03 黒き猫
何しろ五日しかない。
大観は絵の具の準備を終えると、すぐに例の焼き芋屋に行って、攫う同然に黒猫を抱きかかえ、連れて来た。
その性急さが、大観の顔のひっかき傷から知れた。
「この野郎、名作のモデルにしてやるというのに」
「
大観にはふしゃあと威嚇した黒猫だが、春草が笑いかけると、ふにゃあとすり寄って来た。
大観が業腹な顔をしているのをしり目に、春草は窓際に黒猫を座らせる。
「頼むよ、
黒猫は心得たとばかりにポーズを取って、そのまま固まる。
そして春草が目を凝らすと、それに倣うように、黒猫も目を凝らした。
「よし、いいぞ」
あまり見えなくとも、雰囲気が伝わってくる。
春草は
*
大観が気づくと、彼の頭の上に黒猫が乗って、寝ていた。
何だこの野郎、と思うが、そもそも大観自身が床に寝そべっており、その髪の毛を気に入ったのか、黒猫は鎮座して、すやすやと寝ていた。
立ち上がろうとする大観だが、ふと春草と――椅子の上で眠っている春草と、その前にある絵絹を見た。
「できたのか」
柏の木。
落ち葉。
それらの中心に、猫。
黒き、猫。
「凄い……」
大観は不自然な態勢のまま、涙を流した。
見ているだけで、感動する。迫力がある。
それだけの、名画だった。
「これを、五日で……」
やり切ったんだな、と大観は言おうとして口を押えた。
黒猫がまだ寝ているし、何より、春草が起きてしまったら、生真面目な彼のこと、今度は審査を、と言いかねない。
今はまだ寝かしておいてやろう、と大観は微笑んだ。
*
こうして「黒き猫」は出展され、今日では――永青文庫に蔵されており、そのホームページに、「黒き猫」の画像を見ることができる。
畢生の大作であり、この画を描くことがまるで使命であったかのように、この翌年の明治四十四年(1911年)、三十六歳の若さで菱田春草は逝った。
一方で横山大観は長生きし、戦後、昭和三十三年(1958年)に八十九歳で亡くなる。
大観は、春草と死に別れたあと、画の才を他人に褒められると、決まってそんなことはないと答えたという。
そしてこう語った。
「春草こそ本当の天才だ。もしも
――と。
【了】
黒き猫 四谷軒 @gyro
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