16.幻想龍の見舞と意外。
ウォルがエンデアにやってきて三週間が経っていた。それはウォルの母がエンデアの医療都市で治療を始めて三週間が経ったことを意味する。
医療都市メルアは首都の南に位置し、周囲を森に囲まれた独立都市。
“癒龍”が率いる医療チームが運営し、エンデア中の病気の患者が集められ集中治療を受けている。あらゆる手段を用いた治療が可能で、その技術力は人間の国の医療の三百年先を行くと言われているほどだ。
外見は巨大なシャボン玉に覆われた白い建築。都市全体が一つの建物のようになっていて、複数の区画に分割されて運用が行われている。
そこに行くには首都から伸びる専用の街道を利用するか、飛空車を使う必要がある。
そんな医療都市の離着陸場に二隻の飛空車が到着する。
前の一隻は扉に竜人族を象徴する紋章が描かれており、後ろの一隻には大きくエンデアの紋章がある。それぞれから降り立ったのはウォルの叔父アクストと“幻想龍”イリアル。
“幻想龍”が先行し、アクストが斜め後ろをついて歩く。
周囲は多くの木が生えているというのに落ち葉ひとつない純白の歩道。それはこのメルアの清潔さを端的に表しているかのようだった。
二人が巨大な扉から医療都市メルアに入ると、白衣を着た集団が整列して出迎える。
「医療都市メルアへようこそ。
翼を飛ばしていただきありがとうございます。“幻想龍”様。」
一番先頭で挨拶をしたのは“癒龍”ハイレクルア。
「ご苦労様。まずは兼ねてから話しておいたところに案内していただいてもいいかしら?
その後に視察をしていくわ。」
「はい。こちらでございます。」
今回“幻想龍”がここを訪れたのには二つの目的がある。一つ目は療養中でやっと会話ができるようになったウォルの母の見舞い。二つ目は『仙天楼の五龍』としてのメルアの視察だ。
“癒龍”に案内されて向かったのは医療都市唯一の別棟。そこは先ほどの本館とは別の強固な障壁が張られ、龍の侵入すら許さない揺籠。
入口は手前に張り出していて、三重扉になっている。ひとつ目の扉を開けて中に入る三人。
そこでアクストは“癒龍”の手から紐付きの
「これを首から下げてください。
竜力を吸収することで空間への竜力の放出を防ぎます。」
アクストがプレートを受け取って首から下げると、放っていた竜力の圧が消える。
「はじめに遮断室にお願いします。」
もう一つの扉を開けて一歩中に入る三人。
「それでは、竜力を遮断します。
三、二、一、はい、大丈夫です。」
“癒龍”は前の扉を開ける。そこには白い廊下が広がっていた。
さらに進み、三人は階段を上がって二階の小部屋にたどり着く。
「こちらです。」
“癒龍”が開けた扉の先に“幻想龍”とアクストは進む。
そこにはベッドが一つ。そこにいたのはウォルの母親。
上半身を起こして飲み物を飲んでいる。
「こんにちは。私を覚えているかしら。」
“幻想龍”はそう話しかける。
声をかけられるまで来客があったことに気づいていないようだったが、その声を発した女性をまじまじと見て、過去の記憶から“幻想龍”のことを引っ張り出してきたようだ。
「ええ。私からウォルを奪った人、いえ、私の一番の過ちを指摘して下さった人ね。」
「あの時はごめんなさいな。
私も気が動転していて強硬な手段しか取れなかった。」
「いいえ、寧ろそうしてくれてありがたかった。」
ゆっくりと首を横に振りながら、ウォルの母は飲んでいたコップをそばの机に置いて“幻想龍”にしっかりと向き合う。
「今、ウォルは元気にしているのかしら。」
彼女の質問に答えるように、“幻想龍”は小さな水晶球を取り出した。
それをベッドの端に静かに置く。
映し出されたのは何人もの友達に囲まれて食事をするウォル。その顔は母が見たどんな笑顔よりも輝いて見えた。
ウォルの母の瞳から涙が流れ出す。それを拭こうともせずに彼女はその映像を見続けていた。
「ありがとう、ありがとう。貴女に任せておけば大丈夫ね。」
映像が終わった時、彼女の目には安堵があった。
「その水晶球はいつでも見れるように、ここに置いていくから。
一度触れれば映像が再生できるわ。」
彼女はその水晶球をベッドの上から拾い上げて大事そうに抱える。自分の持つ娘との記憶まで忘れないようにその水晶球にしまっているかのようだった。
彼女が落ち着いた頃合いを見計らって、“幻想龍”が後ろの竜人を紹介する。
「こんにちは。ラウストの兄、アクストです。」
「ああ、貴方があの人のお兄さんね。
話はいつも聞いていました。強くて優しい尊敬する兄だといつも話していましたよ。」
「それは恐縮です。」
アクストは苦笑いをする。自分の知っている弟とは似てもつかぬ様子だったからだ。
エンデアにいた頃は自分よりも竜力が少なく模擬戦で負けてばかりの弟を散々馬鹿にしていた。結局その姿勢を崩さぬまま人間の国に旅立ってしまったのだ。
「そういえば、こちらの方ではあの人がどうしているかはわからないのですか?
この国には遥かな力を持つ方々がいらっしゃると聞きましたが。」
「申し訳ありません。こちらでもその動向を把握できていないのです。
一定期間は追跡できたのですが、ある国でその消息がきっぱりと断たれています。」
その言葉に彼女の目の色が曇る。
「命を失ったわけではないのですか。」
「それについてはまた別の追跡方法があります。
それによると、多少変質しているようですがその命は失われていません。」
その言葉を聞いて彼女は胸を撫で下ろす。
「そう、なら、よかったわ。」
ひとつ話が終わっても帰ろうとしない二人に、ウォルの母は首をかしげる。
「おや、まだお話が?」
「ええ、かなり衝撃的な話かもしれませんが、今お話ししましょう。ハイレクルア。」
“幻想龍”の指示で後ろに控えていた“癒龍”が進み出る。
「はい。
こんにちは。私はここの館長をしています、ハイレクルアという龍です。
これからあなたにお伝えするのはご持病のことです。」
そこまで言って、“癒龍”はカルテを取り出す。
「端的に申しますと、あなたは『竜力過蓄症候群』通称『竜力症』です。
これは長時間竜や竜人の発する竜力を浴び続けた時、それが体内から排出できずに蓄積して各種の重度症状を引き起こすものです。」
言われた言葉をゆっくりと噛み砕いて理解していく彼女。
「という事は、私はあの人やウォルと一緒にいた事で起きた病だというのですか。」
やっと理解した現実はなんとも無情なものだった。
「残念ながらそうです。
人間族の十人に一人が先天的に持つ病で、その治療法はまだ完全に確立されていません。
薬の投与でその症状を緩和する事はできますが、後は今後浴びる竜力を軽減することが一番の治療法になってしまっています。」
「どれほどの量を浴びると発症するのですか?もう私はウォルに会えないんでしょうか。」
身を乗り出して今最も知りたいことを聞く。
「量については個人差があります。
あなたの場合は計測値で三百が限界のようです。今もアクスト将軍には竜力の放出を遮断するプレートをつけてもらっています。我々龍は龍力を完全に体内に止めることができますのでこのように振る舞えますが、竜や竜人と会う時は気をつけねばなりません。」
そこまで言って、“癒龍”は一度言葉を切る。
「娘さんと会えるかどうかは…その時の回復量と娘さんの竜力値によります。
竜力が強すぎるとこのプレートを受け付けませんので。
今度測定しておきますのでもう少しお待ちください。」
「そう、まだ会えないと決まったわけではないのね。なら私も頑張らないと。」
「あとは、竜力を持つ存在と触れる事のないようにお願いします。
遮断していても触れてしまえば効果がなくなりますので。」
「私の周りの世話をして下さっている方は龍なのですか?」
「龍が一龍と高度な訓練を積んだ竜です。
今は一日の被曝量が百以下に収まるように計算されていますから安心してください。」
「ありがとうございます。お願いします。」
意識はあってもしゃべれないほどに衰弱していた彼女にこれ以上話をさせるのはまずいと“癒龍”は判断する。
「また見舞いに来ます。」
「ありがとうございます。もしできれば、できればでいいのですが、今回のようにウォルの様子が知りたいわ。」
「わかりました。私の方で用意しておきます。」
「それでは。お大事にしてください。」
頭を下げるウォルの母親に挨拶をし、二人はその小部屋を後にする。
遮断室を通過し、プレートを“癒龍”に返却したアクストは“幻想龍”に向き合う。
「“幻想龍”様、お声がけ頂きありがとうございます。
兄の大事にしていた
「いいのよ。貴方が最初にウォルの元へ駆けつけていなかったら今頃どうなっていたことか。私から改めて礼を言うわ。」
「はっ、ありがとうございます。
すみません、任務がありますのでこれで私は首都の方に戻ります。
では、お先に失礼します。」
「はい、おつかれさま。」
アクストは踵を返して一人で飛空車の方に戻る。
その場に残った二龍はアクストと逆の本棟内部へと続く道への歩き出す。
『竜力過蓄症候群』通称『竜力症』。
それは二百年ほど前に初めてその存在が確認された、龍、竜、竜人族以外が持つ先天性の病。中でも人間の保持確率が異様に高く、その確率は他の種族を十倍以上上回る一割。にも関わらず治療法の研究はこのエンデアでしか行われておらず、他の国では原因不明の致死病として恐れられている。とはいえこのエンデアでも、この病の治療法といえば蓄積された竜力の排出を促し諸症状を緩和する薬が存在するのみ。その他にできることといえばこの別棟のように竜力を完全に遮断する施設を作ることだけだ。
この別棟にはエンデアに保護されたさまざまな種族の竜力症を発症した患者が入院していた。ちなみに抗体や新薬の研究が今も幻想楼の
「経過的な容態はどうなのかしら。」
「かなり安定してきています。
こちらに運び込まれた時はなぜ生きているのか不思議なほどの重症でしたが、今は危険値の
「それは良かったわ。うちのルーが抗体の実験段階に入ったと言っていたから、竜力症自体の治療がもう少しでかなりラクになるわ。」
「おお、そうなのですか!それはとてもありがたいです。」
“癒龍”と喋りながら“幻想龍”が別棟の次に向かったのは、先天的な病気を抱える患者のいる一階。
一番最初に脱鱗症や逆鱗症と言った、鱗に関する病状がある竜達が療養している区画 ー 人間族でいうところの皮膚病の病棟 ー に行く。
“幻想龍”は新薬の開発や病状の解析を行う幻想楼の長として、定期的にここに視察に来ているのだ。
「あら、何人か看護師が増えたわね。」
「はい、私の舎から何人かここに来てくれまして。とても助かっています。」
怪我や病気をしても
その中でも大多数が適切な治療を経てすぐにまたここを退院していく。
人生ならぬ竜生の最後を看取る施設というよりも、治療する施設という意味合いが強いのだ。
“幻想龍”は道なりにさまざまな区画を見て回る。
そして最上階は治験区画。
ここではあえて治療をせずにその経過を観察している患者や、新薬を同意書への署名の元服用している患者がいる。この中の多くは患者自らが医療研究者。中には自ら病原体を注射して経過観察の記録をつけている猛者もいる。
その同意書というのも、退院後に金銭や社会的優遇措置を得られたり、万一の際にも“祈龍”による無条件回復を待たずに受けられるという破格のものだ。
この医療都市全体にも“癒龍”が自身の能力で回復速度向上や空気内病原体の即時死滅などの
全体の視察が終われば今度は最も高度な
“幻想龍”はこれを幻想舎に持ち帰って
結局“幻想龍”が医療都市を離れたのは日が落ちてからになってしまった。
「ごめんなさいね、とても遅くなってしまったわ。」
「いえ、いつもここでの帰りは遅くなりますから。」
飛空車の前で待機していた黒衣集にステアは謝罪を入れる。
今日の担当の四龍はいつも“幻想龍”がエンデア国内を移動する時の警護担当。
ここに来るのも定期的なものであるので勝手がわかっているのだ。
「首都の宮殿に行ってくださいな。」
ステアは飛空車に乗り込み、それを操る黒衣集に指示を出す。
『仙天楼の五龍』専用の飛空車にかかればメルアから首都へなど数分しかかからない。
煌々と光る街の上を凄まじい速度でステアは移動していった。音もなく飛空車が宮殿前の発着場に停まる。
飛空車から降りたステアを待っていたのはホールン。
自らの上司である『筆頭』に気づき、ステアに付き従っていた黒衣集が頭を下げる。
それに片手を上げて応えたホールンは、ステアに声をかけた。
「“幻想龍”様、公務はこれで終わりですか。」
「ありがとう、行ってちょうだい。」
ステアの声に黒衣集達が敬礼して再び飛空車を動かし、宮殿の中の車庫に飛ばしていった。
「ええ、ちょうど今終わったわ。」
振り向き様にそう言うステア。そこから一気に口調が崩れる。
「ちょうどよかった、ステア、飯でも行かないか?」
「あら、いいわね。」
ここからは“幻想龍”と黒衣集ではなく姉弟の関係だ。
二龍は連れ立って首都の中を歩いていく。
「そういえばあなたこの後任務時間では無くて?」
「いや、あと三刻ほどある。ちょうど飛空車が見えたからな。」
「そう、ならいいんだけど。遅れないようにね?」
ホールンは口を結んで軽く頷く。
この人の多い首都で、“幻想龍”と“銀角龍”の組み合わせはとても目立つ。
ホールンは普段羽織っている黒いローブを畳んでしまっているので灰色のローブ姿だ。
その色は煌々と光る首都の灯りをよく反射して白のような見た目をしていた。
その光に注目してみれば、横に“幻想龍”だ。それに気づかぬ訳がない。
「こんばんは!」
「“幻想龍”様ー!“銀角龍”様ー!!」
「ねぇお母さん、“幻想龍”様だよ!」
日が落ちているとはいえ、昼間のような灯りのついた首都ではまだまだ多くの道ゆく人や竜から声をかけられる。
この人の動きは次の日が昇るまで止まらない。エンデアの首都が日の沈まぬ都市と呼ばれる所以だ。
二龍はそういった声に丁寧に応えながら歩いていく。
今ホールンは黒いローブを脱いでいるので、黒衣集ではなく一龍として振る舞っている状態。これが黒いローブをフードまで被っていれば、任務中なのがわかるのであえてみんな話しかけない。そんな暗黙のルールも存在した。
こう言ったこともまた『仙天楼の五龍』と龍の仕事なのだ。国民との溝を作らないよう、積極的に国民と触れ合う。
ただでさえ国民は『仙天楼の五龍』に隔絶とした差を感じている。それが長く続けばいざという時国民が五龍を頼らなくなってしまうのだ。
あくまでも『仙天楼の五龍』はこの龍の国の守護者。それを維持するためにこういったことも続けられているのだ。そのおかげもあって国民のほとんどの五龍や黒衣集に対する意識は頼りになる先駆者程度の認識。もちろん有事の際は畏敬の念を抱えるようだが。
ゆっくりと歩いて二龍が向かったのはホールンが懇意にしている
大通りから少し外れて小綺麗な小道を進んだ先にある。
そこは東洋の料理を中心に提供しているこの国の超有名店だ。開店当初からホールンは通っているが、有名になったのはここ数十年と比較的新しい店。
超大国エンデアにとっても“世界龍”が元いた東洋の大半は未開の地。神力や地脈の流れが大きく異なることから、竜や竜人が出向いての交易などが難しいものになっていた。
この店の
「邪魔するよ。」
そうホールンが声をかけて入ると中からそれを歓迎する威勢の良い声がいくつも飛んできた。
「いらっしゃい!好きなところにお掛けになって!」
ホールンを見て声をかけてきたのは隻眼の竜。
その姿は人の形態だが、肩から大きな棘が出ている。
席についたホールンがメニューに見ながらステアに問う。
「ステア、何にする?」
「何が美味しい?」
ホールンは唐突な逆質問を聞いて困った顔をする。
「ここならなんでも美味しいが…確かここに来るのは初めてだったか?」
「ええ、ちょっと歓迎されてるのかよくわからない雰囲気だったから。
このお店があるのは知っていたけど、中々入れなかったのよ」
「はっはっは、確かにそれは言えるかもしれないな。
ふーむ、初めてこの店めで食べるなら…だったらこの鶏丼にするといい。」
「じゃあそれにするわ。」
するとホールンが急に奥に向かって大きな声を張り上げる。
「鶏丼と刺身の定食を!」
「へい!」
突然ホールンが叫んだのでステアはびっくりしてしまった。
「そういうふうに頼むの!?
「
「不思議なお店ね…。」
この店は東洋の中でも極東の国の料理を中心に出している。
その国は未だに人間族では無く
ステアが不思議な構造をしている店内を観察してしばらく待っていると、料理が運ばれてきた。
「お待ち!鶏丼と…刺身定食。」
料理を運んできた
「ガル、こっちが姉の。」
「おお!そうでしたか。
「貴方、どこかで見たことがあると思ったら、退団式の時に私が褒章を渡したのね。」
「その通りです!その節はありがとうございます。
またお会いできたことを光栄に思います。
せっかくですから冷めないうちにお召し上がりください。」
頭を下げて奥に去っていくガル。
ステアは目の前に運ばれた料理に目を落とす。円形の深い器に蓋が付いている。
「その出っ張りを持って開けるんだ。」
そのホールンの言葉に従って恐る恐る蓋を開けると、鶏肉が卵と煮られて良い色を放っている。スプーンを入れてみると、その下には米があるのが分かった。
「米と肉とを一緒に食べるんだ。米まで味が染み込んでいて美味いぞ。」
そういうホールンは慣れた手つきで茶碗を右手で持ち、箸を操り刺身を口に運ぶところだった。
ステアは一口食べて、その味の奥深さに驚く。それぞれの素材の味が組み合わさって噛むごとに少しづつ味が変化していく。
その美味しさに思わず口の中に掻きこむステア。すぐに完食してしまった。
「これは美味しい!」
「違う、『これ
すぐにホールンの訂正が入る。相当ホールンがこの店に肩入れをしている証拠。
「ここは本当に外れがない。さまざまな料理を食べてみるといい。」
「ねぇ、ホールン、それは何?それもひとつちょうだいな。」
「いいぞ。これは魚の切り身だ。今日の昼に水揚げされたやつをここで捌いているんだ。」
「
「うむ、
ホールンはそう言いつつ、一切れを取って緑の調味料と黒いタレにつけて小皿に乗せて渡してくる。
ステアはフォークでそれを口に入れる。
今まで食べたことのない不思議な味。柔らかな油の甘みが口の中に広がる。その味をなんと表現すればいいかわからなくなってしまった。
だが、特筆すべきは甘さの後にやってくる口の中に鼻に抜けるような辛み。
「この辛いのは!?」
「ああ、それは山葵。この緑のやつ。つけない方が良かったか?」
「絶対つけない方がいい!」
半泣きになりながらそう訴えるステアをホールンは鼻で笑う。
「子供だな。」
「はぁ!?」
「まあでも初めての奴に山葵は早かったか。はっはっは!」
そう言って笑い声を上げて盛大に笑うホールン。ステアは涙目になってそれを睨みつける。
ステアがお茶を飲んでなんとか落ち着いている間に、ホールンが会計を済ませてきた。
この国には『龍はタダ食いして良い』というような決まりはない。その地位や種族は上でも、生活する上でのことは全ての国民が統一されているのだ。
「ごちそうさまでーす。」
先ほどのお返しにと意地悪く感謝する。
「ここならまあ、私が払ってやる。その代わりここじゃない飯は全部ステアの奢りな。」
「他全部!?」
思った以上に辛辣な言葉が帰ってきた。
『次回は私』程度で済むと思っていたらほぼ全て私が払えと言っているようなものではないか。
次からもホールンとの食事は、絶対にここに来て払わせようと決心するステア。
ホールンがこの言葉を忘れるまでにどのくらい時間がかかるだろうか。それまでは他の店の料理はお預けだ。幸にしてこの店は料理の種類が多い。かなり長期間楽しめそうだと算段する。
そしてステアはもうひとつ、ここでの緑色の調味料は絶対に食べない!そう決心した。
「ガル、ご馳走様。」
「ご馳走様です。とても美味しかったわ。また来るからその時はわさび?と言うものが入っていないものでよろしくね。」
「ありがとうございました。またお待ちしております。
サビ抜きの件も、承りました。」
外に出て扉を閉めると、再びホールンが笑い出す。
「はっはっはっは!サビ抜き!!はっはっは!」
「どう言うこと!?」
ステアが慌てて聞くと、ホールンが説明をしてくれた。
「サビ抜きっていうのは全ての料理にあの山葵を入れないようにするってことだ。
山葵が入っているのが普通の、寿司って料理までサビ抜きになるのさ。
その辛さに耐えられない子供が注文する時に同時に『サビ抜きで』と言うんだよ。」
尚もホールンの笑いは止まらない。
ステアにしてみれば何がそんなにおかしいのがすらわからないと言うのに。
二人は小道を抜けて再び大通りを宮殿の方に向かう。
思い出したようにホールンが喋り始めた。
「そうだ、ウォルのことだが…明日の休みにここに来るという話になっている。」
「ええ、ウォル本人から聞いたわよそれ。とても楽しみにしているようだから。
ぜひ拠点で閉じこもって
「なっ!?
「馬鹿じゃないの!?どうせ同じ研究仲間だと思ってるんでしょ!
ウォルはまだ子供なのよ?」
図星を突かれたホールンは嫌な顔をするが、渋々と言った感じで同意した。
「…分かった。今の店にも連れていくことにするよ。円門の外にも連れていくことにする。
それならいいだろう?」
「まぁ、及第点ね。」
一層顔を
「ディースが居るし、なんとかなるだろ。」
「そういう他人任せの客観的なところが惜しいのよ貴方。
せっかくの休みなんだから一緒に楽しまなきゃ。いろんなところに連れて行ってあげて!
ウォルが欲しがった物を買ってあげるといいわ。多分本人は何もいらないと言うから、そうなった場合は正装ローブを選んであげて!」
「分かった分かった。」
本当に分かっているのか分からない空返事を返すホールン。
ステアはこれ以上何か言っても無駄だと悟り、ディースに望みを託すことにする。
「ディースの方にもこの後私が連絡を入れておくわ。あなたたちに任せておくと不安だから。」
「信頼が無い…。」
「当たり前でしょ!小さな女の子をジジイの趣味に付き合わせようとして何が信頼よ。」
そこまでステアが言ったところで、ホールンはあることを思い出す。
「正装ローブ?…正装ローブ!それは買わなくてはいけないな。」
「ほら、やっと思い出した。本人には正式な通知が行くまで言ってはだめよ?」
「わかっている。一番似合う一番良いやつを買ってやろう。」
宮殿前まで戻ってきた二龍。
「それじゃ、私はこのまま楼に跳ぶわ。」
「そうか、ではな。」
手を挙げてホールンに挨拶をし、そのまま消えるステア。能力による
「さて。」
それを見送ったホールンは、独り言を呟いて畳んでしまっていた黒いローブを取り出す。それを羽織ってフードまで被ると、地面を蹴り出して飛ぶ。
少し前に空域守護龍である“霆翼龍”から『遥か南西で中規模の領域侵犯発生』と言う報を受けていた。対応した赤・第一軍・第八師団・第三中隊が予想以上の猛攻を受けて撤退と言う続報も入っている。
「今夜は長くなりそうだな。明日の朝までには帰らなければ。」
ホールンは立て続けに
急激に増したその速度を目で追える者はいないだろう。
夜の任務に向かった『帝国の楯』黒衣集筆頭“銀角龍”は首都の円門を越えて飛んでいく。
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