第12話 僕たち、幸せになります宣言
雨が、頭も頬も叩きつけてずぶぬれにしていく。
雫さんも、立ち尽くしたままだ。
白い襟付きのニットシャツ。膝上までの白いハーフパンツ。
歩けたんだ…とか、
「うん……お母さんたち、先に行ってて」
父親も運転席で心配そうな顔をしていたけれど、雫さんが繰り返すと、「危ないから、早めに来るんだよ」と諭して、車を発進させた。
ずぶぬれで、青いTシャツは絞れそうなほど肌に張り付いている。やがて、雫さんが覚悟したように口を開いた。
「宮地さん……ですよね」
「……うん」
風邪を引くといけないから、と雫さんは
バスタオルを持ってきてくれて、手渡してくれる。
―――普通に歩いてる………。
彼女は黙っていた。びしょ濡れの頭を拭いて、ありがとうございましたと返すと、うなだれた彼女は、さらに深く頭を下げた。
「……すみません………でした」
長い沈黙が流れて、
「謝ったのは、足のこと?」
彼女の身体が震えはじめ、
「全部……です。足のことも、ここまで来させてしまったことも……全部です」
扉を閉めると、玄関は暗くなった。たまたまスイッチが霧のほうに近い場所にあったので押してみたけれど、つかなかった。
「……停電、してるんだね」
両手で顔を覆った彼女が
「急に停電して、驚いたら、そのまま通話が切れて………」
電話をしても、繋がらなかったと言われた。確かに、どこからだったのかわからないけれど、ここでスマホを見ても、電波が繋がってない。
―――なんだろう。感覚がマヒしてるのかな。
ほっとしたとか、がっかりとか、怒るとか、そういう感情の波が来ない。妙に冷静になってしまって、死刑宣告を受けるみたいに俯いて震えている雫さんの隣に座った。
ちょっと低くて持て余す上がり框に並んで、その背骨が浮いていそうなほど細い背中を撫でる。
「そんなに、謝らなくていいよ」
「ごめんなさい……」
ぼたぼたと指の間から涙が落ちる。
「最初に……宮地さんが足のせいで
学校に行かなかった自分が恥ずかしかった。でも、身体的なことを理由にすれば、それを正当化できると思って、嘘をついたと告白する。
「私のは、本当ならちゃんと登校できるものです。すみません」
容姿がコンプレックスだった、という。いじめられたわけでもなく、ただ“可愛くない”自分を
「言い訳にもならないです。それなのに、宮地さんの辛かった理由を利用させてもらって……だから、もう本当のことを言えなくて……」
ごめんなさい、と何度も繰り返して、雫さんは床に泣き伏した。
「そんなに自分を責めなくてもいいと思うよ」
薄い背中は、もっと骨ばってごつごつしているのかと思っていたのに、触れるとちょっと熱くて、柔らかい。そういうところは、男女の身体はそもそも生物的につくりが違うんだなと思う。
霧は、なだめるようにその背を
「足のせいにできたほうが、恰好が付くって考えたのは、僕も同じだから」
声もなく否定して頭を横にふる雫さんに、自分の足の成長差について説明した。
「僕もリアル登校できる程度だよ。本当は胡椒なんか要らない。足を言い訳にしただけなんだ」
ただ自分のコンプレックスのために、ひと目が気になるからという理由で胡椒登校するのが、どれだけ恥ずかしいかわかるから、「身体のせいだから、仕方ないんだ」という名目を立てた。
「長い間、そのこと自体が自分の中でコンプレックスだった。リアル登校は、そんな自分を克服するために挑戦したのに、やっぱり君の前では本当のことが言えなくて、恰好をつけた……」
だから、嘘をついた雫さんを責めることなんかできない。霧は話ながら自分でもそう思った。
「君がつい言ってしまった気持ちは、すごくよくわかるんだ」
雫さんが、なかなかリアルに会うのを同意しなかったのは、これが理由だろうかと聞いてみたら、彼女は泣きながらちょっとだけ頭を横に振った。
「……それも、あります。でも、一番の理由は、自分の素顔を見られて、それでがっかりされたらどうしようって………」
明るくて
「好かれる顔じゃないのはわかってるんです………宮地さんだって、だから、スマートグラスを外したんでしょう?」
真実すぎて、否定ができない。彼女は、メガネを外して会うようになってから、自分への態度が変化しているのを感じていたという。
「アバターで会ってた時とは違う……でも、リアルで会う心の準備をしてくれるんだろうなと思って……でも、そう思えば思うほど、きっと、本当は宮地さんも、アバターみたいなふんわりしたタイプが好きなんだろうなと思って……」
リアルとアバターは違う。アバターではなく胡椒と対面して話すことで、アバターのイメージを
同時に、アバターの時よりテンションが落ちていたのも、しっかりバレていた。
「がっかりさせてすみません……」
「いや……」
「でも、いつかこういう日は来ると思ってました」
一生、直接会わないというのは無理だと雫さんは言う。
「だから、リアルに会う時は、きっとその日が最後なんだと覚悟してました」
「最後って……」
「人に好かれるような顔じゃないです。それは、ちゃんとわかってます」
今まで、ありがとうございました……と、勝手に終わらせてる雫さんに、霧はいつの間にか苦笑していた。
「雫さんも、本当にこじらせてるよね」
「……」
「僕は、決して雫さんの容姿が悪いとは思わない」
「だいたい、そう言われます。
ほしいのは、そういう評価じゃないんだろうなと思う。雫さんがほしいのは、妹さんに送られる
「でも、たとえば仮に
可愛い顔で生まれたらそれで人生
「それに……」
霧は、背中を撫でていた手で、顔を上げるように促した。
肩に触れ、腕へと
「僕は途中からずっと胡椒だけで雫さんと話していたけど、雫さんは、可愛いと僕は思ってました」
「雫さんの不器用な感じが可愛いんです。でもそれって顔じゃないんですよ。そういう可愛いところを、みんなが知る必要はなくて、なんなら、僕にだけ見せてくれるというのは、すごく、クルものがあります」
言ってて、顔が熱くなる。本人を前にのろけるって、めちゃくちゃ恥ずかしい。
でも、好きな人に、どこが好きかを話すのって、やめられないほどテンションが上がる。
「本当に、すごく可愛いんですよ。雫さん、わかってないでしょ。本当に、ぎゅってしたくなるほど可愛いんですよ」
「ま、待ってください……それ、連呼されると……」
じたばたと細い手が左右に揺れて拒む。全力でデレてる感じが、キュンキュン心臓に刺さった。
―――ああ、本当に“好き”だ。
アバターを前に競り上がってきたときと同じ感情があふれてくる。霧は、「可愛いとか、処刑ワードです、やめてやめて……」と逃げる雫さんを抱きしめた。
―――ああ、すごいいい匂いがする。
「好きです……雫さん」
「………」
呼吸を止めて、雫さんが硬直している。でも、鼓動は抱きしめて触れた胸を通して伝わってきて、霧は五感全部で“加藤雫”を感じ取った。
震える睫毛、やわらかな感触、生真面目で線の細い声。
「全部、好きです。このリアルな雫さん全部」
どこがどう好きか、抱きしめながらとりとめもなく伝えた。テンパっていた雫さんは、何をどう言ったら、その恥ずかしい発言をやめてくれるのか、と真っ赤な顔で言う。
霧は、アバターよりずっときれいに赤面した顔に微笑みかけた。
「雫さんが僕のことを好きって言ってくれたら止めます」
さあ、これが本当の罰ゲームですよ、どこまで耐えられますかねと笑うと、雫さんは震える声で、好きです、と言ってくれた。
言いながら、目じりから涙が零れ落ちる。
「し、雫さん」
これは、本当に無理強いだったのだろうかと、さすがに慌てると、雫さんは泣きながらとん、と額を鎖骨のあたりに預けてくれた。
「ありがとう……ございます」
「雫さん……」
「たぶん、今、人生で一番幸せです」
夢オチでありませんように……と雫さんは僕の頬をつねった。
「イテテ……」
そこは、普通自分の頬をつねるところではないだろうか。
けれど、雫さんはその涼やかな瞳でくすっと笑った。
―――可愛い……。
まるでスポットライトを当てるように、その時停電が復旧して、玄関に暖かな光が灯った。
終
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また、次のお話も、お付き合いいただけたら嬉しいです。
*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。
逢野 冬
メタバースで美少女アバターに出会ったら(中身おっさんとかではありません) 逢野 冬 @ainotou
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