19. 気付いたところで

「じゃあな、じゃねえ……」


 結局肝心なところ何も聞けてねえじゃねえか。

 格好つけて何も訊かなかった昔の俺を光に代わって殴り飛ばしたい。


 でも、おかげでその後の流れも思い出せた。確かその日の内に綾香に電話で事情を話したら、


「後は私に任せておきなさい」


 とまるでドラ息子のために隠蔽工作に走る馬鹿親のごとく、全部一任するように言われたんだ。


 正直人任せにするのは気が引けたが、暴力を振るった俺なんかが関わったらむしろ足手まといだと思ってたし、特に断る理由がなかった。 


 それから数日後にどうなったか訊いたら「例の虐めの件は全て解決したわ」と綾香に終結を告げられて、手際の早さに安心とドン引きしたのが最後だった気がする。


 その後はすぐに冬休み。学校の事が頭から切り離されて、黒子のことも記憶から薄れていた。


 しかも三学期には静香に告白して撃沈したり、綾香に突き落とされたりと濃いエピソードが続いたし、そこに記憶まで欠けたら黒子のことを思い出せなくても無理ない気がする。


「でもそうなると……黒子に恨みを買われる理由ないよな……?」


 光から恨みを買われるのならわかるけど、黒子に関しては理由がマジで思い当たらない。


 実は虐めは解決してなかった……とかならわかるが森嶋の話を聞くにそれは無さそうだった。俺が望んだ通りに綾香や静香と交友関係を結んで虐めも撲滅してる。むしろ恩人といってもいい立場だ。


 それに義弘も言ってたが、俺に恨みがあるなら遺書に両親の虐待だけでなく俺のことも書き連ねるはずだ。一番社会的にダメージが入る方法をわざわざ避ける理由がない。


「本当に何がしたいんだあいつは……」    

               

 自宅に戻っても俺は自分の部屋で俺は考え込んでいた。

 歩き回ったせいで足はくたくた疲労もきつい。本当は今すぐにベッドに身体を投げ出して、抱えている問題も一緒に投げ出したいが、どうも頭がもやもやして眠れそうにない。


『ブー、ブー』

「わっ!」


 いきなりスマホが鳴って、危うく椅子から転げ落ちそうになった。


「ま、まさか光と接触したから黒子が掛けてきたのか……?」


 いや落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。

 公園でかかって来た時に非通知だったことを考えれば、知らない番号が表示されているこれは間の悪い間違い電話か迷惑電話の可能性が高い。


「……そうだ。黒子じゃない。黒子なわけがあるもんか……!」


 だが、そう言い聞かせても募る不信感と着信音が止む気配がまるでなかった。普通の迷惑電話でもここまでしつこく鳴らさないだろう。


 なら……相手は普通じゃないほど迷惑な相手……?


 正直微塵も出たくない。相手が黒子ならもうここまで待たせた時点で詰んでる。


 だけどこのまま鳴り響いて、精神を延々と削られるのも耐えられない。

 結局覚悟を決めて、そうおそるおそる通話ボタンを押し、スマホを耳に当てると……!


『こんばんわーッスッ! 昼休みぶりッスねゲロ先輩ッ! 元気にしてましたかッ!』

「くたばれ」


 元気いっぱいの森嶋の声が聞こえて、本心を呟いてすぐぶち切った。

 そして、即着信拒否に設定しようとしたが、その前にまた着信音が鳴る。


「…………」


 正直無視を決め込みたたいが、なぜか森嶋は俺の携帯番号を知っていた。

 なら、家の電話番号も知られててもおかしくないし、下手したらこの呼び出しの着信音が玄関のドアの叩く音まで進化しかねない。


 結局、出ない方が面倒になると悟って渋々電話に出た。


「……もしもし」

『酷いッスよゲロ先輩! 未来あふれる可愛い後輩にいきなりくたばれだなんて!』


 その耳に響く残念な声はやっぱり森嶋だった。こっちの鬱屈した気分と反比例するように声が溌剌としていてやかましい。こっちは未来溢れるどころか危ないんだよ。


「酷いのはお前だ。俺だけ残して一人で逃げやがって……」

『あー、綾香ちゃんが来た時のことをまだ根に持ってるんスか? もう謝ったんだから許してくださいよ』

「いつ、どこで、お前が謝ったんだ。ああ?」

『もちろん心の中ッスよ。先輩には伝わってると思ったんッスが……がっかりッスね』


 なんでお前にがっかりされにゃならんのだ。こっちの台詞だ。悪意しか伝わらんわ。


「ってか、なんで俺の電話番号知ってんだよ。静香から聞いたのか?」

『いえ、相沢先輩に訊いたら気前よくゲロ先輩の番号を教えてくれました。いい人ッスね』

「お前にとってはな……」


 とりあえず義弘は後で殴ろう。いや殴らせよう綾香に。


「……それで? わざわざ人様の電話番号を調べ上げてまで森嶋さんは何のご用っスか?」

『いや実はあの屋上で別れた後、綾香ちゃんに次にゲロ先輩と勝手に接触したら殺すって脅されたんスよ。まったく血の気が多くて困るッスよ綾香ちゃんは』


 お前も大概困る相手だ。


「……? 文脈が繋がってないんだが。脅されたのになんで俺に連絡して来るんだよ」

『そりゃ私天邪鬼なんで。ダメって言われたら逆にすぐやっちゃいたくなるんッスよ』


 タチが悪すぎる……


『まあ前置きはここまでにして屋上での話の続きといきましょうよ』

「話の続きって……」

『もちろん半崎黒子の自殺の真相についてッスよ。「今度、私の立てた推理を聞いてくださいね?」って訊いたら、「ああ、楽しみに待ってるぞ」ってよだれ垂らして嬉しげに頷いたじゃないッスか』

「言ってねえし聞いてねえし頷いてねえし垂らしてねえし楽しみに待ってもねえ!」


 なんだ? 俺は生きる嘘の塊と電話してるのか?


『まあ階段から転落して先輩の記憶は不確かですから……覚えてなくても仕方ないッスよ』

「転落する前ならともかく、転落した後の記憶ははっきりしてるわ」

『ならもちろん屋上の土下座も覚えていますっスよね。推理を聞いてくれないなら別にありのままの先輩を記事にしてもいいんスよ?』


 心労で死にそう。詰んだかこれ。

 綾香に脅されても平気で俺に連絡して来るなら、俺がどう凄んで無理やり黙らせようとしたって、この天邪鬼ならケロッとした顔で無視するに決まってる。疫病神すぎる。


「……わかったよ。話の続きを聞けばいいんだろ? で、自殺の真相ってなんだよ」


 クソ、こうなったらとことん聞いてやる。なにか好転する材料になるかもしれない。


『世間で半崎黒子は自殺したことになってますが、私は生きてたと思うんスよね』


 いきなり核心をついて来て思わず息を呑んだ。もしかして本当に期待できるのか?


「……どうしてそう思ったんだ?」

『海岸で自殺する二日前……つまり当時の金曜日ッスね。放課後に半崎黒子は静香ちゃんと会っていたんスよ』

「会ってた……?」 

『はい。なんでも家で塞ぎ込んでいる綾香ちゃんのことで半崎黒子に相談しようとしたみたいッスよ。それは昔静香ちゃん本人に直接訊き出したんで間違いないッス』

「静香が……」


 どうやら俺が想像してる以上に綾香の気の病みようは深刻だったらしい。そんな悩みを黒子に相談するあたり、やっぱり彼女たちの友好度は高かったんだろう。


『二日後に自殺する人がそんな相談に乗る余裕があるとは思えないんスよ。むしろメンタルケアしてほしいのは彼女の方だったでしょうし。それにもし友人として善意で相談に乗ってたなら、その後すぐ自殺なんて追い打ちのような真似しますかね? 虐めから救ってもらった恩もあるなら、なおさら仇で返さないと思うんスよ』

「……なるほどな」


 ナイフで滅多差しにしてた所を見てなければ、一理あると思えたかもしれない。


『それに半崎黒子のバッグは海上で発見されたッス。つまり、バッグを手に持ったまま崖から飛び降りたことになるッスが、それは変だと思うんスよね』

「どこがだ? 自殺するほど追い詰められてたなら、持っていたのに気付かずに飛んでもおかしくないんじゃないか」

『現場には遺書が残されたんスよ? なら遺書を取り出す時に必ずバッグに意識は向くはず。気付かないとは思えないッス』

「ならどうしてバッグは海で発見されたんだ?」

『それはもちろん半崎黒子自身が投げ入れたからッスよ。自分が死んだと思わせるためにね。きっとバッグの中に靴とか変装道具があって、それを取り出してから海に放り入れたんス。そうすれば後は変装して立ち去るだけで、さも自殺したように見せかけられるッス』

「なんでそんな周りくどい自殺のフリをするんだよ」

『もちろん遺書の通り虐待した両親に対する復讐のためッス。自殺して憎い相手に社会的制裁を与えようとするのは珍しい話じゃないッスからね。でも半崎黒子は制裁したくても死にたくはなかった。だから自殺した風に見せかけて失踪したんッスよ』


 そう自信満々に告げる森嶋。確かに筋が通っているところがあるような気もするが……どうも腑に落ちない。


「……それなら黒子はどこ行ったんだ?」

『半崎黒子が自身を自殺に見せかけようとした場合、当日一番恐れるケースってなにかわかるッスか?』

「え? そりゃ……遺書を残した後に誰かに目撃されることじゃないか?」


 海にバッグを捨てて崖に遺書を残そうが、その後に別の場所にいるのを目撃されれば何も意味がない。


『そうッスね。自殺で残した遺書と、自殺に見せかけた遺書じゃ印象が全然違いますから』


 まあ確かに命を賭した訴えと、命を惜しんだ訴えじゃ響くのは圧倒的前者か。足尾鉱毒事件で天皇に直訴しようとした田中正造も、匿名で安全な場所から訴えてたら世論にたいして響かなかっただろう。


『警察に補導でもされたら、下手したら当日に連れ戻されかねません。だから最終的に発見されるにしても、できる限り遅くするために人気のない場所に身を潜めようとするはずッス。でもそんな陰の場所で一人でいるのは危険も大きい。だからそこで誘拐にでもあったんだと踏んでるッス』

「誘拐……」

『はい。これなら忽然と姿を消したことにも説明できるッス。車で連れ去れば監視カメラにもつかまりませんしね』

「じゃあ半崎黒子は……」

「監禁かあるいは殺されて秘密裏に処理されたんだと思うッス。今ごろ東京湾に沈められてるッスね」


 結論が無慈悲すぎる。結局末路が海の底じゃねえか。


『で、どうっスかこの推理。とんだ名探偵がいたものだって感激しても良いっスよ?』


 電話越しで無ければドヤ顔が見えそうな声だったが、正直なところがっかりした。

 黒子が羽木山市にいる以上、監禁されてないし殺されてもないのは明らかだ。


 しかも特に何か状況を打開できるような情報もない。むしろ黒子の情報を聞いたせいで、自分の首を絞めただけ。とんだ迷探偵のせいでとんだ迷惑だ。


「……正直お前ならもっと奇抜な推理を聞かせてくれると思ってたよ」

「え、ちょっと待って。私失望されてるッスか?」

「失望ってか絶望だな。自信満々の割にはそんなもんかって感じ」


 つい大きくため息をついたのがいけなかったのか、森嶋の声が一段と大きくなった。


「ムッカッ! じゃあこれならどうです! 半崎黒子は悲願者だったんス!」

「……え?」

「きっと家庭内の虐待で辛い思いをしていた彼女は、『どこか遠くに行ってしまいたい』と常々思ってたんス。その願いが奇跡的に発現して瞬間移動の能力を手に入れたんスよ。きっと日本では死んだことにして、海外の各地を旅しているんでしょう!」

「んな無茶苦茶な……」


 どう見てもそんなアウトドアな性格じゃなかった。


「でもそれなら監視カメラや目撃情報が途絶えたのにも説明が行くっス」

「それはまあそうだけど……」


 確かに瞬間移動ならこれまで騒ぎにならずに屋上まで来れたかは説明できる。階段を経由しないで学校の敷地外から屋上に直接飛べるのなら、誰かに目撃されることもない。


 瞬間移動なんて逃走手段としてチートにもほどがあるし、窃盗もなんなくこなせるだろう。運動部員が着替えた制服をくすねるだけで、慈薩中の制服も入手できる。


 ……けど、綾香たちの身体が乗っ取られてる時点で瞬間移動じゃないよな。


 だから憑依系の能力で間違いない……はずなんだが、それはそれでこれまで騒ぎにならなかったのが疑問なのも事実だ。


 ってかそもそも黒子はどこに住んでいるんだ?


 屋上に頻繁に出入りしてるのを考えても羽木山市のどこかに住んでるんだろうが、そんな失踪した女子と暮らす物好きが地元にいるとは思えない。

 仮にいたとしても外出なんてさせたら絶対にどこかで目撃されて足が着くはずだ。リスクが大きすぎる。どうやったらこれまで騒ぎにならずに……


『代われるなら別の誰かの人生と代わりたいとずっと思ってましたね』  

「……………………ぁ」


 瞬間、最悪の可能性が脳裏をよぎった。

 悪寒が止まらない。全身の血の気が引いていくのがわかる。


 いや、でも、違う。まさか、そんなわけがない。あっていいわけがない……!


「……半崎黒子は親が再婚して名字が半崎になったらしいけど、その前の名字ってなんだったかわかるか?」

「え、なんスか急に」

「いいからわかるなら答えてくれ」


 俺の改まった口調に違和感を持たれたのか、森嶋は困惑していたが答えてくれた。


「猪狩です。でもそれが何か関係が……先輩?」


 腕がだらりと下がる。森嶋の声はもう耳に届かなくなった。


 ●


 ──目が覚めると半年をドブに捨てていた。


「いいですか、落ち着いて聞いてください。あなたは半年間ずっと寝た切りだったんです。記憶障害の症状が見られるのはそのためでしょう」


 医師の話を聞くにどうやら俺は小学校の階段から転落して、かれこれ半年もぐっすり、いやぐったりとベッドにダウンしてたらしい。


「……いやアホか」


 もうこの半年で傷は治ってるのに聞いてるだけで頭が痛くなる。

 いっそのこと全部記憶を失ってれば楽なのに、両親が事故で死んだ時の光景だけは嫌がらせのように覚えていた。


 いや……覚えてるのはもう一つあったか。


「しっかりして!」


 水中に差し伸べられる手。そうだ。俺は溺れてる所を二人の少女に救われた。

 そしてそれからの生活も……彼女たちのおかげで助けられたんだ。


「誰だったっけ……」 


 まるで本の内容は覚えてるのに登場人物の名前を忘れてるような感覚。

 でも……きっと顔を見ればすぐに思い出せる。そう確信していた。していたのに、

 

「啓太!」

「良かった……目を覚ましたんだね!」


 病室まで面会に来た二人を初めて見た時、心の底から気持ち悪いと思った。

 同じ顔が二つ並んでいる。

 背丈も髪形も心配してる表情も瓜二つ。まるで鏡合わせかドッペルゲンガーのよう。


 頭だけでなく目までおかしくなったのかと思ったが、すぐに思い出した。彼女たちは双子の姉妹。古くからの幼馴染で掛け替えのない友人。綾香と静香だ。


 それなのに、久しぶりの再会なのに心は冷めていた。

 妙に居心地が悪い。違和感しかない。なにも考えずに話せたはずの仲なのに距離感がつかめない。情報だけ頭の中に入って心が動かない。


 そもそもなんで気持ち悪いだなんて……


 いや違う。二人がおかしいんじゃなくて、きっと俺がおかしいんだ。

 眼鏡のピントがあってないのと同じだ。もう双子も成長しているのに、俺だけ半年前のレンズで見てるから、今との認識のズレが生じて気持ち悪く感じるんだろう。


 でも大丈夫だ。いずれピントがあってズレも感じなくなる。

 現にこの一年半で彼女達に覚えた違和感も薄れて、昔のように過ごせるようになった。


 ……それが、どれだけ残酷なことかも知らないで。


 ●

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