その5 彼女ロールプレイ

「……」

「えーっと、これは、その、違くて」

「……ほう?」

「た、ただのロールプレイというか……? そう、練習ですよ! ロールプレイの、練習で」


 ほおから離れそうになる寸前で、慌てふためく後輩の手を掴む。こうでもしないと、今朝のように逃げ出してしまいそうだったから。


「お前は、何か大きな勘違いをしているらしいな」

「……へ?」

「この音源をボツにした理由は、さっきのでよくわかったよ。実験と称してぶっ飛んだASMRを聴かせてきた理由もな」

「あの、それは……本当にごめんなさい」


 耳をほんのり赤く染めながらも、後輩の視線は床を彷徨さまよい、その足は生まれたての子鹿のように震えている。普段の生意気っぷりが嘘のようだ。本当に、調子が狂う。


「でもな、丸瀬。お前は3つ、勘違いしてる。1つ、このボツ音源は変ではないかもしれないが、及第点というわけでもない。まず典型的なしりとりはランダムとは言わない」

「あ、本当だ。確かに……」

「2つ、俺が求める睡眠は熟睡。つまり、今回みたいな短時間の、ほぼ気絶とも言える寝落ちはノーカウントだ。……これじゃ、実験が成功したとは言えないんじゃないか?」

「むむ……確かに」


 単純だな、と思った。いつもより素直で簡単に丸め込まれてしまう後輩に、不覚にも笑みがこぼれてしまう。

 気がつけば俺は、こいつに狂わされてばかりいる。


「3つ、俺はこんなことでお前を嫌ったりしない。……というか、別に元々嫌いなわけでもないし」

「……それって、つまり?」


 顔を上げた後輩と再び目が合う。なんだ、真っ赤じゃないか。でも俺だって、人のことを言えるような顔じゃない。


「……言わなくちゃダメか?」

「な、ズルい! 勝手に人のボツ音源聞いておいて……私にだけ恥ずかしい思いさせるなんて反則ですよ!」

「……どうしても?」

「どうしても!」


 この頬の熱がてのひら越しに伝わっていると考えるだけで、既に顔から火が出るほど恥ずかしいというのに。これ以上はダメだ。爆発してしまう。


「……ウザい」

「はい?」

「ウザくてお喋りでお節介でうるさい」

「はぁ!?」

「でも、そんな丸瀬が俺は好きだ! はい、言った!」

「は……え、え!? ……えぇっ!?」


 彼女は大袈裟に2回も驚いて、ついに床へと崩れ落ちた。

 たった2人きりの部室に、夕陽が重なる影を落とした。




 俺たちの関係がほんの少し変わったところで、世界は今日も寸分違わず流れていく。

 結論から言えば、後輩の実験はいまだ終わりが見えない。あれから、ちゃんとしたASMRが届くこともあれば、俺にしか需要のない上級者向けASMRが送られることもある。

 どちらにしろ癒されるようになった今では、後輩がふざけていようが真剣だろうが、寝ようと思えば眠れてしまうのだが。


「だーれだっ!」


 放課後の部室で1人、物思いにふけっているところに現れた乱入者。目をふさがれても、声だけですぐにわかってしまう。

 ナメられたものだ。こっちは毎晩聞かされているというのに。


「正解は……はい! 今日も可愛い後輩ちゃんでしたー!」


 ひらひらと手を振りおどけて見せる後輩の態度は、相変わらずで。


「ハッ、ウザい彼女の間違いだろ」

「誰がウザ……か、かか、彼女」


 でもそこがまた、可愛いと思ってしまった。


「そういえば、あの時は恥ずかしくて聞きそびれたけどさ……何で俺なんだ? 自分で言うのもアレだけど、滅茶苦茶イケメンでもなければ、飛び抜けて勉強が出来るわけでもないのに」

「あれ? 言われてみれば本当ですね。なんでだろう」

「おい、流石に泣くぞ」

「あはは、冗談! 冗談ですって!」


 後輩は、ポケットからそっとイヤホンを取り出す。


「先輩は覚えていないかもしれませんが……入学したばかりの時、私が落としたイヤホンを先輩が踏んで壊しちゃったことがありまして。百均のだし、元から壊れかけだったから何も思わなかったんですけど、あの時の先輩、凄く慌てて何度も謝ってくれて……。それで『今持ち合わせがないから弁償の代わりに』ってくれたのが、このイヤホンで。断ろうと思ったけど、意外と足が速くて、見失っちゃってそのまま。その後に、部活動紹介で先輩を見つけて。それがきっかけです。私が、パソ研に入った……先輩を、好きになった、きっかけ」


 もう一方のポケットから取り出したハンディ扇風機を手に「うわ、恥ずかしー」とはしゃぐ後輩。そんな小さな扇風機で、顔の火照りが隠せると思っているのだろうか。


「覚えてるよ、残念ながら」

「え、嘘」

「嘘じゃない、本当。でもそうか……まさか、それがきっかけとは思わなかったな……。お前って案外、物に釣られるタイプだったんだな、丸瀬」

「ち、違います! そういう先輩は? そっちの方が私からすれば謎なんですけど」

「そんなもん、気がついたらに決まってるだろ」

「あー! ズルいズルい! それは恋人に一番使っちゃいけない卑怯な手ですよ、先輩!」


 ヒートアップしていく場の空気が、ふわりと揺れた。後輩がハンディ扇風機をこちらに向けたのだ。その風に耐えきれず目をつぶる。


「やめろ! 俺はドライアイだ……」


 ——チュッ。


 ぞ、と言いかけた唇に触れる未知の感触。どうしようもなく熱い。しっとりと柔らかくて、物足りなくなる。胸が痛い。なんだ。今、何が起きたんだ。


「ちょ、今のって、キ……」

「フフーン、まんまと騙されましたね、先輩! 残念ですが今のは指ですよ、指! 誤魔化そうとした罰でーす!」


 そう言いながらも顔を一段と赤らめる彼女の手は、イヤホンと扇風機でどちらも塞がっているようにしか見えない。


「……とにかく、明日までにちゃんとした理由を考えておいてください! 徹夜してでも!」


 無意識に、自分の口元を指でなぞる。淡く移るリップの色。その指先には確かに、彼女の唇と同じきらめきが宿っていた。


「困ったな……また、眠れなくなりそうだ」


 たとえ不眠症が治っても、まだまだ後輩は——俺の彼女は、俺を寝かせてくれそうにない。

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不眠症の先輩を眠らせる方法5選 御角 @3kad0

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