5. 念入りな釘刺し

「なんでこんな悲しい放課後を迎えにゃならんのだ……」


 静香にああまで言われたらバス停で鉢合わせするわけにもいかない。結局降りだしに戻って時間を潰さなくちゃならなくなった。


 教室は新聞部の連中が万が一残ってたら記事のネタにされそうだから却下。屋上にこんな短時間でもう一度は流石に行き辛い。


「……図書室に行くか」


 もう妥協した。黒子のように読書に没頭すれば周囲の視線も気にならないし、隅っこの個別の机に行けばあまり目立たない。今なら人もそれほど多くないだろう。


 図書室は二階の中央階段の近くにある。

 新聞部のいる俺のクラスの近くは横切りたくなかったから、一階下に降りて二階の三年の教室を勝手に横切って向かった。


 図書室に入ると、やっぱり教室が近いせいか三年生が多かった。カウンターでは貸し出し当番の図書委員が暇そうに頬杖をついている。


 小学校の頃はバーコード式で本を借りてたが、慈薩中ではブックポケットの中にあるブックカードに記入する必要がある。

 名前も書く必要があるから、個人情報保護の観点から今時あまり使われてない仕様のはずなんだが……ほんと、進学したはずなのに時代に逆行してる気分だ。まあ別に名前書くくらい俺はいいんだけど。


 適当に数少ない漫画を数冊手に取って、仕切りのある隅っこの机に移動。途中で何人かとすれ違ったが、思いのほか俺に目をやることもなく素通りしていた。

 

 俺が自意識過剰だっただけで、案外朝の件はそこまで話題になってなかったのかもしれない。


 まあそう思いたいただの俺の願望なんですけどネ。


 そうため息をついて椅子に腰掛けようとして、ここでも先客がいることに気がついた。


「げっ」


 見覚えのあるサイドテールが、隣のテーブルでうつ伏せになっている。

 無視したかったが大判の本を枕代わりにしてて、よだれでも垂らされたらまずそうだ。


 ……仕方ねえ、起こしてやるか。


「おい、図書室は寝るところじゃねえぞ」

「ふぇッ! あばばばばばばばッ!」


 声をかけた瞬間、綾香は飛び跳ねるように左右を見渡して慌てて分厚い本を開き始めた。


 ……『論理学による思考探究論』とか絶対読む気ないだろそれ。


「慌てすぎだろ……逆さだぞ本が」

「う、嘘ッ! ……って合ってるじゃない。急に話しかけないでよ。びっくりするでしょ」

「話しかけただけでそんな気が動転するくらいなら、最初から寝るな」


 ようやくここが図書室だとはっきり思い出したのか綾香は深呼吸をし、恥ずかしそうに声のトーンを落とした。


「し、仕方ないでしょ。今日はアンタのせいでかなり疲れちゃったんだから」

「朝の件は確かに悪かったけど、付き添っただけでそこまでぐったりするほどでも……」


 まさか静香のように昼休みの件をまだ引きずってるのかと思ったが、そうじゃないらしい。これみよがしに綾香は大きくため息を吐く。


「ぐったりするわよ……アンタが目の前で吐いた子いたじゃない? あれ私と同じクラスメイトなのよ」


 光のことか。ってかクラスメイトをあれ呼ばわりかい。


「放課後にその子から「二度と私の前にあの汚物を近寄らせないで!」ってそれはもう強くしつこくうんざりするほど言われてね。疲れたのよ」

「お、汚物……?」


 汚物から守ったのに、汚物扱いされるのは流石にきつい。ってか、ひでえ。


「きっと性根が納豆のように腐っているから、グチグチネチャネチャと粘着して来るんでしょうね。ねえ、なんで吐いたアンタのために私が愚痴吐かれなきゃならないの? 本当にダルイんだけど? ネチネチネチネチ」

「……お前も納豆になりかけてるぞ」

「あ?」

「す、すみません……」


 しかしどうやら光という女子生徒、性格はかなりきついらしい。

 思えばあの時関わりたくないって面倒くさそうに綾香が言ってたが、あれは冷やかしてくる女子集団じゃなくて、光に対してのものだったのかもしれない。


 しかし俺だけが彼女を救った事実を覚えている……って強引に自分に酔って朝の醜態にも耐えてたのにほんと心折れる。めちゃくちゃ拒絶されてるし、静香にも言われたけど本当に謝りに行かない方が良さそうだ。


 そう落ち込んでいると、綾香の顔が急にスッと真剣なものに変わった。


「ところでアンタ。私がここで寝ている間に誰か女子と話さなかった?」

「……へ? 藪から棒になんだ」

「いや朝に吐いて酸の匂いがしてそうなアンタから、なぜか甘い匂いがしたのよね。だから、どっかの女子にちょっかい出してたんじゃないかって思ったんだけど……違う?」

「誰が酸の匂いじゃ……」


 そう深く息を漏らしながらも動揺を隠せなかった。

 酸の臭いがしてそうと言われて傷ついたのもそうだが、匂いだけで女子と出会ったことを看破するなんてどんな嗅覚してんだ。前世は警察犬かなんかだったんじゃねえかこいつ。 


「静香とさっき会って話したからそのせいじゃないか」


 そうとぼけた瞬間、綾香の眉根が不快そうに寄った。

 看破されたんじゃないかと一瞬ドキリとしたが、そうじゃないらしい。


「静香と……? どこで?」

「いや三階の西階段でバッタリ会ってよ。新聞部の集まりがあったんだとよ。けど、もう先に帰っちまったよ」

「そう、それはよかった……」


 ふっと綾香の張り詰めた表情が和らいだのを見て、少し違和感を覚えた。


「……? なんでそんな安堵してるんだ?」

「え? あー。アンタが昼休みに余計なこと言ったせいで、静香が美少女姉妹の記事を取りあげたいって取材に来たのよ。納豆のせいで疲れてるのに、他の新聞部の生徒を引き連れて私のクラスまでやってきた時は、もう面倒くさすぎて頭がどうにかなりそうだったわ」


 あれ呼ばわりからついに納豆に。そういや姉妹でクラスが違うんだったな。

 基本的に姉妹の仲は良いが、静香の度が過ぎた心酔ぶりに綾香が辟易することがたまにある。姉妹に向ける愛情の分配までそっくりってわけでもないらしい。


「それで美少女姉妹の姉の方は嵐がすぎるまで、図書室で身を潜めていたってわけか」

「そうよ。バス停でバス待ってたら静香につかまりそうだからね」

「へえ、綾香様は自分が美少女だってご自覚がおありのようで」

「まあこの学校じゃ一番可愛いでしょ?」

「言ってることは一番可愛くないけどな」


 もはやその当然のように言える自信が逆に羨ましい。その強気を黒子に百分の一でもいいからわけてやってくれ。


「で、朝にもどしたアンタに話戻すけど」

「余計な修飾語入れる必要あった?」 

「本当に静香以外の女子と会ってないのね?」

「……本当に口酸っぱく問い詰めてくるな。お前の方が口から酸の匂いがしそうだぞ」

「あ?」

「なんでもないです……」


 その怖い剣幕と「あ?」の一言で言論を封殺するのほんと理不尽。「い?」って返せば向こうが「うっ」と怯んでくれないだろうか。


「なんでお前に俺の交友関係を詳しく知らせなきゃならないんだよ。そんな義務ないだろ」

「だ・か・ら。アンタが何かやらかせば身近にいる私の管理不行き届きになるの。まさかもう私になにか隠し事があったりしないわよね? 朝の件で騒ぎがあったのにもう他の一年の女子と接触したりしてないわよね?」

「し、してないです」


 な、なんちゅうピンポイントな指摘だ。


「本当? 静香に後で訊くけど」


 綾香にじーと覗き込まれる。居心地は言うまでもなく悪い。

 ただでさえ視線が鋭くて怖いのに、勘まで鋭すぎて心臓にまで刺さりそうだ。もう本当は知ってるのに俺を追い詰めようとわざと言ってないだろうな……


「か、構わないぜ? 本当に誰とも会ってないんだからな。むしろ朝の件で周囲に避けられてるくらいだ」

「……まあ今日は信じてあげるわ。でも嘘だったら殺すからね」


 ようやく綾香の眼差しがふっと和らいでくれた。どっと疲労感があふれて来る。

 殺害予告されるの今日でもう三度目だぞ。どんだけ俺の息の根を止めたいんだ……

 




                         ●

 ──唐突に、階段の上から誰かに背中を押された。


「…………え?」


 一瞬で頭が真っ白になる。身体が投げ出されて、唐突に覚える浮遊感。

 電車のホームの端に立っていたら間違いなく確殺だ。そんな飛び込み選手もびっくりな勢いで、俺は頭から勢いよく床に叩きつけられた。


 視界が明滅して、意識が急速に奪われる。


 それでも気を失う寸前、視界の端で俺は階段の上にいた人影を見た。

 そいつは……確かに俺がよく知っている少女の顔だった。


 だからこそ、誰なのかわからなかった。

                         ●



「……な、なんちゅう夢だ」


 自室のベッドの上で大きくため息を吐く。最悪な気分で朝を迎えた。


 寝汗が寝巻や布団にびっしょり濡れていて、一瞬この歳にして漏らしちまったかと思った。ほんと勘弁してくれ。叔父さんや叔母さんに知られたらマジで死ねる。


 それにしても……最悪な夢だった。

 押された時の感触や頭を打った音が変にリアルで、夢にしてはよく覚えている。俺の格好も小学校の時のもので実際に頭を打った時期と重なっていた。


「……まさか、マジの記憶じゃないだろうな……」


 医者や周囲から階段から足を踏み外したと聞いていたから、俺も階段ではなくドジを踏んだとばかり思ってたが、実は突き落とされていたんじゃ……


「……んなわけないか」


 仮に夢の内容が事実だとしても、もうあれから一年半だ。

 今さらそんな昔のことを蒸し返して、犯人捜しなんてする気力は流石にない。

 第一犯人を特定しても、突き落とされた証拠なんて残ってない。記憶が混濁していると言い返されればそれまでだ。泣き寝入りにしては寝た期間が長すぎて笑えないが、今さらどうしようもないのである。


 きっと最近殺す殺すと物騒な言葉を立て続けにぶつけられたから、こんな夢を見たんだろう。はた迷惑な話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る