2. 逮捕推奨
あの後のことは悪夢としか言いようがない。
往来のど真ん中で吐いたせいで、校門まで周囲の生徒がモーセの海割りのように道が開く奇跡が起きていた。俺は伝説になろうとしてるのかもしれない。
もちろん悪い意味で。
「ケ、ケイ君……!」
「ちょっと大丈夫なのアンタ」
そんな中でも綾香と静香が心配そうに付き添ってくれた時は涙が出そうだった。
だが、静香が気を利かせて顔が割れないようにジャージの上着を俺の頭にかぶせてくれたのは世紀の大失策。
ジャージで顔を隠し、両脇に付き添われながら歩く俺の姿はどう見ても逮捕された犯人の構図だったのだ。
絶対に落とさぬよう両手でエチケット袋を前に持っていたせいで、なおさら手錠をしているように見えたんだろう。さぞかし面白い光景だったんだろうくそったれ。
『容疑者確保ォ!』
野次馬の誰かがそう悪ふざけで声を張り上げた時にはもう、全てが手遅れだった。
瞬間、悪ノリに乗ってマスコミのごとく周囲からいっせいにたかれるスマホのフラッシュ。顔を隠すように項垂れることしかできない俺。女子の赤ジャージを頭に羽織って歩く姿は犯罪性を匂わせるには十分すぎた。
その時に撮られた動画は無慈悲にも拡散。当然のようにグループLIMEにも載せられ、クラスでは俺だと特定。おかげで四月にクラス替えをしたばかりなのに、早くも2―Aの恥さらしの烙印を押される羽目に。
そして最悪なことに、俺の名前は『蛙屋啓太』で元々あだ名が『ゲロ太』なのだ。
愛称が一瞬で蔑称に。もうあだ名で呼ばれるだけで、朝の件を連想されるのだから風化しようがない。給食の班で飯がまずくなると名前を呼ぶのを禁じられ、名前を言ってはならない『例のあの人』呼ばわりされた時には流石に死にたくなった。
井の中の蛙大海を知らずというが、俺は胃の中だって知りたくなかった……
「やあ、ゲロリスト君」
「……人をテロリストみたいに言うな」
昼休みの教室。朝に大衆に見せた痴態を一刻も早く記憶から抹消すべく、机に突っ伏していたのに無慈悲に死体撃ちされた。
相沢義弘。クラスメイトの男子で外見は短髪の爽やか美少年。
文武両道で一見すれば非の打ち所がないが、小学校からの腐れ縁である俺から見れば詐欺もいい所だ。本性はただのゲス。でなければ、こんな精神的に打ちのめされている人間を見て、他人の不幸は蜜の味と言わんばかりの笑みを向けるわけがない。
「いやあ、あれはバイオテロでしょ。その後に現行犯逮捕されてたし」
「逮捕されてねえ。ってかお前も見てたのかよ……」
まさか「容疑者確保!」って叫んだのこいつじゃなかろうな……
「たまたまね。まあただ大勢の前で盛大に吐き散らかしただけじゃないか。きっとこれから校門の前を通るたびに今日のことを思い出して悶絶することになるんだろうけど、気にすることないって」
「ぬお、おおおおぉ……!」
フォローしてる風に傷口に全力で塩こすりつけて来るのやめろ。せめて一思いに殺せ。
「でも朝からいきなり吐いたりしてどうしたの? それもわざわざ往来のど真ん中で女子を呼び止めてさ」
そうど真ん中ストレートに疑問を投げられて、思わず見送るように言葉に詰まった。
このはし渡るべからずと看板が書いてあったわけでもないのに、歩道の端にもよらずわざわざ女子の目の前で吐く理由なんて思い当たるわけがない。
人助けですとか正直に言おうものなら、まず精神科に勧められる。実は女子の前で吐く趣味があったとか言えば誤魔化せそうだが、それはそれで通報ものだ。
そんな言い淀んでる俺を見て何か察したのか、義弘の口元が露骨に歪んだ。
「ははーん、もしかしてさ。ゲロ太って噂に聞く悲願者ってやつなんじゃないの?」
ぎくり。
思いつきで言ったんだろうが、義弘の発言は核心をついていた。
『悲願者』
それは俺のような能力者の名称のことだ。
この世界で能力者は人の強い願いから生まれて来る。
例えば木に引っかかった風船を取りたいと思って、ゴムのように腕を伸ばせるようになった小学生もいれば、女湯を覗きたいと願い、透明人間になって無事捕まった犯罪者もいる。
でも願えば誰でも悲願者になれるわけじゃない。
むしろなる確率で言えば本当に低い。県に十人いれば多い方。義弘のようにネットやテレビの中でしか見たことがないのが大半だ。
だから悲願者だと公表すれば一躍有名人は確実。実際、動画投稿サイトで能力を披露する動画を上げて荒稼ぎしてる奴もいる。
だが、俺は自分の能力を誰にも明かす気はなかった。
理由は単純。バレた時のリスクが大きすぎるからだ。
言っちゃなんだが俺の『削り戻り』は悲願者の中でも超ウルトラレア能力。時間干渉系の能力なんて俺以外に聞いたことないし、時を遡れる能力なんて万人に需要がありすぎる。
過去には希少な能力を持った悲願者が海外に拉致されて、政府が一部の悲願者を保護対象にした事例だってある。
宝くじの一等が当たったことを明かしてもろくなことにならないように、ハイエナに群がられて食い物にされるのは俺もごめんなのだ。
ましてや義弘なんて論外。こいつに知られたら一瞬にして全世界にまで広められそうだ。
だからもちろん適当にすっとぼけた。
「んなわけあるか。ってか仮に俺が悲願者だとしてどんな能力だよ」
「そりゃ嘔吐の能力だよ。いつでもどこでも自由に吐ける便利な能力さ」
「どこが便利なんだ。文字通りゴミ能力じゃねえか。そもそも人前で吐きたいなんて願う奴なんていねえよ」
「いやいやそんなことないって。注目を浴びたい時とか、誰かに心配されたい時に吐けたら便利だし。それにあの目の前で吐かれて泣いていた女子とか、後で謝りに行くことを口実にすれば良い出会いのきっかけになって、ワンチャン付き合えるかもしれないじゃん?」
「ざけんな。ワンチャン付き合えるとしても教師の補導くらいだわ」
「第一印象が最悪なのはラブコメでも王道だし、目の前であれやられたらまず君のことを忘れられなくなると思うけど」
「忘れられないんじゃなくてトラウマ刻みつけてるだけだろ。そんな褒めるならお前が気になる女子に向かって……」
勝手に吐いてろ、と喉まで出かかったがすんでのところで思い留まった。真に受けてやらかされでもしたら、俺が教唆犯にされちまう。このポジティブ馬鹿は本当にやりかねん。
そんな危惧した俺の様子にも気付かず、義弘は残念そうにため息を吐いていた。
「あー、僕も出会いがほしいなあ。ゲロ太、誰か可愛い女子紹介してくれない?」
「紹介もなにも綾香とか静香にでも勝手にアタックして来いよ」
こいつも俺と一緒にいた時間が長いから、小学校の時に何度もあの双子とは顔を合わせてる。まあそんな脈ないと思うが、面と向かって女子に嘔吐ぶちかました俺に比べればはるかにチャンスはあるだろう。
……そもそも俺は静香に一度告白してフラれてるしな。
しかし、義弘はマルチ商法を勧めて来る友人を見るような渋い顔を俺に向けた。
「いやあれはちょっと……地雷女は紹介しないでよ」
「はあッ?」
流石に聞き捨てならん。
あのブドウは酸っぱくてまずいと負け惜しみを言うキツネかこいつは。身の程を知れ。
「あんなめちゃくちゃ可愛い超絶美少女姉妹なんてこの世のどこにもいねえだろ。性格はまあ多少難あるけど、そこさえ目をつむれば文句のつけようがねえだろうが」
そう二人の名誉を守るべく断固抗議したが、義弘にはまるで伝わらなかったらしい。むしろ悪徳宗教にすっかり毒された友人に辟易するようなくたびれた顔を浮かべられた。
「いやゲロ太が盲目すぎるだけだってそれ……目をつむるのにも限度があるよ。つむりすぎて永眠するレベルだよあれ」
「なら本当に永眠させてあげようかしら?」
その背後から聞こえた圧のある声に、呆れていた義弘の表情が勢いよく強張った。
俺も思わず息を呑む。いつの間に上級生の教室に侵入したのか、綾香と静香が来ていた。
教室がざわつきだす。
下級生が上級生の教室に入るだけでも目を少し引くのに、人一倍人気のあるこいつらならなおさらだ。そんな空気も意にも介せず相変わらず堂々としているのは流石としか言えない。
「お、お前らなんでここに……」
「いやいやお前らじゃなくて、めちゃくちゃ可愛い超絶美少女姉妹でしょケイ君」
「き、聞いてやがったのか……」
まんざらでもなさそうにニヤつく静香に、恥ずかしさが込み上げてくる。
クソッ、ムキになって誉めるんじゃなかった。
「盗み聞きなんて汚ねえぞ」
「いや吐いたケイ君の方がよっぽど汚いでしょ」
「……」
鬼かな? 血も涙もないのかな?
「それでアンタ。私たちになにか文句があるようだけれど?」
「いやいやないです冗談です。それよりお二人はなぜにわざわざ上級生の教室にお越しになられて?」
綾香の鋭い視線に義弘は引きつった苦笑いで返していた。
迂闊なことを言ったらグーで返されると察したんだろう。頭をパーにして敬語になっている。先輩と後輩の立場がまるで逆である。
「啓太の具合が悪くなってないか確かめに来たのよ。でもその調子なら大丈夫そうね」
綾香が安心したように口元を緩める。心配してくれるのは嬉しいが、お前らが来ると嫌でもクラスでまた朝の話題が再燃するから、できれば来ないでいただきたかったが。
「しっかしアンタほんとに朝からいきなり吐いたりしてどうしたの? それもわざわざ往来のど真ん中で女子生徒を呼び止めてさ」
「勘弁してくれ……」
その流れはさっきやったんだよ。どんだけ人が吐いた話を掘り下げるんだ。埋葬させろ。
「でもお姉ちゃん。あんな奇行をシラフでする人いるのかな……? もしかしてケイ君。私たちがバスでぐったりしていた時にこっそりお酒を飲んでたんじゃ……」
冤罪もやめろ。
確かにそれなら朝の奇行を『削り戻り』の件抜きで説明できるけど、それはそれで未成年飲酒で大問題になるだろうが。オーバーキルする気か。
静香が変に怪しんだせいでただでさえ集中していたクラスメイトの視線がさらに鋭い。まさに針のむしろ。変な噂が教師陣の耳に入る前に早いとこ弁明せねば。
「ち、ちげえよ。急に具合が悪くなっただけだ。もしかしたら前に頭打った時に、後遺症でも残っていたのかもな」
しかし、そう反射的に言い返した瞬間、一瞬にして場の空気が静まり返った。
やべっと、口を塞いだが時既に遅し。義弘は苦笑し、静香の表情は凍り付き、綾香には冷めた眼差しで睨みつけられていた。
氷河期到来。野次馬と化していたクラスメイトたちも、その異様な空気に呑まれるように口を閉ざしている。俺も息が詰まりそうだ。
「それ……本当なの?」
「あ、いや冗談……」
「なら二度と言わないで。思い出したくないから」
そう綾香にマジトーンで注意されてガチでへこんだ。
……迂闊に触れるんじゃなかった。
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