五龍之帝國〜半竜人族の少女と幻想龍〜

八木 漸

1.半竜人族の少女、龍の国に至る。

竜人族の父、人間族の母を両親に持つ半竜人族の娘ウォルは人間の街で肩身の狭い思いをしながら生きてきた。父は小さい頃にウォルの元から離れ、病がちな母親は家で寝たきり。

過去に父が竜人族の力を使い『知恵アル獣ビースト』の攻撃から町を守ったことから人々の善意で生活をするだけのお金は手に入っていたが、それも父親の力によるもの。やはり子供たちの間で、一人だけその姿が異なるということはそれだけでいじめの対象になってしまうのだ。腕や脚、顔の一部には竜人族の特徴である鱗を持ち、どんな傷もすぐに治る異常な回復力から、どれだけ傷付けても『なかったこと』になってしまう彼女は他の子供たちの格好の玩具おもちゃであった。母を置いて町から逃げ出すわけにもいかず、お金を稼ぐ手段も持ち合わせていない彼女はひたすら耐えることしかできなかった。


母から頼まれた買い物を終え、大きな袋を抱えて道を歩いているとき、後ろから複数の駆け足が聞こえてきた。嫌な音だ。

案の定、後ろから突き飛ばされてウォルはなすすべなく抱えていた袋と共に道に投げ出される。パンや林檎が道に転がる。袋の中で水の瓶が割れたのがわかった。

「やーい、半人!」

「どうしたんだい!転んじゃって!」

「お、リンゴが落ちてる!貰ってくぞー!」

ウォルができることは、目の前を颯爽と駆け抜けていく嫌な笑顔に今できる最大の憎しみを込めて睨むことだけだ。

どこからか持ち出したナイフで武装したあいつらに、立ち向かう気力は起きなかった。

ゆっくりと起き上がって周りを見回す。視界の端に立ち話をしていた二人の人間の女が見えたが、ウォルが見ているのに気づいたのかそそくさと立ち去っていった。

「父さんのせいだ。父さんがこんな町守らなければ私はここにいないし、あいつらだってここにいない。」

無意味な言葉なのはわかっていた。でも、少しづつ彼女の中で限界が近づいていたのだ。

自分の意識がはっきりするかしないかと言う時期に父はこの町から出て行った。

母に理由を聞いても口を破ろうとはしない。

置いていかれたのだ。彼女の中で絶望に似た黒い気配がゆっくりと広がる。

起きて、喋って、食べる。それだけしかできない弱った母のためにウォルはこの町で生きていた。

地面に転がった林檎を拾い上げ、起こした袋に入れ直す。土のついたパンも手で払いながら袋に戻した。

細い両手でなんとか袋を持ち上げ、町の離れにある家を目指す。その道のりは果てしなく遠く感じられた。

「ただいま、お母さん。」

そう声をかけながら家に入る。

床に袋を置いた時、割れた瓶のガラス片が床に当たって嫌な音を立てた。

「おかえりなさい。どうだった?お水は買えた?」

「お水は重いからこれから買いに行くの。」

母は満足そうな顔を見せる。

「そこの戸棚にお金が入っているから持って行きなさい、友達と一緒に何か買うといいわ。」

そう指し示されたのは母のベッドの横にある戸棚。

開けると少しだけコインが入っていた。

「ありがとう、行ってきます!」

精一杯の笑顔と張り上げた声で再び家を出る。

「このお金が有れば、もう一回水を買えるかな。」

そう一人で呟いて、店が閉まらないうちにと道を駆け出した。


世間で言う休日の朝。ウォルは街から少し離れた海岸の、小高い丘にいた。

朝日や夕日をここで見ることもある、彼女のお気に入りの場所だ。

彼女は自分でも気付かぬうちに、ぽつりと言葉を紡いでいた。

「この海の向こうには、竜の国があるんだろうか。」

父が話した言葉で唯一覚えていることだ。大きく、逞しい膝の上にウォルを乗せて、滔々と父が語った竜の国。

そこには父のような竜人がたくさんいて、人と竜の姿を使い分ける『竜』の種族が暮らす国。とても大きく、とても賑やかで、とても楽しい国だと言う。

「私もいつか、その国に行ってみたい。」

昔、父の前でよく拙い言葉でそう言ったものだ。

ふと浜に視線を戻すと、小さな舟を持ち出した集団がいた。ワイワイと五月蝿い声が響いている。

「しまった!」

気付かれないように丘を降りようとしたが、もう遅い。

「おい、半人がいるぞ!」

「捕まえろ!奴隷だ、どれい!」

そんな声が聞こえる。声と反対側に全速力で走るが、日々町を駆け回っている男の子には敵わない。すぐに追いつかれて腕を掴まれる。

体を捻って抵抗するが、一発、二発…。腹と頬に鈍い痛みが走った。

「まだ殴られたいのか!こいよ!」

太った身体と顔、引き攣るほど上がった口角とものを見るかのような目。

それを見た瞬間、ウォルは抵抗することをやめた。

引きずられるように小舟のところまで連れていかれる。

「おい、どれいは舟を漕ぐのが仕事だろ!」

そう言われてオールを投げつけられる。子供だけを乗せて海に出た小舟。

ウォルは殴られないように、懸命にオールを漕いだ。

いつまでそうしていただろうか、疲れと日光で朦朧とした彼女と対照的に、子供たちは楽しそうな声を張り上げる。

「みえたぞ!秘密基地だ!」

「上陸よーい!」

浜からすぐにある小島。ここは周囲が岩礁に囲まれていることから大型船が停泊できず、手付かずになっている無人島だ。数年前に子供たちに発見され、以降秘密基地として使われている。

突然腕に焼け付くような痛みが走った。

「おい、いつまで漕いでんだよ、こっちにこいよ!」

目の前の奴の手には刃渡りが大人の手のひらほどもあろうかと言うナイフが握られている。

反射的に自分の腕に目を向けるとパックリと縦に切り裂かれているのがわかった。

今まではナイフで傷つけられる時も擦る程度のものだったが、今回は力を込めて切られたようだ。半竜人族の回復力でも追いつかず、どくどくと血が流れ出している。

このままここにいると殺されるかもしれない…。飛びかけた意識の中でそう感じ、なんとかして前のナイフを持った奴についていく。

細い木や背の高い草を縛って作られた柵のようなものが見えて来る。

その中には先行した子供たちと、集めたであろうガラクタたからものの数々が堆くうずたかく積まれていた。

ふと腕を見ると白い肌のままだ。歩いているうちに切り裂かれた腕は流れ出した血だけを残して傷口がわからぬほどに腕は治ってしまっていた。

立ち止まると後ろから蹴りが飛んでくる。

倒れてもなお振るわれる理不尽に、ウォルは意識を手放した。


子供たちは誰一人として知らなかった。秘密基地としていた無人の小島。そこは年に二回の大しけの時は海中に沈む危険な島だったのだ。子供たちに気付かれぬまま、ゆっくりと海面が上がっていく。子供たちが初めてそれに気づいたのは、柵の外に踏み出した足が泥に埋まってからだった。


全身に冷たさを感じて、彼女は目を覚ました。

周囲はゆっくりと上昇する海に囲まれている。他の子供たちはと言うと太い木にしがみつき、また何とかして上に登ることで難を逃れようとしていた。

ここは確実に木よりも高く水が来る。そう感じてウォルは、木に縋り付くのではなく泳いで海岸を目指そうと足を踏み出した。すぐに水は腰よりも高くなり、泥と混ざって濁った水が押し寄せてきた。足元の木に救われて水の中に倒れ込む。遠くに見えた町に向かって必死に手足を動かす。後ろの方では何やら子供たちの声が聞こえたが、余裕のなさと、心の隙間にできたざまを見ろという嘲笑で、それに答える気力は湧かなかった。

なんとかして水面に顔を出し息を吸う。泳げないわけではないが、足の着かない荒波の中で泳いだ経験はなかった。

着ていた服が水を吸い、海へと引き込もうとする手に変わる。

もう一度息を吸おうとして、口と肺に入ってきたのは苦い味のする海水だった。

目の前が真っ暗になる。なんとか海面に上がろうと手を動かすが、肩の方から手先に向かい感覚が無くなっていくのがわかった。

死を自覚する瞬間すら与えない、死すらも認識しない自然の力にウォルと、そして子供たちは飲み込まれた。


子供たちを容赦なく手中に巻き込んだ自然の力。世界海流と呼ばれる大海流に乗せられ彼女達は大陸間すらも高速で移動する。木々や何かの破片と共にゆらゆらと運ばれていく。そして辿り着いたのは世界海流の終着点。ここを最後に海流は海の深層部へと潜り込む。海面を漂う物体は、波となって浜辺に打ち上げられた。最終湾エンドポートと呼ばれる巨大な湾口都市。そしてその都市は、エンデアと呼ばれる大国にあった。


急に胸、喉、口に広がる重たい何かを感じる。激しく咳き込みながらウォルは海水を吐き出した。頭は中で鉄球が飛び回っているような激痛。全身に力は入らず、咳をするときに横に向くのが精一杯だ。

一度空気を吸うと、全身に何か温かいものがゆっくりと広がる。

二度目にゆっくりと息を吸うと、目に光が戻ってきた。日光が眩しく白い景色が目の前にある。

三度目の呼吸で手足の感覚を取り戻した。何時間も全身が氷に触れていたように冷たい。

両足をゆっくりと抱え込み、なんとかして手足を温めようと縮こまる。

どれだけそうしていただろうか。ゆっくりと心臓の鼓動が戻ってきた。それに合わせてじんわりと全身に温かさが巡る。

少しだけ頭の痛みが和らいだところで、ウォルは周囲を見回す余裕が生まれた。

どこまでも白い砂浜が広がる。遠くには山や家々の赤い煉瓦の屋根が見えた。

少しずつ見ている景色が鮮明になっていく。着ていた服は塩を吸い込んで固まり、自分と砂浜の間にあった部分だけが湿っている。

少し遠くに小さな塊があった。よく見るとナイフを持っていた子供のようだった。

まだ、起き上がっていない。

ウォルは急にあの塊と同じ空間にいるのが嫌になった。

なんとかして起き上がり、塊と反対側の屋根の見える方向を目指して歩く。

それでも数歩歩いたところでよろけて倒れ込んでしまった。

顔だけを屋根の方に向けて何とかして進もうとする。

その時、白く広がる空に黒い影が入ったのがわかった。その影は少しづつ近づいてくる。

十字の形が見えるまでに大きくなった影は、まだ近づいてくる。

横に走る影は膨らみを持ち、二つの菱形が連なったような影に形を変え始めた。

その影は遠くなく、近くなくと言った地に降り立つと突如としてその大きさを失った。

影の消えた方向からゆっくりと姿を現したのは白い服に身を包む青年。

ウォルは鮮明に思い出した。父から聞かされた話の1フレーズ。

『竜、それは竜人の上に立つ者。竜として人としてその姿を使い分ける。』

「竜だ…。」

そう呟き、彼女は極度の疲労に耐えられずに目を閉じた。


エンデア、それは竜、竜人族、そしてそれを統べる龍の国。彼女の父の祖国にして、西の世界で最も力を持つと言われる超大国。

微弱な生命の力を感じ浜に降り立った竜は、力尽きて倒れている彼女と子供達を屋根の下に運び込んだ。体力を回復させ、体内から海水を排出する水薬を飲ませ、回復の力を用いる。

相変わらず眠ったままだが、ウォルと子供たちはゆっくりと回復していった。


その日のうちに国の中を情報が駆け巡る。

戸籍に記載のない半竜人族の少女が最終湾エンドポートに打ち上げられた。鱗の色は緑青色。人間族の子供も同じく打ち上げられたので他国からの漂流と思われる…。

それは二十九評議会にももたらされる。エンデアの常設統治機関。エンデアに住まう竜人族、竜、龍の全ての種族の代表がひとりづつ参加している。

その中の、竜人族の男が円卓から立ち上がる。

その竜人族は流れ着いた半竜人族の少女と同じ色の鱗を持っていた。


ウォルが次に目を覚ましたのは治療ベッドの上だった。

浜の時のような頭痛や目の眩みはない。ゆっくりと周りを見回すと、横に連なるベッドに共に漂着した子供たちが寝かされているのがわかった。

だが、明らかに彼女と違うところがある。まず、体力回復の機械があるのはウォルの横だけだ。さらには子供たちのベッドには薄い幕のようなものが張られていた。

ゆっくりとその幕に手を伸ばすと横から声がかかった。

「その幕には触らないでください。接触した衝撃を反射します。

 時々保護された人間には暴れ出す人がいるのでそれの対策で張っています。」

いつのまにかウォルのベッドの横に白い服を着た女の人がいた。

その手にはお盆とその上に乗るコップ。

「飲み物をここに置いておきますね。

 しばらくするとあなたに会いたいという方がいらっしゃいます。」

それだけ言って女の人は立ち去っていく。

「甘い。」

コップに入った飲み物は甘く、どこか懐かしい味だった。

ゆっくりと喉を潤していると、ドアが開いて竜人族がひとり入ってきた。

「ウォル・ヴァイケイル・ドラギアで合っているかな?

 私の予想が正しければ、私は君の叔父、アクスト・ヴァイケイル・ゼ・ドラギアだ。」

父が名乗った懐かしい名前。ウォルはゆっくりと頷いた。

彼は背負っていた巨大な戦闘斧と盾を壁に立てかけ、椅子を持って近くまでやってきた。

ベッドのそばに椅子を置いて腰掛けると、彼はまた話し始める。

「一連の出来事を聞いた。よく生きていてくれた。

 私は訳あって弟、つまり君のお父さんのことを知っている。今は一緒に居ないのだろう。

 弟に代わって君に謝りたい。君を置いて旅立ってしまったことを。

 そこでだが、君さえ良ければ私の元で君と君のお母さんを保護したい。やはり人間の国よりもこの場所の方が遥かに安全だ。」

思いがけない提案に、思わず本当かと聞き返してしまう。

彼から返ってきたのは確かな肯定。力強く必ず守ると言い切る叔父さんに、安心が広がっていくのを感じた。

「他国に干渉することだから上層部の会議を通さねばならないが、私の力で必ず君と君のお母さんを守れるよう取り計らう。安心してくれ。」


彼は二十九評議員の一人。彼女の叔父は西洋竜人族の長。この国でも上位の力を持つ存在だった。彼女も自身と同じ色の鱗に背中を押され、少しづつ身の上を話し始めた。周囲にいる子供たちのことを考えていじめの事実だけは言わなかったが、母のことや町での暮らしのことを話していった。ギリギリの暮らしをしていると伝えると、自身が身元保証人となってこの国の住民権を得ることができるようにする、と断言してくれた。

そこからの動きは早かった。早急に解決する必要があると判断したのだろう。明日には叔父の家のある首都に飛空車で向かうことになった。子供たちも元の国に送り返すために首都からの貿易船に乗ることになる。


話をしていると、隣の子供たちも少しづつ目を覚ました。

だが、彼女の隣にいる屈強な竜人族を見て怖気付いたのだろう。何も言わずに寝たふりをしていた。

話を聞いていれば彼がウォルの叔父だということはすぐにわかる。今までは彼女を守るものがいなかったことで玩具として扱っていたが、今そんなことをすれば自殺行為であることは子供の頭脳でも理解することができたようだ。

叔父が去った後も、彼女と反対の方向に身体を向けて縮こまっていた。


翌日の朝早く、ウォルと子供たちは叔父に連れられて港町からエンデア首都に向けて旅立った。

彼女たちには知りえぬ力で空中に浮き、御者のハンドルで自在に動く飛空車。

恐る恐る乗り込んだ動く箱は、あっという間に雲の上まで上昇する。すると地上からはわからなかったがかなりの数の竜が飛行しているのがわかった。今もすぐ近くを青と赤の鱗の竜が連隊を作って通り過ぎていく。

他の子供たちは対面に座ったウォルの叔父に戦々恐々としていたが、彼女は瞬く間に過ぎ去る外の景色を楽しんだ。

雲が晴れれば上空を飛行する竜達だけでなく地上の様子が見えて来る。

見たこともないような緻密で巨大な建築、そこらを飛び交う竜達。

地表は人で溢れて活気があり、高度に発達した魔法や竜の力でその国は構成されていた。

遠くを見れば砂漠や遥かな山脈が連なる。元の街からは想像もできないような超高度に発達した都市群だった。

彼女達が首都に向かう飛空車の中から見た国の様子は彼女達を圧倒させるには十分だった。


首都だ、という叔父の声に前を見れば、眼前に広がっていたのは超巨大な真円形の門。出入りする飛空船が天のように見えるほどの顎門が彼女達を飲み込まんとしていた。

そり立つ白い壁の中はまた外部とは違った発展を見せていた。重力を無視したかのように広がる家々。

水が橋もないのに空中を流れている。

等間隔に並べられたのはどのような力を使っているのかもわからない街灯。

そして何より外部以上の活気。上空を行く飛空車のなかにまでその熱が伝わってきた。

延々と続くかと思われるほどの大通りは最奥の宮殿へと向かっている。前をゆく飛空車に連なりながら彼女達の乗る飛空車もゆっくりと宮殿の方へ向かっていた。


突如として宮殿の左右に設置されている巨大な飾り鐘が動いた。宮殿と同じほどの大きさがあるのではないかと思わせる金色の竜の細工がされた鐘は重厚な音を立てて響く。

何事かとウォルが叔父を見ると、その音を聞いた叔父はおお、と驚いた様子だ。

外を見れば鐘の音を受けて大通りを通る飛空船と飛空車の道が端に逸れていく。先ほどまでの活気がゆっくりと静寂に変わっていく。

地表の道ゆく人々も建物の方にスッとその居場所を移し、そこらを飛んでいた竜達も地表や建築物に降り立ち平伏の姿勢をとっている。

停止した飛空車から外に出た彼女の叔父は戦斧を掲げて敬礼の姿勢を取る。

つられて飛空車から出た彼女隊が目にしたのは、あの巨大な円門いっぱいに翼を広げ滑空している白と金の鱗に覆われた巨大な龍だった。

その巨大さに声も出ない彼女達に叔父は声をかける。

「仙天楼の五龍。この国の建国者にして最高統治者だ。」

「あれが、伝説の、五龍…。」

『龍』、それは竜人族の上位種である竜をも従える、伝説上の存在。

白龍から溢れ出る覇気オーラに当てられ、彼女以外の子供たちはその場にストンと腰を落としてしまった。

続けて叔父は彼女に言う。

「ウォル、“白金龍”の神力と龍力が見えるか?

 我が弟は我らの家に伝わる神力と龍力を可視化する能力を強く受け継いでいた。その娘のウォルならばその力も受け継いでいるのではないか?」

そう言われてウォルがじっと“白金龍”を見つめると、その身体が纏う揺らぐ半透明な何かを見ることができた。

絶えずその身体から発散しているその何かは、何故かはわからないが彼女に畏敬の念を抱かせた。さらにそれに被さるように黄金の覇気も発散している。

目を大きく見開いた彼女に叔父はその能力があることを悟ったのだろう。

「黄金の覇気が龍力、半透明の覇気が神力だ。その様子であれば見分けもできるようだな。」

満足そうに頷くと門に視線を戻す。

そんな叔父さんも、少しながら黄金の覇気を発しているのがわかった。

じっと叔父を見ていると、叔父はまたウォルに視線を戻し、門の方を見るよう声をかける。

次に門から入ってきたのは紅いあかい八頭の竜に吊られた布だった。

よくよく見るとその布の上にはこれまた紅い龍が横たわっている。

なんとも弱々しく見えたが、彼女は衝撃を受ける。その小さな龍が発散する黄金の覇気は先程の“白金龍”をも凌駕し、大通りを埋め尽くさんばかりだった。

「“原初”だ。我らが竜人族、竜、そして神力を持つ龍の全ての父。龍族の歴史は彼から始まる。」


続けて門から現れた龍は、三対六翼を持つ薄い水色の鱗の龍。

龍力は先程の“白金龍”に劣るが、特筆すべきは半透明な覇気オーラ

ウォルの目にはそれが瞬間的に放出されたりかき消えたりして見えるのだ。言うなれば不安定。しかもそれはその龍の翼の上下に連動しているように見えた。

つまりその神力の放出を完全に制御していることを意味する。

「“幻想龍”だ。」

「綺麗…。」

思わずそう呟いた。

隣にいる叔父にも聞こえないほどの小さな声だったが、その瞬間ウォルは“幻想龍”と目があった気がした。

一番最初の白い巨龍もとても綺麗だが、“幻想龍”と呼ばれる水色の龍は、底知れぬ美しさがあるとウォルは思った。あまりの美しさに見惚れてしまった。

ルビを入力…ルビを入力…

また門に目を戻した叔父に合わせてそちらを向くが、龍が現れる気配はない。

すると大通りの中央に流れる水路の中から漆黒の鱗を持つ龍が飛び出した。

翼を持たない水龍だ。周囲に纏った水を翼の形にして、その翼で空を飛んでいる。

さらに彼女の目にはその神力が翼の形をなす水の中を網目状に走り、あたかも血液のようにその水を制御しているのがわかった。

「“祈龍”だ。私もあのお方と話をしたことがあるが、とても聡明なお方だぞ。この都市の機構の三分の一は彼の作だ。」

超低空、水面ギリギリを飛ぶ“祈龍”はウォル達の目の前を進む。

ウォル以外の子供達は覇気の圧に圧倒されている。少しは恐怖による影響もあるだろうか。

そんな子供達を見て、ウォルは初めて自分が鱗を持つことを誇らしく思った。


仙天楼の五龍。今の龍を入れてその数は四、最後は…。

円門に視線を戻した次の瞬間、莫大な龍力と神力が大通りを飛び越え宮殿までの広範囲を吹き荒れた。周囲の人々の中にはそれに耐えられず思わずしゃがみ込む者もいる。

圧倒的な力は物理的な圧を伴ってその空間に満ちた。

門から姿を現したのは青の鱗を持つ東洋龍。翼無して空を飛び、その身体は帯電して周囲の空間を湾曲させている。

支配者という概念すら飛び越えた超越的な存在。

滑るように大通りの空間を進む龍に彼女はじっと見入る。今までの龍も強大な力を持つことに変わりはないが、この龍だけは何か違うものを感じさせた。

彼女の目に映る半透明な覇気も、その龍から発散されるのではなく、神力自体がその意志で龍の周囲に存在しているかのようだった。

感嘆の入り混じった声で叔父さんが言う。

「“世界龍”。“原初”と共にこの国を建国した国主にして最強。国民の前に龍としてのお姿をお見せになられるのはかなり久しぶりだ。」

美しい、格好いい、神々しい…。この姿を言い表すには、どの言葉も違うだろう。


“世界龍”の姿が宮殿に消えていくと同時に大通りの人々も動きだす。

「入城を見れたのは運が良かったな。」

そんな叔父さんの声に押されてウォルは再びは飛空車に乗り込んだ。

ウォルの目には五頭の龍の姿が鮮明に焼き付いていた。

飛空車を降りた子供達が案内されたのは豪華絢爛な調度品が置かれた開放的な一室だった。叔父はここで待つようにと声をかけどこかに消えていった。

残された子供たちは脳に入る情報量によって何も言えなくなっていた。

いつまで待っていただろうか。呼びにきた緑の服を着た人、おそらく人形態の竜だろう、に案内されて廊下を進むと美しい彫刻の門に行き着いた。

ウォルが押し開けてその先に入ると、目の前には巨大な円卓とそれを囲むさまざまな姿の竜達がいた。円卓に合わせるように円形に作られた部屋。二十九人の竜の目が一斉に子供たちに向いた。

「二十九評議会にようこそ。」

その声が飛んだ方を見ると、円卓のひと席に叔父が座っていた。

ウォルは瞬間的にこの国の運営議会だと悟る。

「この者たちがアルデイアの国の子どもたちか?」

そう声を上げるのは腕が翼の竜人族。

「世界海流に乗って流れ着いたものは仕方がない。話通り送り返すのがいいじゃろう。」

こちらは氷を纏った美女。

「あの娘か、外交官ディプロマットの子と言うのは。確かに同じ色の鱗じゃわい。」

ウォルを見てそういうのは九つの首がある竜。

それぞれが思い思いに言葉を述べているようだ。

すると、ひとつ鋭く声が飛んだ。

「まて、その娘、身体中に刃物や打撲の傷があるぞ。」

ウォルはギョッとしてその声の方を見る。目の周りに布を巻いた男性だ。

その声を聞いた瞬間円卓全体が殺気だったのがわかった。

横では他の子供達がこれでもかと身を縮めている。自分達がつけた傷だということがわかっているのだろう。

「他の子供につけられた傷のようね。治りが早いから他の人には気づかれなかったのでしょう。」

凛としたその声は円卓の奥、扉の向こうから聞こえてきた。

円卓に座る二十九人を含め、全員が視線を扉に向ける。

姿を現したのは水色のベールを身に纏った女性。

ウォルは気づいた。彼女から漏れ出る半透明の覇気が発散と消滅を繰り返していることに。

「“幻想龍”…。」

思わず口から出た言葉に気づいて口をつぐんだがもう遅い。

「あら、私がわかるのね。」

しっかりと聴こえてしまっていた。

次の瞬間彼女がなんの予兆もなしに円卓を飛び越え、ウォルの目の前に現れた。

ウォルの腕を取り、“幻想龍”の手が漂流前にナイフで斬られた腕の傷をなぞる。

すでに完治し傷すらないというのに、彼女の目には鮮明にそれが見えているようだった。

「半竜人族といえど確実に我らの子。

 判断のおぼつかない子供同士の出来事でも、それを見過ごした者たちをそのままにしておくわけにはいかない。

 “世界龍”に話を上げます。決定は彼に従いなさい。」

彼女は静かにそう言った。その間にも少しずつ発散する龍力と神力が増幅していくのがわかる。ウォルでもわかる。激しい怒りだ。

一斉に円卓に座る者たちが頭を下げる。

「当初の予定通り子供たちは送ります。その時に是非の特使を派遣します。

 その娘は二十九評議会の権限によって直ちに我らが国の住民権及び国民権を与えます。」

そう宣言したのは円卓の一番奥に座る赤い服を着た初老の男性だ。

「異議なし。」

「同意しますぞ。」

他の円卓に座る者からも口々に同意が叫ばれる。

「いいでしょう。この子供達は…。そうですね、逃げないようにでもしておきなさい。」

彼女の声に反応して、門の横に控える竜人が頭を下げる。

怯えた目を向ける子供達を前に、“幻想龍”はウォルを抱き寄せる。

「行きましょう。おいでなさい。」

優しい声と肩に回された手にウォルはゆっくりと頷いた。

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