メタバースで美少女アバターに出会ったら(中身おっさんとかではありません)
逢野 冬
第1話第1回 三白眼の白いロボット……アレにログインすればいいのだ
今日が、小学校二年生以来、十年ぶりのリアル登校だった。
―――はーっ、キンチョウする。
気持ちも足も重い。でも、大学に進学する時に決めたのだ。大学生になったら、ぜったいリアル登校するって。
「……」
オレンジ色の車両が、新宿の次の次の駅で止まる。ドアが開くと、自分と一緒にいくつものロボットが下りた。
―――うわあ。
普段は、どこへ出かけるときでもスマートグラスをかけている。だから、メガネ
でも、リアルな世界にいる約二割以上が、ヒトの歩行を邪魔しない、腰丈くらいの白いヒト型ロボットだ。
もちろん、スマートグラスをかけないで現実だけを生きている人たちのために、この小さめのロボットたちにも顔はある。やや
彼らの名前は『
胡椒は、専用タイプとレンタルタイプの二つがある。どちらも、WEB上からログインして操作する。
ログインすると、ネット上ではその人のアイコンの姿として表示される。ログアウトすれば、ただの白いロボットとして映る。そういうレンタルロボットは、駅とかコンビニとか、専門のレンタルショップに置いてある。
操作方法は簡単だ。ログインしたい人は、あらかじめ家や部屋でVスーツを着用する。そうすれば、Vスーツの動きはダイレクトに胡椒と連動する。胡椒が物を掴めばその感触はVスーツに伝わるし、足を前に出せば、胡椒も前に進むし、足を下ろせば胡椒も止まる。
胡椒が大量に生産されたのは『メタバース到来!』と騒がれはじめて、しばらくしてからのことらしい。
大人たちに言わせれば、そんなに大きな技術革新ではなかったという。胡椒は安全性と安さを考慮されているから、キャタピラで動くダサいレンタルロボットだったし、Vスーツも電極と空気圧を、ゴムでできたスーツの中に組み込んだだけの、とってもローテクなものだ。
でも、それが肝心なのだという。なにしろ、細い空気の管と電線をひたすら挟み込んだだけのVスーツは安い。でも、胡椒の身体に受けた信号は、即座に空気圧によってリアルにVスーツに伝えられる。それは高性能のセンサーを山盛り付けるよりずっと簡単で、人間の皮膚感覚に情報を伝えるのには十分なものだった。
電気の微妙な刺激と空気圧で、温度と圧、圧よりも微細な感触を再現してくれるので、ログインした人は胡椒のボディを通してリアルな世界を“感じ”、胡椒のカメラを通して世界を“見”て、胡椒のマイクを通して世界を“聞”く。
それは、シンプルなくせに画期的な発明だった。
胡椒はあらゆる場所に置いておける。ログインさえすれば、たとえ外国からでも、一瞬で東京に“来れる”。遠出ができないお年寄りでも、胡椒がキャタピラでスイスイと走り、好きなところへ行けるのだ。
今だって、改札を通っていった白いロボットが、スピードを上げて改札の外にいる別なロボットのほうへ向かっている。相手も、気づいたみたいだ。大きく手を振って、「トモコちゃーん!」とはしゃいでいる。
胡椒のスピーカーから出る声は、可愛らしい女の子の声だ。メガネをかけ直して見てみると、WEB上では、ひと昔前の少女漫画みたいな女の子キャラと、某アニメの黄色い熊さんのアバターが、歓声を上げて抱き合っていた。
―――たぶん、おばあちゃん同士とかだな。
どんなアバターを選ぶかで、現実の人物がどんな人かは、わりと想像できる。どっちも、わりと高齢者層がよく選ぶアバターだ。
―――ひしっと抱き合っている胡椒二体って、リアルに見るとこんな感じなのかあ。
リアルな景色は奇妙だ。でも、足腰が弱っていたり、遠すぎて会えない人たちにとって、こうやってどこにでも胡椒がいてくれて、簡単にログインできるのは便利だと思う。
いつでも、交通費をかけずに会えるし、はたから見てどんなに変でも、リアルな彼らはVスーツ越しに、ちゃんと相手の抱きしめてくれた力を感じることができる。
―――それに、これをリアルに見たがる奴なんて、そんなにいないし。
自分でも、あまり裸眼で見たことはない。それに、ここ数年はコンタクトレンズ・タイプもできたから、仮想世界の視界を保つのはもっと楽になった。スマートグラスを
もちろん、リアルな視界で生きていきたいという人はそれなりにいる。でも、実際の問題として、アバターで見慣れてしまうと、リアルな本人の顔は覚えられない。特に自分は、小学二年生からずっと、胡椒にログインしてアバターで登校していたから、クラスの友達は、全員アバターでしか見たことがない。もし、彼らがログアウトして教室にいたら、誰が誰だか分からない。
―――向こうだって、僕がログアウトしたら、素顔は知らないわけだしね……。
ほとんどの人は、そうやってアバターに慣れすぎてしまって、便利だからWEB上の視界で見ているのだと思う。
大学の門をくぐっても、メガネを外せば、歩いている四割くらいが胡椒なのがわかる。霧はメガネをかけ直す。やっぱり、リアルな視界は慣れない。
―――はー、落ち着く。
スマートグラスをかけた瞬間に、視界はメタバースになる。仮想空間では、自分の手を見ても、犬の肉球になる。なぜなら、自分のアバターは白い犬だから。ただし、二足歩行だけど。
スマートフォンのような端末でも、スマートグラスのようなものでも、とにかくネット回線に繋がっていれば、自分の姿は、ネット上では登録したアバターになる。リアル登校できる安心材料の一つはこれだ。
自分が素顔を晒して学校に行っても、相手がWEB上から見ている限り、相手にはいつもの白い犬アバターにしか見えない。
たいていの人は、慣れ親しんだ視界のほうを選ぶから、リアル登校しても、携帯端末を持ち歩いていて、ログアウトはしないし、スマートグラスか、スマートコンタクトレンズを付けている。だから、彼らから見たら、普段と変わらない“白い犬の宮地霧”なのだ。
初リアル登校の大冒険も、他人にはわからない。
「おはよー」
「あ、おはよ」
大学に入って仲良くなった藤田君だ。霧は、興味深くてちょっとメガネを指で上げ、リアルな世界で見てみる。
―――やっぱ、胡椒登校なのか……。
「霧、もしかして今日はリアルで来てるの?」
「あ、うん……」
しぐさでわかるらしい。“リアルと見比べてるだろ”と指摘されてしまった。
―――それにしても、リアル登校か胡椒登校かって、わかんないもんだなあ。
仮想空間の世界では、いつもと同じドット絵で描いたような、二頭身の勇者の格好をした藤田君のアバターがいる。
「藤田君は、ずっとリアル登校してるのかと思ってた」
「いやー、高校の時は、ちゃんと通ったんだけどね」
でも、大学は遠くてさ、と勇者アイコンの藤田君は、ふああと伸びをした。近所のコンビニのやつをレンタルログインしてるらしい。
「霧はえらいね。俺も、一回くらいはちゃんとキャンパスに行こうとは思うんだけど、なかなか起きられなくて……」
どのくらいリアルの人が来てる? と聞かれて、霧は講堂に入ってから、もう一回メガネをちょっと上げた。
「うーん………多めに見て、三割?」
「少っくなー。まだ五月だよ?」
だよねー、と笑いながら、笑うに笑えない講堂の光景にビビる。ずらりと並んだ胡椒、胡椒、胡椒……。三白眼の、無表情な白いロボットの間に、ぽつん、ぽつんと人が座っているのって、マジでやばい感じがする。
「………」
リアル登校なんて、する意味あったんだろうか。これなら、普通に胡椒で登校してても変わらないじゃないか。
―――絶対、大学こそちゃんと通おうと思ってたのに…。
意気込んでいた高校の三年間。リアルに外に出ることへのプレッシャーで、胃が圧迫されていた春休み。服を何着も買って、鏡とか動画とかで確認して、美容室とかも嫌々行って………数々の苦労が、まったく意味をなしてない。
「僕の努力って………」
「霧?」
「いや……」
―――イヤイヤイヤ。むしろ、よかったでしょ。ここは喜ぶとこでしょ。
実際に学校に来るまで、
下校時、みんなが自分に内緒で一斉にログアウトしていて、自分にわからないところで、リア充な放課後を過ごしているとか、すごいイケメンと可愛い女の子たちが、すごーくオシャレをして、華やかな大学生活を送っているところとか、勝手に妄想しては劣等感で“リアルに混じるなんて絶対無理”とか“このまま一生アバターライフで充分”とか、ひねていたのだ。
―――大学だけは、リアルで頑張るって決めただろ。
胡椒を使わず、ちゃんと自分で登校し“実社会”への復帰訓練をする。そう決意していたのだ。もしキャンパスが華やかなリア充たちであふれていたら、自分なんか、とても居られないだろうと思う。
―――このくらい
自分のように、ちゃんと自分の身体で登校してきている人も、胡椒と胡椒に挟まれて、ほとんどボッチばっかりだ。“ボッチは自分だけじゃない”という景色が、自分の背中をどうにか逃げないように押してくれる。
―――ま、まあ……友達同士もいるみたいだけど。
隅っこのほうに、仲良さそうな女の子二人組とかがいる。メガネを戻し、アバターで見ると、ちっちゃいリスとネズミのふたりだった。
なんとなく、女子だろうなと思っていたけど、やっぱり女子だった。アバターの選び方と本人て、やっぱり関連付くよね、とリアルな光景を眺めていると、隣で藤田君の胡椒が
「あっちが
「あ、うん」
無表情な胡椒の顔と、スピーカーから流れてくる藤田君ののんびりした声とのギャップがすごい。席に座ると、藤田君らしいモーションで動く胡椒が、伸びをしてこちらを向く。
「霧がリアルで学校来てるなら、俺も行ってみようかな」
「あ、来なよ。そしたら二人でお茶とかしようよ」
「それ、いいね。なんか目的があると、リアルに行こうって気になるし」
こちらこそ、藤田君がリアルで来てくれるなら、いいモチベーションになる。
―――このままじゃ、なんだか胡椒登校でもいいような気がしてきちゃうしさ。
教授が入ってきたけれど、なんと教授も胡椒にログインしていた。霧は、半分あきれて肘をついた。
―――なんだ、先生もリアルには来てなかったのか。
先生はデフォルメされたアバターを使わない主義なので、メガネをかければリアルな3D実像だけど、裸眼で見ると、無表情の胡椒が、大きな身振り手振りで講義をしている。
板書は、電子黒板に先生が書きなぐっているように見えて、実際は先生が手持ちのタブレットに、ペンで書いているだけだ。
「……」
―――リアルって、もっとワクワクな世界だと思ったのに。
メガネをかけ、仮想空間で見るこの講堂は、どこにでもある大学の授業風景だ。霧は何度もメガネを人差し指で上げたり下げたりして、現実と仮想空間を行ったり来たりした。
―――リアルとの差分て、必ずみんな見比べるっていうけど……。
学校にいるときに、誰もが一度はやることだという。けれど、その動画とか画面は、ほとんど見れない。
リアル画像と、仮想画像は、並べたり、比べたりすると機械的にはじかれて、リアル画像のほうにスクランブルがかかるからだ。それは、アバターの“中の人”が誰なのかが
ユーザー数は、数える意味すらわからないけれど、40億とも50億ともいわれている。つまり、なんらかの端末を持てる経済力のある、ある年齢以上の人すべて、ということだ。
最近では、生まれた赤ちゃんに「ファーストアドレス」を与えるのが、名づけと同じくらいの重さを持っている。
―――まあ、そうしないとリアルでしか赤ちゃんも存在できなくなっちゃうし。
人に戸籍とか住民票があるように、ネットになんらかのアドレスを持つ人は、何かの形でこの仮想空間に存在するからだ。もはや、何かのアプリを使う、使わないとかいう次元ではなく、仮想空間はインターネットそのものだった。
―――てか、“その前”がどうだったかのほうが、僕たちにはわかんないよな。
おじいちゃんたちは、「昔は、調べものは本でしかできなかったんだよ」とか、「携帯電話ができる前は、外に出ると待ち合わせの変更ができなかったんだ」とか言って、“ネット以前”の世界を説明してくれる。さっぱり実感がないけど、きっと“メタバース前”と“メタバース後”も、そのくらい違うのだろう。
今では、ネットにつながると、個人はすべてアバターで表示される。でも、初期のころはそうした顔はなく、その匿名性がとても便利だったらしい。顔もわからない人とやり取りするなんて、怖くないのかと思うけど、それはそれで「ネットの上で人々は平等!」とか「国籍や性別を超えることができるのがネットのいいところ!」とか言って、けっこうもてはやされたらしい。
“メタバース”も、すごい未来になると騒がれていたころ、その仮想空間のほとんどは手作りだった。今では、信じられないことだ。
―――まあ、今でもそういうアート空間てあるけどさ。
でもそれは、ゲームやコンサート用のエンタメ空間なんかと同じだ。セットみたいに空間をデザインして、“それ用”に世界観を練り上げる。現実にはない空間で、作るのも維持するのにもすごいお金がかかるのだ。そういう空間は、“入場”するのにお金がかかる。
実際のメタバースは、監視カメラの進化から生まれた。
“監視カメラとして、安全性も担保できますよ”として、あるメーカーがあらゆる場所への設置を促したのだ。
ちょうど、昔、ある企業が360度のカメラを搭載して、世界中のあらゆる道を撮影して歩いたのと同じだ。ばかばかしいほど地道に、年月と
今では、どこの国の人たちも、当たり前のように使っている。けれど、最初に企画書だけの段階でこの事業を見たら、どの企業だって「実現できるの?」と疑っただろう。たった一つの私企業が、地球全体をまるごと撮影したのだから。
あらゆる小道も農道も、電波が届かないような山奥も、富士山の頂上だって、頭にカメラを乗せてちゃんと人が上ったのだ。魔法なんかない。インフラを最初に敷くときは、地道に一歩ずつやっていくしかないのだ。
気が遠くなりそうなほどの膨大な労力をかけて、あのマップができたのと同じように、おそろしく地道に、あらゆる場所に監視カメラを設置して、“メタバース”は構築された。
このカメラに映る景色は、インターネットでもそのまま同じ仮想空間となる。たとえば藤田君が家から大学まで行けば、その画像が映っているけれど、そこに藤田君がログインしている限り、仮想空間ではアバターで表示され、アバターが家から大学まで行っている。
ログアウトすると、個人情報保護のために、仮想空間ではその人は白いもやっとした画像になる。見るからに怪しいので、むしろ怪しまれないために、ログインし続ける人のほうが多い。
ログアウトすることは“やましいことをしてる”という印象があるのはこのせいだ。たとえば自分が、誰にも内緒で行動したいとき、個人を特定されないようにログアウトする。でもそれはへたくそな“変装”みたいなものだ。むしろ、別のアカウントでログインしたほうが変装としては目立たない。
リアルの監視カメラ画像は、治安上、警察にしか提出されない、ということになっている。本当かどうかはわからないけれど。でも、とりあえず個人情報を守るために、ログインした状態の画像と、リアルの監視画像は、発信する個人データに基づいて、互いが干渉してスクランブルがかかり、並べて見ることはできないらしい。
もちろん、このカメラの設置だって、一部では「監視社会になる」と大反対運動が起きた。でも、結局、経済的な理由で、みんなが積極的に設置することになった。
仮想空間が大きくなればなるほど、そこにカメラが設置されない限り、その場所は“無いこと”になってしまうのだ。一応、「カメラ外」という表示で、カメラが無い空間が存在すること自体は表示されるけれど。
現実の世界で宣伝用の看板を掲げるよりも、仮想空間でデジタルサインを出したほうが、何倍も集客力がある。だって、仮想空間で見ている人のほうが、人数的に多いんだもの。
どこの商業施設も、この商機に乗り遅れまいと、積極的に監視カメラを誘致した。お店に来てほしいところは、入口から店内まで、フルで映るように何台もつけている。
映らない場所は、仮想世界では存在しないことになる。だから他店も、競争のためにカメラを入れる。カメラに映っていることが、犯罪を抑制することに繋がり、消費者もより安全な店としてそこを選ぶ。そうやって、どんどん映る場所は増えていき、それと同時に仮想空間は膨張した。まるで、ビッグバンで宇宙が膨張したのと同じような勢いだった。
学校も、マンションも、公共施設も道路も、どんどん同じ理由でカメラの導入を受け入れた。
設置が進むにつれて、むしろカメラがない場所のほうが“怖くて危険な場所”という認識になり、最後は政府や自治体も積極的に設置するようになった。
そして数年が経ち、映らないのは、自宅の中だけという世界になった。あの、世界的なネット地図と同じことになったのだ。
仮想空間には、好きなアバターでログインできる。見た目も性別も、何もかも、今度こそすべて縛りから自由になる……が謳い文句だった。そして、それは“事実”になった。
人が『胡椒』にログインすることで、どんな場所からでも出現できるようになったからだ。
胡椒は、もともとあった量産型のロボットの改良バージョンだ。そして、これが人手不足のコンビニに置かれたことから、一躍脚光を浴びることになった。
胡椒に、Vスーツを着たアルバイトをログインさせる。アルバイトさんは、通勤しないで、自宅から品入れとかレジとか掃除をするのだ。
どれも、胡椒レベルでこなせる作業だった。コンビニのオーナーは、交通費を払わずに雇える「ログインバイト」さんに大喜びだったし、デスクワークではない職種でテレワークができるのは、働く側にとっても福音だった。
需要と供給が一致して、胡椒は
働く人の顔ぶれも変わった。
都市部から離れた、仕事のない地域の人たちが働きだしただけではない。世界中に広めた仮想空間は、距離というハンディがない。やがて、外国から“働きに”来る人たちが増えたのだ。
むしろ、距離があるほど有利だった。深夜など、働き手が少ない時間帯でも、違う国からすれば時差で昼間だったりするからだ。
給料も、ポイントで支払えることになったのが幸いした。通貨ではないから、世界中どこでも使える。電線も通っていないアフリカの奥地で、衛星で繋がったスマートフォン一つを握りしめた若者が、なんと日本のコンビニで働き、得たポイントを使ってネット通販で生活必需品を買うという、すごい経済対流ができつつある。
もはや、自国に経済力があるかどうかは無関係で、端末と電力、Vスーツという三種の神器さえ手に入れられれば、その国にいながら、賃金を手に入れられるのだ。
だから、コンビニで働いている店員さんがどこの国の人かも、男女も、経済力もわからない。指示が日本語でも、胡椒のスピーカーには翻訳機能が付いているので、オンにしておけば仕事には支障がない。「ありがとうございました」と言われても、“中の人”が何語でしゃべっているかはわからないのだ。
胡椒の足元は、農業用に特化したタイプもある。防水、防塵で、キャタピラが上下に伸びる。伸縮キャタピラと腕を上手に使ってコンバインやトラックも、簡単に乗り降りできた。都内在住で、東北のジャガイモ畑を管理している人も、珍しくない。
霧が就学年齢になった時、そうした波が学校にも押し寄せてきていた。
最初は、身体的な理由で通学が困難な児童のための、ログインロボットだった。もちろん、ボディは胡椒だ。
胡椒のおかげで、家の外に出られないほど不自由な肢体の人が、自由にお出かけでき、発声ができない人も、専用のアプリをかませれば、胡椒が音声で読み上げてくれるようになった。特別仕様のVスーツを手や足に
同時に、本当ならリアルに登校できるのに、友達関係で
もちろん、たとえロボットが代わりに登校してくれても、いじめや仲間外れが消えてなくなるわけではない。でも、機械の身体は、殴られてもVスーツさえ外してしまえば痛覚を感じることはないし、ロボットを壊せば、壊した人が修理代を払わなければならない。
霧も、友達がいないクラスでは、休み時間は胡椒のカメラを閉じて、その時だけログアウトしていた。授業が始まり、目を開けると机の上に「バカ」とか書かれた紙が置かれたりしていたけれど、少なくとも悪口を耳から聞くことはないし、授業の間はいじめられない。学校の胡椒は、特定の個人が対象にされないように、すべてレンタルになっていたから、授業が終わると同時にログアウトした。
登校も下校もなく、授業以外に参加しなければ、いじめようがなくなる。
―――まあ、友だちもできなくなるんだけど。
でも、これで学力に遅れが出なくて済んだし、中学は学区外を選ぶこともできた。通学時間がゼロになる「胡椒登校」のおかげだと思う。
アバターは何度でも選び直すことができる。仮想空間の場合、もし、外見が理由でいじめられたとしても、それはいかようにでも修正できるのだ。
ただ、そのせいでおかしなねじれが起きていることも確かだ。
仮想空間では何にでもなれる。でも、自分たちの世代は、わりと当たり障りないアバターを選ぶ傾向が強い。例えば、自分や講堂にいる女子たちのように、犬猫とか小動物とか、「そこそこ害なく可愛くて、可愛すぎないもの」が多いのだ。
あとは、藤田君みたいに勇者願望があっても、わざと出来損ないのドット絵みたいに、崩してるのが「相応」だと思われている。綺麗な髪にエルフ耳とか選ぶ人は、ちょっとメンヘラ気味だと思われて引かれるし、可愛さ全開の三頭身キャラとかを選ぶやつは「痛い」とドン引きされるのがオチだ。だからと言って、わざと無機質にヤカンとか斧とかを選ぶやつも、「闇が深い」と敬遠される。
―――なんでも自由に選べるはずなのに、結局不自由なんだよな。
空気を読まない一部の女子とかは、保育園くらいのころに憧れた、外国アニメのキャラみたいな、金髪でドレスを着たアバターとかを堂々と選んでいる。憧れなんだから、確かになんでもやればいいと思うけど、そのチョイスをした時点で、その人はもう「そういう人」のグループにくくられてしまう。
そういう点で、コンビニなんかで見かける外国人と思われる人たちは、「強いなー」と思う。
―――メンタルがね。
多分、ヒーローもののアニメから起こしたと思われる十頭身のイケメンとか、バーンと胸が飛び出てるゴージャスな美女とかのアバターを、平気で使っている。そういうアバターを作ってくれる「アバター職人」がいて、オーダーでどんなアバターも作れるのだ。
―――あっちの人の自己肯定感て、すごいよな。
何を食ったらあんなにポジティブになれるのだろう。彼らはイタい人というわけではなく、素で「単にそのキャラが好きだから」アバターにしてるだけなのだ。他者の目を気にしないで済む生き方がうらやましい。
「はあ……」
こんなに世界は狭くなったのに、なんでもアリの仮想空間になったのに、結局、空気を読んで当たり障りないアバターしか選べない自分の小市民ぶりにがっかりだ。
むしろ、ドット絵でも勇者を選んだ藤田君のほうが、クールでかっこいいと思う。
―――そんなふうになりたいんだけどな。
でも、いざとなるとヒトっぽいアバターを選べない。
毒が無くて、あざとさもない、万人受けする犬よりほかに、何も思いつかないのだ。
―――所詮、僕はモブ属性だしなー。
霧は、メガネを戻した。
***********************************
読んでいただいて、ありがとうございます!
このお話は、全12話です。毎日UPさせていただきます。
もし、「面白いな」と思っていただけましたら、ぜひ★やブックマークで評価していただけたら嬉しいです。
読んでいただけるのをモチベーションに頑張ります!
どうぞよろしくお願いします。
*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。
逢野 冬
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