1. 腐り果てた姉妹の時限爆弾

 俺には普段から必ず持ち歩く物がある。


 それはエチケット袋。遠足のしおりとかでよく見る嘔吐用の袋のことだ。

 もっとも遠足でもないのに護身用のごとく持ち歩いてるのは、まず俺ぐらいだろうな。


「う、うぅ、気持ち悪い……」


 そして早速出番のようだ。

 五月下旬。春とも夏ともはっきり言えない微妙な時期。


 俺の住んでいる羽木山市は山々が連なる地方にあり、自宅から学校まで遠い生徒は通学時に路線バスを利用することが多い。


 かくいう俺もその一人なんだが、バスの車体がオンボロで荒れた道をよく通るせいで、乗り心地は最低。たまに見せる大揺れはまるでベーリング海のカニ漁の気分。


 俺は酔いに強い方だから平気だったが、両隣の席では既に二人の制服姿の少女がダウンしていた。


「も、もう嫌。誰か……バス爆発させて……」

「ダ、ダメお姉ちゃん。私たちまで死んじゃう。せめて人いなくなってから決行しよ……」


 ダメなのはお前らだ。

 バス酔いごときでテロリストになろうとする二人にため息をつく。


 宮本綾香と静香。俺と同じ羽木山市に住んでいる中一の双子姉妹だ。

 一卵性双生児で顔も体型も瓜二つ。髪形や口調を揃えられたら外見からじゃ見分けがまったくつかない。


 俺が小三の時からの付き合いで今年から一緒に登校するようになったんだが、まさかここまでの醜態を晒されるとは思わなかった。なにもこんなバス酔いに弱いとこまでそっくりにならんでも。


「お姉ちゃん。なにか気分良くなる薬ない……? ドラッグでもなんでもいいから……」

「聞く前から勝手に私のバッグ漁ってんじゃないわよ……ってか今にも吐きそうなのに中を覗き込むな。暴発しそうで怖い……おえっ」

「頼むから黙ってくれ……」


 酔ってもないのに俺まで頭が痛くなって来た。


 ドラッグとか爆発とか物騒な妄言のたまうせいで、さっきから前の乗客が顔を見合わせてひそひそと呟き合っている。完全に不審者扱いだ。このままじゃ通報されかねん。


「……悪いけど別の席に行くぞ」


 だから当然のように決壊寸前のヘドロダムから俺は避難しようとしたが……


「ゴェッ!」


 共に心中せよと言わんばかりに、亡者のごとく両腕をつかまれて席に沈められた。


「な、なにすんだよ。肩が外れるかと思ったわ!」

「見捨てる気……?」


 サイドテールを揺らしながら綾香がギロリと睨む。

 流れるような黒髪に整った顔立ち。その鋭い眼差しにはいつも気圧される。


 綾香は双子の姉の方で、俺の一つ下とは思えないくらい気が強い。というか腕っ節も強い。

 今は既にやめてるが、小学校の時に空手の全国大会を連覇した経験もある。その気になれば素手でバスの窓ガラスだって割れるだろう。


 そんなおっかねえ奴がバス酔いでここまで弱るのだから、人間よくわからんものである。


「見捨てなくても見殺しにしかできんわ。ほら情けで俺のエチケット袋は渡しておくから、限界近くなったら素直に吐いとけよ」

「は、薄情者……」


 ぐったりと綾香がうつむく。頼むから吐くのはその捨て台詞だけで済ましてくれよ。


「ケイ君……お願いだから一緒にいて?」


 すると、今度は左隣から静香に上目遣いで頼まれた。

 こっちの妹の方は髪を束ねず肩までストレートに伸ばしている。綾香に比べて眼差しは突き刺すというよりかは自由奔放的。容姿に関しては本当にそっくりなので以下割愛。


 普段からことあるごとにVサインを見せてくるお調子者なんだが、こっちも酔ってるせいか比較的大人しかった。名前通り静かだ。


「だから俺がいてもどうしようもないだろ」

「でもお姉ちゃんが一緒にいてほしそうにしてるし……」

「俺は一緒にいたくない」

「でもお姉ちゃんが一緒にいてほしそうにしてるし……」 


『はい』を選ぶまで会話がループするNPCかこいつは。

 静香のお姉様のお言葉は全てに優先すると言わんばかりの姉至上主義は相変わらずだ。まさに姉狂い。姉思いの範疇で収まってくれ。


「それにもし私かお姉ちゃんが吐いちゃっても、ケイ君が間にいれば遮蔽物になって見えないから、誘発して吐くリスクを無くせるじゃん?」

「じゃん? じゃねえ。俺からは見えるだろうが。人を緩衝材代わりにすんな」

「……」


 まるで屍のように返事がない。

 もう声を出すのも危ないのか、口元に手を食い込ませたまま二人とも沈黙していた。


 一方的な会話のシャットダウンだが腹は立たない。その手の封印を解いて迂闊に口を開かせれば、パンドラの箱のように不幸がばらまかれて被害を受けるのは俺の方なのだ。


 状況だけ見れば両手に花なのに、ラフレシアとして開花しそうなのはなんなんだ。こんな腐れ縁は嫌だ。


 車窓に流れる山々やのどかな町並みに対して、ここだけ無駄にバイオレンス。

 そんな両脇の時限爆弾に怯えている内に、小高い丘を上っていつのまにか我らが慈薩中の校舎が見えて来た。


 今年で創立五十年だか六十年だかになる県立中学で、校長の頭のようにハゲた外装がいつも俺たちをお出迎えしてくれる。


 まあ小学校の時は校舎も新しかったのを考えると、むしろ設備的には退化してるんだけど。この調子で高校もさらに古くなったら、成長どころか老いを感じる羽目になりそうで怖い。


「うーん、やっぱ外の空気はいいわあ」


 校門近くのバス停に到着すると、車内に蔓延した毒ガスから一刻も早く脱出するように綾香が駆け降りて、気持ち良さそうに伸びをしていた。


 駆け込み乗車ならぬ駆け込み下車。俺が運転手だったら即刻出禁を宣告するね。まあ気の強い綾香なら聞く耳持たずに半グレのごとく乗り込みそうだけど。


「ほんとようやく解放されたって感じ。危うくあれが私の棺桶になるところだったわ」

「……俺もようやく解放されたって感じだよ。お前たちからな」


 いやむしろ介抱した方か俺は。


「や、やっと着いた……」


 遅れて降りて来た静香は、まだ酔いが残っているのか見るからにげっそりとしていた。

 生まれたての小鹿のようにプルプル震えた足は、今にもバスステップを踏み外しそうで、スロープ板を用意してやりたくなる。


「大丈夫か?」

「平気平気。お姉ちゃんが大丈夫なら私も大丈ブイ……うえぇ」


 うえぇ言うとるやん。

 笑顔が無理しすぎだ。指でVサインを作ってるけどボミットのVになるぞそれ。


 思わずため息が出る。まあ二人とも性格こそ多少の難はあるが、俗にいう美少女の部類だ。容姿端麗で何も知らなければ周囲から目をひかれる存在だし、既に新入生に可愛い双子がいると学校でも評判になっている。


 実際、さっきから脇を通っていく学生達がちらっとこっちを二度見して来るしな。特に男子が。きっと俺は二輪のバラの近くに添えられた場違いなジャガイモのようにでも思われているんだろう。写真でもとられようなら真っ先にトリミング対象だ。


 そう一人でむなしくなっていた時、


「きゃあッ!」


 唐突に前方から甲高い悲鳴が挙がった。

 

「なんだ?」


 声のした方を見ると、歩道の上で茶髪の少女が頭を抱えてへたり込んでいた。


 顔に見覚えがないのと小柄なのを見るにおそらく綾香たちと同じ一年生だろう。そのしゃがみ込んだ彼女を見て、周囲のギャル系っぽい女子集団は笑いながら距離をとっている。


「うわあッ、光きったなー」

「よるなよるなしッ、しッ!」


 その光と呼ばれる女子生徒が汚物扱いされてる理由はすぐにわかった。

 彼女の後頭部に白い物体が絡みついている。きっと頭上から鳥のフンが落ちて見事に命中したんだろう。ついてるのにあまりにもついてない。


「う、うぅッ。ふえええッ」


 冷やかされすぎて耐え切れなくなったのか、光は両手で顔を抑えて泣き出していた。


 あまりに不憫。居たたまれない空気に流石にこれには同情を……


「うわあ、光ちゃん泣いちゃってるよ。写真撮っちゃう?」


 人の心とかないんか。

 慰めるどころか平然と追い打ちを畳みかける女子ギャル集団。はたから見てても気分が悪い。

 綾香も静香も同じ気持ちだったようで、顔を露骨にしかめて嫌そうにしていた。


「お姉ちゃん。止める……?」

「……そうね。正直関わりたくないけど、見てて胸糞悪いし。ちょっとぶん殴ってくる」

「待て待て待て待て待て待て」


 指を鳴らして女子集団に歩み寄ろうとする暴力系幼馴染を慌てて止める。

 なに早々に平和的解決を諦めて暴力に訴えようとしてるんだこいつは。空手経験者が殴ったらちょっとじゃすまんだろ。


「なによ」

「お前は行くな。返って面倒になりそうだ」


 ただでさえ人目を引いてるのに、他の奴ならともかく綾香が来たら間違いなくもっと注目を浴びる。変に騒ぎ立てれば、彼女も晒し者になって逆に迷惑だろう。


 それにどれだけ完璧にフォローしても、彼女の頭に鳥の糞がトッピングされた事実は消えない。頭を洗っても心の傷は必ず残ってしまう。


 ……普通なら。


「でも止めないわけにはいかないでしょ。それともアンタが止める?」

「……いいや。止めるんじゃなくてのさ」

「え?」


 困惑している綾香を無視して手を組み合わせる。

 何を隠そう、俺には過去に戻れる不思議な能力がある。


 能力の発動条件は極めて簡単。過去の光景を脳裏に強く思い浮かべて、手を組み合わせる。それだけでそのイメージした時間まで飛ぶことができるのだ。


 現にもう視界はぐにゃりと歪み、気付いた時には目の前の景色が切り替わっていた。


「平気平気。お姉ちゃんが大丈夫なら私も大丈夫だよ。うえぇ……」


 さっきも聞いた台詞。

 隣には気分悪そうにVサインする静香の姿。そして、目の前にはさっきの女子集団が光と一緒に談笑していた。


 ほっとする。成功だ。無事に数十秒前の時間に戻れたようだ。

 だが悲劇の時間まで一刻の猶予もない。俺は制服のポケットをまさぐりながら、前にいた光に急いで呼びかけた。


「おいそこの君!」

「……え?」


 俺に突然呼び止められたからか、振り返った光の表情が一気に強張った。

 周りの女子ギャル集団も足を止めて誰コイツ? と不審そうな目で俺を見つめている。


 まあ仕方ない。見知らぬ上級生にいきなり呼び止められたら誰でも警戒するだろうさ。


 そしてヒュン、と光の背後に白い落下物を確認。

 鳥が光の頭を狙って糞をスナイプしてたらお手上げだったが、流石にそれはなかったらしい。俺が呼び止めたことでタイミングがずれて、糞は歩道の上に落ちたようだ。


 ミッションコンプリート。少女を襲った悲劇は無事に食い止められた。

 だから……もういいよね。


「おろろろろろろろろろろろろろろろろろッ」

「えっ、き、きゃあああああああああああああああああぁッ!」


 瞬間、光の張り裂けるような悲鳴が轟いた。

 まあ仕方ない。いきなり目の前で吐かれたら誰でも叫びたくもなるだろうさ。


 これが俺の能力『削り戻り』のデメリット。

 過去に戻る時間が長いほど身体に悪影響を及ぼし、数秒戻るだけで嫌悪感や眩暈に襲われ、数十秒なんて戻ったら嘔吐はほぼ避けられない。


 心身削って過去に戻るから俺はこの能力を『削り戻り』と呼んでいる。


 旧名は”狂気の時間遡行クレイジーリセット”と呼んでたが、なんか恥ずかしくなって中学に入った時に簡素なものに改名した。


 普段からエチケット袋を常備してるのは、バス酔いの激しいあの姉妹のためだけじゃなく、時と一緒に胃の中の物まで戻してしまう俺のためでもある。


 事前にエチケット袋を構えてたおかげで無事、公共の場にぶちまけずに済んだようだ。


 だが、全てが無事とはならなかったらしい。


「け、ケイ君……?」

「ア、アンタなにやってるの……?」


 背後から姉妹のドン引きした声。聞こえるどよめき。

 気がつけば周囲の視線が二輪のバラではなくジャガイモが独り占めしていた。


「ひ、ぴ、ぴいぃ……」


 目の前にいる光に至っては、涙目で怯え切ったまま腰を抜かしてる。よっぽど怖い物を見たんだろう。今にも失禁しそうな怖がり方だ。


 彼女を助けたつもりだったが、はたして鳥の糞が頭に付着して馬鹿にされるのと、見知らぬ上級生に目の前でいきなり嘔吐されるのではどっちがトラウマなんだろうか。


 ……あまり深く考えないようにしよう。

 そもそも、気持ち悪くて今は深く考えられそうにない。


「おろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろッ」

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁッ!!」


 また悲鳴が一段と大きくなる。

 ここまで来るともはや独壇場。もう誰にも俺は止められなかった。


 ……仕方ねえだろ。身体が勝手に動いちまったんだから……


「おろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろろおおおおおぉッ!」

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