10.幻想龍の閉口と苦渋。

“幻想龍”の名を冠する龍、ステア・イリアル・ディヴィア・ラ・イル・エーズーレーンは大洋の上を飛んでいた。目線を下に落とせば雲間から軍用飛空船の大船団と、隊を組んで飛ぶ数多の竜が見える。

「気象は良好。下手に術を使う羽目にならなくてよかったですな。」

「そうねぇ。

 ごめんなさいね、貴方まで参加してもらって。」

“幻想龍”は横を飛ぶ黒い龍の声に返事をする。

「いえ、ここ数千年聞かなかった【原初の言葉オリジンズ・スペル】使用者の気配とあれば何処へでも行きますよ。

 龍でなければ自らの防御手段を持たない。この大陸にも多くの竜や竜人がおりますからな。」

彼女と同じ高さで追随して飛ぶのは十の龍。

今の黒い龍は今回の侵攻の副将である“死眼龍”。『死』の要素を纏って生まれた“銀角龍”の直弟。

「遠征も久しぶりといえば久しぶりですかね。」

「どれほどの戦力なんだろうねぇー。人間の国って。」

「私の観測では少なくて二十、多くて百となっているが。」

「流石にこれだけの龍がいて制圧できぬ規模ではあるまい。」

その後ろに二つ名を持つ黒衣集の重鎮である“聖鐘龍”、“月浪龍”、“数賢龍”、“紫鋏龍”が続く。

その後ろには“霧龍”、“岩龍”、“紅玉龍”、“黄龍”、“妖龍”。

“世界龍”の下命によりディグロス皇国へと侵攻するエンデアの軍勢を指揮する黒衣集だ。


龍の中にも生きた年数と経験、特化した技能などで階級が存在する。

一言に『龍』と言っても数万年生きた個体と数百年生きた個体では持つ龍力、神力をはじめ明確な差が存在する。全ての龍は“原初”と“白金龍”から誕生した兄弟姉妹であるものの、何万という存在年数の差は家族を超えた不思議な関係性を生み出していた。

持って生まれる要素の危険性から秘匿される個体も存在するほどで、その総数を把握しているのは『仙天楼の五龍』のみ。さらにいえばその能力までも全て知っているのは“世界龍”だけなのだ。

龍が経験を積みその格が高みに至った時、二つ名というものが贈られる。それは元の要素にその龍の特徴や得意を組み合わせたものであり、それを聞けば概要としてその龍の姿や力を推測することができたりもする。例えば“銀龍”は大きな角を持ち、それで大気を制御することから“銀角龍”というように、だ。

この二つ名を与えられた龍は単身で作戦を行なったりエンデア内で調停者のような役割を担う。龍にとっては黒衣集となって龍と認められ、二つ名を与えられて初めて一人前ならぬ一龍前と言われるのだ。


雲の下で編隊を組んで飛ぶ竜は赤・第一軍の一個師団、白・第二軍の三個師団。飛空船団は青・第三軍の五個師団と緑・第四軍の一個師団。

大陸に近い洋上に開いた転移門ゲートを抜けて、高速移動中。

エンデアが他国を侵攻する時、総数で二個師団規模、黒衣集は二龍が通常だ。それに黒衣集も、経験を持つ古い龍と経験の浅い龍による組を作って、実戦を経験させるという訓練も兼ねていた。ところが今回が初戦闘となるのは“黄龍”と“妖龍”の二龍のみ。

十個師団、十一龍というこの規模と合わせて今回の侵攻の重要性が理解できると言うものだ。

なぜなら今回は、ディグロス皇国の制圧以外にもいくつかの目標が設定されていた。

一、国家の枠に囚われない竜への脅威の排除。

一、【原初の言葉オリジンズ・スペル】の使い手の探索と捕縛。

特に後者は最重要目標として『仙天楼の五龍』の一龍である“幻想龍”を筆頭に多くの二つ名持ちの龍が派遣されている。

事前の軍略会議で“幻想龍”らはディグロス皇国の攻略に向けて二つの作戦を立てた。

皇国は多くの山脈に囲まれた渓谷国家。そこで、歩兵ではなく竜による居住域の面制圧を行おうと言うものだ。そのまま一気に皇国首都まで攻上し、城を龍をはじめとする少数精鋭で叩く。ただ、これにはある難点があった。竜による面制圧は関係のない一般の皇国民まで皆殺しにしてしまうことだ。それを避けるために軍事拠点だけを叩く計画分岐も作成された。こちらは抜け穴を残すものの一般の人間を殺さずに済む。

二つ目は個人の技量頼みになってしまうが、“幻想龍”が自身の能力で皇国全体を取り込み一気に選別、制圧するというもの。これならば確実に無関係の市民を殺戮しない。だがこれは予測不能な危険性が大きすぎることから最後の手段とする結論に至った。

結局は“幻想龍”の力を使わず現実的・・・に竜と飛空船による物量制圧だ。

他にも周囲の人間の国家にエンデアの威容を見せつける目的もあった。

エンデアの近辺でも人間の国家が侵略の素振りを見せていることから、それに対する牽制をしようという訳だ。そんな国はもちろん今回の侵攻に対して多くの密偵を放ち情報収集を行なっている。そこから間接的に歯止めをかけるのだ。

何しろエンデアが国家として戦争をするのは実に三百年ぶり。人間たちにとっては竜の国の脅威が薄れ始めている頃なのだ。


下の竜の編隊から複数の竜が上昇してくる。各師団の指揮官だ。

「将、ご指示を。」

その声を受けて“幻想龍”は指示を飛ばす。

「詳細はメレイズ王国での再編時に通達。ここでは概略を伝えます。

 皇国へは中隊ごとに角形を取って波を作り侵攻。順は通常で結構。

 山脈に衝突し次第波を崩して角形を保って浸透します。

 最奥の合流地点での停滞後に細部制圧に移りなさい。

 敵国中央部は我々龍と『突撃旅団ストライカーズ』によって制圧します。」

竜が一字一句同一に復唱するのを聞いて満足して頷く“幻想龍”。やはりエンデアの軍は三百年では鈍ることは無いようだ。

「事前に地形をしっかり見ておけ。

 竜の鱗を通す攻撃をする者がいる。槍等の異様な力を持つ武装を使う人間は発見次第信号を発せ。

 それをつけている限り傷つくことは無いが、不測の事態に備えろ。」

“死眼龍”が竜の胸で輝く金属のプレートを示しながら補足を入れる。

「事前の観測では一般兵は約一万五千。総動員をかけた場合の最大戦力は五万八千と試算されている。

 問題の槍は約五十本。殆どは我々が折るが、万一出会でくわした場合は四方から囲んで封殺しろ。我々が間に合わなければの話だがな。

 他にも不確定な戦力が四、五確認できている。少しでも異変を感じたらすぐに知らせるのだ。」

そう言うのは“数賢龍”だ。

「メレイズ王国を視認!」

伝令が飛ぶ。

エンデアの軍は海岸線を越えて大陸へと入った。

ひとまず向かうはメレイズ王国の王都。今回の軍は皇国への侵攻だけでなくメレイズ王国への軍事支援も兼ねていた。侵攻終結後に二個師団はメレイズ王国に残って国防を担う。

本国エンデアと離れた大陸の一国では周囲からの包囲を受けやすい。転移門ゲートですぐに軍を送り込めるとはいえ、万が一メレイズ王国が侵攻を受けてからでは遅いというのが五龍と二十九評議会の判断だった。


王国の王都を中心に竜や飛空船が旋回する中、十一の龍と指揮官級の竜は人に姿を変えて広場に降り立つ。

待っていたのは国王ら上層部と二人の黒衣集。

“激震龍”、“緑龍”。彼らは王国に派遣されて防衛を担っていた二龍だ。

「これは“幻想龍”様。黒衣集の皆々様も。歓迎いたしますぞ!」

前回とは打って変わって晴れやかな表情の国王。隣の宰相も心なしか目の隈が薄くなっているようだ。

なぜならば二人の黒衣集、他国からの侵攻を防ぐだけでなく国内の貴族の暴動や盗賊団などの鎮圧も行っていた。今や王国内での黒衣集二人の人気は英雄の域に達しているのだ。

「これは国王殿、宰相殿。

 我が軍の駐留へのご理解と今回の侵攻の中継を引き受けてくださり感謝しています。」

簡単な挨拶を済ませると“幻想龍”は号令をかける。

「指揮官階級は集結しなさい。」

“幻想龍”のいる場所に集まる黒衣集、竜、竜人。

ごく短時間の円談の後、一斉に持ち場に戻っていく。

「再編しなさい!作戦を開始します。」

その声に合わせて飛空船からは戦笛や太鼓の音、竜からは咆哮が鳴り響く。

一際大きな音を奏でるのは“聖鐘龍”の持つ白い鐘。

その音は聞いた者の物理的な防御力、再生力を高めると同時に精神的な防御をも施す。

鐘の音に合わせて少しずつ熱気が上がってゆく。

人の姿のまま飛翔した“幻想龍”の声が響き渡る。

「死ぬことは私、“幻想龍”と“世界龍”の名において許されない!

 単身で突撃するな。

 投降した者を無意に傷つけるな。

 少しでも異変を感じたら信号を発せ。良いな!」

ヴオオォーーーーーーー!!!!

地を揺るがすほどの鬨の声があがる。メレイズ王国の国民までもが釣られて歓声を上げる程だ。

「進軍!」

ここにディグロス皇国への『最強国家』エンデアによる侵攻が始まった。



少年カーリエン・フォーゲルは朝起きると、前日の国の触れ通りに教会へと向かう。

『竜の国が我が国へ侵攻を開始している。

 我が国では女子供を城の倉に集めることで安全を確保し、十二歳以上の男子は教会で武器を受け取り我が国の防衛に参加すること。』

そこではいつも教訓をしている神父さんが並んだ男達に武器を配っている。

カーリエンもその列に加わり、自分には少し大きな剣を受け取った。

竜の国が攻めてくる。

その国はこの皇国とは別の大陸にあって、隣接するメレイズ王国を支配下に置いてこの国へ宣戦布告したのだと言う。

この国の『竜殺しの騎士団ドラゴンスレイヤーズ』の防衛によって第一次侵攻は事前に防がれたが、今回は大量の兵を送り込んでくるらしい。国土防衛には兵士の数が足りず、国の男子は十二歳以上が徴兵された。

なんでもそこの国の竜は人間の姿になって人に紛れているらしい。見知らぬ人がいたらすぐに兵に知らせること、という触れも同時に出されていた。

「俺らも頑張ってこの国を守ろうぜ。」

そう話すのは友達のワノー。同年代の子供がこの広場に何人も集まっている。

カーリエンは城の方に避難した妹と母親のことを考える。

父親はもっと国境に近い最前線の方へ駆り出されている。

剣のつかを握っている手が震えているのがわかった。

『この剣で誰かを斬って、殺すことになるんだろうか。でもそれは攻めてきた相手がいけないんだ。俺はこの国を守るためにそうするんだ。』そう自分に言い聞かせる。

俺たちがここで侵攻を食い止めていれば竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーが戦況をひっくり返してくれる。

そう信じて少年は細い脚で大地を踏みしめた。

どれほど時間が経っただろうか。子供達はみんな剣を置いて座り込んでいる。中には笑って話をしている奴もいるほどだ。だがカーリエンはそんな気になれなかった。『これから命の奪い合いをするんだぞ。』底知れぬ恐怖がヒタヒタと迫って来ていた。

昼になろうと言う時、竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーの一人が前線から城の方に飛んでいくのが見えた。

情報が伝達されてきたのだろう。そのすぐ後にこの辺りの指揮を担っている神父さんが声を張り上げる。

「くるぞ!準備しろ!」

皆が立ち上がって剣を握る。

遙か向こうのほうにある国境の方に目を向けていると、空に点が少しづつ出来ていくのが見えた。

それはゆっくりと大きくなり、その姿を完全に見せる。

「竜だ!」

分かりきったことだったが、誰かがそう大きく声を上げる。

何百という竜が横に広がって飛んでいる。

カーリエンは持っていた剣を抜き放ち、両手でそれを構える。皆がそれを真似して剣を構えていく。

空を飛ぶ竜に人間が持つ剣でどのように攻撃するのかなど、今頭からはすっかり抜け落ちていた。

竜の姿が十分に大きくなり、一匹一匹の色まで確認できるようになった頃、突如として竜の集団の中から白い竜が飛び出す。

そして、その竜が吼えた。

圧倒的な恐怖。その場にいる全員に圧倒的な質量を持ってそれが襲いかかる。

その竜からかなり離れたこの場所でも、その咆哮は問題なく作用した。

目の前が真っ暗になる。

脚はその機能を失って身体を大地に落とす。

腕から剣が抜け落ちて離れていくのが薄れゆく感覚の中でわかる。

カーリエンはその意識を失った。


何度も何度も白い竜の咆哮が皇国中を吹き荒れる。

それは強者と弱者の選別の咆哮。大多数の人間がその場で恐慌状態となり、逃げ惑うことを余儀なくされる。

それに続けて後続の竜から放たれる炎や冷気、光線の砲。それは無造作に建物や地形を消しとばしていく。その途中にある小さな命など意に介さない。

教会の真上でひとりの竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーが竜に立ち向かう。なんとか選別の咆哮を耐えていたようだ。

「死ねぃ!竜ども!」

罵声と共に放たれた槍は真っ直ぐに一番近い竜に向かっていく。

そして、その竜の鱗に当たる前に弾かれた。槍は竜の鱗を貫かない。いや、貫けない。

槍が鱗に触れそうになるたびに輝く竜の胸にある金属のプレート。それが槍の力を打ち消し弾き落としているようだった。

槍を見た竜は間をとって先ほどとは違う咆哮を上げる。警報のような尖った音だ。それはよくこの谷の地形に響き渡った。

それを受けて現れたのは黒いローブを纏う者。

人間のような格好だが、確実に竜の国の人物だ。ローブの手の部分からは紫色の巨大なはさみが伸びていた。

「なるほど、その槍か。」

そんな簡単な言葉と共に振るわれるその刃物。

その鋏は簡単に竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーと槍を同時に真っ二つに切り裂いた。空中での出来事。辺りに鮮血が飛び散る。

「再開せよ。」

それは単なる作業だと言わんばかりに飛び去る紫色の巨大な鋏の男。

切られた竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーの遺体は教会の屋根に引っかかった。二つに切られた槍は教会の前の広場、倒れている少年の前に落下する。


カーリエンは喧騒の後の静けさのような異様な雰囲気に目を覚ます。そして目の前の惨状を目の当たりにした。

あらゆる建物がそこに何もなかったかのように消し飛んでいる。所々に瓦礫のようなものが散らばっているだけだ。

周囲には友達や集まっていた仲間だったものが無造作に置かれている。どれひとつとして人間の形を保っていない。

目の前に大きく焼けた爛れた道ができている。石さえも炭化して黒くなっている。

自分はなぜ無傷でここに横たわっていたのだろうか。

最初の白い竜の咆哮で倒れたことだけは覚えていた。あらゆる偶然と奇跡が重なって、彼の命は生かされていた。

コツンと何かが靴に触れる。短剣にしては持ち手が長すぎる。その棒を拾い上げる。

どこかで見た形状だ。そしてもうひとつコツンと靴に当たるもの。それはただの柄。

カーリエンは両手の棒を見比べる。ちょうどピッタリと切り口が揃っている。

「これ、竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーの槍だ。」

そう気づくのに時間は掛からなかった。

そして次に思い出すのは妹と母親。

城の方を見ると、火は出ているものの建物が崩れていない。そちらの方では何やら金属を打ち合う音も聞こえる。

「まだ城は落ちていない!」

カーリエンは刃のついている方の棒を握って走り出した。なぜか空に竜の姿は見えない。


破壊され尽くした平地を抜けてやっと建物が残っている場所までやってきた。

敵がいるかもしれない。見つからないよう姿勢を低くして走る。

市民にあらかじめ伝えられた城への避難経路。その洞窟を走る。走る。その道の先は城の倉庫。本来はここに妹や母がいるはずだ。

たどり着いた倉庫には全く人影がない。かと言って血が飛び散っていると言うような惨状は見られない。

「みんな移動したのか!?」

周囲を見回すと、一箇所から光が漏れている。

この倉庫の本来の入り口が大きく開け放たれていた。その向こうからは炎の揺らめきと怒号が聞こえる。その扉の向こうに向かって歩く。

そこは、戦場だった。

多くの竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーと剣を持った男たち、それに鎧を着ている城の親衛隊が黒い服の敵と戦っている。

黒い服は十人ほどしかいないが、人間は劣勢だった。黒服一人に五、六人で囲んで掛かっているが、その戦力は圧倒的。

一番近くの黒服は手に白い鐘を持っている。それを切り掛かってきた人間の前で打ち振ると、そこら発生した衝撃で人間が土塊のように崩れ去った。

次に紫の鋏を持った黒服。目の前にいた竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーをその向こうにあった柱ごと切り裂いた。

少しづつ竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーの人数が減っていく。

城の奥の方から次々と親衛隊や武器を持った男が出てくるが、竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーのように黒服の歩みを止めることすらできていない。数秒の時間稼ぎの為の肉壁だ。

その場に立ち尽くすカーリエンのことなど気にも止めず、黒服たちは人間を斬り伏せながらどんどん城の奥へと歩みを進めていく。

奥から歓声が上がった。姿を現したのは親衛隊を率いた五仙。

今は剣使いの一仙が欠けて四人だが、この国の最高戦力だ。

その後ろからは国主である皇と仙匠様が姿を現した。カーリエンもその二人の顔は豊穣祭の時に一度だけ壇上にいたので覚えている。


五仙、それは人の身でありながら人の域を超えたもの。

竜殺しの騎士ドラゴンスレイヤーの持つ槍を上回る威力を誇る特殊な武器を使いこなし、単身で複数の竜を相手にできると言う。

先日の一件で“剣”が欠けたものの、まだ“槍”、“盾”、“鎌”、“斧”が残っている。


黒服の動きが変わった。歩みを止め、取り囲むように半円状に展開して様子を伺う。

「待機。」

黒服達の方から声がかかる。透き通るような女の人の声だ。

姿を現したのは黒服一人を引き連れた薄い水色のローブの女性。ベールを被っていて顔はしっかりと見えないが、相当な美人だということがカーリエンからも分かった。

「備えろ。あの老人が【原初の言葉オリジンズ・スペル】使用者だ。

 前の四人にはディース、ホロイ、モノン、プロフェルが掛かれ。捕縛は私がやる。」

名前を呼ばれたであろう四人の黒服が前に出る。


武器を前にして有利があると踏んだのだろう。盾の仙が紫の大鋏の黒服の前に進み出る。

白い鐘には“斧”が。水色の服の女性と共にやってきた黒服には“槍”が、残った一人には“鎌”が。

一番はじめに動いたのは槍だ。

相手は丸腰、リーチの差を生かそうとそのまま突きを繰り出す。そして、崩れ落ちた。

それを一瞥した黒服は女性を援護せんとそのまま歩く。

それに錯乱したのは他の仙だ。攻撃をされた様子は無いが、何もできずに同僚が下されたのだ。

その隙を黒服は逃さない。

白い鐘の黒服はそのまま歩いて掌を“斧”に向ける。白い閃光が走り、人間の身体が吹き飛ぶ。閃光を受けた胸部から崩壊しながら。

紫の鋏が大きく開かれ“盾”に襲いかかる。しっかりと腰を落として万全の体制で“盾”はそれを防ごうとする。うまくいけばそのまま押し込んで体勢を崩すことを考える。

だがその願いは叶わなかった。まるで紙を切る本来の鋏の目的を達成するが如く、その盾は切り裂かれる。

「意外と文字が多いのですかな。」

その鋏の黒服が言う言葉をカーリエンは理解することができない。

再度鋏が大きく開かれ、盾の仙は絶命した。

最後は鎌を携えた仙。大きく振りかぶって、その大きな刃で黒服の命を刈り取らんとする。

急にその仙の身体が真横に落ちた・・・。そう表現するしかない動き。まるで重力の向きが変わったようだった。そのまま壁に激突し、うめき声と共に鎌を取り落とす。

小さく黒服の手が動いているのがわかる。その動きに合わせて鎌の仙が縦横に振り回されていく。

「操作に対する耐性は持っていないみたいー。」

この場に似合わない子供のような若い声がする。

「じゃ、ありがとー。」

『(実験台になってくれて)ありがとう。』そんな友達感覚のような声を最後に、鎌の仙はその場に落ちる。気を失ったのか、その命を落としたのかもうピクリとも動かなかった。

周囲の親衛隊も次々と倒されていく。物を倒すが如き手軽さで皇と仙匠を守る者はいなくなっていった。

「仙匠とやら、汝が力は如何にして手に入れた?」

いつのまにか仙匠の前に立っていた女性から鋭い声が飛ぶ。

「ワシの力はワシのもの。」

仙匠は折れない。

「そうか。」

さらに歩いて近づく女性。あと一歩と迫ったところで仙匠が動く。

組んでいた両手から短剣を取り出して正面で構える。

「死ね!」

その体格差から刃が刺さった場所は女性の腹部だ。

仙匠と皇の顔が明るくなる。

三つの文字トリプルスペルの刃だ。抗える訳が無い!」

「よくやった!仙匠よ!」

だがそこに、無情な女性の声が響く。

「所詮はその程度よな。」

その声に女性を見上げる仙匠。

確実に刃は突き刺さったはず。その目はゆっくりと自分が刺したはずの短剣へと向く。

その目に浮かぶのは困惑。

女性の腹部に刃は刺さっている。だがそこにあったのは不思議な光景。

刺された箇所の周囲が半透明に変化していたのだ。突き刺さった刃が切っ先までしっかりと見える。出血はなく、損害を与えた様子もない。

「“幻想の箱庭イリアル・プリズン”。」

女性がそう声を発して手を仙匠に翳す。そして、仙匠が消えた。

突然の展開に誰一人として声が出ない。

皇はもちろん『なぜ攻撃が通っていないのか、なぜ仙匠が姿を消したのか』と言うことで頭がいっぱいだ。

カーリエンもその現象が理解できていない。

黒服もまたその場に止まったままだ。

女性は自分の腹部に突き刺さった短剣をゆっくりと抜き、それをまじまじと見る。

複雑な彫刻の施された柄に鍔。刃にも何やら紋章が刻まれている。

「人間の造りではないわね。やはり裏に神域がいたか。」

そう呟いてその女性は短剣を無造作に投げる。

それは地面に落ちることなく、仙匠のように空中でかき消えた。

「囚われた竜人と竜を探しなさい。地下があるようです。」

それだけ言うと、皇には目もくれずにその女性は踵を返す。

「後はおまかせください。」

黒服の一人が頭を下げる。

その場に残ったのは静寂。女性の立ち去っていく靴の音だけが小さく響く。

「おや、人間の子供がいたか。」

その声にカーリエンは我を取り戻す。その声が自分に向けられたものであることを察する。瞬時に恐怖に崩れ落ちて手に持っていた槍の半分も取り落とす。

ここで槍を落としたことが、この少年の命を救う。

「武装を放棄したようだ。ならば殺さずとも良かろう。」

「思うに武装した人間が多かった気がするよねぇー。

 何もせずに投降すれば危害加えないのに。」

そう、この国での惨殺の原因は子供を含めてほぼ全てが武装していたことにある。

例え女子供でも武器を所持していたら殺せ、という命が出ていたのだ。

「ほいっ!」

黒服がそう言って指を皇に向けて振り下ろす。

「ぐあっ!?」

そんな声と共に皇はその場に叩きつけられる。

その横を抜けて何人かの黒服と後続の武装した竜人が次々と奥に走っていく。

「地下か。“黒竜”が捕らえられていると言う情報は真実なのか?」

残った黒服は周囲を確認しながらもそう仲間に声をかける。

「分からん。話によると先祖返りリバーションらしいからな。」

「この大陸で消息を絶っていることは間違いないが…本国でも正確に感知できていないらしい。」

「“世界龍”様であればご存じなんじゃなーい?」

何人かの黒服が倒した仙の体を確認し隠されていた武器を見つけ出す。

「ほぉ、こんなものにまで。」

「なんかこの人間達だけ武装がしっかりしてるよね。」

「見ろ、服にもだ。文字数は多いが細かく付与されておるな。」

突如として鐘の音が鳴り響く。

「この鐘は…鎮魂鐘?ホロイよな。」

「まさか!?」

慌ただしくなる黒服達。

カーリエンは薄れゆく意識の中で黒服達の声を聞いた。

「最悪だ。

 捕らえられていた三百二の竜人族と八の竜が拷問の末に殺されていた。数日前だな。」

「宣戦布告の時と重なるか?」

「うん。“世界龍”様をお呼びする?」

「無理だろう。それだけ時間が経ってしまっていれば。」

「こちらは捕虜交換を申し出たのにな。

 所詮は人間の国よ。やはり全て滅ぼしてしまうのが最適なのではないか?」



エンデアの謁見場、その巨大な広間に大小数多の棺桶が並んでいる。一つ一つ精巧に彫り込まれた木の棺に、エンデアの国旗がかけられている。

その数三百十。小さいものが三百二、大きいものが八。

ディグロス皇国に捕らえられ、数週間に及ぶ拷問の末に命を奪われた竜人族と竜の亡骸だ。

切り傷、打ち傷、焼かれた痕。中には鱗を全て剥ぎ取られた者もいた。

竜人の再生力を利用して永遠に切り刻むことができる回転刃にかけられた者もいる。

竜は鱗ごと四角く切り裂かれて盾に加工されたりしている。

竜人の中で人間に容姿が近い女は小さな子供までもが慰み者にされ、磔にされていた。

どれだけ叫んで本国エンデアからの救援を待ち望んだことだろうか。

いつかは龍が助けに来てくれる、そう信じて想像を絶する拷問に耐え続けたに違いない。

「申し訳ありません。私の責任です。」

“幻想龍”は隣に立つ“世界龍”に向けて跪く。

「如何様な御処分でも受け入れます。」

「立て。これは私の采配不足だ。

 隠蔽の【原初の言葉オリジンズ・スペル】が人間に扱えぬと思い込んでいた私の、な。」

「しかし…。」

「大過去は変えられん。かくなる上は元凶を滅すしかあるまい。」

“幻想龍”が立ち上がり、二龍は並んで歩き出す。

両側に連なって鎮座する棺桶に目をやりながら“幻想龍”は聞く。

「神域存在が判明したのですか。」

「ああ、ご丁寧に二つの文字ダブルスペルで情報が秘匿してあった。

 まあ、こちらは【・開・】を使ったから問題ないがな。」

「どう対処致しますか?所在が分かれば黒衣集を送れますが。」

「いや、これは私が個人的に動く。半分私怨なのでな。

 イリアルはウォルのところに戻るといい。【原初の言葉オリジンズ・スペル】を教えてやるのもいいかもしれないな。」

“幻想龍”が思う以上に“世界龍”は怒りに震えていた。

その神域存在は人間にその力を分け与えるだけでなく竜や竜人の拷問に同席してその効果を確かめていたのだ。小さな竜の娘を笑いながらいたぶるその様子が捕らえた仙匠の記憶から映し出されていた。

『まるであの時の再来ではないか。今回もまた私は何もできなかった。このままでは…。』

強く握り締められた“世界龍”の拳から、自分の爪で傷つけられて血が滴り落ちた。

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