第3話 癒し系エルフ耳の美少女アバターに声をかけた

 翌月のことだった。


 きりは、川のそばにあるカフェでハーブティをテイクアウトし、木陰こかげで飲んでいた。席がまっていたし、今日はひとりだから、無理に店内にいる必要はない。


 なんとなく、週一くらいでこの店に通うのがくせになっていた。

カフェ通いは楽しい。毎回、ちょっとずつ違うものを頼んで、メニューを全部制覇せいはしたい気持ちになっている。でも、あれからあのふわふわの髪の子には、会っていない。

 携帯サーモマグに口を付けたとき、足元の先にさっと影が走った。視線を上げると、黄緑色のおさげ髪を左右にらした、あの子が歩いている。霧は思わず声をあげた。


「あ!」


 相手がビクリとして足を止め、こっちを見る。目があって、思わず霧はあやまってしまった。


「あ、ご、ごめんなさい」


 ―――ビックリさせちゃった……。


「あ……」


 女の子は、驚いた目をまたたかせ、それから頬を赤らめて笑ってくれる。


「いえ……」


「あ、あの……前に、そこのカフェで見たことがあったから……つい、あの、びっくりして」


 ああ、言い訳をしながら心臓がねまわる。彼女は、なんて可愛く笑うんだろう。向きなおって両手を前に揃えて、ぺこりと頭を下げてくれた。


「あの、私も覚えてます。私が、オーダーを間違えてお届けしちゃった方ですよね」


 ―――覚えててくれたんだ……。


 どうしよう、わけもなくドキドキする。テンパってうまくしゃべれない。


「あ、あれは、キッチンの人が間違えたんですよね? なんか、他の、眉毛犬さんがそう言ってましたよね」


 眉毛犬……のところで、彼女がふふ、とやわらかく微笑む。


うららちゃんは、やさしいから私をフォローしてくれたんです」


 あの時は、失礼しました。と、まるで小さな花が飛び回りそうなほど愛くるしい声が言う。こんな子と、ちゃんとしゃべったことはない。


 ―――そ、そもそも、あんまり女子とは話したことないし。


「あの、眉毛犬さんは、麗さんていうんですか」


「はい」


 本当はすごくキレイな人なんですよ、と彼女は言うが、“いや、あなたのほうがずっと可愛いですよ”と、喉元のどもとまで出かかる。


 ―――いや、これ、アバターだし。


 前に見た時は、胡椒コショウにログインしていた。もしかしたら、今はリアル出勤なのかもしれないけど、さすがにこの流れでメガネを外すのは、ちょっと失礼すぎてできない。


「あの、………あちらの方は麗さんで……それで…」


 あなたの名前は? と聞きたいのだが、お客さんが店員さんに名前を教えろとか迫るのはNGだ。でも、なんて呼びかければいいかわからなくて、口をぱくぱくしていたら、彼女は何度か大きな瞳をさらに見開き、落ち着かないようにきょろきょろしてから小さく問い返してくれた。


「あ、彼女の苗字みょうじですか?」


「あ、いえ、そうじゃなくて、あ、あなたの……」


 かーっと、相手の頬がわかりやすく染まった。Vスーツの向こうで、彼女の頬がそれだけ温度を上げたのだと思うと、妙に焦る。


「すみません! あの、無理強いしたかったわけじゃなくて、その……名前がわからないと、呼びかけづらいなあと思って。あの、あだ名とかでいいんですけど」


「…………加藤かとうしずくといいます」


 ―――雫……さん。


 小さくて、聞き取れないかと思うほどの音量だった。でも、名前を聞いただけで、心臓がきゅんとする。霧はお茶のマグを片手に直立し、礼儀正しく頭を下げた。


宮地みやちきりと言います。ただのお客さんなのに、すみません」


「いえ……」


 ただよった沈黙に、雫さんがふいに笑った。


「そのお茶、うちのハーブティですね」


 香りでわかると彼女は言った。この時期限定の独自ブレンドなのだという。


「あ、はい……なんか、このお店のは、どれも美味おいしくて、なんか……けっこう通っちゃってて」


 くすっと小首をかしげて雫さんが笑う。女の子って、本当に首をかたむけるんだ。初めて見た!


「まいど、お買い上げありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、はずみでエプロン付きの黒いワンピースがふわりと揺れる。アバターだと分かっていても、心臓が鳴る。


 ―――可愛い………。


「学生さんですか?」


「あ、はい」


 そこの……と指さすと、雫さんはすごい、と尊敬してくれた。雫さんも学生でアルバイトなのではないかと尋ねたら、絵の専門学校に通っているという。


「すごいですね。両方だと忙しいでしょう?」


「いえ……本当はもっとシフトに入らなきゃいけないんですけど」


 週3の約束で雇ってもらったのに、サボってばかりなのだという。


「……接客、向いてなかったかなと」


「そ、そんなことないですよ。ちゃんとできてたじゃないですか」


 雫さんは、ふわふわの髪を揺らして見つめてくる。


「でも、私、オーダーを間違えたりしましたよね」


「いや。だからあれは……」


 しょぼんと、妖精みたいな雫さんはうつむく。


「実は……ほかのお客さまのコーヒーを、テーブルにちゃんと置けなくて、落としてしまったこともあって」


 ショックすぎて、次のシフトに入るのが怖くて、風邪をこじらせたと嘘をついて、何週間も休んだのだという。


 ―――あ、だから居なかったかな。


「でも、いつまでもそうやって逃げているのは、無責任だと思って……今日、本当に久しぶりにシフトに入ったんです」


 一度失敗した職場に、もう一回顔を出すのは、すごくハードル高いと思う。自分なら、逃げ出す。


「えらいですね、加藤さん」


 大人には、“今どきの若い子は、すぐ逃げる”と嫌な顔をされるけれど、自分のメンタルを守ろうとして、ソッコーでバイトを辞めるというのは、わりと聞く。でも、それは大人に言われるまでもなく、けっこう逃げ癖というか、辞め癖を付けてしまう。霧は、緊張しやすいのに頑張る雫さんを褒め称えた。


「きっと、新人のうちは、みんなけっこう失敗をしてるんだと思います」


 だから、次から気を付ければ、みんなも許してくれると思う。霧は、前回思ったことをアドバイスした。


「胡椒にログインした時は、意識してストレッチをやったほうがいいと思うんですよ。慣れないうちは、Vスーツの中で、けっこう動きが硬くなるし、とくに視界とかを動かさなくなっちゃうんで」


 それで、テーブルの端にカップを置いてしまうのではないか、と言ったら、雫さんは思い当たったように口元を両手で覆う。


「もしかして、宮地さんの時も、私、危ない位置にカップを置いてました?」


「あ、うん……まあ、ちょっと端っこぎみだったかな」


 すみません、とぺこぺこ頭を下げられて、むしろ恐縮してしまう。霧は、慌てて言い訳した。


「僕も、胡椒で学校に行きはじめた時、慣れないうちは本当にスーツの中でかちこんこちんで、すごく動きがぎこちなくなっちゃって……」


 視界をめぐらせば全体が見えるのに、まるで遊園地のゴーカートに乗っているみたいに、正面しか見なくなって、いろいろな物にぶつかったという話をすると、雫さんは感心したように一生懸命頷いてくれた。


「だから、スーツの中で、普段の自分と同じく動けるように、意識してストレッチとかやって見るといいと思います」


 うんうん、と見つめながら頷く雫さんが眩しい。本当に、両手を握りしめて真剣な顔をしている。


 霧は、メガネをかけたまま言う。


「加藤さん、レンタルログインに慣れてないのかと思って」


 雫さんは、ちょっと困った顔をした。


「いえ……あの、マイ胡椒なんです……」


 メガネの端を指で少し上げる。裸眼で見ると、確かに目の前にはあの量産型の白いロボットがいる。


 ―――ほんとだ…。


 店の胡椒なら、仕事が終わると同時にログアウトする。敷地からは出られない制限がかかっているのだ。そこから学校に行くとしても、また学校に置いてある学生用胡椒にログインすればいい。移動中まで胡椒ということは、個人が所有している非レンタルタイプということになる。


 ―――でも、それって……。


 つい黙ってしまったら、雫さんは弱弱しく俯いた。


「変ですよね。いつまでも胡椒で……」


「え、い、いや、そんなことないですよ。僕だって、高校卒業まで、ずっと胡椒で登校してましたから」


 雫さんが驚いて顔を上げる。不登校とかで、一時的に胡椒を使う人はいるけど、肢体不自由とか以外の理由で、そんなに長期に胡椒を使う人は少ない。

 ドン引きされるかもしれない。そんな気持ちが、言い訳を追加させる。


「あの、僕、ちょっと足に左右差があって……それで、胡椒登校だったんです。今は、機能訓練の成果もあって、全然目立たないんですけどね」


 嘘じゃない。


 僕の脚は、左の大腿骨の入り方が少し問題があって、左右で三センチほどの差がある。歩行はできるけれど、小さい頃は歩くたびに左右に肩が揺れて、歩き方がおかしかった。


 親は、早くからリハビリに連れていってくれた。おかげで、今は、右足を少しだけ低くして、左足に合わせて歩いている。傍目に見たら、まったくがたつきのない歩き方に見えるだろう。伝統舞踊の能とか日舞なんかで、腰を落として進むときの歩き方に似ている。


 でも、この歩き方をマスターする前だって、クラスの子に笑われたり、からかわれたりしたことはない。それは“いじめ”だし、“してはいけないこと”だ。


 学校では、それを絶対悪として教育している。だから、誰も面と向かってそんな悪口は言わない。言われないけれど、無言の視線で、自分の歩き方が注目を集めているのはわかっている。


 目を引くけれど、それを笑っちゃいけない……。子ども同士の視線は、正直で残酷だ。


 運動会でも普段の体育でも、みんなサポートしてくれたし、かけっこをしても転びやすい自分を、みんなが声援で励ましてくれた。


 そうされるたびに、“足のことなんか、気にしてはいけない”という気持ちに追いつめられる。みんなが励ましてくれるのに、自分がうじうじしてはいけない。

 ポジティブにならなければいけない。


 特に、お母さんはそう言った。“みんなと同じ”なんて、この世にはないのよ、とお母さんは言う。歩き方も一つの個性で、その違いはなんら恥じることはないと諭す。


 ―――でも、僕はみんな見たいにかっこよく走りたかった。


 左右に肩が揺れる歩き方は、“かっこ悪い”と僕は思っている。でも、それを自分で言っちゃいけない。それは個性で、僕は胸を張って生きなきゃいけないからだ。


 それでも、消化できない気持ちが胸に残る。


 この歩き方がかっこ悪くないというのなら、なぜリハビリでは、“肩が左右に揺れない歩き方”を訓練するんだろう。結局、みんなみたいに歩けるほうがいいってことじゃないか。


 喉まで出かかった言葉を飲み込む。お母さんにそれを反論して、“じゃあ止める?”と言われるのが嫌だからだ。

 訓練でできるようになるのなら、“みんなと同じ”ように歩きたい。つまり、今の状態は嫌だ。


 みんなに気遣われながら、“気にしてないよ、僕は僕だから”と明るく笑って走る。この、何かが挟まったような偽善的な状況から抜け出すためには、自分が“みんなと同じ”になるしかない。


 ―――結局、自己否定じゃないか。


 “ありのままの自分”なんて、誇れない。お母さんの言うような個性なら要らない。僕は、目立たない没個性ぼつこせいとしての“みんなと同じ”が欲しい。


 幸い、自分の歩き方は、訓練と矯正でほとんど目立たなくなった。僕はそれでも、胡椒登校が導入された時、真っ先にそれに食いついた。

 もう、見た目のことに神経をすり減らすのが嫌だった。自分の姿が見えないようにできるのなら、こんな素敵なアイテムはない。


 もう誰もそっと自分の動作を興味深そうに盗み見たり、“助けてあげなければいけない子”としてサポートしたりもしないけれど、それでも、もう集団の中にリアルな自分を置くのは、死ぬほど嫌だった。


 胡椒じゃなきゃ行かない。僕は力いっぱい我がままを張った。足のせいだとはおくびにも出さなかった。それを知ったら、お母さんもお父さんも、絶対に胡椒登校を認めてくれないだろう。


 粘りに粘って、ついに学校に行けるなら……と、先生も親もログインを許してくれた。


実は、学校への導入が始まったばかりで、胡椒登校はそのめずらしさから余計にいじめられたのだけど、胡椒を通したいじめは巧妙こうみょうすぎて、先生は発見できなかった。


 自分も、親には言わなかった。胡椒登校を止めさせられたら嫌だから。


 登校も下校もない。授業時間だけのログイン。レンタルの胡椒は学校の敷地しきちからは出られない。小学二年生から胡椒登校を続け、親は、中学に入るさいについに専用の胡椒を買ってくれた。

 このまま、友だちとの交友関係が無くなるのを恐れたらしい。そこからは、家族とか、一人で出かけるときは別として、学校や友だちと会う時は、全部胡椒で済ませるようになった。


 足を理由にすれば、所有型を持っていることも、だいたい怪しまれない。


 雫さんも、そういう理由なら納得してくれるだろう……そう思って口にした。すると、雫さんもしばらくためらってから打ち明けてくれた。


「私も……実は足が理由なんです」


 ―――え……。


「歩けないんです。だから、リアルでは外に出られなくて」


 外出は、子どもの時からすべて胡椒だったのだという。


「あ……ご、ごめん」


 すごく、辛いことを話させてしまった。謝ると、雫さんも大慌てで首をふる。


「いえ、あの……気にしないでください」


 閉じこもっている自分を変えたくて、専門学校の入学と当時に、アルバイトにもチャレンジしようと決めたのだという。


 ―――僕と同じだ……。


「私はずっと、胡椒を買ってもらうまで、学校にも行かないで、親にすごく迷惑をかけたから……」


 すぐくじけてしまうから、今度こそ、ちゃんと頑張りたいと雫さんは言う。


「そう思ってたのに、一回の失敗でやっぱり逃げちゃって……こんなんじゃダメですね」


 初心を思い出させてくれてありがとう、と頭を下げ、雫さんは微笑んだ。


「宮地さんのおかげで、勇気をもらいました。また、明日もがんばってバイトに行きます」


 霧も、つられて笑った。


「じゃあ、僕も、応援でお茶しに行きますね」


「お店でお待ちしてますね」


 雫さんの頬が、少しばら色に染まったように見えたのは、気のせいだろうか。

 でも、気のせいでも何でもいい。


 ―――まさか、話せるとは思わなかった。


 去っていく胡椒に、霧は手を振って見送った。あの可憐な姿を見ていたくて、メガネをかけ直す。


 ―――リアルって、すごい。


 こんな、少女漫画みたいな出会いが、本当にあるのだから。


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読んでいただいて、ありがとうございます!



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どうぞよろしくお願いします。


*本作は、「小説家になろう」にも投稿しております。


逢野 冬


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