17. 雑な脅迫
放課後。俺は黒子と約束した公園に向かっていた。わざわざ通学路から離れた場所を指定してるのはもう嫌がらせとしか思えない。
朝から頭を叩きつけられるわ、昼には混乱する情報を頭に流し込まれるわ、そもそも削り戻りの代償で体調が優れないわ……と肉体的にも精神的にも限界だ。特に双子と黒子の関係性を考えるだけで頭が痛くなる。
それでもとにかく今は目先の問題に集中するしかない。上手くいけば黒子との電話で話を聞けるかもしれない。
下手をすればどうなるかは……今は考えないようにする。
学校から歩いて数十分、灰色の空の下。見慣れない街道を地図アプリで調べながら向かっていく内に、目的地にたどり着いた。
「ここか……」
黒子から指定された有魏丘公園は閑静な住宅街の近くにあった。
敷地内はろくに管理されてないのか雑草が膝丈まで生えていて、遊具も少なく子供が遊ぶにはいかにも適してないように見える。
入口からして酷く寂れた車止めが入る気を無くさせるし、黒子に呼ばれてなければこんな場所に来ないだろう。
そんな人気のない公園で、俺はベンチに座って黒子から電話が来るのをただ待っていた。
まるで人質をとった誘拐犯からの要求を待ってる気分。いや実際に二人殺されてるのを見てるからあながち冗談じゃない。警察に通報しないで一人でのこのこ指定されている場所に来てる時点で、正直もうアウトな気もする。
どこかから見張ってるんじゃないかといちおう周囲を見渡してみたが、特にそんな見張れる場所はなかった。
たまに公園の前を通りかかる人もいても、俺に目をくれることもなくそのまま横切っていく。通行人の立場が羨ましい。誰か代わってくれ。電話代行サービスでもいい。
『ブー、ブー』
そして無慈悲に鳴った。
午後五時ジャスト。絶望のコング。
時間きっかりにスマホが震えている。きっと俺の手はそれ以上に震えてる。
画面には居場所を知られたくないのか、番号は表示されず非通知の文字が映っていた。
スマホを放り出したくても、もう逃げられない。
俺は一呼吸おいて、覚悟を決めて通話ボタンを押した。
「……も、もしもし」
「久しぶりですね啓太さん」
やっぱり、電話の相手は黒子だった。
耳によく通る、いや通り越して毒のように全身に浸透する声。
その淡々とした口調は、初めて会った時のおどおどとしたものとは無縁なものだ。
むしろ状況的には逆。今動揺してるのは……俺の方だ。
(……落ち着け。落ち着け……!)
動揺を表に出しても裏目に出るだけ。用件はまだ不明だが、俺が約束を破ったと見なされれば、裏目どころかろくな目に遭わないことはとっくに証明済みだ。
とにかく……普段通りに振る舞わないと。
「ひ、久しぶりだな。ずっとどこいってたんだよ。屋上にもいないし心配だったんだぞ」
「心配をおかけしてすみません。私も啓太さんのことが心配でした」
「……なんで俺の心配?」
「朝にベンチで倒れていたのを見ましたので……それに先週末にも教室で倒れていたじゃないですか。身体はもう大丈夫ですか?」
そう当然のように告げられて、口の中が一気に乾いていった。
校内で倒れたことも、校外で倒れたことも既に把握されている。
「あ、ああそれはもう。ピンピンしてるぜ」
本当は今にも気を失いそうだが、そう虚勢を張るしかない。黒子はそれをどう捉えたのかわからないが、特に声の調子を変えずに続けていた。
「それは良かったです。……ならひとつ訊いてもよろしいでしょうか」
「な、なにを?」
「どうして私との約束を破ったのですか?」
そう用件を直球で告げられて、今度こそ頭が真っ白になった。
「啓太さんが教室で倒れたのは
「い、いやあれはただの体調不良で……」
「嘘ですね」
バッサリと切り捨てられた。
「正直に話してください。どうして約束を破って私のことを話したのですか?」
「そ、それより屋上でも思ってたけどなんで俺の能力を知ってるんだよ」
「先に訊いているのは私です。啓太さんが教室で能力を使用したのは、あの双子に私のことを話したからですよね?」
思わず息を呑んだ。
能力の内容どころじゃない。削り戻りで無かったことにした内容まで把握されている。
「な、なんでそんなことまで……?」
「何度も言っていますが、約束を破った理由を先に話してください」
俺の動揺に対して黒子の口調にまったく乱れはなかった。声に怒りが滲んでいればどれぐらい怒ってるかまだ測れるのに、声音からはまったく感情が読み取れない。
……探知機もないのに地雷原の中を爆発しないようにお祈りしながら歩かされているような気分だ。怖いのに踏み込むしかない。
「お、お前が屋上に姿を現わさなくなったのが心配になって、綾香たちに知らないか思わず尋ねちまったんだよ。その……すまん。不用意だった」
誤魔化そうか迷ったが、嘘を看破される気しかしないから結局正直に告げた。深いため息が画面の奥から聞こえて、次に何を言われるかを考えるだけで頭がおかしくなりそうだったが、
「そうですか。それは……私にも否がありますね。すみません。心配してくれてありがとうございます」
意外にもそう素直に礼を言われて思わず面をくらった。
てっきり徹底的に糾弾されると身構えてたのに、感謝されるなんて思ってもなかった。
だからそれが逆に……不気味。
北風と太陽のように、ただ目的のために暖められただけのような気がして。
「そんな風に感謝できるのに、どうして二人を殺したんだよ」
「……? 質問の意味がわかりませんが」
「とぼけるなよ。俺は確かに見たんだ。綾香や静香の身体が乗っ取られて……最終的には殺されるところを。お前は憑依の能力を持つ悲願者なんだろ?」
「…………」
返答は沈黙だった。否定を表しているのか、それとも図星で言葉に詰まっているのか。
いやもしかすると見透かしているように見えて、削り戻りで起きた全てのことまではわかってなかったのかもしれない。
「わかってないようなら一から言ってやる。お前は……」
それから俺は教室での一件から屋上での惨事までの一部始終を話した。
教室で突然静香が豹変したこと。屋上で綾香に憑依して静香を滅多刺しにしたこと。
俺にも滅多刺しにさせたこと。最後には約束を破って綾香を自殺させた事。思いつく限り全てぶつけた。
「綾香と静香と友達だったんじゃねえのかよ。それなのにどうしてただ殺すだけじゃ飽き足らず滅多刺しにまでしたんだよ。答えろッ!」
最初は俺も平静を保って話そうとしたが、話している内にだんだん感情を抑えられなくなって最終的には怒鳴りつけていた。
いや本来なら怒って当然なんだ。削り戻りで無かったことにはなっても、黒子が二人を残忍な形で殺した事実は変わらない。
そして話し終えた俺に待っていたのは……静寂だった。
俺が間をおかずにまくし立てていたのは、もしかすると一度言葉を切ればその無音が訪れる事を心のどこかで恐れていたのかもしれない。
黒子の次の言葉を待っている時間が永遠のように思えたが、
「そうですね。友達じゃなかったんでしょう」
終わりの時間も、返答も極めてあっさりとしたものだった。
「なん、だと……?」
怯む俺に気付いてか、それとも構わずにか。
変わらぬ感情を殺した声で、黒子は言葉を畳みかけて来る。
「話はわかりました。おかげで啓太さんもよくわからせられたんじゃないですか?」
「わ、わからせられた?」
「私のことを詮索すれば不幸が起こると。確かに忠告しましたよね。なら二人の殺害はきっと私の警告だったんですよ」
「け、警告……?」
「啓太さんの能力があれば無かったことにできるんですから、別に一人や二人殺したところで構わないじゃないですか」
絶句した。怒りを通り越して放心した。
コイツハ、ナニヲイッテルンダ?
確かに削り戻りで無かったことにすれば、生死さえも覆る。
だけど、それで殺しても大丈夫だなんて考えたこともない。
ましてや黒子にとっては自分の能力じゃなく他人の能力。失敗するリスクだって全然あるのに、警告なんてふざけた理由で殺害を実行する思考回路が理解できない。
「ほ、本気で言ってるのかよ」
「はい。約束を破ればどうなるかよく身に染みたはずです。良い勉強になりましたね」
危うくスマホを落としそうになった。
罪悪感がまるで感じられない。本当に為になって良かったように語ってやがる。
「ひ、人を殺してるんだぞ。俺が時間を戻さなかったら警告じゃすまないんだぞ!」
「それはそれで正しい結末ですよ。人の死を無かったことにするほど、罪深いことはありませんから」
「い、意味わかんねえよ。まさか能力を使った俺が間違ってたって言うのかよ。あのまま二人がお前に殺されておけば良かったって言うのか?」
「その通りです。貴方は二人を見殺しにするべきでした」
話せば話すほど俺の方までおかしくなりそうだ。
確かに俺の能力で本来の時間を無かったことにするのは正しいのか、他の人の人生を変えるほどの影響力があるのに使ってもいいのか、たまに悩む時がある。
だからこそ、これまで悪用はしなかった。
時を戻したことを後悔しないように基本的に誰かを助けるためにしか使って来なかった。戻さなくて後悔するよりもマシだと思えるように。
だけどそれさえ許されないなら、それさえも罪だというのなら、今までの俺の全否定だ。
……認められるわけがない。
例え俺の能力が罪深いものだったとしても、俺のして来たことが全て間違いだったとしても、俺を助けてくれた二人を見殺しにするのが正しいなんて……絶対に認めない……!
ましてや人殺しの説教なんて受け付けるわけがない……‼
「どうしてそんな冷酷なんだ。あの二人になにか恨みでもあるのかよッ!」
「……あるから殺されたんじゃないですか? 知らないですけど」
「ふざけんな! 他人事のように言ってんじゃねえ!」
「なら私の意見を言いますが、次はないです。もし今度約束を破って私のことを口外したり詮索したりすれば、貴方の身の回りの大切な人は全員殺されると思ってください」
「な……」
開き直ったように告げられて、開いた口が塞がらなくなった。
「む、無茶苦茶だ」
「別にかぐや姫のように無理難題は言ってません。この電話を最後に私も啓太さんとは金輪際関わるつもりはないので、貴方が約束を守るだけで防げる事態です」
「それは……」
確かにあんな惨劇が起きたきっかけは俺が約束を破ったからだ。過剰報復にもほどがあるが、俺に非が何一つないわけでもないし、別にハードルも高くない。
裏を返せばそんな強い言葉で脅してでも、黒子は約束を守らせたいということ。
現に今は危害を加えられてないし、口外や詮索をしなければ周囲の安全は本当に保障されているのかもしれない。でも……
「……なんでそんな周りくどい方法を取ってるんだよ。そんなに約束を破られたくないなら、俺に憑依して自殺させればいいじゃんか」
そう思わず口にして後悔した。
……何言ってんだ俺は。これで「そうですね」って相槌打たれて返されたら終わりだろ。俺の命が。
でもそうツッコミたくなるくらい、黒子の行動は非合理的だ。
憑依能力があれば誰でもたやすく殺せる。直接の証拠も残らず、能力を知らなければ自殺としか思われない。いや知っていても死因をもっと凝るだけで関連性を結びつけるのは困難なはずだ。
自分の情報を知られたくないならそれだけで解決。電話で脅迫なんてする必要がない。
「ふざけた事言わないでください!」
「え……?」
だから、ここで怒声が飛んでくるなんて思ってもなかった。
「どうして自分の命を軽んじるような事を言うんですか! どうして、どうして! どうしてえええええぇッ!」
「く、黒子……?」
さっきまで冷酷無比の印象はどこへやら。黒子は酷く取り乱して叫び散らしている。
いや……ここで感情的になる理由がさっぱりわからない。
「私が甘かったようです。最後にもう一つ脅迫します。能力の使用も厳禁です。次に啓太さんが能力を使っても、身の回りの大切な人を全員殺します!」
「な、なんで! そんなおまけみたいに!」
「守らなかったら本当に殺しますから!」
「え、お、おい!」
そう呼びかけたが既に遅し。ぶつ切りされていた。
「な、なんなんだよ畜生……」
ずっと淡々とした口調で得体の知れない恐怖すら感じていたのに、最後は化けの皮が剥がれたというか、やけくそというか、まるで癇癪を起こして暴れる子供のようだった。
脅迫も急に雑というか、駄々をこねるというか。あれじゃまるで……
「俺の身を……案じてるみたいじゃねえか……」
通話が終わっても状況が飲み込めなかった。
黒子の心境の変化がさっぱり理解できない。国語の読解力のテストで問題に出されても誰も解けないんじゃないだろうか。
「俺の命を奪うことに良心が痛んだ……なんてことはないよな」
あんな静香を滅多刺しにして、これで実は人を殺すのは辛かった……とかあるわけない。あってたまるか。あったら二重人格を疑う。
「ああクソッ、わけわかんねえよ……」
頭をガリガリ搔く。本当にいったいあいつはなにがしたいんだ……?
問い詰めたくてももう掛け直すことができないから、感情の行き場が無くて辛い。
「いや……もう考えるのはよそう」
話はついた。いや正確には打ち切られた。交渉の余地がない。
俺に残された選択はもう黒子には関わらないことだけ。
……けど、俺はずっとこのまま悶々として生きていくんだろうか。
ずっと得体のしれない違和感を覚えたまま、不自然な点に触れないまま、何も知らないフリをして自分を騙すことになるんだろうか。そう考えるとなんだかやるせない。
いつの間にか陽が沈んで、帰り道はそんな鬱屈とした気分と同調するように暗かった。輪郭がぼやけていて、通りすがる人の顔もあまりはっきりとしない。
俺の意識もぼんやりとしたまま、見慣れぬコンビニや喫茶店を横切っていく。
普段使っている学校のバス停まではここからだとまだ遠い。だからスマホの地図アプリで近くのバス停を探そうとしたその時、
「キャッ!」
やべっ、と思った時には遅かった。黒子のことで心あらずだったのと、一瞬スマホに視線を切ったせいで、曲がり角の路地から現れた少女にぶつかってしまった。
「ちょっと! どこに目をつけてんのよ!」
当然の怒声が響く。着ている紺のセーラー服からして同じ学校の生徒だろう。尻もちをつきながら茶髪の少女が俺をにらみ付けている。
「わ、悪い……あ」
そう顔を上げた瞬間、気付いた。
人の顔を覚えるのは苦手な方なんだが、彼女の顔はよく覚えている。
なにせ、出会いは悪い意味で劇的だったから。向こうも俺の顔をよく覚えていたらしい。
「ひ、ひいいいいぃッ」
その悲鳴が何よりの証拠。
あの目の前で見知らぬ男に嘔吐の瞬間を見せつけられた一年女子。光が顔を真っ青にして叫んでいた。
……なんでこんなところに。この近くにでも住んでいたのか?
よりにもよってこんな一度しか通ったことのない道でバッタリ会うとか、もはや神様からの嫌がらせとしか思えないレベルだ。……お互いに。
「ゆ、許して……」
光はがくがくと震えながら、両手を前にクロスしてうずくまっている。
本能的で本格的な防御姿勢。こんな取り乱すほどトラウマになるくらいなら、頭に糞を乗せたありのままの姿にしておいてやればよかった。
「いや……許してほしいのは俺の方だ。前の朝の件といい、本当にごめん」
そう素直に頭を下げたが光の震えは止まらなかった。
どう詫びて償えばいいのか、それとももう離れた方がいいのか判断に迷っていた時、
「私は言われた通りにした! 誰にもアンタの能力を話してない。だから許して黒子っ!」
予想外の単語を光に叫ばれて、思わず面食らった。
「え……? 黒子……? どうしてそこであいつの名前が……」
「いやあ‼ 殴らないで!」
なにかトラウマを刺激したのか、ダンゴムシのようにさらに光は縮こまっていく。
流石にその怖がり方は異常すぎる。それに殴らないでって、まるで俺が前に殴ったことでもあるようじゃないか。
そこで気付いた。
思えば校門で彼女は俺が吐く前から表情が強張っていた。
その時は見知らぬ上級生に呼び止められたからだと思ったが、普通はそこまで露骨に顔に出さないだろう。
ならあれは声を掛けられたからじゃなくて、俺の姿を見て強張ったんじゃ……
掌に殴った感触が蘇る。
そうだ。俺が殴ったのは黒子じゃなくて……
まずい、と思った時には既に脳内で記憶が再生されていた。
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