第9話 彼女を愛するために、メガネを外した
悩んだ末、
「今日行ったけど、いないみたいだったので、ちょっと心配になって送ってみました」
ぴこんと送ると、五分もせずに返信がくる。
《お久しぶりです。メールありがとうございます》
シフトを休んでいたと書かれていたので、明日はどう? と聞いたら、頑張りますとリターンがくる。
「じゃあ、テイクアウトしていつものベンチのところにいますね。バイト、頑張ってください」
はい、という文字のあとに、きらきらの粉が舞うスタンプが押されている。彼女のアバターの笑顔を思い浮かべたけれど、なぜかそれは遠目に見たリアルな雫さんの顔に上書きされていった。
真面目そうな、頭のよさそうな、あまり表情のない優等生の顔。
ときめかない胸に、罪悪感が消せない。そして、会いたいという切実さが無くなったことを、どう納得していいかわからない。
―――アバターで会えば、きっと大丈夫。
楽しく話ができるはず、そう思いながら、いい子ぶってる自分に嫌悪感が沸く。
いっそ、麗さんのぐらい
「本当に、僕はサイテーだ……」
午後の陽射しで、葉が揺れる影が地面に落ちる。霧はベンチに座って、ぼんやりとそれを眺めていた。
静かだけれど、ゴムキャタピラがアスファルトを
「待っていてくれて、ありがとうございます」
「いえ……」
頬を染めた、色白の少女。ちょっと心配そうな顔も、小首をかしげる
この仕草の向こうに、無機質な白いロボットの腕や胴があって、埼玉県の片隅で、雫さんがVスーツを着て同じ仕草をしている。
きっと、かつての自分みたいに、一人きりの部屋で。
どうぞ、と
どうやっても気持ちが盛り上がらなくて、それを
視界は、いきなり目の前の少女だけ白いロボットに変る。それ以外は、ほとんど同じだ。
「宮地さん?」
「あ、ごめんね、なんか、画面の調子がおかしくて」
今日は裸眼で、と言うと、彼女は恥ずかしそうに俯く。
「胡椒だと……しゃべってるの、ヘンじゃないですか?」
面白いことに、胡椒の表情はほとんど変わらないのに、仕草のせいなのか、アバターの時と同じ印象を受ける。
「ううん。見慣れちゃったせいかな……胡椒でも、なんとなくいつもの加藤さんと同じに見える」
「そう……ですか………」
むしろ、余計な情報を取り去ったこの無機質なロボットの姿のほうが、ほっとした。
量産型の愛想のないボディは、ふわふわしたエルフのアバターも、好きになれる自信がない彼女の素顔も、消し去ってくれる。
彼女は、休んでいた間のことを話した。麗さんから教えてもらわなかったら、「絵の課題に取り組んでいて、忙しかった」という言い訳を、丸ごと信じていたと思う。
「将来は、イラスト関係とかで仕事をするんだ?」
ロボットが恥ずかしそうに首を振る。表情なんかなくても、恥ずかしさというのは表せるんだな。
「私の画力では、とても……」
「じゃあ、何で絵の学校に行ったの」
詰め寄ったつもりはないんだけど、彼女はすみませんと小さく呟いた。
「……絵で、食べていけたら……それが理想なんですけど」
でも、そう思う人はたくさんいる。他の人を押しのけて行けるほどの魅力は、自分の絵にはないという。
―――わかる……でも。
ここで自信満々に「絵で食べる」と言えるとしたら、本当の天才か、実力がわかっていないか、よっぽどの自信家だ。普通は言わない。だが、この時だけは別な響きを想像してしまった。
逃げ道を残しているように見えて仕方がない。
絵で食べていきたいと、そのつもりだと周囲に表明したら、やらざるを得なくなる。死に物狂いで努力しなければならないだろう。厳しい世間のジャッジも受ける。投稿サイトでいいねが付いたくらいでは、実現したことにはならないのだ。
内輪の
コンペに落ちるとか、誰かの容赦ない評価も受け止めなければならない。
「傷だらけになっても、それでもいいと決心しないと、挑戦できないよね」
「え……」
夢を見ている間は、傷つかない。ただ「そうなったらいいな」という理想だから。
でも、そういう予防線は、自分の外側を
「絵で食べていくって決めたら、すごく大変じゃない? でも、本当にやりたいなら、駄目になる覚悟も込みで、チャンレジするしかないよね」
ある日、白馬に乗った王子様が、仕事を持ってきてくれるわけではないのだから。
言ったあとで、あまりの説教がましさに、自分で赤面した。
「ごめん……。自分が、勇気を出して動いた時に、すごく、変われたっていう経験があったから……つい」
「宮地さん……」
そこからかなりまくし立ててしゃべったと思う。偉そうなことなんて言えない。たかがリアル登校をしただけだ。それも、十八にもなって、他の子がとっくの昔に卒業したコンプレックスを、ひとつ
「でも、僕にとっては大きなことだったんだ。リアルに登校したからこそ、と藤田君っていう友だちもできたし、彼がいたから、カフェを探して、一緒にお茶をしようと思った」
一歩踏み出すことのメリットを、彼女に伝えたかった。
「カフェに来たから、雫さんに会えた。もし、僕が胡椒登校のままだったら、カフェには来れない」
言ってから、「加藤さん」ではなく、名前で呼んでしまったことに気づいた。
―――やば……。
いつも、心の中で勝手に呼んでいたから、つい口が滑ってしまった。彼女は目を見開いてフリーズしている。
慌てて心臓がドクドク言ってる。もう、どうにも言い訳できなくて、霧は強引にスルーした。
「絵で……絵が好きで、それを仕事にしたいなら、するべきだと思うよ。現実が厳しいのはわかってるけど」
宣言したが最後、後には引けなくなる。専門の学校にいるなら、なおさらだと思う。でも、今必死にならなかったら、きっと十年後も、同じところをぐるぐる回ることになる気がした。
「押しつけがましいこと言って、ごめんね」
学校の時間じゃない? と終りを促し、同意する彼女を見送る。
「頑張ってね!」
裸眼で見る世界に、あのふわふわの少女はいない。
―――でも、なんかすっきりした。
あのイメージに惑わされるくらいなら、こうして裸眼で会うほうがいいのかもしれないと思う。
まるで、紙コップでできた「糸電話」でしゃべってるみたいだ。声だけ聞こえて、相手は見えない。
「そう、思うことにしようかな」
霧は、帰りにコンビニの寄ろうと考えながら
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*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。
逢野 冬
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