26.半竜人族の少女、舎に帰る。

双子星の合ジェミニ・コンバート

ウォルの周囲で小さな星が煌めく。自らの作り出した長距離転移術式を用いて幻想舎まで帰ってきたのだ。この術式はウォルが使う古代魔術オールド・ソーサリーの中でも強力な力を持つ術式。ウォルがディースと共に転移したように、強大な力を持つ龍という存在をも移動させることができる。

ディースとの円門での一件の後、話しかけてくる各派閥の重鎮達を簡単にはぐらかし、一晩宮殿に泊まって今に至る。

ディースと別れた後に一度宮殿の方に戻ったのだが、好機と見た者達が周囲に群がってきた。耳を塞ぎたくなるほどのつまらない話を延々と聞かされることになったのだが、やはりディースの短剣の効果は絶大だった。初めはマントで隠していて、相手の話が佳境に来たところでチラッと見せれば立ち所に話が終わる。我ながら上手い使い方をしたとウォルは内心笑っていた。

授与式典が終わってからは比較的早く帰ってこれたと思うのだが、ディースやホールンさんと古代魔術オールド・ソーサリー談義をするという目的のために出発してからこっちに戻るまでにかなりの日数がかかってしまっていた。

ウォルは昇降機エレベータに向かって道を歩き出す。

直接幻想舎の中に転移してしまうと、防衛機構などに引っかかってしまう可能性がある。なのでこの広い道のところに目標地点を設定したのだ。

「「おはようございます!」」

中央道セントラルラインの衛兵がウォルに向かって踵を揃えて敬礼をしてくる。

行く時は馬鹿にされて結局ホールンの腕輪の機能を使ってくぐり抜けたこの大きな門だが、今回はウォルの服装と胸の勲章が物を言う。

「ご苦労さまです。」

そう言って軽く頭を下げながら門を進んだ。

詰所にいた衛兵達も外に出て敬礼をしてくる。手を上げて軽く返礼し、階段を登る。


「あのっ!」

急にかけられた声にウォルは足を止めた。

声の方を見てみれば、外周の家々から続く吊り橋のところに小さな女の子が立っている。

「おはよう、どうしたの?」

「あのっ、私この前の風の時に助けてもらったエルナって言います。」

「あら、こんにちは。」

こう言う場面での会話に慣れていないので、思わずステアのような返答になってしまった。

「昨日の授与式の映像を見ました。

 それで助けてくれたお姉さんなのに気づいて、ちゃんとお礼ができていなかったので…。

 あのっ、ありがとうございました。」

「わざわざ来て来れたの!?ありがとう。」

「それで、これ私がお母さんと作ったクッキー…どうぞ!」

両腕を伸ばして差し出してくるその袋をウォルは近寄って受け取った。

「もらってもいいの?ありがとう!」

おずおずと袋を差し出していたその女の子だが、ウォルが受け取ると途端に笑顔になる。

「お母さんは今どこにいるの?」

「お母さんに内緒で来たから…。」

「お父さんは?」

「おうちで寝てます!」

なんと、ここに来るのもこの女の子ひとりの意思ということか。

これから人通りが多くなる時間帯。一人で帰すのは危険。かと言って何も連絡をせずに留めておくわけにも行かない。

危険に晒すよりはウォルが一緒にいた方がいい。

「エルナちゃん、私これからこの上に行くけど一緒に行く?パンケーキが食べれるわ。」

「いいんですか!?行きたいです!」

ウォルは周囲を見回して、数人の衛兵の中にあの風の時に対応していた衛兵の一人がいるのに気づいた。気づいたと言っても片眼鏡に表示されたと言うことだが…。

ちょうど今ウォルが設定をいじって表示するようにしたのだ。過去に声を交わしたりした相手はその場面が端的に表示される。この女の子のこともすっかり忘れてしまっていた。これから多くの人と関わる中でいちいち『どこかでお会いしましたか?』と聞いていては失礼かつ面倒だ。

「すみません、一つお願いをしてもいいですか?」

「はっ。何なりとお申し付けください。」

ウォルの呼びかけを聞いてその衛兵は即座に飛んできた。

「この子の両親は分かりますか?」

そう言ってウォルはエルナの肩に手を置く。こうしてみるとまるで自分がステアになったような気分だ。

「はっ、承知しております。」

「では、その両親に伝言を。

 『娘さんは私と一緒にシェーズィン・ハインに行っています、私が責任を持って送り届けますからご安心ください』

 と言う内容でお願いします。」

「承知致しました。直ちに。」

その衛兵は懐から手帳を取り出すとウォルの言ったことを書き込み、敬礼をして駆け出していく。

「あ、すみません。」

ウォルはそれを呼び止め、“ボックス”からお金をいくらか取り出す。

「これで門の皆さんと何か食べてください。お勤めご苦労さまです。」

「いいのですか!?ありがたく頂戴します。」

このお金はウォルが勲章を得た時に同時に与えられる報奨金の一部だ。今回はウォルの私的な用を頼んだので、その分のお礼を渡さなければと思ったのだ。ディースも階級的に下のものに報酬を与えるのは歓迎されると言っていた。これが逆になると賄賂になってしまうので取り締まりの対象だが。

その衛兵を見送って、ウォルはエルナと一緒に歩き出した。その歩幅に合わせるのでかなりゆっくり。

階段を登り切って建物の中に入れば何人か歩いている人がいる。殆どの場合は会釈をしてくるが、武装した衛兵は例外なく敬礼。ウォルは何度も返礼をしながら歩いて行った。

そんなウォルの様子をキラキラとした目で見つめるのは隣をついてくるエルナだ。

「こんにちは。幻想舎のウォルです。それからロイアに住むエルナも居ます。

 ハインへの上昇を希望します。」

マスターウォル、おめでとうございます。

 ハイン制御室コントロール了解。上昇を開始します。」

二人を乗せた昇降機エレベータがゆっくりと登り始める。

「あのっ、ウォルお姉ちゃんって呼んでもいいですか?」

「もちろん!私もエルナちゃんって呼んでいいかな?」

「はい!」

エルナの目が輝く。

家族であの授与式の映像を見ていて、龍鱗章を授与された少女があの時の命の恩人だと気づいた時の驚きようと言ったらない。父親にあの章を授与されると言うことは龍と同じくらいすごい人だと説明してもらってから、エルナの心はその憧れの人に会うことだけを考えていた。その憧れの人が目の前にいる。

昇降機エレベータの扉が開いた先は料理店レストランのある階層だった。

「こんにちは!」

ウォルが声をかけると奥から料理人シェフの一人が出てくる。

「おや!帰ってきていたんだね。おめでとう!」

「ありがとうございます。」

それはウォルが首都に行く朝にサンドイッチを作ってくれた人だ。

「すみません、私まだ朝食を食べていなくて。

 パンケーキを作っていただけますか?あと、この子の分も。」

「少しお待ちを!すぐ作ります!」

料理人シェフは厨房に走っていく。

「ウォルお姉ちゃん、外に行ってみたい!」

「いいよ。風があるかもしれないから気をつけてね。」

ウォルが硝子ガラスの扉を開いてあげるとエルナは柵に飛びついた。ちょうど日が登ったところで雲もなく、シェーズィン・ロイアとはるか遠くの海まで見渡せる。

「ウォルお姉ちゃんってここに住んでいるの?」

「うん、そうだよ。」

「私もここに住みたい!」

「そしたら、エルナちゃんがもう少し大きくなった時に来るといいわ。

 エルナちゃんはいつから舎に入るの?」

おそらくこれくらいの歳の時から舎に入ることになっていたはずだ。

「えっと、来年?です!この前お父さんとお母さんと服を見に行ったの!」

エンデアの子供達は舎に入る半年前に割り当ての通知を受け取ることになる。そこから舎に入る期間までにローブなどの必要な物を揃えるのだ。

「その服は何色だった?」

「えっと、オレンジみたいな色でした!」

橙色…ウォルの予想では“陽龍”ドーン卿が最有力候補だ。彼の舎なら、この幻想舎への推薦をもらえる高い水準の学習を受けられるだろう。別に他の龍の舎が悪いと言うわけではないが、ドーン卿は幻想舎でも教鞭を振るうほどなので相対的に高いだろうと言う判断。

「そしたら、その舎で勉強を頑張ればエルナちゃんもここに来ることができるわ。」

「ほんとに!?エルナ頑張ります!」

少し歳の離れた姉妹のような見た目だが、その関係はほぼ大人と子供。

ウォルは、ディースの過ごしてきた時間の一部がその中に蓄積されているような不思議な雰囲気を纏っていた。

「朝食ができあがりました。」

奥から料理人シェフの声がかかる。ウォルはエルナの手を引いてテラスからテーブルのところまで戻った。

席に座った二人の前には分厚いパンケーキやフルーツの盛り合わせが置かれていく。

「エルナ、冷めないうちに召し上がれ。」

少し危なっかしくカトラリーを使ってパンケーキを頬張るエルナ。それを見ながらウォルも自分の口に一切れを入れる。

結局朝起きてから首都の方で何も食べられなかったので、とてもお腹が空いている。たっぷりの蜂蜜が掛かったパンケーキはウォルの空いたお腹を満たしてゆく。

授与式典から一夜明け、お祭りの雰囲気は今ウォルの目の前に居る小さな余韻を残して引いていった。

集まっていた龍は国土防衛のために各地に散るか、自分の舎があるこのシェーズィンにまで戻ってきている。“世界龍”様も早速秘密裏の活動を開始したとウォルはディースに教えてもらった。当のディースは首都の地下に潜って『隠されし龍達』の指揮をとっている。ホールンさんも南方の前線に向かったらしい。

ウォルも次に迫る古代魔術オールド・ソーサリーの研修会に向けての準備と、ステアと今後のウォルの動きについて話すためにここに戻ってきたのだ。ここで何年も過ごした訳ではないが、なんとなく『帰ってきた』という気分にさせてくれるのがこの場所だ。

朝食を食べ終えた二人は再び昇降機エレベータに乗り、ロイアを目指す。その間も終始エルナはウォルにしがみついていた。

ウォルはふと思い立って“ボックス”の中からほんの少量の宇宙鋼そらがねを取り出す。瞬時に加工して出来上がったのは小さなヘアピン。マスター・ウォルに抜かりはなく、いくつもの術式が封じられている。

水色に淡く輝くそれはエルナの髪を綺麗に彩る。

「これ、あげるわ。」

「えっ、いいんですか!?」

エルナは昇降機エレベータの周囲の硝子ガラス部分でちょうど光が反射して鏡のようになっている部分を探し出し、そこでに自分の髪のヘアピンを映した。

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

そのヘアピンを撫でながら何度もお礼を言うエルナ。


エルナの案内で彼女の両親が待つ家に向かう。先行する小さな女の子に、後をついていく『あの少女』。ロイアの住民の目を集めないはずがなかった。

かなり入り組んだ道を進んだ先、ロイア下層のある場所にエルナの家はある。木でできたあまり上等とは言えない扉はエルナによって勢いよく開けられ、ギギィッ!っと凄まじい音を立てた。

「ただいま!」

そのエルナの声に両親が玄関まで飛んでくる。

「これは、マスター様!娘が度々すみません!」

「またご迷惑をおかけしてしまいました…。」

そう言って頭を下げる二人。

「いえいえ、こちらこそエルナちゃんをお借りしてしまいました。

 人伝ひとづてでご連絡してしまいすみません。」

ウォルもそう返して頭を下げる。今回はウォルという立場だから許されているが、本来は無断で小さな子供を連れ出していることになるので世間一般的に見ればあまり宜しくない。

その点に関してはウォルも謝らなくてはと思ったのだ。

「いえ、私どもの不行き届きです。」

確かに小さな子供が一人で家を抜け出したことに関しては親にも責任というものがあるだろうが…。今回はお互いが頭を下げて手打ちだ。

「エルナちゃん、私はこれから用事があるから行くわね。

 次からは一人で歩くときはお父さんお母さんに言うようにしてね?」

「はい、わかりました…。ウォルお姉ちゃんもう行っちゃうの?」

「大丈夫、すぐにまたどこかで会える。

 エルナちゃんもこれから舎での新しい生活が始まるわ。幻想舎で待ってるから、いろんなことを学んでいらっしゃい。」

ウォルはエルナの頭を撫でながらそう言い聞かせる。やはりこんなことを言うとステアの口調になってしまう。自分が『〇〇だわ。』とか『〇〇していらっしゃい。』なんて言うことになるとは…。

エルナはそのウォルの言葉を受けて頷く。

次にウォルはエルナの両親に向けて声をかけた。

「エルナちゃんの舎は“陽龍”のところですか?そんなお話を聞きました。

 これから舎に通って、本人すら知らなかったような力を身につけていくと思います。

 恐れずに、褒めて見守ってあげてください。」

ウォルは『自分の母がそうであって欲しかった』ことを伝える。ウォルにとって親の立場は分からないが、これから社会に晒されていく子供の気持ちはよくわかる。ここから先、親が味方でいてくれると言うことはかなりの安心につながるだろう。

「はい、ありがとうございます。」

「わかりました、肝に銘じます。」

頭を下げる両親に挨拶をし、エルナに手を振ってウォルはその家を出る。

エルナが幻想舎に来る時、ウォルは何をしているだろうか。きっと国中を飛び回って、たまに幻想舎に寄るというような生活になっているだろう。ウォルには少しづつ将来の自分が見え始めた。


来る時はここまでエルナの案内で歩いてきたが、帰りは飛んで行くことにした。せっかくならシェーズィン・ハインまで昇って行きたい。

颶風の箭サイクロン・ダート”!

慣れすぎてほぼ無意識に発動できるこの術式。

ウォルは一気に風を纏って上昇を始める。あっという間に昇降機エレベータの中間にある監視地点を超え、雲を突き抜けて飛んで行く。

シェーズィン・ハインの繭目がはっきりと見え始めた時、ウォルは遠くに龍が飛んでいるのを見つけた。水色の三対翼龍。“幻想龍ステア”だ。

ちょうどハインに向かっているらしい。

ウォルは方向を変えてその龍に近づいていく。

「ステア!」

「あら!ウォルじゃない!

 この高さを自在に飛ぶなんて…。さすがマスターね。」

ステアはかなりゆったり飛んでいたようだ。ウォルもそれに合わせて速度を落とす。

「もう、やめてよ!ステアの前では『ウォル』なんだから!」

二人は笑い合って、ハインに向かって飛んでいく。

ウォルがステアの龍の姿をここまで間近で見たのは初めてだ。今までは人の姿のステアと行動していたので、龍の姿を見たのはウォルが初めて首都に行った時のあの時以来。

淡い水色の鱗は少し丸みを帯びていて、規則正しく綺麗に重なっている。

「ステアの翼、すごいね!とっても綺麗。」

三対の翼が少しづつずれて羽ばたいている。自分で動かしていて混乱したりはしないのだろうか。

「あら、ありがとう。六枚あるととても楽なのよ?

 一度姿を変化させて一対で飛んでみたけどすぐ落ちちゃったのよね。」

一枚にかかる負担が少ないと言うことなのだろうか。体の大きさに対してそこまで小さな翼ではないので龍自身にしかわからない違いなのだろう。

一度シェーズィン・ハインを周回し、二人は上階層のテラスに降り立つ。ステアは一瞬でその姿を人の形態に変えた。

ウォルが降り立った風圧でマントが大きくはためく。ステアの目はその腰にある黒の剣を見逃さなかった。

「ウォル!その剣…!あの馬鹿ディースは何をやっているの!?」

驚くステアにウォルはマントを掴んで広げ、その剣をしっかりと見せた。

「ふふふ、私が頼んで貰ったの!」

自分から頼んで、つまりウォルの方からその提案をした、と言うことだ。

「そう…。それなら否定はしないけれど…。

 ウォルはもう一人前の大人なのね。なんか少し寂しいわ。」

ステアなら反対してくるかもと思っていたのだ。予想よりも優しい返事にウォルは安心する。

「でも、ステアと私は友達でしょ?」

「ええ、そうね!」

そう言ってステアは笑い、ウォルを抱きしめる。ウォルが最初にこの国に来て感じた温かさは未だ健在だった。

「しかもね、正式に婚約したってわけじゃないの。」

「どういうこと!?」

その声に再び驚くステア。

ウォルはステアと共に階段を登りながらこの剣を貰った経緯を話していく。ディースが出した『仙天楼の五龍』に並ぶと言う条件を聞いた時、ステアはウォルが予想したのとは違う反応をする。

「一見無理難題に見えるけど、ウォルならもしかしたら…?

 でも、不可能じゃないわ。」

「そうなの!?ステアは無理って言うかと思った…。」


「そうね、ウォルには話してもいいかしら。『仙天楼の五龍』の一龍である私の力の根底を。」

ステアの私室に着いたところで、ステアが手を振って後ろの扉を閉める。さらに複数の術式と【原初の言葉オリジンズ・スペル】を使って外と中を遮断していく。

「座ってちょうだい。少し長くなるから。」

ウォルが椅子に腰掛けると、ステアはすぐ近くのベッドに座って話し始める。

「どこかで言ったことがあったかしら。

 私の名前はステア・イリアル・ディヴィア・ラ・イル・エーズーレーン。元々この世界には『想像』の要素を持って生まれた“想龍”だった。」

ステアも、ディースやホールンさんのようにただ単純に『要素』を持って生まれた龍だったのだ。

ウォルはステアが元々今の力を持ってこの世界に生まれたものとばかり思っていた。

「私は誕生した瞬間にその過大な力の内包圧に耐えきれずに霧散した。そしてある力を吸収し、安定した状態で再構築したのよ。」

ウォルは思考の回転力を上げてなんとかしてその話についていく。集中していないと思考を放棄してしまいそうだ。

「ウォル、【原初の言葉オリジンズ・スペル】の中で最も力を持つ文字は何かわかる?」

急に飛んだ質問にウォルは狼狽えながらも答えを出す。

一つの文字シングルスペル…。」

「そう、その中に【・幻・】と言う文字があったの。」

「まさか…。」

「そのまさか、よ。私が吸収して一体化したのは【原初の言葉オリジンズ・スペル】の【・幻・】なの。本来はあり得ないことなのだそうだけど、なぜか私はそうなった。私の存在自体が一つの文字シングルスペルと同格になったと言うことらしいわ。

 ウォルは知っているかわからないけど、私自身は【原初の言葉オリジンズ・スペル】を三つの文字トリプルスペルまでしか使えないわ。

 でも、その【・幻・】の力なら自分の意志だけで行使できるの。一応いくつかの制限があるんだけど…。」

“幻想龍”というその名は何も幻想の力を行使するからというだけでついているのではない。その存在自体が『幻想』でもあるということの表れなのだ。

「それから、【原初の言葉オリジンズ・スペル】というものは行使者が違えば同じ文字を同時に出せる。でも、私がこの力を持ってから【・幻・】は他の神域存在が行使できなくなっているようなの。

 これは“世界龍”様の仰っていたことだから間違いないわ。“世界龍”様なら無理やり私からこの文字を剥がすこともできるらしいのだけれど、そうすると世界に穴が空いたようになるらしいの。だから私がこの文字と結びついていることを許されているのよ。」

つまるところ、ステアは本来高位の神域存在だけが使用できる【原初の言葉オリジンズ・スペル】の一つと直接結びついた。それによって単なる龍ではなくなり、その格が『仙天楼の五龍』として並び称されるほどに高まったということだ。

一つの文字シングルスペルそのものであるので、自身に降りかかる【原初の言葉オリジンズ・スペル】はほぼ無効化され、他の神域存在を文字を用いず自らの力で打ち負かすことができる。注意点としては文字として使えるわけではないのでその対応の幅が狭まることだろうか。

「“世界龍”様はもし知っても相手は対応できないと仰っていたけど、情報を広めたくないから、あまり他には言わないようにお願いするわ。」

「わかった。

 …ステアがさっき私が『仙天楼の五龍』に並ぶのが不可能じゃないって言ったのは、これからそんな強大な力を獲得する可能性がゼロじゃないって言いたかったのね。」

ステアはその言葉に大きく頷いた。

「他の『仙天楼の五龍』は私と全く違う根底の力を持っている。

 あくまでこのような力を持つ一例、と捉えた方がいいわね。」

「全く違うって?」

「少なくとも【原初の言葉オリジンズ・スペル】を取り込んで力を得た訳ではないってことね。私も他の四龍のことはあまり詳しく知らないの。矢の向きベクトルが本当に違うのよ。」

ちなみに、ステアが元々所持していた『想像』の要素も残っていて、その力を使うことも少なくないらしい。例えば幻想内部に自身の思い描くものを作る際や、幻想によって作り出したものを具現化させるときにはこの『想像』の力を応用して簡潔化させている。おそらくステアが元々持っていた要素が【・幻・】という文字を引きつけたのだろう。

「どうしてもこの国の住民は私を『仙天楼の五龍』としてしか見れないの。やっぱり小さな頃からそう言われて育っているからでしょうね。

 その反面何も知らないウォルは私のことを友達、として扱ってくれた。私に初めてできた友達なのよ。とても嬉しかったわ。

 だから、私の本当のことを伝えておきたかった。」

ステアはウォルがその腰に短剣を帯びるほど大人になったことを知り、唯一無二の友に自らの真実を共有したのだ。

「じゃあ今度はウォルの話を聞かせてもらおうかしら。

 少し見ない間に竜力があり得ないほど増えて、神力まで獲得しているのはなぜかしら。年齢も十年ほど上がっているし。」

「え?」

急に話が変わり、ステアに突きつけられたのはウォルが予想だにしないことだった。

「どういうこと!?」

「そうね、ウォルは知らないものねぇ。」

そう言ってステアがニヤリと笑う。


年齢、それは生まれてからの経過年数を表すもの。

だがその基準となる『年齢』は複数ある。あまり一般には広まっていない考え方だが、龍の多くがこの複数の年齢を意識している。

まず、『肉体年齢』は一般的な『年齢』に当たり、天暦てんれきに当てはめてその肉体がどれだけの年数を経過したのかを表している。生殖機能の成熟や老いというものもこの年齢を基準に考えられている。

次に『精神年齢』はその存在が持つ精神がどれだけの時間を経過して成長したかを表し、多くの場合肉体年齢の半年分を一年として数えられる。これは起きている状態に精神の成長が進行すると考えられているから。ほとんどの場合肉体年齢と精神年齢は同じであると考えれば良い。自分は何歳だ、という自覚はこの精神年齢を基にしている。

そして『魂魄年齢』はその魂がこの世界にある期間を表す。つまり肉体が出来上がる前から魂だけで存在しているような場合、又はその逆で肉体を失った存在でもこの年齢で表すことができるのだ。死霊ゴーストは肉体年齢と精神年齢の進みが終わり、魂魄年齢だけが進行している状態と言える。

最後に『思考年齢』、これはその存在がどれほどの期間思考を続けているかを表している。前述の三つの年齢と異なり、天暦による数え方をしない特殊な年齢だ。だが精神年齢と密接な関わりがあり、思考年齢が精神年齢を超えた時、精神年齢の進みが加速を始める。

その存在の『年齢』を肉体年齢とするか精神年齢とするかは長年の議論がある。人間やそれに近い種族は子孫の繁栄という差し迫った目標があるので肉体年齢を主軸に置く場合が多いが、龍のように所謂いわゆる長命な種族は精神年齢を基準にする場合がある。特に龍は肉体的な交わりによって子孫を残す必要が無い為、専ら精神年齢を重要視する。


ステアはこの四つの年齢を大まかに知ることができる。別に明確な方式メソッドがある訳ではないので他人が真似しようと思ってもできないが。そしてウォルの精神年齢と思考年齢が、肉体年齢と比べて突出して高いことに気づいたのだ。

これにはある理由があった。ウォルが常用している思考加速の古代魔術オールド・ソーサリーの術式は、その名の通り思考を加速する。単純に、思考年齢が凄まじい速さで経過していくことになる。そうすればそのままそれに引き摺られるように精神年齢も上がっていく。

ウォルが見た目の割に大人のように感じられたりするのはこれが原因だったのだ。授与式典の折の“雪龍”などがウォルのことを対等と見て話をするのもこの精神年齢を感じ取っていたからというのがその一つ。ディースがウォルからの求婚を真っ向から否定せず、悩みに悩んだのもこう言った背景があった。

ウォルは古代魔術オールド・ソーサリーについて考え事をするとき、いつも思考加速の術式を用いて突き詰めて考えていた。その時間は全て合計すると十年分ほどになる程に。

もう既にウォルの精神年齢は大人だったのだ。

ステアが一気に身を乗り出してくる。

「で?そんな大人なウォルが“死眼龍あいつ”を好きになったのはどんな経緯があったの?」

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