7. 最悪の来訪者

 次のバスの時刻で帰ろうかと思ったが、たしか午後の五時頃には雨が上がると朝のニュースで言っていた。外で折りたたみをわざわざ濡らすのもなんなので、それまで学校で時間を潰すことにした。


「まさか今日も屋上にいる……なんてことはないよな」


 あれ以来屋上には寄ってないけど、流石にこの雨の中じゃ黒子も屋上にいないだろう。

 なんて、そんな風に考えていた時期が俺にもありました。


「うへぇ……」


 いました。ちょっと気になって屋上の扉を開けてみたら、当たり前のように黒子が塔屋の庇の下で体操座りをしていました。


 今回は本を読んでなかったが、ぼうっと虚ろな眼差しで虚空を見つめている。雨でじめじめとしてるせいで陰気感が余計に酷い。しかも、雰囲気的にそれがよく似合っているのがなおさら悲しい。


「……おい」

「ひゃあああぁッ!」


 半ば呆れながら声を掛けると、黒子がぎょっと顔を上げて飛びのいていた。

 毎度毎度そんな驚くようなことかね。 


「な、なんだ啓太さんですか……お、驚かさないでください……!」

「驚いたのは俺の方だ。こんな雨の中どうしたんだよ」

「ちょっと憂鬱な気分でして……一人で物思いにふけていたかったんです」

 

 ちょっとというか見るからに表情が暗いが。精神的にかなり参っているように見える。

 ……前もそんな風に暗かったけど、やっぱり何かクラスで問題でもあるんだろうか。


「前にクラスで目立ちたくないって言ってたけど、誰かクラスに嫌な奴でもいるのか?」

「え? あー……いるにはいますけど、私が屋上にいるのは単に一人でいたいからです」

「それならこんな汚いところより家で自分の部屋にいた方がいいんじゃないのか?」


 屋上に生徒が絶対に来ない確証はない。現に俺も来てるし、気づかない内に誰かに来られる可能性を考えると、あまり落ち着けない気もする。


「まあそれでもいいんですけど。屋上に比べたら居心地が悪くて……」 

「……もしかして家庭環境にもなにか問題でもあったりするのか?」

「そう……ですね。気に障ったらすぐに暴力を振るう再婚相手の父親と、知らない男の人を連れ込む母親がいました。クリスマスも誕生日も祝ってもらったことがないですし、代われるなら別の誰かの人生と代わりたいとずっと思ってましたね」

「それはその……」


 重いて。

 自虐めいた口調で淀んだ眼差しを浮かべる黒子を見て、今さら軽い調子で聞くような話じゃなかったと後悔した。


 俺も引き取られた親戚の家で馴染めなくて肩身の狭い思いを感じる時はあったが、彼女ほど深刻な問題じゃない。今はそれなりにうまくやっている。


「児童相談所とかに相談した方が……」 


 すると、黒子は慌てた様子で両手を振った。


「す、すみません。それはもう大丈夫なんです。ここで相談所の職員が来て、また生活が悪化する方が困ります。余計なことは絶対にやめてください」

「そ、そうか……?」


 迫真の表情で拒絶されて思わず気圧されてしまった。

 本当に大丈夫なんだろうか。だが、余計とまで言われたら流石に首を突っ込み辛い。


「とにかく私はこの屋上にいる時だけが、私が私でいられる一番楽な時間なんですよ」


 そう縋るように黒子は語る。俺にとってはタイルが汚い屋上でしかないが、彼女にとっては神聖な空間のように映ってるのかもしれない。


 それに呼応するように、いつの間にか雨が上がって雲の隙間からまばゆい陽光が差し込んでいた。光芒、というんだっけか。綺麗だけど今はそんな神々しい演出せんでよろし。


「ならすまん。俺が邪魔しちゃったな」


 やっぱり俺が屋上に来る事は彼女にとって迷惑だったか。そう思ったんだが、予想に反して黒子は相好を崩していた。


「でも、啓太さんは別です」

「え?」

「一緒にいると不思議と気分が和らぐんですよ。だからきっと私は貴方の事を好き……」

「エッ!」


 心臓が飛び出るかと思った。

 まさかこの重い流れから告白されるのか……?


 しかし、黒子は慌てた様子で残像が見える勢いで両手を振っていた。


「好き、隙、隙だらけで警戒しなくてもいい存在だと思ったんです! 噛んだだけです! 告白とかじゃありません!」


 いや顔を真っ赤にして急に早口になってますが。

 これは……必死に否定してるけど本当は脈ありじゃないか? 他の人に心が許せないのに、俺にだけ心が許すってもう好きってことじゃないか? 


 ……うへへへへへっ。俺の時代が来たのかもしれない。


「おいおい、勢いで告白しそうになったのを誤魔化してないか?」

「し、してないです。……二度しか会ってないのに好きになるわけないです。ちょっと話しただけで勘違いするとか気持ち悪すぎますよ」

「ごめんなさい……」


 大後悔時代到来。思い上がりすぎました。

 どうやら顔を真っ赤にしてるのは怒ってるだけだったらしい。

 

 確かに俺は双子のように顔立ちが特別整ってるわけでもないし、窮地のところを助けたとかでもない。俺のような男なんて吐いて捨てるほどいるし、ましてや実際に吐いて捨てる醜態を晒した俺なんかが告白されるわけがない。


 緊張しないのは単にあの一件で俺が下に見られてるだけ。そんな底辺に好かれてると勘違いされそうになったら、そりゃ必死に否定するわな。


 浮かれていた気分が一気にセメント詰めで沈められていく。

 昔なんか最近距離が近いし、俺のこともしかして好きなんじゃねって静香に告白したら、とんだ勘違いで見事に撃沈した過去をもう忘れたのか。学習能力がないのか。

 何が脈ありだ。自殺して本当の脈なし男になってしまえ……


「だ、だいたい啓太さんには学校でも有名な姉妹がいるじゃないですか。そんな相手に告白なんて恐れ多くてできませんよ」


 俺が遠い目をして自己嫌悪に陥っているのを見て、流石に言い過ぎたと思ったのか、慌てて黒子がフォローを入れてくれた。ほんと、無理させて申しわけない。


「別に付き合ってないし……あいつらは俺の幼馴染で命の恩人なだけだ」

「命の……恩人……?」

「ああ。昔俺の両親が交通事故で死んじゃってさ。一時期自殺しようとしたんだ俺」


                 ●


 その事故が起きた時のことは今でも、いや嫌でも忘れられない。


 小三の時の話だ。俺は都内にある有名な遊園地に行きたいと駄々をこねて、両親に無理を言って連れて行ってもらおうとしたことがある。


 だけど悪夢はその向かう途中の高速道路で起きた。

 前を走ってたワゴン車が高速の降り口を通り過ぎた事に気付いて、突然旋回して戻ろうとしたのだ。


 俺の父が慌てて避けようとした時には手遅れ。躱しきれずにワゴン車の横っ腹に衝突。相手の運転手はそれで即死。当時後部座席に乗っていた俺はその激しい衝撃のショックで一時気を失っていた。


 そして、次に目を覚ました俺に待っていたのは地獄だった。


 激しく損傷して原型を留めていない車。前の座席で潰されてる両親。車内に飛び散った赤い血がこびりついていて、その残酷な光景に俺はただただ叫び狂っていた。

『削り戻り』の能力が発現したのはその時だ。


 あの時ほど時を戻したいと両手を組み合わせて念じたことはない。

 両親とまた一緒にいられるように、この醜悪な事実をただなかったことにしたかった。だからこんな能力が目覚めたんだろう。


 だけど、現実も神様も残酷だ。


『悲願者』の力は強い願いが元となって手に入るが、それで願いが叶うわけじゃない。


 木の上に引っかかった風船を取ろうとして悲願者になった少女も、あくまで風船を取りたかっただけで、本質の願いは腕を伸ばすことじゃない。女湯を覗きたいと願った犯罪者も同様だ。透明人間になるだけでは女湯は覗けない。別に透視や女体化の能力に目覚めてもおかしくなかった。


 要するに、『悲願者』は願いを叶えるきっかけの能力が目覚めるだけで、願いそのものが叶うわけじゃないのだ。


 つまり、あくまでも能力は願いの補助。願いそのものは自力で叶えるしかない。

 俺は確かに時間を戻したいと願ったが、願いの本質は両親を生かすこと。


 だけど『削り戻り』は、能力が手に入る前の時間にだけは決して戻れなかった。


 だからどれだけやり直しても。どれだけもっと戻れと手を組み合わせても。どれだけ運転していた時の両親の姿を思い浮かべても、待っているのは血まみれの両親の姿だけ。あの惨劇の後の時間しか俺には許されなかった。


 当時の俺は繰り返す内に能力の代償でどんどん身体はボロボロになった。最後に気がついた時には一ヵ月近く経過して、近くの病院に入院していた。


 流石にもう、戻ろうとは思えなかった。


 一ヵ月前に戻って代償で身体がどうなるか怖かったんじゃない。

 もう、変わり果てた両親の姿を見たくなかったのだ。


                  ●


「それで親戚の家に引き取られた後、この近くにある辻桐山で自殺しようとしたんだ。でもたまたま熊を探しに森に来ていたあの双子が、俺を二人がかりで助けてくれだんだよ」

「…………………」


 まあ黒子が絶句するのは無理もない。熊を探しに来る双子とか早々いないだろう。

『死ぬってのはこれより痛いし辛いことよ! 次に死のうとしたら私がぶち殺すわよ!』


 沼から岸まであげられた時、そんな風に綾香に泣かれて馬乗りに殴られた。

 静香にも便乗して蹴られて『削り戻り』の代償よりもボロボロにされたんじゃないかってぐらい、ボコボコにされた。


 いくら助けてもらったとはいえ理不尽じゃないかと思ったが、それがきっかけで死ぬのをやめるようになったのだ。理由は覚えてないが、きっと死ぬよりも綾香たちを怒らせる方が怖いと思ったんだろう。


「だから、俺が今生きてるのは命の恩人であるあいつらのおかげなんだよ。感謝しかない」


 ちょっと長話が過ぎたかもしれない。

 きっと聞いてる黒子もつまらなそうにしてる。そう恥ずかし気に顔を上げたところで、


「おええぇ」


 絶句した。いつの間に俺の制服のポケットから取り出したのか、黒子が背中を向けて俺のエチケット袋にガチ吐きしていた。


「えぇ……」


 流石に動揺が隠せない。手癖が悪すぎる。ってかドン引きだ。


 え、そこまで? 

 最初重めだけど、お涙頂戴感動エピソードだなあってしみじみ思ってたのに。唐突な自分語りが不幸自慢っぽかったか、ちょっと自分に酔ってるように思われてキモかったとか? それでも吐くか?


「お、おい大丈夫かよ。保健室に行くか?」

「や、やめてください……ッ! お願いです……大丈夫ですから……おええぇッ」

「全然大丈夫じゃないじゃん……」


 一瞬だけ前に吐いた俺の真似してからかってないかと邪推したが、涙目になって鼻水まで垂らされたら流石に疑えるはずもない。

 

 ……なるべく見ないようにしとこう。


「うえぇ……」

「大丈夫だ。エチケット袋ならいくらでもあるから、好きなだけ吐いていいからな」


 そう優しく諭したつもりだったのだが、それが追い打ちのように捉えられたのか。


「ひっく、うえええぇええ、うええぇえええぇええええぇん」


 まるで心の堰が決壊したように、彼女は急に泣き崩れていた。心配するべきなんだろうが、それよりも困惑が上回った。

 

 情緒が不安定すぎる……

 背中でもさすった方がいいだろうかと手を伸ばしかけたその時だった。


 屋上の扉が開かれたのは。

 一瞬、空間が凍りついたかと思った。


 扉の先で驚愕に目を見開いて立っていたのは、どこからどう見ても綾香。

 しかも、顔がだんだんと紅潮し、眉根がつり上がっている。生まれて初めてここまで殺意を感じたかもしれない。背中から冷や汗がどっと溢れているのがわかる。


 はい、これは非常にまずいですね。


 そういや勝手に女子と接触したら殺すって理不尽な約束してたんだっけ。

 ……付き合ってもないのに浮気現場を取り押さえられたような気分だ。

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