第4話ITO派経済学4 ~貨幣の信用とその歴史~

改めて皆さんの思う 貨幣の信用という事について お聞きしたいその貨幣を信用してるの? 貨幣の発行者を信用してるの? 貨幣の受取人を信用してるの? そもそも何を信用してるの?


一般人がそこまで深く考えてるとは思いませんが、マーケットは考えてくるでしょうね。つまり財政をするにしても短期的にはここを超えると為替安に歯止めが掛からなくなるというティッピングポイントがあるはずです。


目安としては3000兆円。日本の個人金融資産、対外債権、外貨準備などを合わせるとそのくらいになる。それが通貨の信任の裏付けでもあると。


ただ、今後財政をやって経済成長やインフレが継続すれば長期的にはティッピングポイントは上振れしていくと思います。これを数式にできないかと模索している所です。


なるほど。貨幣の信用の話をすると、どうしても為替の話になっちゃうんですけど。 仮に日本が江戸時代みたいに鎖国していたとして 外国との取引がほぼ無いとしたら 為替は関係無くなるし、為替レートが政府通貨の信用度を表す指標みたいにはならないと 国民は貨幣をなぜ信用してるんでしょうかね?


貨幣の歴史を振り返ると、それこそメソポタミア文明やギリシア文明。中国では紙幣が生まれたのが元の交鈔。ただなかなか民衆が信用するのは難しく刷り過ぎてはハイパーインフレを繰り返した。現代の貨幣システムも確立されたのは戦後のブレトン・ウッズ体制を経て1972年のニクソン・ショックで

金兌換が廃止され貨幣は本物の紙切れになった。その後は一応は中央銀行の保有する正貨(金・銀財宝や有価証券)が信用の裏付けとなってきたものの、2008年のリーマンショックを契機としたQE(大規模金融緩和)を経て国債を貨幣の信用の裏付けとする時代が始まった訳です。


私は経済学者でもなんでもないズブの素人ですので話半分に聞いて頂きたいのですが。「国債本位制」あるいはMMTなどという議論が出たのはまだ10年かそこらで、実際は現代の人類は人体実験をしながら最適解を模索している所だと思っています。ただ私の父は、経済とは人間の営みそのものである。


経済=人間であるならば、貨幣の信用の裏付けも究極的には人間となると考えております。少々、抽象的で哲学的な答えかもしれませんが。ケインズもそのような思想であったはずです。


「ザイム真理教」の正体はイデオロギーですかね。或いは30年間も間違い続けてきた財務官僚の人生を否定されたくない一種のアイデンティティーへの固執なのか。「感情」というのは観念ではありますが人間を動かす最も根源的なモチベーションでもある。人間は難しい。改めて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る