第31話
所狭しと書棚の並ぶ、図書室の書庫。岩山を模したスクウェアマップに紙製ポーンを並べた作業机。ダイスと筆記用具、それぞれのキャラクターシートを前にして、あやのと麻由香と辰巳は席を囲んでいる。
「黒騎士が斃れたと同時、バックランドから虚ろの影は消えた。役目を終え、英霊たちもまた西の彼方へと去っていった。戦いは終わった。大きな傷跡を残して」
ゲームマスターの語りに、三人は顔を曇らせる。最後の戦闘イベントで、プレイヤーキャラクターたちは全員無事に生還したが、被害が出なかったわけではない。
「多くの兵たちが戦死し、軍団長アルフレートをも失った王国軍は著しく弱体化している。さらには、暗い鍾乳洞の謁見の間で、グロームデインが臥せっている。クラクス高原の戦いで負った傷は深く、か細い吐息は彼女の命の灯が今にも消えようとしていることを如実に語っていた」
「そんな……古湊先輩の魔法で癒したりは出来ないんですか?」
「ごめん、回復系の呪文は取ってなくって」
目を伏せたあやのがどれほど頭を回転させようとしても、致命傷を負った竜を救う手立ては思いつかなかった。辰巳の魔法だけじゃない、あやのの竜騎士としての力も、他者を癒すことは出来ない。戦士の麻由香はなおのことだ。
「『嘆くことはありません』グロームデインは努めて明るくそう告げる」
あやのが顔を上げると、マスタースクリーンの向こうでゲームマスターが微笑んでいた。
「『私はあまりに長く王位に居座り過ぎました。ここが潮時だっただけのことです』」
「でも」
「『案ずることはありません。確かにバックランドには、これから新たな時代が訪れ、混乱もまた生じるでしょう。ですが私は、ここに祝福を遺していきます。先の戦いのみならず、これまで虚ろとの戦いに屈せず、今を生きる全ての者たちを竜騎士と認め、祝福をもたらしましょう』」
ふん、と麻由香が皮肉げな鼻息を漏らす。
「ずいぶん大盤振る舞いだこと。余計に混乱するんじゃないの?」
ゲームマスターは笑って返した。
「『乗り越えられると信じていますよ』そう告げると、グロームデインは力なく瞼を閉じる。『そして、あなた方が見守っていてくれるとも。東の彼方から、この竜の背の行く末を。さようなら、バックランドの竜騎士たちよ』やがてその身体が砕けた氷のように崩れ去り、あとには骨だけが遺される。けどその骨の中には、別のものが混じっている。白く、丸い、大きな塊が」
あやのが目を瞬かせると、辰巳が同じように瞬きを繰り返し、やがて笑顔が広がっていく。隣を見ると、麻由香が机に頬杖をついて微笑を浮かべていた。
「卵!」
「その通り。女王の崩御はすぐに方々へ報され、バックランドは国を挙げて喪に伏した。皆の前でリュートを鳴らすヘリオスフィアの唄は、悲しみと共にかの竜を讃え、同時に新たな命、新たな時代の幕開けへの祝福を奏でていた。そうして君たちは、その調べに送り出されるように、この書庫に戻ってきたのだった」
ゲームマスターが目を瞑り、ひと呼吸おく。顔を上げると、ひとつ手を叩いた。
「はい、というわけでセッション終了! お疲れ様でしたー!」
「お疲れさまでした!」「お疲れさまでした」「はい、お疲れさまでした、と」口々に返事をするプレイヤーたちから、拍手が返る。物語がエンドロールを迎えた達成感が、書庫の中を満たしていた。
「もう、もう! 本当に楽しかったです! 最後に虚ろの竜が出てきたときはどうなるかと思いましたけど、まさかリッケルトさんたちが助けに来てくれるなんて!」
「僕も予想してなかったからほんとに驚いたよ。先輩たちのキャラがああやって出てくるなんて、ズルいですよ先生」
「だってバックランドでの物語だったら、みんなを無視するわけにはいかないでしょ?」
マスタースクリーンの向こうでゲームマスターは……その役目を辰巳から引き継いだ汐谷鞠絵は、いたずら気に片目を瞑る。
「私としては、汐谷先生が参加したのが一番の驚きなんですけどね。確かに、古湊先輩に責任取ったらとは言いましたけど」
頬杖を付いたままの麻由香は、呆れを滲ませながら呟く。
「話を聞いたら、いてもたってもいられなかったんだもの。古湊くん本人がシナリオに組み込まれちゃうんだったら、もうプレイヤーとして参加するのが一番手っ取り早いでしょ?」
「よく言いますよ、自分も遊びたかっただけじゃないですか?」
半眼で睨むと顔を背ける鞠絵に、辰巳はため息を零す。
「それに、僕が始めたキャンペーンだったのに、最後の最後でマスターの役目まで投げ出す形になって……いたっ」
俯く辰巳の額を、鞠絵の指が突いた。
「またそうやって、古湊くんは真面目に考えすぎなの。TRPGは遊びなんだから、責任感とかで辛い思いまでして続けるものじゃありません。そんな心持じゃ、高千穂さんたちだって、君自身だって楽しくないでしょ。私は、楽しんで遊ぶことを忘れないでほしかっただけです」
「はい……」
「で、どうだったの?」
「え?」
「楽しかった?」
辰巳は瞬かせた目を、書庫の天井に彷徨わせ、鞠絵から逸らして頷いた。
「ならよし! 私も楽しかったわ!」
「わ、私も、私も楽しかったです!」
胸を張る鞠絵に、あやのも堪えきれず机に身を乗り出す。
「今回だけじゃありません、古湊先輩に誘われてからのバックランドでの冒険、本当に楽しかったです! ゲームの中の物語ですけど、私自身がなにか体験できた気がして、自分も何かできるんじゃないかって気持ちになれて!」
自分はずっと、受け取るだけの人間だと思っていた。冒険も物語も本の向こうに起きるばかりで、自分はそれを外から眺めて、ただ空想するだけの人間だと思っていた。バックランドでの冒険は、そんなあやのに自分でなにかを選ばせた。どう話し、どう振舞い、誰を助けるのか、なにを目指すのか。高千穂あやのの物語を、自分で選ばせた。あやのにとって、それは初めての経験だった。
「だから古湊先輩にも、汐谷先生にも、それにもちろん麻由香ちゃんにも、本当に感謝してるんです」
「私は最後だけ割り込んだようなもんだけど……まあ、即興劇の練習って意味では、結構いい経験になったかなとは思います」
「僕こそ、本当にありがとう。ここでもう一度卓を囲みたいって、その気持ちばっかりで始めた物語だったけど、高千穂さんたちのおかげでこうして結末を迎えられた。何度お礼を言っても足りないくらいだ」
溢れる感情が押さえきれないあやのに、肩を竦める麻由香、神妙に頭を下げる辰巳。三者三様のプレイヤーたちに、鞠絵はマスターとして手を叩いて場を絞める。
「さて、じゃあそろそろ片付けに入りましょうか。感想大会はその後ゆっくりってことで」
めいめいに返事をしてマップやポーンを片し始める中、あやのはふと自分のキャラクターシートを見下ろした。装備の欄に記された一振りの剣。重大な忘れ物。
「あ、ああ! 待ってください先生!」
「なに、どうしたの高千穂さん?」
「わ、私、リッケルトさんの剣をレイリアさんに返そうと思ってたのに、すっかり忘れてました!」
「あー、そういえば最後はそんな暇なかったね」
「もう返してきたってことにしておけば?」
辰巳は苦笑いを浮かべ、麻由香は片づけを続行している。あやのは、当然それで納得できるはずもない。
「いやですよ、ちゃんと面と向かってお返ししたいです! 汐谷先生、少しだけバックランドに戻れませんか?」
「そうは言っても、もういい時間だしなあ」
時計の針はもう六時近くを指している。あやのは唸った。これ以上無闇に居残るようなことをすれば、また心配性の両親を心配させてしまう。
「じゃあそれ、次のシナリオのネタにすればいいんじゃないの?」
麻由香が紙束をまとめながらなんでもないかのように言った言葉に、あやのも、辰巳も、鞠絵もが振り返る。
「え、次って……」
「ちょうどいいんじゃない? 異世界から持って帰ってきちゃった剣を、返しに行く話。いい導入になりそうだけど」
「そ、そうじゃなくて!」
麻由香は首を傾げる。
「これからも、ここで遊ぶんじゃないの? 私はてっきり、あやのがそのつもりなのかと思ってたけど」
確かに。
こんな冒険がこれからも、この場所で続けられるなら、そんなに嬉しいことはない。けれど。鞠絵は胸を張って頷き、辰巳は真っ直ぐにあやのを見つめていた。空想の世界で出会った少女のような、星を散りばめた期待に満ちた瞳で。
「もし、高千穂さんたちがロールプレイ研究部に入ってくれるなら、大歓迎だよ」
「そうね。二人とも入ってくれれば、もう一度部として活動申請しなおせるし」
麻由香を見る。麻由香は肩を竦めた。
「まあ、そうなりますよね。別に、稽古のない日に来るくらいだったら、大丈夫ですけど」
胸が高鳴る。身体の奥底の深いところに灯った熱が、脈打つ血潮を煮えたぎらそうとしているかのようだった。
どうしよう、どうしよう。
自分の前に、たくさんの選択肢がある。もっと色んな本をたくさん読みたいし、麻由香が志している演技の世界も、少し興味がある。自分で物語を書くことにも挑戦してみたい。
でも、今ここで選ぶべき道は、ひとつしかない。きっとこの道は、どんな未来にも繋がっているから。
「よろしくお願いします! 汐谷先生、古湊先輩、麻由香ちゃん!」
高千穂あやのの物語は、まだ始まったばかりだ。
テーブルトークファンタジー~バックランドの竜騎士たち~ ふぉるく @boogiefolk
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