14.半竜人族の少女、休日を過ごす。

ウォルは“死眼龍”ディースさんにもらった飾り《チャーム》、それに“銀角龍”ホールンさんにもらった腕輪ブレスレットを並べて机に置く。

この二つを入れる何か綺麗な入れ物が欲しいな、とその時思った。

ベッドに入って、天井を見上げながらディースさんとの古代魔術の試合を思い出す。

ディースさん、そして“世界龍”もウォルの技術がとても高いレベルにあると褒めてくれた。

今思い出してみれば、ディースさんに並んでこの国で五指に入るということは凄すぎて逆にいけないことなのではないかと少し怖くなった。

それは、多くの黒衣集を含む龍すらも技術で飛び越えていることになってしまう。

急に自分が持っている力を正確に自覚したウォルは、自分が怖くなってきた。

そう考えてしまってからは、目をつぶってもそのことばかりが頭の中を渦巻く。

そんなウォルを眺めながら、時計はその針をどんどんと進めていった。


なかなか眠りにつけないウォルは再び腕輪ブレスレットをつける。

飾り《チャーム》をどうしようかと考えて、少し前にロノからもらった細いチェーンのことを思い出す。チェーンだけの首飾りネックレスなのだが、それに括り付けたら良いと思ったのだ。黒い紐と鎖の輪を結び合わせて、それを首にかける。

他の部屋の睡眠を邪魔しないように、ゆっくりと扉を開けて階段を登る。

真夜中だというのに、いくつかの研究室ラボはまだ明かりが付いている。

だが、それ以外に人はいない。

料理店レストランにも人影はなく、静かな空間が広がっていた。星明かりでうっすらと机や椅子、それに飾られた花に影ができている。

ウォルはその間を縫ってテラスに向かう。

硝子ガラスでできた扉を開け、ウォルはテラスを歩く。

シェーズィン・ハインの構造は輪切りにすると円形。テラスはそれを一周するように作られている。

ウォルは星明かりに照らされながらゆっくりと歩いた。ウォルはただ一人。他には誰もいない。

星と、空とそしてウォル。静かな場所だった。

一周したウォルは、次に柵の近くに行って、地上の様子を見ながら歩く。

水平線は限りなく続き、今夜は『夜の旅列ナイトライン』も見えない。

唯々雲と海が続く。とても暗く静かなものだ。

真下を見ればロイアの光があるものの、それも雲に隠れてとても小さなものだった。首都へと向かう白い道に等間隔に光るしるべだけがただ淡くその存在を放っている。

『この世界で、私はとても小さな存在だ。』

ウォルはふとそう思った。

そう思えば、自分がどれだけ力を持っていても、この世界を変えることはできないことがわかる。そう考えると自分自身の怖さが少し和らぐ気がした。

「あら、ウォル。どうしたの?」

「ステア!」

“幻想龍”がテラスに来ていた。

彼女もまた自室のテラスで夜を見ていると、下のテラスにゆっくり歩くウォルを見つけた。それで自分の力を使って下まで降りてきたのだ。

ウォルが腰掛けているベンチまでやってくると、ステアはその隣に座る。

ウォルはポツリポツリと自分の不安や怖さを打ち明ける。

すると、ステアは彼女なりの答えをくれた。

「それは、ウォルが他の人にどう思われるかを考えた時に、怖がられたり嫉妬されたりすることを考えているからかもしれないわ。

 確かに大きな力は恐怖を生む。でも、その力で守られた人はどうかしら。そんな人はその力を歓迎して、感謝してくれるわ。

 力はどう使うかによって変わってくるの。恐怖を与えるか、安心を与えるか。

 ウォルはその選択をすることができるのよ。」

ステアもそれを経験したかのように、言葉の一つ一つを大切にして話すステア。

「あとはね、もう一つ。大きな力には因果が巡る。

 もしウォルが大きな力を持ったのなら、それを使う時が必ず来る。

 私だって望んでこの力を得たわけではないの。でも今はその力を使ってこの国を守っているわ。」

ウォルとステアは立ち上がり、並んで柵に寄りかかって目の前に広がる空を見る。

「でも、もし誰かを傷つけちゃった時は?」

「難しい問いね。

 私もこの国を、竜や竜人族を守る時に誰かを傷つけることはある。

 守るために必要なことかもしれないけれど、その後にいつも悩むわ。誰も傷付けずとも同じ状況を作り出せたかも知れない、とね。

 それぞれの考えが違う限り、戦争は無くならない。だから、その中で自分がどう振る舞うかが大事なのだと思うわ。

 結局、誰かを傷付けた時にできるのは謝ることと治療することだけ。

 肉体的な傷は治せても、精神の傷は治せない。

 精神の傷を消すことはできても、魂の傷は残ったまま。

 今この世界で生きていくためには、ある程度の割り切りも必要になってしまうのよ。」


ウォルはもし、何者かの手によって目の前でロノが傷つきそうになっていたら、と想像する。

古代魔術オールド・ソーサリーを放てるウォルは、それを止めることはできる。そこで拘束の術式を展開するか、攻撃の術式を展開するかはウォルの意志に委ねられているのだ。

でもそんな状況で相手にまで意識を割いている時間はない。おそらく攻撃の術式を撃ってしまうのだろう。

その相手は重傷を負うか、はたまた死んでしまうだろう。

後になってウォルはそれを受け入れることができるだろうか。

大切な人を守るためとはいえ、一つの命を消すことができるだろうか。

その選択こそ、ステアが言った『割り切り』をどこまでするかで決まるのだろう。ウォルはまた自分がわからなくなる。

このことは今この場で結論を出せることではないだろう。ずっと考え続けなければいけないはずだ。想像した最悪の事態が現実になる前に、なんとかして結論を出さなければ。

ステアはそんなことを考えているウォルを優しく抱きしめた。

風で冷えたウォルを、ステアの龍力が暖めていく。ウォルはステアの服のレースの向こうに、連なる光を見た。

夜の旅列ナイトライン』だ。

それを見て、ウォルはこの場に引き戻される。またいつもの時間が進み始めたのだ。

「さぁ、部屋に行きましょう?

 明日は一日お休みの日だから、ロイアに行ってくるといいわ。

 お小遣いをあげるから、何か自分の好きなものを買っていらっしゃい。」

「そうなの!?ありがとう!」

ウォルの顔に笑顔が戻る。それに釣られてステアも微笑む。

ステアに連れられてウォルは階段を降りる。

「じゃあウォル、おやすみなさい。」

「おやすみ、ステア!」

部屋の前で別れ、扉を閉めるなりウォルはそのままベッドに倒れ込む。

急に身につけた紐飾りと腕輪ブレスレット首飾りネックレスの存在を強く感じる。

“幻想龍”、“銀角龍”、“死眼龍”がすぐ側でウォルを見守ってくれているようだ。

ウォルはすぐに小さな寝息を立て始めた。


朝起きたウォルは机の上に何枚かの硬貨と革製の財布が置かれているのに気がついた。

金貨が一枚。十枚の銀貨と二十枚の銅貨。それぞれ細かな模様が刻まれている。

金貨には大きくエンデアの紋章。東洋龍と西洋龍。それに塔だ。

銀貨には五角形の模様を中心に、植物の葉が書かれている。五角形の内部にも、幾何学的な模様が彫り込まれていた。

銅貨には円、いや多角形だ。ウォルは二十九角形なのでは?と予想する。

銀貨は『仙天楼の五龍』を表す五角形。ならば銅貨は二十九評議会に違いない。

朝食の席でウォルはロノにお金の計算方法を聞いてみた。

銅貨二十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚。さらに白金貨というものもあり、それは金貨百枚なのだという。

大体のものは銅貨・銀貨で買えるが、高いものだと金貨が必要になるようだ。

「じゃあ、ロイアで売ってる厚い生地の中にジャムを挟むお菓子っていくらなの?」

「厚い生地の中にジャム…。ああ、クリンルのことね。

 あれは…大体銅貨二、三枚ってところかな。」

そんなウォルのお金の話を聞いて、ロノやキコリコ姉妹は今日が休みだということを思い出した。

「うわ!今日休みじゃん!

 ウォル、早く食べて!すぐロイア行こ!」

なんでも全ての舎が休みになる今日はとても混むらしい。

それに合わせて市場が出ていたりするのだが、朝早く行けば比較的空いているのだという。

ロノに急かされながらウォルは朝食を口の中に詰め込んだ。

一度部屋に戻り、クローゼットにあった動きやすい長袖長ズボンの服を着て、ポケットに財布を入れて廊下に出る。

キコリコ姉妹はウォルと同じように動きやすい服装だったが、ロノはローブを崩して作ったようなゆったりとした服を着ている。それは龍の略装で、街に出る時は着なければいけないのだという。

個人的な改造は許されていて、ロノは自分の手でスリットをいくつも作って動きやすいようにしていた。

四人で向かったのは、訓練室や講義室がある階の廊下。その一番奥に昇降機エレベータの入り口がある。

中に入るとロノがボタンを押し、壁に向かって声をかける。

そこには集音器があり、中階層とロイアにある制御室につながっていた。

「幻想舎のロノ、キコ、リコ、ウォルです。ロイアへの下降を希望します。」

「ハイン制御室コントロール了解。少し待て。…ー承った。下降を開始する。」

この昇降機エレベータはシェーズィン・ハインに繋がる唯一の経路な為、厳重に管理されている。龍ですら使用する時はこのように許可を取らなければいけないのだ。

ロイアにある制御室はロイアの入り口の開閉と検閲を担う。実際に動かすのはハインにある制御室だ。

四人の乗った昇降機エレベータはゆっくりと下降を開始する。

ウォルがこれに乗るのは初めてだ。上に上がった時はステアに抱えられて寝ていたので記憶がない。

ウォルは窓の外に見える景色を食い入るように眺める。

すぐに遥か下にあるロイアがぐんぐんと近づいてくる。

「どこにいく?」

「まずは市場とクレイドじゃない?」

クレイドというのは服や日用品、はたまた珍しい骨董などまで扱う大きなお店だ。

「私初めてだから、三人についていってもいい?」

「もちろん!午前中とお昼は四人で回りましょ!」

初めて行くウォルは三人についていくことにした。他の三人も快諾してくれる。

「三番昇降機エレベータ、ロイア到着です。」

そのアナウンスと共に扉が開く。

円形の、絨毯のひかれた広い空間。

四人は制御盤を操る竜に会釈をして、ロイアの街に踏み出す。

大きな階段を降りて白い門をくぐると、目の前には遥か上から見ていたロイアの街並みがある。

四人のいる島の方には白い建物が並び、いくつかの橋で繋がった向こう側にはさまざまな建物が所狭しと並んでいる。

人が波のように動いていることが今いる場所からもわかった。かなりの人がいる。

「うわー、結構人いるじゃん。」

「もうちょい早く来ればよかった?」

「まー、しょうがないや。行こ!」

ロノに手を引かれて橋を渡ったウォルが向かったのは露店が沢山出ている市場。

周囲はほとんどウォルと同じくらいの子供たちで溢れている。

キコリコ姉妹はその背の高さと竜人族の体格を生かして人をかき分けて進むので、ウォルとロノはついていくだけで安全に歩いていくことができた。

他の舎ではウォルやロノと同じ歳の子供が殆ど。

その通常舎を出て、その中のごく少数が幻想舎のような高等舎にいるのだから、キコリコはロイアにいる子供よりも歳が上。大人のような扱いなので、人波をかき分けながら進むという芸当が可能なのだ。

ウォルとロノはさまざまな露店を見て回った。

アクセサリーや服、食べ物、食器など。端から見出したらキリがない。

その場で作っていく飴細工、見る角度によって柄の変わる布、ミニチュア食器…。

気になったものはいくつかあったものの、ステアに買ってもらった紐飾りのように心惹かれるものはなかった。

次に行ったのはクレイド。

薄暗い店内には所狭しと商品が置かれたり掛けられたりしていて、その店内は人が一人通れるかと言った狭さ。

そこでウォルはロノ達と別れて一人で行動した。二時間後に入り口で集合だ。

服は自分の部屋のクローゼットに用意されていたし、日用品もあるから問題ない。

食べ物も、料理店レストランで声をかければ何か出してもらえるのであまり買う気にはなれなかった。

必然的に骨董品の並ぶ店の棚の一角に足が進む。いろいろ見ていく中で、一つの飾り箱がウォルの目に留まる。

黒っぽい木を組んで作られたものだ。

その中に腕輪ブレスレット首飾りネックレスがうまく入りそう。値段は銀貨四枚と周りのものと比べて少し高いが、ずっと触って蓋を開け閉めしているうちに愛着が湧いてきた。

思い切ってその箱を手に取る。両手で抱えたその箱はしっくりと馴染んだ。

さらに見て回っていると、四つセットの指輪を見つけた。金色の針金を編んで作られていて、軽そうだ。値段も銀貨三枚とウォルが払える。流石に貴金属でできた高価な指輪は買えないが、この程度であれば問題ない。いつも一緒にいるロノやキコリコ姉妹にお礼を兼ねて贈りたいと思ったのだ。

飾り箱と指輪を持って会計に向かう。

ウォルは会計のおじさんに思い切って話しかけてみた。

「あの、これって少し安くなりませんか?」

「安く?うーむ…」

そう言って箱と指輪、そしてウォルを交互に眺めるおじさん。

「しょうがない、お嬢さんの可愛さに免じて、合わせて銀貨五枚でいい。」

「やった!ありがとうございます!」

値切るのは初めてだったが、おそらくそれも相手に伝わったのだろう。銀貨ニ枚も安くしてくれた。

今後も来てくれよ?という期待も込めての値段だろう。

そのおじさんの目論見は功を奏し、ウォルはこの店をとても気にいることになった。おじさんは近くにあった安い布袋もおまけとしてつけてくれ、飾り箱と指輪をその中に入れてウォルに渡してくれた。

ウォルが入り口のところで待っていると、キコリコ姉妹がやってきた。その後ろにロノ見える。

キコは新しい服を買ったようで、店内の試着室で着替えてきたようだ。手には朝着ていた服を持っている。

リコは見て回っただけ。結局今回は何も買っていないようだ。

ロノは丸眼鏡を掛けていた。目が悪いわけではないので強い光を遮る遮光だけの薄硝子ガラス眼鏡だが、なぜ今ごろになって眼鏡なのだろう。

そう思って聞いてみると、予想を上回る回答が返ってきた。

なんとロノ、二日目の個人訓練の時に“空匣龍”や“数賢龍”から“世界龍”の好きな女性のタイプを聞いたのだという。

比較的若い“空匣龍”は詳しく知っているわけでは無かったが、“数賢龍”から『黒髪の丸眼鏡のひとが好みらしい』というとんでもない情報を聞き出していた。

エンデアには黒髪を持つ人はとても少ないのでかなり難しい条件だが、なんとも偶然にロノは黒髪。であれば後は丸眼鏡、ということで買ったらしい。

何と今度“世界龍”と昼食ランチにいく約束もしていたらしく、その時につけていくと言ってニヤついている。何という行動力、いや、言うならば言動力というところか。

そのあと昼ご飯に向かったのは中央島のお店。

輪状になっているロイアの街が子供向けの庶民的な店が多いとすれば中央島は大人向け。ゆとりを持って店が並んでいる。

そこで食べたのは普段はおやつに食べるパンケーキの上にベーコンや卵焼きを乗せたパンケーキランチ。一つのプレートの上に全ての料理が載っている、お洒落な昼食だ。

ちょうどみんなが食べ終わる頃に、ウォルは指輪を取り出す。

「あのね、私からみんなにプレゼントがあるの。全然高価なものでもないんだけど…。」

ウォルが差し出した指輪を三人は受け取る。

「え、指輪。もしかして四人でお揃い!?」

「いいの!?もらっても。」

ウォルもその場で指につける。左の中指がピッタリだ。

今こうしてみるとちょっとづつウォルは身につけるアクセサリーが多くなってきたことに気づく。

「みんなでつけられたら良いかなって。どうかな?」

「めっちゃ良い!ありがと!」

「私、左の小指につけよ。ウォル、ありがとう!」

「重ねてつけよーっと。いい感じ!嬉しい!」

キコは中指につけていた爪付きの指輪を一度外し、それと重ねるように嵌めたようだ。

キコが元々している爪付きの指輪、実は右手の中指にもつけている。それはただの指輪ではなく、武器のひとつ。龍の鱗を加工して作られた『龍武器』の一つであり、龍力を流し込むことでナックルダスターと大きな爪に変化する。

エンデアでは武器の携帯が許可されている。正当な理由なき使用は厳罰の対象になるが、護身用として持ち歩くのは一般的だ。


午後はキコリコ姉妹と別れ、ロノと二人でロイアを回ることになった。

リコは彼氏さんがロイアに来ているので合流、キコもザインと一緒に回る話をしていたらしい。

二人を見送ったウォルとロノは行く当てもなくぶらぶらと歩く。

「どっちかが気になったお店に入ってみようよ。」

「良いかも。面白そう!」

そうは言ったものの、なかなか二人が気に入ったお店が無い。

しばらくすると微かに笛が鳴り始めた。この音は警風笛だ。

「これって大丈夫なの?」

「うん、この辺に風が来るのには多少の時間がある思うよ。」

そう言って二人はもう少しだけ歩き、ロノが気になった喫茶店に入る。お茶が出てきてしばらくすると、警風笛の音は急に大きくなった。

いつもウォルがいるハインはその位置が高すぎるが故に風が到達しない。だがこのロイアでは風の影響が直接目に見える形で現れる。

店の目の前を凄まじい速さの風が吹いているのがわかる。このロイアにある中央島を取り巻くように、風が渦を書いているのだ。

店の壁が軋み、取り込み忘れたであろう洗濯物や小さな木の板、大量の葉が外を舞っていく。

「いつもこんな感じになるの?」

「そう、建物の中にいれば大丈夫だよ。風に強い構造で作られてるから。」

そうロノはいうものの、ウォルはだんだん不安になってきた。

いよいよ大きく建物が揺れ、警風笛が甲高く響き、風は大きな唸りをあげる。


その瞬間、ウォルの目の前を小さな女の子が飛んでいった。

窓の方を見ていた全員の頭の中に疑問、そして焦りが浮かぶ。

「風に巻き込まれてる!」

ウォルは思わず席から跳ねて立ち上がった。

「ロノ、この袋持ってて!」

「うそ、何する気!?」

ウォルは瞬時に思考する。

この程度・・・・の風なら古代魔術でなんとかできる。

自由なる大気の翼リバティウイング”では風に煽られて墜落してしまうだろうが、その強化版の“颶風の箭サイクロン・ダート”であればおそらくこの風の中を飛んでいける。

この風は遥か上空まで巻き上がる風だと聞いた。

この風が治まった時、さっきの子供は天空から地面や水面に叩きつけられることになる。

早く助けなければ手遅れになってしまう。

「私なら飛べる。行ってくる。」

ロノに端的にそう告げて、店の外に出る。

扉をすばやく閉めて、店の中に極力風が入らないようにするのを忘れない。

「“颶風の箭サイクロン・ダート”!」

ウォルはロイアを吹き荒れる風に負けない強風を纏う。もはや既にそれは暴風の域。

ウォルは勢いよく地面を蹴り出し、空中に飛び上がった。

『“天星の眼スター・オクルス”×相乗シナジーד明星の導ブリリアントガイド”』

視野を広げる術式と、目標を探し出してそこへの道標を表示する術式を『相乗シナジー』することで先ほどの子供を探し出す。

自分の胸の前から真っ直ぐに伸びる光を確認して、その方向に向かうように進む。

ウォルが纏う風は吹き荒れる風を切り裂き、ウォルが飛ぶ道を作った。

今やウォルの飛行を邪魔するものはない。飛んできたどこかの木材や靴、屋台で使っていたであろう幌も、ウォルの風にはたき落とされていく。

ウォルはそのまま真っ直ぐに、光が指し示す方に飛んでいく。

「見えた!」

巻き上げられてくるくるとその身体を回転させている子供を見つける。接触の衝撃を与えないように一度その前の方に回って声をかける。

「大丈夫!?」

その声は届き、返事をしているのが分かるものの、その子供が発した声は風にかき消されてしまう。

ウォルは風を操作してその子供を自分の風に巻き込んだ。

両手で子供をキャッチする。意外とその体重が重く、ウォルは慌てて風を操作しその子が落ちないようにする。

その場に浮遊して体制を整えると、子供が抱きついてくる。

「怖かったよおぉぉ…ありがとう、龍のお姉ちゃん…。」

その子供はこの風で飛べるのが龍だけだと教わっていたのだろう。

「よく頑張った!もう大丈夫よ!」

ウォルはその言葉を訂正することもなく、抱きしめて頭を撫で、下の町を目指す。

ウォルに救出されて安堵と蓄積された恐怖が襲いかかってきたのだろう。その子はウォルの腕の中で泣きじゃくっていた。

ウォルは周囲の状況を確認する。かなり高いところまで上がってきていたようだ。もう少しウォルの到着が遅れていたら、広がって弱まる風に巻き込まれていたところだろう。

腕に小さい子供を抱えているので頭を下向きにして高速で降りていくことはできない。立った姿勢のままゆっくりと、昇降機エレベータに沿って降りていくことにする。

街の人の姿を見つけられるほどの高さになった時、少しずつ周囲の風は収まり、警風笛の音も小さくなっていった。

ウォルはこの子がどこから飛ばされたのかわからなかったので、一番大きな橋に着地することにする。

橋に降りてその姿を見せたことが良かったようで、ウォルとその腕の中の子供を見た地上を警備していた竜人や竜達が人の姿のままその橋をやってくる。

風が完全に収まったわけでは無いので、竜も未だ風で飛び上がることができないようだ。

皆、橋の柵にしがみついてウォルを確認しながらゆっくりと進んでいる。その中に、鎧を着ていない竜人の男性と女性がいるのがわかった。この子の両親なのだろう。

ウォルはそのまま橋に降り立つ。

風は弱まったとはいえ、大の大人がそのまま立てば風で倒れてしまうほどにはその強さは残っている。ウォルが自然に振る舞えるのは、完全に術式を制御して風壁にし、ウォルが受ける風圧を無くしているからだ。

ウォルは腕に抱えた子供を下ろし、走って行かないように肩に手を置いて留める。ウォルの風壁を抜けてしまえば周囲は未だ強風なのだ。

近づいてくる一団を確認し、ウォルは一気にその風壁の範囲を広げる。『↗︎改良インプルーヴ↗︎“渦風の砦サイクロン・フォートレス”』。

急に自身を襲う風が無くなった一団は一瞬困惑し、ウォルが手を動かして風を制御しているのを見て安堵する。今やウォルの風は橋全体を覆い、風による橋の揺れさえ防いでいた。

子供と両親が駆け寄って抱き合う。

「すみません、お名前をお伺いしたく。」

近づいてきた竜が頭を下げる。

「幻想舎のウォルです。」

それだけで解答を止めるのは危険。続けて何かを問われるのは厄介だ。そう思って咄嗟に言葉をつなげる。

「“銀角龍”と“死眼龍”に師事しています。」

やはりその言葉は効果的。『舎』と言う言葉を聞いて訝しんだ表情が、一気に納得に変わる。

「おお、そうでしたか。あの“銀角龍”様と“死眼龍”様に。」

「我々では何もできませんでした。本当に感謝します。」

「多大なお力に感謝します。お陰で命をひとつ失わずに済みました。」

口々に感謝を述べる竜や竜人達。

「あの、娘を救っていただきありがとうございました。」

竜人の父親がウォルの方へ来て感謝を述べる。それに合わせてその子供と母親も頭を下げた。

「いえ、できることをしたまでですから。

 それよりも、あの風の中を耐え抜いた娘さんを褒めてあげてください。」

ウォルはそう返して小さな女の子に向かって微笑む。

何度も何度も感謝と共に頭を下げる三人を横目に、ウォルは衛兵に向かって声をかける。

「すみません、友人を待たせているのでそちらに向かいます。もし何かあれば幻想舎にご連絡ください。」

「はっ、承知いたしました。」

そう言って頭を下げる衛兵達。ウォルが幻想舎の生徒だとわかっても、その敬礼の姿勢を崩さない。そこにはウォルへの感謝と尊敬があった。

ウォルは再び風を纏って飛び上がる。今回は小さな女の子を抱えていないので、凄まじい速さでロノのいる場所まで一直線。

ロノを確認したところで起立姿勢に戻って近づく。

ストンっと降り立ったウォルをロノが迎える。

「すごいね、ウォル…。」

「本当に、何とかなってよかった!」

本当に助け出せるかなど考える間もなく飛び出していたのだ。結果的にうまくいったと胸を撫で下ろした。

ロノが手渡す袋を受け取って、歩き出す。

「風も収まってきたしもう少し見て回ろ!」

その声にロノはため息をついて歩き出す。

「ウォル、自分のしたことの凄さわかってないのかな…。」

ロノの独り言はウォルの耳には届かなかった。


ウォルがしたことの一部始終、それはロイアにいたほぼ全ての人が目撃していた。

巻き込まれた子供には気付かずとも、荒ぶる風を切り裂いて一直線に昇っていく人影にはどんな人でも気づく。そしてゆっくりと降りてきたその腕に子供を抱えているのを見て、その行動の理由を悟ったのだろう。

『シェーズィン・ロイアの風の中を飛べるのは、一握りの龍だけである。』それはここにいる人々の共通認識。

にも関わらず、あの飛行する少女のことを誰も知らない。

二つ名すら分からない。

その出来事の直後から、その龍の名を知ろうとする人々が一斉に橋にいた衛兵達に詰め寄り、そしてそれが二つ名持ちの龍ではなく幻想舎の生徒だと知って愕然とする。中にはそれがことを大事にしないための嘘だったのではないかと疑う者までいた程だ。

『守護者の少女』としてウォルのことがロイア中の話題をさらったのは言うまでもない。

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