第2話 美少女のアバターは眉毛犬 病んでるってば
授業が終わり、藤田君と別れてから、
―――藤田君とお茶するとこ、候補を探しとかないとな。
小心者だと思うけど、“お茶するところも知らない?”と聞かれたときのために、案内できる店を押さえておきたいし、もし本当に店選びを任されたとき、すごいハズレの店を選んで「え? ここ?」とがっかりされたらどうしようと心配してしまう。
とりあえず、「ここなら大丈夫」という店を、ひとつ見つけておけば、不安は減る。
―――リアルで藤田君と会うの、初めてだから。
別に、今も普通に友達付き合いで来ていると思うけれど、リアルの友達だと、また、いろいろと違うかもしれない。そう思うだけで、心がかまえてしまう。
お茶、と検索すれば、店まで案内するいくつものルートが道の上に浮かび上がる。迷っているとどんどんメニューを立体的に浮かび上がらせてくれるし、こちらの視線を読んで、目が留まった方向の
何しろ、飲食店はリアル産業最後の
もちろん、学校にリアル登校している人たちがいるように、会社もリアルに出社している人たちがいる。仮想空間上でどんなアバターになっていようと、生身の人間が移動している以上、そこには飲食が発生している。喫茶店もファミレスも、数は減らしたが絶滅はしていない。
―――とはいえ、こういう時にチェーン店てのは、“おしゃれ”じゃないよね。
どんな店がいいだろう。霧はいくつか眺め、坂下にあるテラスの広いカフェを見てみることにした。
川沿いで、斜めに切られた黒い屋根と、ガラス張りのフロント、広いウッドデッキが気持ちよさそうだ。コーヒーがメインだけれどお茶もあり、女子ウケのよさそうなホイップクリームたっぷりのワッフルが売りらしい。
店に入る。左手にケーキやパンが並んだショーケースと、オーダーカウンターがあるけれど、こっちを使うのは現金で支払いたい人だけだ。霧も、入口の右わきに置かれたオーダー端末をつまんで、空いている席に行く。
ガラスで仕切られているけれど、ウッドデッキに続いている
指でタップすれば、会計用のバスケットに商品が入る。支払いは、ポイント支払いのボタンを押せば終わりだ。何しろ、ずっとログインしているので、本人認証とかも要らない。
しゅっと端末の画面をしまって、店員さんがいるオーダーカウンターを見る。わずかだけど、ちゃんと対人オーダーをする人はいて、楽しそうにやりとりしていた。
―――いいなあ。
対人カウンターを使う客は、ハイレベルだ。
おすすめは何? とか、これはどんな味? と聞きながら注文するのは、カフェ上級者の楽しみ方として有名だ。憧れるけど、あれをやれるほど食に詳しくないから、あっちのカウンターには行けない。
―――お父さんは、気負うことないって言うけどさ。
でも、あれは平成生まれならではの
―――そういうのと、僕たちを一緒にされてもね。
リアルの交流は、本当にハードルが高い。お父さんたちのころは、「オフ会」といって、ネット上で顔も知らない状態で繋がっている分、リアルに会う時のほうが緊張したらしい。まるで理解できないけど、順番が逆になっているだけで、「普段と違う自分」で会うのに勇気がいるのは、同じということなんだろうか。
「お……お待たせしました………」
カチャカチャ……と、カップとソーサーが揺れて音を立てている。ふと見ると、すごい可愛い店員さんが、テーブルに紅茶を届けに来てくれていた。
「あ、どうも……」
淡い黄緑色の長い髪。ぱっつん前髪に、両耳のあたりで可愛く細いみつあみがしてあって、桃みたいな色の頬と、ふんわりした癒し系の顔が可愛い店員さんだ。ドイツとかの民族衣装みたいな、白いブラウスに黒いエプロン。チロリアンテープの縁取りが似合ってる。
でも、きっと緊張してるんだと思う。紅茶の乗った皿は、テーブルの端っこに置きすぎていて、今にも落ちてしまいそうだった。霧は、さりげなく皿に手をやって、そっとテーブルの内側に押しやった。
―――胡椒に入りたてとかかな?
Vスーツの同期力はとても高いのだが、着はじめのころは、どうしてもかちんこちんに緊張していて、視界を巡らせるのを忘れてしまうことがある。霧もそれで、足元とか見ないで家具にぶつかったりとかしたことがある。もしかしたら、この店員さんもそうなのかなと思って、ちょっとメガネを指で上げてみる。やっぱり胡椒で働いていた。
―――あれ?
うっかりしていたが、テーブルに置かれた紅茶を見ると、レモンが切って乗せてある。
「あの……僕、ミルクティを頼んだんですけど」
「え……っ……あ、あ、すみません!」
緑の髪の少女が、オロオロしてがばっと頭を下げた。
―――そんなに大げさに謝らなくてもいいのに……。
「あの、す、すぐお
顔が真っ赤になっていて、なんだか申し訳ない気がする。でも、こういう時、胡椒のリアルな顔ってどうなっているんだろうと、メガネをちょっと上げ、このままでもいいですよ、と言おうとしたとき、彼女の後ろから、すごい美少女がすっとミルクティを差し出してきた。
「お待たせしました。ミルクティになります」
「あ……」
「
「失礼しました。ごゆっくりどうぞ」
「あ、どうも」
メガネを戻すと、瞳の大きな、ショートボブの美少女は、眉毛をマジックで描き足した、白い
胡椒で働いているもう一人の女の子が、一緒に戻りながら、振り向いてもう一度ぺこぺこと頭を下げている。
―――あの子……。
ほかのスタッフにいじめられているのだろうか。なんとなく気になって、戻っていくふたりの声に耳をそばだててしまう。眉毛犬になった美少女は、「あんたがガツンと言わないから、あいつらが調子に乗ってくるんだよ」とか、「絶対、わざと間違えたんだぜ、あいつ」とか吠えている。ふわふわの髪の店員さんは、胡椒姿でもわかるほど肩を丸めて、「ちがうよ、私もちゃんと確認しなかったし……」としょげていた。
「……」
紅茶をひと口すする。さすが、けっこうな値段をとるだけあって、たっぷり入れられたミルクに、茶葉が負けていない。霧はしばらくお茶を味わいながら、テラスを眺めた。
店の中も外も、けっこう人でにぎわっている。リアルアバターみたいな人もいるけど、これもリアルに見せかけて、ちょっとだけ“美修正”をかけていることが多いから、現実の本人の見た目とは限らない。
―――あの店員さん、可愛かったな。
ふわふわの癒し系で、キョドっていてもちょっと保護欲をそそられる。アバターの見た目を鵜呑みにしちゃいけないというのはわかっているけれど、“そのキャラクター”を選ぶ、本人の嗜好とか内面は、相関関係があるのだ。
きっと、アバターのようにふわふわしたものが好きで、やさしい人なんだと思う。アバターはある意味、“なりたい自分”を、どこかで示している。
―――じゃあ、そうするとただの白犬な僕は……ってことになるんだけど。
でも、それもある意味正しく自分を現していると思う。自分は、「ただの」犬として、目立たちたくない。けれど、人に嫌われる動物も、選びたくない。
―――でも、もう一人の子みたいな、ギャップ系もいるしな。
なんでわざわざ、あの
―――アバターに夢を託す必要がないんだろうなあ。
残念な見た目の人ほど、せめて仮想空間の中くらいは……と、可愛いアバターや綺麗なアバターを選ぶ。そこでこじらせている人は、さらに
そうやって“汚い見た目に
でも、最初から綺麗な顔とか、整った容姿に
眉毛犬を選んだあの子のように。
むしろ、リアルでやっかまれたりするから、アバターではことさら“面白ポジション”にしておくのだとも聞いた。見た目のよい人には、よい人なりの気苦労があるのだろう。
―――あの子のリアルな顔って、どんなだろうな。
ぼんやり考えながら、霧は紅茶を飲み干し、端末を握って出口へ向かった。
◆◆◆
結局、藤田君は一週間後にようやくリアル登校してきた。
「おはよー。本当に、リアル登校と胡椒登校って、わかるもんだね」
「だろ?」
メガネ越しのアバターは変わらないけど、確かに藤田君本人だとわかる。藤田君はドット絵の勇者姿で笑った。
「表情の同期が、やっぱりちょっと違うんだよな」
「そうなの?」
メガネを取る。ドット絵のアバターから、ちょっとごつめで、でも目が小さくて優しそうな……みたいな典型を想像していたら、目の前に現れたのは、すごくキリっとした、昭和の
藤田君は、切れ長の
「Vスーツだと、
解像度はそれなりに高いけれど、やはりVスーツの電極ほど細かくは拾えないので、表情が少し大ざっぱになるらしい。胡椒にログインしていたほうが、表情が豊かだなんて、ちょっと意外だ。
―――でも、確かにリアルでアバターの時のほうが、動きがぎこちない……。
何度もメガネと裸眼で藤田君を見比べる。藤田君は、笑って手を差し出した。
「ま、改めてはじめまして。よろしく」
「あ、こ……こちらこそ」
大学で知り合って、もう二か月になるのに、改めて握手とかすると、ちょっとドキドキする。
「友だちと、握手するとか、初めてだ……」
「あれ? 学校でやらなかった?」
学年の最初に、必ずやる。アバターが
「僕は、ずっと胡椒登校だったから……、素手って、本当に初めてで……」
「そうなんだ。ずっとって、小学校から?」
「うん、二年生から」
「マジかあ……すごいな」
そこまで長い人は初めて見た、と藤田君は感心して笑う。笑ってもらえて、霧はほっとした。笑いにしてくれたのだろうけど、その気遣いがありがたい。
―――だよなー。
胡椒に頼りきりになっている引きこもり、通称「胡椒
でも、Vスーツ越しではないリアルの握手は、霧の胸をドキドキさせた。
―――リアルに脱出して、よかった……。
胡椒がいる限り、アバター人生はきっと介助が必要になる高齢者の段階まで、引き延ばせるだろう。でも、リアルの社会に出なかったら、こうして誰かの皮膚に直接触れることはできない。
電極は圧と熱を伝える。それは限りなく皮膚の触覚に近づくように改良されている。けれど、どこまで近くなっても、皮膚そのものにはなれないのだ。
リアルの世界は、意外性に満ちている。藤田君の顔一つとってもそうだ。アバターから推測した素顔とは、まったく違った。
でも、裸眼で見ても、なぜか“藤田君らしい”と感じられて、違和感はない。霧はそのままメガネをポケットにしまって、ふたりで教室に行った。
授業が終わってから、霧は下見しておいたカフェへ誘った。藤田君も、キャンパスに来るのは初めてなので、この辺はよく知らないという。
お茶を頼みながら、霧はつい店内を視線で探ってしまった。
―――あの子は、いないんだな。
実は、藤田君と来るまでの一週間に、もう二回ほど店に来ている。シフトに入っていないのか、あのふわふわの黄緑色の髪の女の子はいない。
「誰か探してる?」
「あ、ううん、なんでもない」
視界の端で、ちらりと眉毛犬が見えた。あの、ちょっと気が強そうな美少女さんは、働いているらしい。
別に、すごく探しているわけではないのだ。ただ、とても緊張しているみたいだったから、あれからちゃんと仕事が続いているか、気になるだけだ。
―――僕も、次はバイトにチャレンジしなきゃと思ってるし……。
きっと、あの子よりダメダメになると思う。そう思うと今からキュッと胃が痛む。少なくとも、彼女を見ていて飲食店のバイトはやめようと思った。
だからこそ、あの子を心の中で応援している。だって、ちゃんと求人に応募して、面接をクリアして、仕事をしている彼女は、えらいと思うからだ。
―――僕なんて、まだ求人見てるだけだし。
大学生になったら、リアルで働こう、労働でお金を得ようと決めていたけれど、いざとなると腰が重くて、求人を眺めては、ただ想像だけしている。お小遣いはちゃんと親からもらっているから、なおのこと“働かなきゃ”という切実さがない。
あの子は、ティーカップがカチャカチャ言うほど緊張していても、ちゃんと働いていたのだから、自分より、あの子のほうが人として立派だ。
「お待たせしました」
「あ、どうも……」
眉毛犬の店員さんが、ミルクティとカフェラテを持ってきてくれる。どうも、ガン見してしまったらしく、彼女が去ったあと、藤田君は知り合い? と聞いてきた。
「ううん。でも、前に来た時……」
こんなことがあって、というと藤田君はふーん、という顔をした。
「突っ込んだこと聞いてごめんね。なんか、綺麗な子なんだろうなと思って、もしかしたら、霧の好みなのかなと思ったから」
―――スマートコンタクトレンズは、気づかれないようにオンオフができるのか?
もしかして、いつのまにか裸眼でチェックしてたのかと思ったら、違うという。藤田君はラテアートが施されたカップに口をつけて苦笑いする。
「たぶん、霧はリアル接触が少ないから、“見慣れ”てないんだと思うけど……普通は、アバターから素顔って想像できるものなんだよ」
「………そういう、もんなの?」
「だいたいの雰囲気だけだけどね」
僕らの小学校時代は、胡椒によるアバター登校が始まった第一世代だ。幼稚園の頃は、全員リアル登園だけだったし、低学年の時は、通信端末はタブレットと制限のついた見守り携帯電話だけだったから、授業中以外は、ほとんど本人の素顔しか見ていない。
「普段見慣れてる奴が、アバター上に出てくるとするじゃん? そこで、たとえそれがほかの誰かと同じアバターでも、表情の動き方とかは、ログインしてる人の顔の動きが反映されるから、ちゃんと見分けが付くんだ」
口の開け方、目の見開き方、食べるとき、しゃべるとき……毎日、アバター上で動く表情筋と本人の顔がどんどんリンクしていく。そうやって少しずつアバター社会にシフトしていく中で、アバターの顔の動きから、元の骨格や筋肉のつき方が、なんとなく連想できるようになったのだという。
「純アバター世代はわかんないけど、俺らくらいだと、アバターから実物に会って、差にびっくりするって、少ないんじゃないかな」
「そうなのか……」
眉毛犬さんも、犬のアバターの上に、
「当たりだよ。リアルで見たけど、すごい美少女だったもん」
「どれどれ……」
藤田君はポケットの中の端末で、コンタクトレンズをオフにして店内を見回す。
「あー、ホントだ。アイドル顔だね。でも、たぶんあの子メンヘラ系だよ」
「そ……そう、なんだ」
顔ではなく、メイクと服装でわかるという。
「藤田君、そういうの見抜くの得意なんだ?」
勇者はドット絵で渋い顔をする。僕には、この顔と元の顔は連結できない。
「うちは五人家族なんだけど、上ふたりが姉だから」
実例を見てる、とため息をついてから笑った。
「霧、一人っ子?」
「うん……」
「だよね。そんな感じがする」
「……そんな感じって、どんな感じ?」
何か、すごく駄目感が出てるだろうか。内心でビクビクしながら聞く。藤田君はちょっとやさしい顔をした。
「なんていうか、いろんなことにかしこまっててて、お行儀いい感じ」
親御さんがつきっきりだったんだろうな、とか、手をかけて育てられた感じが、一人っ子っぽいのだという。
「言っとくけど、いい意味だからね」
「そう……かな。あの……ありがとう」
ぼぼ、当たっている。藤田君は、“きょうだいがいると、揉まれて育つから、図太くたくましくなるんだよ”とフォローしてくれた。
自分では、胡椒登校で、人間関係から逃げ回ってばかりいたからだろう思っている。心当たりがあるから、あまりこの話題に突っ込めない。
「女きょうだいが居ないって、いいことだよ。異性の現実を見なくて済むし、美しい幻想が持てる」
ちょっと大げさに嘆いてみせて、藤田君は笑う。
「俺んちは、ステップファミリーでさ、他にも別れた家族の先に、
定期的に面会があるけれど、それもそれで大変なんだそうだ。アニメとか漫画のような女子はいない、という。
「そういうもんか……」
「まあね、少なくとも、ブラとかパンツとか見ても、なんとも思わん。そういうのも、つまらん人生だと思うけど」
「……むしろ、僕、あんまり家族の洗濯物を見たことないかも」
洗濯機で洗われたものは、ランドリーにある各自のバスケットに入れられているので、自分で部屋に持っていくのが我が家のルールだ。
「
「そうかも……」
そこから、お互いの家族構成とか、住んでいるマンションのこととかを話した。やっぱり、リアルに会っていると思うせいか、普段は踏み込まない話がいっぱいできる。
―――普段だと、勉強の話か趣味の話ばっかりだもんなあ。
胡椒で学校に行っていた時も、中学からは友だちと呼べる人たちができた。でも、学校ではなく、ネットの趣味サイトでできた友だちだったから、リアルに会うことはまずなかったし、会うとしてもお互いに距離があるから、やっぱり東京で胡椒にログインして、ふたりとも胡椒のボディで握手した。高校も同じだ。
部活にも入ったし、メガネ越しに見る世界では、自分も友だちも同じアバターだから、違和感はなかった。仲良くなれていたと思うし、専用の胡椒を買ってもらってからは、下校時に寄り道をして遊ぶとかも、ちゃんとしてた。
だから、友だち付き合いは、それなりにできているとは思っていたけれど……。
―――でも、それでも“リアル”は違うんだ。
裸眼で見るリアルな世界の藤田君と、紅茶の香りやコーヒーのいい匂いを一緒に共有できる。たったこれだけの違いが、こんなに親近感を呼び起こすとは思わなかった。
―――リアルっていいなあ。
大学でリアルデビューをすると決めたのは、本当にいいことだった。
この調子で、ちゃんと“現実”の手触りを味わいたい。霧はそう思った。
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読んでいただいて、ありがとうございます!
このお話は、全12話です。
もし、「面白いな」と思っていただけましたら、ぜひ★やブックマークで評価していただけたら嬉しいです。
読んでいただけるのをモチベーションに頑張ります!
どうぞよろしくお願いします。
*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。
逢野 冬
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