最終話 イカれたやり直し

 結論から言うと俺は生きていた。


「…………」


 ……マジかよ。

 いや代償でどう考えても死ぬ流れだと思うだろ普通。


 削り戻りのイメージが今までで一番鮮明だったから、代償の負担が軽減されたんだろうか。いや確かに両親が死んだ時の光景を頭の中でうまく再現できたけどさ。


 目が覚めた時、俺は病室のベッドで寝かされて点滴のチューブが繋がれていた。


 身体は重いなんてもんじゃない。

 メデューサに石にされたようにまったく動かせなかった。

 半年寝た切りになった時と同じで筋力が低下してるんだろうが、なんかその時よりもきつい気がする。


 その悪い予感は無駄に大当たりしたようで、なんとか会話できるようになるまで回復した時、唐突に医師から深刻な表情で切り出された。


「えーと……? 今なんて?」

「いいですか、落ち着いて聞いてください。あなたは事故のショックで二十年間ずっと寝た切りだったんです」


 落ち着いて聞いていられるか。


 いや二十年って。二十年て……


 流石にめまいがした。

 どうやら削り戻りには無事……いや全然無事じゃないが成功したらしい。


 俺は両親が死んだ事故現場から二十年意識不明だったようだ。

 削り戻りをした中学の地点からだとだいたい十五年後になる。


 きっと教室やバスの時のように削り戻りでイメージした過去まで戻れたが、代償でまたそこから意識を奪われたんだろう。寝坊もここまで来ると絶望を通り超してもはや笑えてくる。


「……ずいぶんと落ちついて聞いていらっしゃいますね」


 けっこう動揺してたんだが、両親が事故死してから二十年も寝たきりになった小学生の反応としては、流石におかしかったらしい。

 医師からは感心されるどころか不気味そうな目で見つめられていた。


 まあ両親のことはとっくに整理ついてたし、明らかに中学よりも身体が成長してるから覚悟はしていた。むしろ事故の時から二十年で安堵したくらいだ。


 一番まずいのは削り戻りに失敗して、あの屋上から二十年経っているケース。もし過去にも戻れず意味もなく無駄に時が過ぎてたら発狂してたかもしれない。


 とにかく運命は変えられた。 

 俺は悲劇を食い止められたのだ。


 それなのに……まるで力が入らない。


「……当然、か」


 あの学生時代の楽しかった日々には二度ともどれない。

 いや未来永劫訪れない。そう考えるだけで……気力が空っぽになる。補充しようにも空っぽな人生から送られる栄養源なんてゼロだ。


 まるでゲームをリセットして、初期状態のステータスのまま中盤まで進められてる気分。

 周囲とはもう圧倒的に経験値に差がついて、レベル不足でなれる職業も限られている。

 綾香も静香も黒子も義弘も今や赤の他人。知り合い面して会っても今なら不審者として通報される。


 事故から五年で築き上げてきた交友関係が無に返って、重要な試験や学生時代のエピソードを全てすっ飛ばして、ここから一から、いやマイナスから頑張りましょう?


 できるかよ、そんなもん。やる気が出るわけねえ。


 ……ダメだ、泣き言しか思い浮かばない。プラスに考えよう。


 まだ二十八だろ。一瞬でジジイと化した浦島太郎に比べればまだやり直しができる年齢なだけマシ……。


「いや……もうやり直しはできないのか俺は」


 もう削り戻りにも意味はない。

 過去の時間は全てベッドの上で予約満員だ。いやまた事故現場になら戻れるかもしれないが、今から二十年前に戻ろうとした時は、


 きっと、もう自殺しようと思った時だ。


 


 それから病院で時間を無駄に過ごす毎日が続いた。


 一時期は記者や親戚やらと色んな人が詰めかけて来たが、それも今は大人しい。まあただ人生をサボっていた俺にいつまでもかまけるほど、俺と違って他の人は暇じゃないんだろう。


 もう身体は動けるようになって来たが、片足に麻痺が残ってるせいで松葉杖生活。それなのにリハビリに力が入らないから、入院期間がどんどん延びていく。


 ただただ無気力に人生をドブに捨てる時間が続いた。

 いやもう捨てられたドブの中で、這い上がる努力もせずに怠惰に泳いでいると言った方が正しいか。


 曇り空の広がるある日、俺は病院の屋上庭園のベンチにぼんやりと座っていた。


 この花壇や天然芝で緑化した空間は病室と違って自然を感じる。

 フェンスの外はアパートやら高いマンションやらが見えて、外の景色を見るたびにここが羽木山市じゃないと認識させられる。流石に二十年経っても巨大隕石でも降って来ない限り、山はなくならないからな。


 ここが何県の病院なのかは医師の真面目に話を聞いてないからわからなかった。まあ聞いても頭に入らないし、入ってもすぐに抜けていくんだからどうしようもない。


 庭園で家族と一緒に歩いてる人や歩行練習に励んでる人を見るたびにうらやましく感じる。

 俺にはもう繋がりもなければ身体を治して何かしたい目標もない。

 昔はあの双子に救済されたがその時間は葬り去られてもう存在しなくなってしまった。


 それになにか……綾香のことでとんでもないことを見落としてる気がするが、考えても意味がないし、きっともう思い出すこともないんだろう。


 事実、時が経つに連れて、あの学校生活の日々も本当に夢のように記憶からぼやけて来ている。いや事故から二十年眠っている間に見た夢だと言われても今の俺には否定できない。


 もちろん羽木山市の風景や住人の名前を調べれば、すぐに事実かどうか調べられるんだろうが、それでもできなかった。


 もし本当に夢だったらと思うと……怖くて確かめられない。


「なんで……生きてるのかな俺……」


 気を抜けばいつも弱音を吐いて、涙をこぼしそうになる。

 死にたい。ただ死にたい。


 がんばれがんばれと自分を鼓舞しても全然気力が出ない。がんばった先になにもない。いっそ殺してくれ。どうして俺をそのまま死なせてくれなかったんだ。


「殺してくれ、誰か俺を殺してくれ……」


 心の悲痛な叫びが漏れる。

 二十年前の光景を思い浮かべて、何度両手を組み合わせようとしたかもう数えきれない。


 絶対に楽に死ねるとわかっていれば、もうなんの躊躇いもなくシンバルを叩くチンパンジーのごとく両手を組み合わせるんだが、その保証がないだけに後一歩が踏み出せない。実際死ぬと思ったのに生きているのが今なのだ。


 今度削り戻りに失敗したらもっと年月が経って、地獄の苦しみを味わいながらベッドの上で死ねない生活がずっと続く可能性だってある。


「……いかんいかん」

 

 考えを振り払うように首を振る。

 また塞ぎ込みかけた。俺の突発性憂鬱症候群も困りものだ。


 こんな二十年も大金掛けて生かされたのに、自殺するような恩知らずにはなりたくない。綾香のように人を不幸にして死ぬのは絶対にごめんだ。


 早く治そう。

 仮に自殺するにしても、少なくとも人に迷惑をかけないように人知れず死なないと。


 気を取り直して持っていた文庫本を開く。

 よっぽど俺は人生に疲れた顔でもしてたのか、廊下を歩いていたら高校生ぐらいの少年に「おじさん、これ読めば嫌なこと忘れられるよ」と覚醒剤でも勧められるように渡されたのだ。


 誰がおじさんじゃ。精神年齢的には俺の方が年下だぞクソガキが……とワシは年寄りじゃないとキレ散らかす老害の心境に一瞬なりかけたのが哀しい。

 綾香は度が過ぎてるが、やっぱり人間、精神的に余裕がないと心が醜くなるんだろう。


 とはいえ、心の中がどれだけ荒もうと表に出さなきゃ無罪。


 せっかくなので素直に好意に甘んじて、こうして文庫本を懐に忍ばせていたのである。

 自信満々に勧めて来ただけあって、働かない頭にスーっと入り込む読みやすい文章で展開もノーストレス。内容もなかなか面白かった。


 今なら黒子が屋上で本を読んでいた気持ちもわかる気がする。

 頭の中が淀んで濁っている時は一文字も読めもしないが、たまに調子の良い時は物語に没頭して現実を忘れられる。今日もそれに期待しよう。


 そう主人公最強おっさん系の異世界転移ハーレム物のラノベを読もうとしたところで、



「みぃ、つけた」



 おぞましい声が、聞こえた。


「え…………?」


 別にさっきまで二十年寝た切りだったわけじゃないのに、全身の悪寒で身体が磔にされたようだった。


 俺のいるベンチからそう遠く離れてない所。なぜかセーラー服の少女が俺を見て、


「あははははッ、みつけた、みつけたぁッ!」


 ケタケタと口元を釣り上げて笑っていた。

 もちろん、俺は笑えなかった。


 それは慈薩中の制服で、俺のよく知る双子にそっくりで、

 片手には……ナイフを持っていたから。


「な、なんで……」


 あり得ない。意味がわからない。悪夢かこれは。

 無かったことになったはずだ。もうあれから十五年経っているはずだ。


 普段のように髪型で判別するなら静香なんだろうが、本来の時間の静香は死んでいる。


 中学校時代の姿でいられるのは……綾香だけだ。


 思えば屋上で最期に見た綾香も髪型をストレートにしたままだった。あの時の綾香も似たようなナイフを持っていた。


 じゃああの時に死んだから、十五年後の今でも成長が止まっている……?

 まさか、本当に幽霊として化けて……


「許せないッ……!」


 そんな俺の怯えに反応するように綾香の笑みが止まり、怒気に満ちた視線がナイフ以上に鋭くなっていく。どんどん表情が険しくなっていく。


「よりにもよってあの子を選ぶなんて……殺してやる……殺してやる…………ッ!」 


 もう限界だった。

 気づいた時には俺はベンチから離れて駆け出そうとしていた。


「う、うわあッ!」


 だけど、気が動転しすぎて片足がろくに動かないことを忘れてた。松葉杖をベンチの脇に置き忘れて、そのまま地面に身体が放り出された。


「あ……ぁ」


 頭上から射抜くような視線が刺さる。

 もう逃れられない。綾香が長い髪を揺らめかせて、ナイフを揺らめかせている。まな板の上の鯉だ。どう調理されてもおかしくない。


 生きるのがどうでもいいと思ってたのに……人間は命の危機に瀕する恐怖には抗えないらしい。これで楽になるとか全然考えられない。もう本能が生きたいと叫んで、慌てて這いずるように離れようとしていた。


 でもそれも無駄な足掻きだった。無理やりひき寄せられて……綾香は俺の上に馬乗りになった。


「あ、ああぁ……!」


 助けを求めて見渡しても周囲には誰もいない。つまりもうどう足掻いても助からない。それはつまり絶望しかなかった。


 綾香は上体を逸らして、ナイフを突き刺す態勢に入っていた。

 そして……嬉しそうに、悲願を果たすように、高らかに笑い声を上げた。


「ふ、ふふふふッ、あひゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」


 ナイフの切っ先が迫る。

 そして容赦なく、躊躇なく、俺の顔面に振り下ろされた。


 








































「……驚きました?」

「お前さぁ、マジでフザケンナヨ?」


 照れくさそうに笑う綾香の姿をした少女に、俺は割とマジでキレていた。

 いくら悪ふざけでもひどすぎる。


 襲撃者の正体は驚くべきことに二十年後の黒子だった。


 なんで俺のことを覚えてるのか知らないが、変貌メタモルフォーゼの能力で綾香の姿になって、わざわざ玩具のナイフを持参してまで俺を脅かしに来たらしい。


 病院の場所は羽木山に住む俺の親戚から、教えてもらったんだという。俺のプライバシーはいったいどうなってんだ。


 ナイフもよく見ると安っぽい玩具。

 額を突き刺された時は間違いなく死んだと思ったが、単に剣先が柄の中に引っ込んだけだった。


 いやでも場所が同じ屋上でナイフを振りかざされたら、シチュエーション的にビビって気づく余裕なんてあるわけがない。

 そんなタチの悪いドッキリやるから虐められてたんじゃなかろうな。


「そ、そんなに怒らないでください。すみません……ちょっとやりすぎました」


 流石に俺の怒り様に黒子も反省したのか、申しわけなさそうに頭を下げていた。綾香の姿で謝ってるから違和感がとてつもない。


「ちょっとじゃねえだろ……どうとち狂ったら昔の綾香の姿になって、俺を殺すフリして驚かそうとか思うんだよ!」

「ほ、本当にすみません。ちょっと驚かすつもりだったんですが……綾香のフリを長い時間やってたせいか、やりすぎのラインがわからなくなっちゃってたみたいです」

「うぐっ……」


 そう言われると責任の一端が俺にもある分、強く言えない。

 まあ確かにあの傍若無人のしでかしたことに比べると優しいかもしれないけどさ……


「……でも啓太さんも悪いんですよ? あんなにやめてくださいって止めたのに、無理やり振り切って過去に戻ろうとするから……これはあの時の仕返しです」

「だからって、わざわざ制服着てこんな玩具のナイフ持参してお礼参りに来るか普通……てっきり綾香が幽霊として化けて出てきたかと思ったじゃねえか」


 まだ身体に震えが残っている。

 確かに制止を振り切って過去に戻ったのは悪かったけど、死体隠蔽もろもろの罪をチャラにしたんだからここまでしなくていいだろうに。


 俺がまだ恨みがましく見ているのに勘づかれたのか、黒子がしゅんとうなだれていた。


「……確かに啓太さんの気持ちも考えずに不謹慎すぎましたね。土下座して謝ります」

「い、いやせんでいい。わかった。ごめん。俺も言い過ぎたって」

 

 膝を付きかけた黒子を慌てて止める。

 でもよくよく考えて見たら綾香の姿で土下座したところで、むしろ黒子の気が晴れるだけじゃなかろうか。


 どっと疲労感が溢れてため息を吐く。そして、


「……それで? なんで俺のことを覚えてるんだ?」


 気になっていた肝心の本題を切り出した。


 今までにこんな前例は無かった。過去に戻って記憶を保持できた奴なんて俺以外にこれまでに見たことがない。

 もちろん覚えていてくれたのはめちゃくちゃ嬉しいのだが、その分どうして覚えているのかが気になる。


「あ、すみません。ちょっと待ってください。綾香の顔は嫌なので私の顔に戻しますね」

「なら最初からやるな……」


 そう黒子が両手で押さえた途端、全身をパキパキきしむ音を立てて身体を変えていった。

 ちょっとでも骨がずれたら内蔵が突き刺さったりしそうで、見てるだけで怖い。昔の光がグロ子と呼んでた理由がわかった気がする。


「ふう、久しぶりだったんですが……大丈夫でした。もう綾香の顔にしませんから、二度と見ることはないですよ」


 一仕事終えたように額を拭う黒子。二十年後の姿に戻るかと思ったが、予想に反して中学時代の黒子の姿だった。


 けど昔と違って憑き物が取れたような顔をしている。暗い感じはもうどこにもない。綾香から解放された影響が前面に出ているようだ。


「なんで中学時代の姿? もう二十七か八ぐらいだろお前」

「流石にこの制服で元の姿に戻ると色々ときついので……バッグの中に着替えはありますが、時間がかかるのでこの姿にしました。……どうしてもというなら今の私の姿に戻りますけど体格に差があるから一時間ぐらい時間がかかりますが、それでもよろしいですか?」

「いや、そのままでいいです……」


 黒子の大人の姿は気になるが、そんな病院もびっくりな身体大改造をここで披露されても困る。急かして変身の失敗が死因になったら洒落にならない。


「そうですか。……へえ、啓太さんってこういう本が好きだったんですね。意外です」


 ぬかった。

 黒子は地面に落ちていた文庫本を拾って、興味深そうに見つめていた。


 どうやらさっきの驚いて落とした拍子に、ブックカバーが外れてしまっていたらしい。胸を露出したヒロイン二人に主人公が抱きつかれている少々過激な表紙が露わになってる。


 気にならん奴は堂々としてるんだろうが、俺はまだ精神的には思春期真っ盛りの少年で、その域には達していなかった。


 ぐ、ぐぬおおおぉ……! なぜ、なぜ俺がこのような辱めを……


「参考までに後でお借りしてもよろしいですか?」

「返せ」


 なんの参考だ。

 表紙を開いた先の挿絵は病院に持ち込んだのがバレたら何か咎められそうなほど不健全。内容を読まれて傷口が開く前に早めにとり上げる。


「で、もう一度訊くけどどうして俺のことを覚えてるんだ? 俺は事故の時に戻ってそれからずっと病院で寝た切りだったから、親戚の家に引きとられてないし、羽木山市にも行ってない。なら、お前と接点がないはずだぞ」


 そう訊くと黒子は困った表情を浮かべた。


「そう言われましても覚えてるから覚えてるとしか……」

「覚えてるから覚えてると言われましても……じゃあ、覚えてるのはいつからだよ」


 ループ物によくある突然並行世界の記憶でもよぎったんだろうかと思ったが、そうじゃないらしい。


「啓太さんと一緒で目が覚めた時からです」

「目が覚めた時? まさか赤子の時から覚えてたっていうんじゃ……」

「? だから多分一緒のタイミングだと思いますよ?」


 こてんと首を傾げられて嫌な予感がした。

 考えてみれば、そもそもいい年こいた大人が精神年齢中学生を相手に、こんな大人げないドッキリを仕掛けるだろうか。


 いや小学生が妹の死体を解体するのに比べればあり得すぎるレベルなんだが、どうも引っかかる。会話も中学の時と同じ感覚で話せてるし、時の隔たりをそこまで感じない。


 すると、黒子は気まずそうに頬をかいて言った。


「啓太さんが両手を組み合わせようとした時、止めようとして私が腕をつかんだのを覚えてますか」

「あー、なんとなく」


 言われてみれば確かにつかまれた覚えがあった気がする。


「でもそのつかんだ後すぐに急に気が遠くなって……気づいたら私はこことは違う病院で入院していました。どうやら自宅で私は倒れていたみたいなんです。でも、この病院より腕の良い病院だったのか早く退院できました」

「た……退院……?」


 言ってる意味がしばらく飲み込めなかった。


『な、なんでぇ。確かに殴ったのに……』


 そういや昔、俺が光にライトクロスカウンターした時、彼女は妙なことを言っていた。


 俺は光の拳を避けてるのに、確かに殴ったのに……なんて彼女がまるで一度殴ったことがあるような台詞はよく考えると違和感がある。


 いや違和感は他にもあった。いくら自分の頬が殴られる瞬間を狙って、削り戻りでカウンターを試みたとはいえ、フルボッコにされていた相手に一発で完璧なカウンターを俺が取れるのは出来すぎじゃないだろうが。


 全身に冷や汗が噴き出てくる。 

 削り戻りをする時は両手が塞がってるから、誰かに触れた状態で発動する機会がなかった。


 でも、まさか……誰かに触れている状態で発動したら、その相手も能力の影響受けるのか?


 殴られる瞬間を狙ってといっても触れるのは一瞬。頬に触れるジャストタイミングで削り戻りしたのはせいぜい一回だろう。


 けどもしその時に光も削り戻りの効果を受けていて、殴った記憶があるのにまだ拳が届いてないから動揺して隙ができたんだとしたら……?


「ま、まさか。お前も俺と同じで……二十年近く寝た切りだったのか?」

「はい!」


 そう即答された瞬間、目の前が真っ暗になった。

 はいじゃないが。どう考えてもはいですまされないが。


 さっきのドッキリなんて報復として生ぬるすぎるレベルだ。俺でさえ死にたくなるくらい追い込まれてたのに、こんな意図しない形で二十年近く病室で人生を奪われたら、もう諸悪の根源を滅多刺しにしたくなるもんじゃなかろうか。


 一瞬、両手を構え掛けたが……すぐにだらりと重力に負けた。

 ダメだ……本当に詰んでる。


 過去にどう戻ろうと、彼女の代償を回避する手段がない。もう俺と同じで昏睡状態になることが確定している。


 気付いた時には、罪悪感に負けて膝から崩れ落ちていた。


 俺は、黒子の人生を、本当に潰してしまった……


「だ、大丈夫ですか啓太さん」


 突然うずくまった俺を見て、心配そうに黒子が詰め寄って来る。どう考えても大丈夫じゃないのはお前の方だろ。


「どうしてお前が心配そうにするんだよ。俺は……取り返しがつかないことを……」

「……そうですね。啓太さんの身勝手な行動のせいで、もう私の二十年はどう足掻いても戻ってきません。責任は取らなくちゃいけない、でしたっけ。いったいどうやって責任を取るつもりですか?」


 事実が鋭い切れ味で心臓を抉って来る。

 責任を取れと言われてもその方法がわからない。今の社会的にカースト底辺に近い俺にはなにも差し出せるものがない。


「俺は……いったいどうしたら……」

「そんなの決まってるじゃないですか」


 黒子は正面から笑って当然のように切り出した。


「私と結婚してください」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。


「……えーと、え?」


 聞き間違いだろうか。

 まだ言葉の意味を消化できないで困惑していると、黒子は頬を膨らませていた。


「屋上で私のこと好きだったって言ってたじゃないですか。まさか……あの言葉は嘘だったんですか?」

「う、嘘ってわけじゃないけど……」


 今際の際だったのにこれから結婚しようとか考えるわけがない。ってか、付き合うならまだしも飛び越えて結婚って色々とぶっ飛びすぎだ。 


「自暴自棄になってるのか……? やっぱりお前……俺の能力で頭がおかしくなってるんじゃ」

「あんまりナメたこと言ってますと、そろそろ刺しますよ?」

「ひっ!」


 玩具のナイフだってわかってるのに、真顔で構えられると普通に怖い。


「はあ……仮に極歩譲って頭がおかしくなってるんだとして、戻す術がない以上結局は啓太さんが責任を取って死ぬまで面倒見るべきですよね?」


 ぐうの音も出ない。

 それになんだろう。黒子から凄く……圧を感じる。なら戻す術をこれから探そうとか言ったら本当に恐ろしい目に遭う気がする。 


「昔は違う人の人生に憧れていましたけど……今の願いは違います。私は貴方が好きって言ってくれた私として貴方と共に人生を歩みたいんです。だからもちろん二十年無駄になって良かったって思えるくらい私を幸せにしてくれるんですよね?」


 そう笑いかけられて、言葉が出なくなった。

 これは多分、いや絶対に綾香のフリをし続けて来た悪影響とやらがモロに出てる気がする。


 ……プロポーズっていうより、脅迫だろこれ。


 思わずため息をついてしまった。


「な、なんですかその息は。まさか断ったり……しません……よね?」


 そう不安そうにのぞき込む黒子を見て、吹き出しそうになった。でも懐かしい気分だけど、そんな顔をさせるべきじゃない。


 重いこと言われてるのに、不思議と気分は軽かった。

 当然だ。もう俺の終わった人生に誰も付き合おうとしないと思っていた。

 それを、ずっと一緒に居ようと、しかも好きだった子が言ってくれるのだ。


 ならきっと……これほどありがたいし幸せなことはない。それを突っぱねる理由はどこにもなかった。


 黒子と同じで俺の願いも今は違うらしい。

 あんなに時を戻してやり直したいと願っていたのに、今は彼女と同じ時を進みたいと思うようになっていた。 


「ごめん、悪かった。俺の方から頼む。俺と結婚してくれ」


 時期尚早のプロポーズにもほどがある。

 きっと削り戻りとは違う代償や困難が待ち受けているんだろう。


「啓太さん!」


 でも、黒子がパアッと満面の笑みで喜んで俺に抱きついて来たのを見て、そんなのどうでも良くなった。


 そうだ……こんな感じで笑う子だったんだよな。


 俺も強く抱きしめ返す。もう二度とこの笑顔を失わせたくない。

 やり直し方としてはイカレてるかもしれないけど……もう無かったことなんかにしない。どんなに辛いことがあっても、彼女と一緒に乗り越えていく。


 そうどんな障害があろうと揺るぎはしない、断固たる決意を俺は今確かにしたのだ。


「お巡りさんこっちです! あの男が未成年の少女に求婚していたんです!」

「…………」


 断固たる決意が揺らぐ音がした。


 いつの間に目撃されていたのか、不審に思った職員に通報されていたらしい。

 見間違えであってほしかったが、青い制服を着た警察官の姿が何人か見えた。到着が早すぎる。


 絵面的には確かに中学生の少女に抱きついてる現行犯。

 そして傍らには証拠品とばかりに三十代のおっさんが十代の少女たちと結婚してハーレムを築くラノベ。


 果たしてこの状況証拠がそろっている中で有罪にならずに済むんだろうか。まさか綾香よりも先に警察の世話になるなんて思ってもいなかった。


「やっぱ……やり直しちゃダメかな……」


 救いを求めておずおずと黒子の方を見るも、


「ダメです」


 あっさり笑って却下された。

 捕まれと、そうおっしゃいたいのですか貴方は。


 目まいがして来た。

 まあ……社会的立場を気にするぐらいには俺も精神的に回復したってプラスに考えよう。


 でも時だけじゃなくて、場所も選ぶべきだったな……

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クレイジーリセット 一ノ瀬 乃一 @syazai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ