3. 社会的に死んでいた

 それは小六の一月末の話。

 掃除の時間。俺は学校の階段から転げ落ちたことがあるらしい。


 らしいというのは、俺はその事故以前の記憶がところどころ抜けてて、後から聞いた話だからだ。きっと飛び込み選手もびっくりな勢いで頭を打って記憶が飛んだんだろう。


 これで病院で寝た切りになって、人生も半年すっ飛ぶ羽目になったんだから正直たまったもんじゃない。


 当時は知らぬ間に小学校を卒業して中学で出遅れるわ、起きてしばらくはあの双子と変な距離感が出るわと本当にろくな思い出がなかった。


『削り戻り』で事故前に戻りたくても流石に手遅れ。


 数十秒戻すだけでも吐くくらいなのだ。半年前なんて戻ったら代償で入院期間がもっと伸びるか、むしろ短くなって火葬されかねない。


 それに削り戻りに一番大切なのは過去の光景のイメージ。

 明確なほど成功率は上がるが、不鮮明だとほぼ確実に失敗する。そんなリスクなんてとても負えない。


 まあ俺としてはもう割り切ってるし、半年以上も無駄にしたんだから笑い話ぐらいには昇華したいんだが、俺が冬眠中あの双子はかなり心配していたらしい。一時期は寝込んで学校を休むほどだったとか。


 だから俺がこの自虐ネタに走ると、二人は露骨に気分を悪くする。だから久しく口にしてなかったんだが……つい油断してあの白けようだ。次は殴られかねんし気をつけねば。


 そう反省してる内にいつの間にか帰りのHRが終わって放課後を迎えていた。

 やかましくガタガタと椅子を鳴らして、クラスメイトたちが教室から退出していく。


「これからどうすっかな……」


 行きはあの双子と一緒に登校してるが、帰りは特に待ち合わせはしてない。

 いつもなら俺もクラスメイトに続いて帰るんだが、今日は足が重い。というか気分が重い。


 もちろん理由はあの朝の吐いた件だ。


 もし顔を覚えられていて、帰る時に知らぬ生徒に指を刺されて笑われようものなら、二度と立ち直れない。人がいる時間帯に外に出たくないし、しばらく一人で心の傷を癒す時間がほしかったのだ。


 だけどそうなると、問題はどこで時間を潰すか。


 教室は放課後に新聞部が使うから早めに退出をしろ、と担任から嫌がらせのように命じられてる。


 図書室もこの時間はまだ人が結構残ってそうだ。

 トイレの個室はこもってるのがバレたら、水に流すどころか放課後まで吐いてるとか致命的な噂が流れかねないから爆速で却下。


 結局、消去法で結論が出た。


「……屋上に行くか」


 慈薩中の屋上は開放されている。

 あまり生徒たちに知られてないのは、屋上に施錠されているイメージが強いからなんだろう。


 教室を出て校舎の西階段を上る。

 俺の今いる四階建ての本校舎は、学年が進むごとに階段を上る負担が減る仕様になっている。一年のクラスが四階、俺がいる二年のクラスが三階、三年のクラスが二階というわけだ。


 だから下手すれば四階であの双子や、朝に目の前で吐いた光に遭遇する可能性はあったんだが、念入りに周囲を警戒したおかげで問題なく通過できた。


 そう安堵して屋上の扉を開くと、広がる青空と白い雲が俺を出迎えた。


 爽やかな風に近くの森のさざめき。地面にはねずみ色のタイルが詰められている。けっこう汚いから上履きで歩くのは若干抵抗。屋上にあまり人が寄り付かないのは、こういった衛生面上の理由も含まれてるのかもしれない。


 まあ、朝の件でもう汚いもの扱いされてる俺には関係ないデスけどネ。


 もはや変な仲間意識すら覚えてくる。そう自虐的に目を逸らしたところで、


「……えっ」


 気づいた。まさかの先客がいることに。


 脇の欄干のそば。塔屋の陰に隠れて長い黒髪の少女が座りながら本を読んでいた。

 目元まで前髪が覆い、髪の隙間から見える瞳には覇気がない。


 表情はどこか思いつめたように深く影が差していて、体操座りをした膝の上には本が開いたままおかれていた。タイルで制服のスカートが汚れそうだがよく見ると尻に紙が敷かれてある。


 俺が気づかなかったのは無理もない。

 彼女はまったく存在感を主張せず、まるで風景に溶け込むようにそこにいたのだから。


 扉を開けた音にも反応せず、こちらを見向きもしない当たり、よほど集中して本を読んでるんだろう。チェック柄のブックカバーがしてあって、外装から何の本かはわからなかった。


 ……知ってる漫画とか読んでたら親近感が湧きそうなんだがな。


「よ……」


 これもなにかの縁と声を掛けようとして、すんでのところで思い留まった。

 見た限りその小柄の華奢な身体はどう見ても一年だ。朝に一年の女子に声をかけてやらかしたのに、再犯する気は流石にない。それになんか雰囲気暗いし話しかけるなオーラが滲み出てる気がする。


 撤退しよう。そう冷静に判断して踵を返しかけたその時だった。

 黒髪の少女と目が合ったのは。


「…………………あ」


 止まる時間。 


 顔を上げた少女の顔は思いのほか綺麗で、髪の隙間から見える丸っこい目は小動物的な可愛さがあった。

 漫画だったら視線が交差する運命的な出会いっぽいシチュエーションだったのかもしれない。


 でも現実は非情。

 俺の顔を見るなり彼女の表情は、獰猛な肉食獣にいつの間にか迫られていたような小動物的な絶望の色に染まっていた。


 つまるところまずい。エマージェンシー。


「や、やあ。こんにちは」


 僕は怖くないライオンだよ、と遊園地のマスコット的ライオンばかりにゆっくり手を挙げて精一杯人畜無害アピールをしてみたのだが、 


「き、きゃああああああああああああぁッ!」


 秒で拒絶。悲鳴を挙げた少女は持っていた本を投げ捨て、命だけはと言わんばかりに隅の方で縮こまってしまった。


 よっぽど怖いものを見たんだろう。デジャブか。前にも似たような事があった気がする。


 まるで席替えで隣になった瞬間、女子から絶望の叫びをあげられるような哀れな有様。どちらが哀れなのかはもはや問うまでもない。


 危なかった。屋上に欄干が無かったら衝動的に人生二度目の自殺幅跳びを図るところだった。

 

「…………………ぁ、ぁ」


 少女は依然として両手で顔を抑えたまま、この世の終わりのような顔でがくがく震えて俯いている。いや俺の顔が終わってるのか。


 彼女が驚いた拍子に手放した本は俺の足下まで滑って来ていた。

 どうやら読んでたのは小説だったらしい。風でパラパラめくれた拍子に活字の羅列が見えた。本の見返しにブックポケットがちらっと見えたから、きっと図書室から借りた本なんだろう。


 反射的に拾おうとしたが、手を近づけた瞬間、彼女の震えがさらにビクッと強くなった。

 よほど俺に触れてほしくないのか、それとも実は過激な成人向けBL小説とかで中を見られたくないとかなのか。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 ああ、はいはいわかってますよ。現実を見ますよ。前者ですね。

 今にも壊れそうな勢いで謝る少女に俺のメンタルもいよいよブレイク寸前だ。


 きっと一年生の間で不審者情報が流れてたんだろう。もしかするとこの顔にピンと来たら110番と張り紙でもされてあったのかもしれない。


 そうだよな。朝に吐いた奴の手で本に触られたくないよなそりゃ。この汚いタイルよりも汚れちゃうもんな。バッチいもんな。


 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ。


 やばい、精神崩壊しそう。

『削り戻り』で遡って全てを無に返したいが微妙に時間が経ってるし、代償の負担を考えると流石にしたくない。これでまた吐いて今よりも酷い惨状になったら本当に自殺ものだ。


「いや……俺が悪かったよ。邪魔してごめん」


 本をそのまま放置して屋上の扉に向かう。

 それを見て少女が慌てて本を拾い上げて、誘拐されかけた我が子を無事取り戻せたように抱きしめていたのがより悲しい。俺の存在はそこまで罪深いのか。


(明日は学校休もう……)


 そう心に南京錠をいくつも掛けて人間不信に陥ろうとしたその時だった。


「あ、あの……」


 なぜか少女が口ごもりながら俺に話しかけて来たのは。


「こ、こ、こんにちは……」


 ……挨拶? 


「え? えーと、こんにちは」

「きょ、今日は天気が良いですね」

「そ、そうだな」


 ……なにこれ。どういう状況?


 相変わらず目に見えて激しく動揺してびくびくしてるのに、どういう心変わりがあって話しかけようと思ったのか。綾香じゃあるまいし別に俺「挨拶せんかい!」とか脅してないよな?


「と、ところで、私になにかご用ですか?」


 こっちの台詞……なんだが、思い返してみたら最初に声をかけたのは俺の方だった。

 まさかさっきの挨拶は数十秒前にした俺の挨拶に返したのか? ……リアルで致命的なラグが発生してる気分だ。


「いやえーと、屋上にはいつも来てるのか?」

「いえ、毎日ではないですけど……それなりに訪れてます。特に今日は一人になりたい気分だったので……」

「へえっ、奇遇だな。俺も今日は一人になりたかったんだよ」

「す、すみません。私が邪魔しちゃいましたね……」


 シンパシーを感じて一気に親近感が沸いたのだが、嫌味のように思われてしまった。

 どうして余計な失言しかしないんだ俺は。また気まずい空気に戻ったじゃねえか。


「いや俺の方こそ邪魔して悪かったよ。ごめん、もう立ち去るから……」

「ま、待ってください。これもなにかの縁ですし……もう少し話をしませんか?」


 そう慌てたように呼び止められて思わずぽかんとしてしまった。

 暗い雰囲気的に間違いなく消極的なタイプだと思ってたのに、案外積極的な子なのか? 


 まあ露骨に避けられるよりはいいけど……変な子だな。


「構わないけど……ところで君の名前は?」

「み……みみみみ、三上、黒子です。あ、貴方は……啓太さんですよね?」

「え、なんで俺の名前知ってるんだよ」

「あっ……それはその……実は……朝に貴方がジャージを被って歩いている動画がグループLIMEで回ってまして……その動画で啓太って名前を呼ばれていたので、それで……」

「へー……そうなんだ……一年の間でも拡散されてるんだネー』


 LIMEグループの中心から外れてそうなこの子にも名前を覚えられたなら、もう俺の汚名と汚点は学校中に知れ渡っているんだろう。このSNS社会が憎い。


 そう情報社会に絶望していると、黒子がなにか決意したように顔を向けてきた。


「……すみません。実は急に呼び止めたのは貴方にお願いをしたかったからです」

「お願い?」

「はい。私のことは……誰にも話さないでくれませんか?」

「? えーと、話がつかめないんだけど」

「私……クラスで目立ちたくないんです。でも、屋上にいることや啓太さんと接点があることを知られたら、クラスで冷やかしに来る人が出てもおかしくありません。だから……」

「俺を口止めしたかった、と」

「はい……私のことは誰にも話さないでほしいんです」


 なるほど、これで合点がいった。


 今まで俺に怯えてたのに急に呼び止めて来たのは周りに吹聴されたくなかったからか。まあ今学校で悪い意味でトレンドになってる俺と接点あると思われたくないのは、彼女でなくても誰でもそう思うのかもしれない。


 ……社会的にまだ生きれるんだろうか俺。もう死んでない?


「わかったよ。誰にも話さないから安心してくれ」

「あ、ありがとうございます」


 俺の返事を聞いた黒子が嬉しそうに頭を下げる。


 まあ、こう素直に感謝を告げられるのは悪い気はしない。朝なんて感謝されるどころかむしろ阿鼻叫喚だったからな……


「でも絶対に誰にも言わないでくださいね。約束を破ったら殺しますから」


 だから、そう屈託のない笑みを向けられた時はドキリとした。


 いや彼女の初めて見せた笑顔はとても可愛らしかったのだが、それで胸が高鳴ったとかじゃない。冗談なんだろうがあまりにも当然のように殺すと告げられて面食らったのだ。


 ……お願いじゃなくて、脅迫じゃないかこれ。 

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