メタバースで美少女アバターに出会ったら(中身おっさんとかではありません)

逢野 冬

第1話第1回 三白眼の白いロボット……アレにログインすればいいのだ

今日が、小学校二年生以来、十年ぶりのリアル登校だった。


―――はーっ、キンチョウする。


気持ちも足も重い。でも、大学に進学する時に決めたのだ。大学生になったら、ぜったいリアル登校するって。

宮地みやち きり、十八歳。中央線沿いの大学で経済学部に入った。アバターは犬だ。白いやつ。


「……」


 オレンジ色の車両が、新宿の次の次の駅で止まる。ドアが開くと、自分と一緒にいくつものロボットが下りた。

 ―――うわあ。裸眼らがんで見ると。けっこう笑えるんだな。


ウェアラブル端末スマートグラスを外した、裸眼の世界は滑稽に見える。


 普段は、どこへ出かけるときでもスマートグラスをかけている。だから、メガネしに見る世界はインターネット上のデータで、この無骨ぶこつなロボットたちは、そのロボットにログインしている人たちのアバターに“見える”。自分のまわりは常にカラフルな動物とか3Dのアバターだった。


 でも、リアルな世界にいる約二割以上が、ヒトの歩行を邪魔しない、腰丈くらいの白いヒト型ロボットだ。


もちろん、スマートグラスをかけないで現実だけを生きている人たちのために、この小さめのロボットたちにも顔はある。やや三白眼さんぱくがんの愛想のない顔つきで、手は人間と同じように稼働する。脚は二足だけど、下に行くにしたがって安定がいいように裾広がりになっていて、足裏の下には二つのキャタピラが内蔵されていた。二足歩行してるように見えて、実際は交互に足を前に出し、キャタピラで水平移動している。だから、電車とホームコンコースの隙間だけじゃなく、階段だって難なく自力で降りられる高い稼働域をもっている。


 彼らの名前は『胡椒コショウ』という。


 胡椒は、専用タイプとレンタルタイプの二つがある。どちらも、WEB上からログインして操作する。


 ログインすると、ネット上ではその人のアイコンの姿として表示される。ログアウトすれば、ただの白いロボットとして映る。そういうレンタルロボットは、駅とかコンビニとか、専門のレンタルショップに置いてある。


 操作方法は簡単だ。ログインしたい人は、あらかじめ家や部屋でVスーツを着用する。そうすれば、Vスーツの動きはダイレクトに胡椒と連動する。胡椒が物を掴めばその感触はVスーツに伝わるし、足を前に出せば、胡椒も前に進むし、足を下ろせば胡椒も止まる。


 胡椒が大量に生産されたのは『メタバース到来!』と騒がれはじめて、しばらくしてからのことらしい。


 大人たちに言わせれば、そんなに大きな技術革新ではなかったという。胡椒は安全性と安さを考慮されているから、キャタピラで動くダサいレンタルロボットだったし、Vスーツも電極と空気圧を、ゴムでできたスーツの中に組み込んだだけの、とってもローテクなものだ。


 でも、それが肝心なのだという。なにしろ、細い空気の管と電線をひたすら挟み込んだだけのVスーツは安い。でも、胡椒の身体に受けた信号は、即座に空気圧によってリアルにVスーツに伝えられる。それは高性能のセンサーを山盛り付けるよりずっと簡単で、人間の皮膚感覚に情報を伝えるのには十分なものだった。


電気の微妙な刺激と空気圧で、温度と圧、圧よりも微細な感触を再現してくれるので、ログインした人は胡椒のボディを通してリアルな世界を“感じ”、胡椒のカメラを通して世界を“見”て、胡椒のマイクを通して世界を“聞”く。

 それは、シンプルなくせに画期的な発明だった。


 胡椒はあらゆる場所に置いておける。ログインさえすれば、たとえ外国からでも、一瞬で東京に“来れる”。遠出ができないお年寄りでも、胡椒がキャタピラでスイスイと走り、好きなところへ行けるのだ。


 今だって、改札を通っていった白いロボットが、スピードを上げて改札の外にいる別なロボットのほうへ向かっている。相手も、気づいたみたいだ。大きく手を振って、「トモコちゃーん!」とはしゃいでいる。


 胡椒のスピーカーから出る声は、可愛らしい女の子の声だ。メガネをかけ直して見てみると、WEB上では、ひと昔前の少女漫画みたいな女の子キャラと、某アニメの黄色い熊さんのアバターが、歓声を上げて抱き合っていた。


 ―――たぶん、おばあちゃん同士とかだな。


 どんなアバターを選ぶかで、現実の人物がどんな人かは、わりと想像できる。どっちも、わりと高齢者層がよく選ぶアバターだ。


 ―――ひしっと抱き合っている胡椒二体って、リアルに見るとこんな感じなのかあ。


 リアルな景色は奇妙だ。でも、足腰が弱っていたり、遠すぎて会えない人たちにとって、こうやってどこにでも胡椒がいてくれて、簡単にログインできるのは便利だと思う。


 いつでも、交通費をかけずに会えるし、はたから見てどんなに変でも、リアルな彼らはVスーツ越しに、ちゃんと相手の抱きしめてくれた力を感じることができる。


 ―――それに、これをリアルに見たがる奴なんて、そんなにいないし。


 自分でも、あまり裸眼で見たことはない。それに、ここ数年はコンタクトレンズ・タイプもできたから、仮想世界の視界を保つのはもっと楽になった。スマートグラスをけていないからといって、裸眼かどうかはわからない。


 もちろん、リアルな視界で生きていきたいという人はそれなりにいる。でも、実際の問題として、アバターで見慣れてしまうと、リアルな本人の顔は覚えられない。特に自分は、小学二年生からずっと、胡椒にログインしてアバターで登校していたから、クラスの友達は、全員アバターでしか見たことがない。もし、彼らがログアウトして教室にいたら、誰が誰だか分からない。


 ―――向こうだって、僕がログアウトしたら、素顔は知らないわけだしね……。


 ほとんどの人は、そうやってアバターに慣れすぎてしまって、便利だからWEB上の視界で見ているのだと思う。

 大学の門をくぐっても、メガネを外せば、歩いている四割くらいが胡椒なのがわかる。霧はメガネをかけ直す。やっぱり、リアルな視界は慣れない。


 ―――はー、落ち着く。


 スマートグラスをかけた瞬間に、視界はメタバースになる。仮想空間では、自分の手を見ても、犬の肉球になる。なぜなら、自分のアバターは白い犬だから。ただし、二足歩行だけど。


 スマートフォンのような端末でも、スマートグラスのようなものでも、とにかくネット回線に繋がっていれば、自分の姿は、ネット上では登録したアバターになる。リアル登校できる安心材料の一つはこれだ。

 自分が素顔を晒して学校に行っても、相手がWEB上から見ている限り、相手にはいつもの白い犬アバターにしか見えない。


 たいていの人は、慣れ親しんだ視界のほうを選ぶから、リアル登校しても、携帯端末を持ち歩いていて、ログアウトはしないし、スマートグラスか、スマートコンタクトレンズを付けている。だから、彼らから見たら、普段と変わらない“白い犬の宮地霧”なのだ。


 初リアル登校の大冒険も、他人にはわからない。


「おはよー」


「あ、おはよ」


 大学に入って仲良くなった藤田君だ。霧は、興味深くてちょっとメガネを指で上げ、リアルな世界で見てみる。


 ―――やっぱ、胡椒登校なのか……。


「霧、もしかして今日はリアルで来てるの?」


「あ、うん……」


 しぐさでわかるらしい。“リアルと見比べてるだろ”と指摘されてしまった。


 ―――それにしても、リアル登校か胡椒登校かって、わかんないもんだなあ。


 仮想空間の世界では、いつもと同じドット絵で描いたような、二頭身の勇者の格好をした藤田君のアバターがいる。


「藤田君は、ずっとリアル登校してるのかと思ってた」


「いやー、高校の時は、ちゃんと通ったんだけどね」


でも、大学は遠くてさ、と勇者アイコンの藤田君は、ふああと伸びをした。近所のコンビニのやつをレンタルログインしてるらしい。


「霧はえらいね。俺も、一回くらいはちゃんとキャンパスに行こうとは思うんだけど、なかなか起きられなくて……」


 どのくらいリアルの人が来てる? と聞かれて、霧は講堂に入ってから、もう一回メガネをちょっと上げた。


「うーん………多めに見て、三割?」


「少っくなー。まだ五月だよ?」


 だよねー、と笑いながら、笑うに笑えない講堂の光景にビビる。ずらりと並んだ胡椒、胡椒、胡椒……。三白眼の、無表情な白いロボットの間に、ぽつん、ぽつんと人が座っているのって、マジでやばい感じがする。


「………」


 リアル登校なんて、する意味あったんだろうか。これなら、普通に胡椒で登校してても変わらないじゃないか。


 ―――絶対、大学こそちゃんと通おうと思ってたのに…。


 意気込んでいた高校の三年間。リアルに外に出ることへのプレッシャーで、胃が圧迫されていた春休み。服を何着も買って、鏡とか動画とかで確認して、美容室とかも嫌々行って………数々の苦労が、まったく意味をなしてない。


「僕の努力って………」


「霧?」


「いや……」


 ―――イヤイヤイヤ。むしろ、よかったでしょ。ここは喜ぶとこでしょ。


 実際に学校に来るまで、悲惨ひさんな妄想を山ほどしてたのだ。自分以外のほとんどがリアル登校で、人がずらりと並んだ講堂に、ぽつんと自分の胡椒が座っている残念な景色を、何度も想像した。


 下校時、みんなが自分に内緒で一斉にログアウトしていて、自分にわからないところで、リア充な放課後を過ごしているとか、すごいイケメンと可愛い女の子たちが、すごーくオシャレをして、華やかな大学生活を送っているところとか、勝手に妄想しては劣等感で“リアルに混じるなんて絶対無理”とか“このまま一生アバターライフで充分”とか、ひねていたのだ。


 ―――大学だけは、リアルで頑張るって決めただろ。


 胡椒を使わず、ちゃんと自分で登校し“実社会”への復帰訓練をする。そう決意していたのだ。もしキャンパスが華やかなリア充たちであふれていたら、自分なんか、とても居られないだろうと思う。


 ―――このくらい過疎かそってくれてたら、むしろありがたいじゃん。


 自分のように、ちゃんと自分の身体で登校してきている人も、胡椒と胡椒に挟まれて、ほとんどボッチばっかりだ。“ボッチは自分だけじゃない”という景色が、自分の背中をどうにか逃げないように押してくれる。


 ―――ま、まあ……友達同士もいるみたいだけど。


 隅っこのほうに、仲良さそうな女の子二人組とかがいる。メガネを戻し、アバターで見ると、ちっちゃいリスとネズミのふたりだった。


 なんとなく、女子だろうなと思っていたけど、やっぱり女子だった。アバターの選び方と本人て、やっぱり関連付くよね、とリアルな光景を眺めていると、隣で藤田君の胡椒がそでつかんで引っ張る。


「あっちがいてるよ」


「あ、うん」


 無表情な胡椒の顔と、スピーカーから流れてくる藤田君ののんびりした声とのギャップがすごい。席に座ると、藤田君らしいモーションで動く胡椒が、伸びをしてこちらを向く。


「霧がリアルで学校来てるなら、俺も行ってみようかな」


「あ、来なよ。そしたら二人でお茶とかしようよ」


「それ、いいね。なんか目的があると、リアルに行こうって気になるし」


 こちらこそ、藤田君がリアルで来てくれるなら、いいモチベーションになる。


 ―――このままじゃ、なんだか胡椒登校でもいいような気がしてきちゃうしさ。


 教授が入ってきたけれど、なんと教授も胡椒にログインしていた。霧は、半分あきれて肘をついた。


 ―――なんだ、先生もリアルには来てなかったのか。


先生はデフォルメされたアバターを使わない主義なので、メガネをかければリアルな3D実像だけど、裸眼で見ると、無表情の胡椒が、大きな身振り手振りで講義をしている。

板書は、電子黒板に先生が書きなぐっているように見えて、実際は先生が手持ちのタブレットに、ペンで書いているだけだ。


「……」


―――リアルって、もっとワクワクな世界だと思ったのに。


メガネをかけ、仮想空間で見るこの講堂は、どこにでもある大学の授業風景だ。霧は何度もメガネを人差し指で上げたり下げたりして、現実と仮想空間を行ったり来たりした。


―――リアルとの差分て、必ずみんな見比べるっていうけど……。


学校にいるときに、誰もが一度はやることだという。けれど、その動画とか画面は、ほとんど見れない。


リアル画像と、仮想画像は、並べたり、比べたりすると機械的にはじかれて、リアル画像のほうにスクランブルがかかるからだ。それは、アバターの“中の人”が誰なのかがあばかれないように、匿名性とくめいせいを守るためだとされている。


 ユーザー数は、数える意味すらわからないけれど、40億とも50億ともいわれている。つまり、なんらかの端末を持てる経済力のある、ある年齢以上の人すべて、ということだ。

 最近では、生まれた赤ちゃんに「ファーストアドレス」を与えるのが、名づけと同じくらいの重さを持っている。


 ―――まあ、そうしないとリアルでしか赤ちゃんも存在できなくなっちゃうし。


 人に戸籍とか住民票があるように、ネットになんらかのアドレスを持つ人は、何かの形でこの仮想空間に存在するからだ。もはや、何かのアプリを使う、使わないとかいう次元ではなく、仮想空間はインターネットそのものだった。


 ―――てか、“その前”がどうだったかのほうが、僕たちにはわかんないよな。


 おじいちゃんたちは、「昔は、調べものは本でしかできなかったんだよ」とか、「携帯電話ができる前は、外に出ると待ち合わせの変更ができなかったんだ」とか言って、“ネット以前”の世界を説明してくれる。さっぱり実感がないけど、きっと“メタバース前”と“メタバース後”も、そのくらい違うのだろう。


 今では、ネットにつながると、個人はすべてアバターで表示される。でも、初期のころはそうした顔はなく、その匿名性がとても便利だったらしい。顔もわからない人とやり取りするなんて、怖くないのかと思うけど、それはそれで「ネットの上で人々は平等!」とか「国籍や性別を超えることができるのがネットのいいところ!」とか言って、けっこうもてはやされたらしい。


“メタバース”も、すごい未来になると騒がれていたころ、その仮想空間のほとんどは手作りだった。今では、信じられないことだ。


 ―――まあ、今でもそういうアート空間てあるけどさ。


 でもそれは、ゲームやコンサート用のエンタメ空間なんかと同じだ。セットみたいに空間をデザインして、“それ用”に世界観を練り上げる。現実にはない空間で、作るのも維持するのにもすごいお金がかかるのだ。そういう空間は、“入場”するのにお金がかかる。


 実際のメタバースは、監視カメラの進化から生まれた。


 “監視カメラとして、安全性も担保できますよ”として、あるメーカーがあらゆる場所への設置を促したのだ。


 ちょうど、昔、ある企業が360度のカメラを搭載して、世界中のあらゆる道を撮影して歩いたのと同じだ。ばかばかしいほど地道に、年月と莫大ばくだいな労力をかけて、世界の隅々すみずみまで車や人を走らせ、信じられないけれど、世界中をネット上で見ることができるMAP地図を作った。


 今では、どこの国の人たちも、当たり前のように使っている。けれど、最初に企画書だけの段階でこの事業を見たら、どの企業だって「実現できるの?」と疑っただろう。たった一つの私企業が、地球全体をまるごと撮影したのだから。

 あらゆる小道も農道も、電波が届かないような山奥も、富士山の頂上だって、頭にカメラを乗せてちゃんと人が上ったのだ。魔法なんかない。インフラを最初に敷くときは、地道に一歩ずつやっていくしかないのだ。


 気が遠くなりそうなほどの膨大な労力をかけて、あのマップができたのと同じように、おそろしく地道に、あらゆる場所に監視カメラを設置して、“メタバース”は構築された。


 このカメラに映る景色は、インターネットでもそのまま同じ仮想空間となる。たとえば藤田君が家から大学まで行けば、その画像が映っているけれど、そこに藤田君がログインしている限り、仮想空間ではアバターで表示され、アバターが家から大学まで行っている。


 ログアウトすると、個人情報保護のために、仮想空間ではその人は白いもやっとした画像になる。見るからに怪しいので、むしろ怪しまれないために、ログインし続ける人のほうが多い。


 ログアウトすることは“やましいことをしてる”という印象があるのはこのせいだ。たとえば自分が、誰にも内緒で行動したいとき、個人を特定されないようにログアウトする。でもそれはへたくそな“変装”みたいなものだ。むしろ、別のアカウントでログインしたほうが変装としては目立たない。


 リアルの監視カメラ画像は、治安上、警察にしか提出されない、ということになっている。本当かどうかはわからないけれど。でも、とりあえず個人情報を守るために、ログインした状態の画像と、リアルの監視画像は、発信する個人データに基づいて、互いが干渉してスクランブルがかかり、並べて見ることはできないらしい。


 もちろん、このカメラの設置だって、一部では「監視社会になる」と大反対運動が起きた。でも、結局、経済的な理由で、みんなが積極的に設置することになった。


 仮想空間が大きくなればなるほど、そこにカメラが設置されない限り、その場所は“無いこと”になってしまうのだ。一応、「カメラ外」という表示で、カメラが無い空間が存在すること自体は表示されるけれど。


現実の世界で宣伝用の看板を掲げるよりも、仮想空間でデジタルサインを出したほうが、何倍も集客力がある。だって、仮想空間で見ている人のほうが、人数的に多いんだもの。


 どこの商業施設も、この商機に乗り遅れまいと、積極的に監視カメラを誘致した。お店に来てほしいところは、入口から店内まで、フルで映るように何台もつけている。


映らない場所は、仮想世界では存在しないことになる。だから他店も、競争のためにカメラを入れる。カメラに映っていることが、犯罪を抑制することに繋がり、消費者もより安全な店としてそこを選ぶ。そうやって、どんどん映る場所は増えていき、それと同時に仮想空間は膨張した。まるで、ビッグバンで宇宙が膨張したのと同じような勢いだった。

 学校も、マンションも、公共施設も道路も、どんどん同じ理由でカメラの導入を受け入れた。


設置が進むにつれて、むしろカメラがない場所のほうが“怖くて危険な場所”という認識になり、最後は政府や自治体も積極的に設置するようになった。


 そして数年が経ち、映らないのは、自宅の中だけという世界になった。あの、世界的なネット地図と同じことになったのだ。


 仮想空間には、好きなアバターでログインできる。見た目も性別も、何もかも、今度こそすべて縛りから自由になる……が謳い文句だった。そして、それは“事実”になった。


 人が『胡椒』にログインすることで、どんな場所からでも出現できるようになったからだ。


 胡椒は、もともとあった量産型のロボットの改良バージョンだ。そして、これが人手不足のコンビニに置かれたことから、一躍脚光を浴びることになった。


 胡椒に、Vスーツを着たアルバイトをログインさせる。アルバイトさんは、通勤しないで、自宅から品入れとかレジとか掃除をするのだ。


 どれも、胡椒レベルでこなせる作業だった。コンビニのオーナーは、交通費を払わずに雇える「ログインバイト」さんに大喜びだったし、デスクワークではない職種でテレワークができるのは、働く側にとっても福音だった。


 需要と供給が一致して、胡椒はまたたくく間にどこでも見かけるようになった。そしてコンビニだけでなく、スーパーや駅ビルでも働くようになった。


 働く人の顔ぶれも変わった。


 都市部から離れた、仕事のない地域の人たちが働きだしただけではない。世界中に広めた仮想空間は、距離というハンディがない。やがて、外国から“働きに”来る人たちが増えたのだ。

 むしろ、距離があるほど有利だった。深夜など、働き手が少ない時間帯でも、違う国からすれば時差で昼間だったりするからだ。


 給料も、ポイントで支払えることになったのが幸いした。通貨ではないから、世界中どこでも使える。電線も通っていないアフリカの奥地で、衛星で繋がったスマートフォン一つを握りしめた若者が、なんと日本のコンビニで働き、得たポイントを使ってネット通販で生活必需品を買うという、すごい経済対流ができつつある。


 もはや、自国に経済力があるかどうかは無関係で、端末と電力、Vスーツという三種の神器さえ手に入れられれば、その国にいながら、賃金を手に入れられるのだ。


 だから、コンビニで働いている店員さんがどこの国の人かも、男女も、経済力もわからない。指示が日本語でも、胡椒のスピーカーには翻訳機能が付いているので、オンにしておけば仕事には支障がない。「ありがとうございました」と言われても、“中の人”が何語でしゃべっているかはわからないのだ。


 胡椒の足元は、農業用に特化したタイプもある。防水、防塵で、キャタピラが上下に伸びる。伸縮キャタピラと腕を上手に使ってコンバインやトラックも、簡単に乗り降りできた。都内在住で、東北のジャガイモ畑を管理している人も、珍しくない。


 霧が就学年齢になった時、そうした波が学校にも押し寄せてきていた。


 最初は、身体的な理由で通学が困難な児童のための、ログインロボットだった。もちろん、ボディは胡椒だ。


 胡椒のおかげで、家の外に出られないほど不自由な肢体の人が、自由にお出かけでき、発声ができない人も、専用のアプリをかませれば、胡椒が音声で読み上げてくれるようになった。特別仕様のVスーツを手や足にめるだけで、友達とおいかけっこや楽しいふれあいができた。これは誰にとっても幸福な発明だった。


 同時に、本当ならリアルに登校できるのに、友達関係でつまずいたり、コンプレックスを抱えて登校できなくなった子供たちにとっても、胡椒はありがたい存在となった。


 もちろん、たとえロボットが代わりに登校してくれても、いじめや仲間外れが消えてなくなるわけではない。でも、機械の身体は、殴られてもVスーツさえ外してしまえば痛覚を感じることはないし、ロボットを壊せば、壊した人が修理代を払わなければならない。


 霧も、友達がいないクラスでは、休み時間は胡椒のカメラを閉じて、その時だけログアウトしていた。授業が始まり、目を開けると机の上に「バカ」とか書かれた紙が置かれたりしていたけれど、少なくとも悪口を耳から聞くことはないし、授業の間はいじめられない。学校の胡椒は、特定の個人が対象にされないように、すべてレンタルになっていたから、授業が終わると同時にログアウトした。


 登校も下校もなく、授業以外に参加しなければ、いじめようがなくなる。


 ―――まあ、友だちもできなくなるんだけど。


 でも、これで学力に遅れが出なくて済んだし、中学は学区外を選ぶこともできた。通学時間がゼロになる「胡椒登校」のおかげだと思う。


 アバターは何度でも選び直すことができる。仮想空間の場合、もし、外見が理由でいじめられたとしても、それはいかようにでも修正できるのだ。


 ただ、そのせいでおかしなねじれが起きていることも確かだ。


 仮想空間では何にでもなれる。でも、自分たちの世代は、わりと当たり障りないアバターを選ぶ傾向が強い。例えば、自分や講堂にいる女子たちのように、犬猫とか小動物とか、「そこそこ害なく可愛くて、可愛すぎないもの」が多いのだ。


 あとは、藤田君みたいに勇者願望があっても、わざと出来損ないのドット絵みたいに、崩してるのが「相応」だと思われている。綺麗な髪にエルフ耳とか選ぶ人は、ちょっとメンヘラ気味だと思われて引かれるし、可愛さ全開の三頭身キャラとかを選ぶやつは「痛い」とドン引きされるのがオチだ。だからと言って、わざと無機質にヤカンとか斧とかを選ぶやつも、「闇が深い」と敬遠される。


 ―――なんでも自由に選べるはずなのに、結局不自由なんだよな。


 空気を読まない一部の女子とかは、保育園くらいのころに憧れた、外国アニメのキャラみたいな、金髪でドレスを着たアバターとかを堂々と選んでいる。憧れなんだから、確かになんでもやればいいと思うけど、そのチョイスをした時点で、その人はもう「そういう人」のグループにくくられてしまう。


 そういう点で、コンビニなんかで見かける外国人と思われる人たちは、「強いなー」と思う。


 ―――メンタルがね。


 多分、ヒーローもののアニメから起こしたと思われる十頭身のイケメンとか、バーンと胸が飛び出てるゴージャスな美女とかのアバターを、平気で使っている。そういうアバターを作ってくれる「アバター職人」がいて、オーダーでどんなアバターも作れるのだ。


 ―――あっちの人の自己肯定感て、すごいよな。


 何を食ったらあんなにポジティブになれるのだろう。彼らはイタい人というわけではなく、素で「単にそのキャラが好きだから」アバターにしてるだけなのだ。他者の目を気にしないで済む生き方がうらやましい。


「はあ……」


 こんなに世界は狭くなったのに、なんでもアリの仮想空間になったのに、結局、空気を読んで当たり障りないアバターしか選べない自分の小市民ぶりにがっかりだ。


 むしろ、ドット絵でも勇者を選んだ藤田君のほうが、クールでかっこいいと思う。


 ―――そんなふうになりたいんだけどな。


 でも、いざとなるとヒトっぽいアバターを選べない。


 毒が無くて、あざとさもない、万人受けする犬よりほかに、何も思いつかないのだ。


 ―――所詮、僕はモブ属性だしなー。


 霧は、メガネを戻した。



***********************************


読んでいただいて、ありがとうございます!


このお話は、全12話です。毎日UPさせていただきます。


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読んでいただけるのをモチベーションに頑張ります!


どうぞよろしくお願いします。


*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。


逢野 冬



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