じる。


 そう言うと、ポル君は手を打った。


「視覚以外の、残りの二割の情報を忘れてるよ」


「?」


「嗅覚、触覚、聴覚……人間の五感を舐めちゃいけない」


 声を好きになることだってある、と言われて、なんだかそれは腑に落ちた。


「おススメは触覚かな。肌が合うかどうかって、大事だよ」


 セックスの相性は重要、と言われてコメントできない。


 ―――まさか、ポル君たちは、Vスーツオプションを使って……。


「?」


「う、ううん、なんでもない」


 アレを知ってるってこと自体を知られたくない。霧は慌てて誤魔化ごまかし、コンビニの前で止まった。


「い、いろいろと相談に乗ってくれてありがとう」


 超絶イケメンは、とろけるような甘い笑みをくれた。


「どういたしまして」




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読んでいただいて、ありがとうございます!


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どうぞよろしくお願いします。


*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。


逢野 冬


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