第11話 台風到来

「もうすぐ夏休みだね」


「……そうですね」


 陽射しがきつくなってきた川沿いの木陰で、バイト終わりのしずくさんにさりげなく話題を振ってみる。


 大学はもう夏休みに入った。霧は慎重に、でも重くならないように笑みを添えて言う。


「雫さんの学校も、そろそろ夏休みかなあと思って」


 もし断りたいと思ったときに、バイトを言い訳にできるように、シフトのことは聞かずに切り出す。


「夏休みって長いし、もしよかったら、どこかでリアルにお出かけしないかなと思って……あの、雫さんが車椅子とかで外に出られるようなら、ってことなんだけどね」


 自分が押していくし、自宅まで迎えに行くし、行動範囲も電車に乗らない程度でどうだろうと提案してみた。

 つまり、“リアルに会わない?”というお誘いだ。


 ―――駄目かな……。


 雫さんは言いよどんで黙っている。やっぱり、外出は無理なのかもしれない。きりは笑みで誤魔化した。


「あ、ごめんね。家の外に出られる程度かどうかも聞かないで……」


「あ、いえ……そんな」


 足がどの程度不自由なのか、傷つけない聞き方がわからなくて確かめられない。霧は、「真夏に外出は、ちょっとキツイな」と自分で提案を引っ込めた。


「せめてもっとすずしくなるとか、春みたいに気候がいい時にしようか。夏休みっていっても、バイトもあるんでしょ?」


「……ええ」


「じゃあ、時々お茶のみに来るよ。図書館に来なきゃいけない時もあるから」


「そうなんですか」


 雫さんはほっとした声になった。それから他愛たあいない話をして、努めて「リアルデート」の話を流し去っていく。


 ―――会いたくないのか、外に出られないのか、どっちだろう。


 仮想空間からしか見ていない雫さんは、ずっと僕を白い犬としか見ていない。犬だから、実物を見てがっかりということは少ないんじゃないかと思うけれど、その分、自分の顔をどんなふうに想像してくれてるのかはわからない。


 もしかして、うららさんがポル君の素顔を見たくないように、彼女も現実を思い知るのが嫌で、それで会うのを避けているのかもしれない。


 ―――確かに、イケメンからはほど遠いしなあ。


 でも、もしかすると自分ではなく、彼女自身が引きこもっていて、本当に家の外に出ることが難しいという場合もある。


 長く引きこもっていたら、リアルな外出は、誰に会うとか何をするというより、「外に出ること」そのもののハードルが上がる。本当に車椅子で出られる程度なのかも不明だ。


 でも、それでも霧はこの話題を彼女に持ち掛けてみたかった。


 自分に、“会いたい”という意思があることをしらせておきたかったのだ。


 ポル君の言葉が、自分の中に残っている。本当に雫さんを心から好きと言えるかどうか、リアルな彼女に会って、その声を聞いて、できればその手に触れて、五感で確かめてみたい。


 ―――それで、本当にどうしてもリアルな雫さんを恋愛対象として見れなかったら、それも正直に言おう。


 傷つけてしまう。そんな事実なら知りたくないと言われてしまうかもしれない。だから、言葉は本当に慎重に選ばなければいけないと思うけれど、もしアバターに恋をした自分を超えられなかったら、結局いつか、どこかで彼女を傷つけてしまうだろう。


 ―――自分勝手だと分かってる。


 本音を伝えて、自分が精神的にラクになりたいだけだ。でも、どうしても外見を好きになれないのに、付き合っている振りをするのも、偽善者ぎぜんしゃだろうと思う。


 どっちも苦しい。勝手にアバターを好きになって、勝手にがっかりした自分が悪い。それはちゃんとわかってるから、その時は誠心誠意謝る。


 ―――それに、僕だってジャッジされる側になるんだし。


 リアルに会えば、雫さんが望めばスマートグラスやコンタクトを外せば、本物の「宮地みやちきり」を見れる。その結果、自分が振られるかもしれないし、彼女が頑なにアバターしか見ない可能性もある。


 どちらにしても、ここで足踏みをし続けたくなかった。


 でも、雫さんは提案に頷かなかった。


 まだ、タイミングが早すぎたのかもしれない。でも、こうやって自分の意思を伝えることで、彼女も「リアルに会う」ということを、考えに入れてくれると思う。


 彼女が答えを出せるまで待つ。もし、いつまでも答えを出さずにいたり、自分のほうが耐え切れなくなったら、それもちゃんと伝えてみようと思う。


「じゃあ、また手紙送るね」


「はい。じゃあまた……」


 手を振って見送る。胡椒は、ギラギラの夏の日差しの中を駅に向かっていく。きっとアバターで見たら、可憐でふんわりした後ろ姿なんだろうけれど、今は無骨ぶこつなロボットのボディを見ているほうが、心が穏やかだ。


「……あちー」


 夏至を過ぎたばかりで、五時を過ぎてもまだ夕暮れの気配もない。霧はまぶしく目を細めた。





 夏休みに入って、二週間が過ぎた頃だった。


 いつもよりだいぶ早い時期なのに、台風が発生した。同時に二つ、さらに離れた場所で小さな台風が一つ。トリプルで日本を襲ってくる台風に、ニュースはひっきりなしに警告を表示する。


 ―――雫さん、大丈夫かな……。


 最初に上陸してきた台風はかなり速度が遅くて、九州からかれこれ三日かけて関東に近づいている。雨は断続的に続いていて、河川kせんの増水が報道されていた。


 雫さんの家は、土手どてを挟んで川のすぐ隣だ。もちろん防災対策は充分されているのだろうけれど、心配になってポストンで手紙を送る。


「そちらは、雨大丈夫ですか?」


 カフェは台風接近にともなって臨時りんじ閉店しているという。雫さんは自宅待機で、大丈夫だと返信してきた。


<でも、部屋から川が見えるんですけど、茶色くにごって、かなり水位が上がっています>


 ―――え、大丈夫?


 慌てて通話を押してみる。つながるけど、画像は出ない。スマホで繋がってるだけで、カメラのない家の中は、仮想空間には表示されないのだ。


「もしもし? 雫さん、大丈夫?」


「ありがとう、大丈夫です」


「避難とか、警報出てないの?」


 音声だけって、すごく不安だ。彼女の声の向こうに、ざあざあ降りの雨音が聞こえる。


「まだ出てないけど、念のために父が妹を迎えに行ってるところです。戻ってきたら、家族で自主避難しようって」


 妹さんは、塾の夏期講座に行っているらしい。母親が念のために避難準備をしていると聞いて、少し安心した。埼玉県にアラートは出てないけれど、やはり河川沿いは心配だ。


「私も、ちょっと流れが速くなったのが怖いなと思って……きゃ……」


「雫さん?」


 小さな声の後に、通話が切れた。


「雫さん? 雫さん!」


 通話が切れた音だけがツー、ツーと繰り返す。背筋がぞわっとして、霧は慌てて気象情報を検索した。


「……増水警報が出てる」


 まさか、いきなり土手が決壊とか、そういうことだろうか。怖い想像しかできない。


 ―――雫さん、歩けないのに……。


 お父さんと妹さんは家にいない。お母さんだけだ。もし、そこで川が増水して、土手より下のあの家を濁流だくりゅうおそったら……。


「………」


 いても立ってもいられなかった。彼女の住んでいる志木市の役所に報せる電話をかけてみるけれど、通話が混んでいるのか、まるで繋がらない。


 ―――まさか、一帯が被災したのか?


 考えるより先に、手が動いた。


 外出用のリュックサックを掴んで部屋を飛び出す。玄関で靴を履いてる時に、「どこ行くの」という母親の声が聞こえたけれど、「ちょっと」とだけ叫んでドアを閉める。


 エレベーターが来るまでの時間がイラっとするほど遅く感じる。エントランスから外に出たら、東京はまだ生ぬるい風が強めに吹くだけで、時々雨粒があたるくらいだ。


 ―――でも、雫さんのところは……。


 傘がひっくり返りそうで、させない。霧は駅まで走って、地下鉄に乗り込んだ。


 ―――電車は……動いてる………。


 本数は減便の予定だとアナウンスしているけれど、運行はいつも通りだ。台風が来る夏休みの平日……というタイミングだからか、普段は混む電車も、かなり空いている。


 渋谷に向かう間も、災害情報を検索した。埼玉県の一部で、停電が発生したというニュースが出ている。そのわりには、停電を伝える呟きとか動画がない。


「……」


 停電だけじゃなく、電波とか、中継器の不具合があったのではないかと考えてしまう。副都心線から私鉄に乗り入れている間も、ずっと地域を絞って検索しているけれど、なかなか現地の情報が出てこないのだ。


 ―――雫さん……。


 時間をおいて電話をかけてみてはいるけど、繋がらない。明らかに電波の問題みたいだ。


 ―――無事でいて……。


 電車は、私鉄に入って地上に出た。外の雨は電車の窓にぶつかって、吹き流されていく。途中の駅でも人は乗ってきていて、そこだけ見ていると、台風というより、ただ雨のひどい日、というだけに見える。


 ―――でも……雫さんの家は……。


 川のそばだけが被害にあって、停電と電波の不具合ふぐあいで、誰にも助けを求められないのかもしれない。


 ―――誰か………。


 誰か、彼女を助けてください。彼女は歩けないんです。心臓が痛くなって、霧はぎゅっと目を閉じた。


「……」


 ―――大丈夫だ、雫さんのお母さんは家に一緒にいたはずだ。


 大人がいるのだから、きっと大丈夫。そう自分に言い聞かせるけれど、こんなに時間が経って、まだ連絡が取れないことに不安でつぶれそうだ。


 自分が駆け付けて、何の意味がある……と自分の行動を叱責しっせきする。市役所に電話する以外に、もっとできることがあったのではないかと考えてしまう。


 ―――でも、電話も繋がらないんだし……。


 雫のアドレスと電話番号しか知らない。彼女の父親とは、連絡の取りようがない。だから、行ってみるしかないじゃないかと自分で自分に反論する。


 ―――早く……早く。


 いちいち停車する駅を素通りさせたくなる。志木駅に着いたら、飛び出すように電車を降りて、改札を走って抜けた。タクシーを捕まえて、新河岸川沿いの住所を入れる。


『発進シマス。シートベルトヲゴ着用下サイ』


 タクシーは自動運転だ。道路の浸水などがあれば、セーフティ機能が働いて、そこでサービスが止まる。


 ―――行けるところまで行って、あとは歩こう。


 祈るように、窓から雨が叩きつけるアスファルトを見る。でも、予想に反して、タクシーは雫さんの家の真ん前まで来て止まった。


『ゴ乗車アリガトウゴザイマシタ』


 ―――え……。


 家の前にはくすんだグリーンの軽自動車が止まっていて、開いた玄関から、大きな荷物を抱えた雫さんの母親が車に積み込もうとしていた。


 どなた? という顔の母親と見つめあってしまう。霧は開きかけた口から、言葉が出せない。


 運転席には父親。後部座席に、妹がいる。


「あの……」


 荷物を後部座席に入れ、雫さんに似た声が問いかけた時、玄関から雫さんの姿が現れた。


 一歩、エントランスを出かけて、驚いて立ち止まる。


「宮地さん……」



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*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。


逢野 冬

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