読み専の神さま

朝吹

覚書 読み専の神さま

 今も昔も千人いたら二人くらいだ。これが、わたしの読者になってくれる人の数だ。一定してずっと変わらない。例外的にオトナ小説を書くと爆発的に増えるが、あれはわたしの中でもたまには大勢の人に読まれたい部門として別扱いになっているので、基本的に小説も地味なら読者数も地味という路線でやっている。


 ネット小説のピラミッドがあれば末広がりの下層階の部分にいるのがわたしだ。一等星や二等星をはるか頭上に仰ぎながら、いつも名もなき星屑のように漂って、心だけは熱く燃やすことを信条として、下手くそな文章を悩みながら書いている。


 そんなわたしが、ある日、神さまに逢った。正確にいうと神さまが星屑を見つけてくれた。十年前のことだ。


 その人の名をHさんとする。お住まいが北海道だったからちょうどいい。


 Hさんは子育てを終了された奥さまだった。末の娘さんがその年の春に教員になられて、あとは退職されたご主人と二人、人生の後半に向かおうとされる年だった。そんなHさんがふとした偶然でネット小説に出逢った。ほんの好奇心でHさんはパソコンを開いてネット小説を読み始めた。読むうちに、もっと読みたくなって検索サイトを使い、ケータイ小説にも手をのばし、次から次へと、Hさんはネット小説を毎日読んでいった。


 庭に薔薇のアーチをつくり、いちごを育て、ハーブティーをいれる奥さまを想像してほしい。Hさんはそういう女性だった。ネット小説の中でも、Hさんのお好みは恋愛小説だった。そこにはHさまが若い頃に心を弾ませて読んでいた沢山の小説や、娘さんと共に夢中になって買い揃えた少女まんがのエッセンスがあったのだそうだ。

 あら削りで、でも熱い想いだけは本物の、素人さんたちの恋愛小説。

 ネット小説を読むうちに、Hさんは本やさんで小説や漫画を選びに選んで買っていた学生時代に戻ったかのような気持ちがしたそうだ。


 Hさんは本物の読み手だった。図書館に通いつめ、文学大全集からライトノベルまで片端から読破している文芸部の先輩をイメージすればあたりだ。

 豊かな知識をもとに、どんな拙い小説に対しても、はるか年下の書き手さん相手にもHさんは敬意を忘れず、これはと想った小説には丁寧な感想メールを出していた。Hさんから感想メールをもらった人はみんな嬉しかっただろう。


 小説の感想、ましてや素人小説の感想を素人が書くのは難しいものだ。真剣に書こうとすればするほど、作者さんのモチベーションアップのために、そしてその感想を眼にするであろう他の人たちのために何を書けばいいのだろうと頑張ってひねり出す感じになる。Hさんは軽々とそのハードルを超えていた。


 今でも大切に保管してあるが、Hさんの感想メールは書き手なら誰もが一度は欲しいと願うような、素敵なものだった。しかも上位を独占しているような人気作だけでなく、なぜかHさんはまったく読者がいないような埋もれた作品を掘り起こすことが好きで、リタイアされた時間をつかい、その作業をほとんど趣味にされていた。毎日どこかに良いものはないかと、潮干狩りでアサリでも掘るようにしてネットの砂場を漁っていたという。


 そんなHさんが、ある日、わたしの小説を発掘した。何かすごいことのようだが、後述するように別にすごくはない。

 一作目を読み、二作目を読み、長編を含むわたしの手もちの作品のすべてに眼を通したHさんは、「おどろきました」と云って、熱烈といってもいい感想メールをわたしに送ってきた。

 Hさんの比ではなく、わたしこそ驚いた。

 自分でも万人受けは絶対にしないと自覚しているあの小説にこんな感想をもらえる日がくるとは……。


 Hさんの好みは恋愛小説だった。時代ものからSF、現代ものまで、舞台は異なれど恋愛を軸にした小説がお好みだった。だからネット小説も恋愛ジャンルだけを専門にしていた。そしてわたしは当時、恋愛小説は書いていなかった。今もそうなのだが恋愛ものがどうにも苦手で、一行書いたら机の前から立ち上って何処かへ行くというほど、恋愛ものが書けなかった。

 では何を書いていたのかといえば、主に、暗くて地味で幻想的なダークファンタジーだった。読み手をひどく選ぶようなものだ。


 たまたま、恋愛ジャンルに限らない何かの企画に参加しており、そこでHさんはわたしの小説に眼をとめた。わたしの小説は恋愛ものではなかったが、読んでみると書かれている世界が、Hさんの好みにぴったりだったのだ。理由は簡単だ。後で知ったが、Hさんの読書傾向と、わたしの読書傾向が一致しており、読んできた小説も好きな漫画家も、ほぼ同じベクトルだった。


 つまりカスタマイズされたかのように、Hさんの前にHさんが好みとする文体や空気感を書くわたしが現れたというわけだ。


 Hさんはそれからわたしの熱烈なファンになってくれた。冒頭にも書いたが、私の読者は2~3/1000人というありさまだったから、そのうちの一人にHさんが入ってきてくれたことで、どれほど嬉しく、どれほど励みになったか分からない。海中に漂う海月どころかプランクトンのような、ほぼほぼ誰からも顧みられないわたしの小説に、よくぞ最後まで眼を通してくれたものだと今でも想う。カクヨムでいうならば、★すらついておらず、PVすら投稿初日の1か2で埋没という存在だったのだ。


 それはひとえに、Hさんが「読み専」としての情熱をお持ちだったからだ。さもなくば名もなき石が大量に転がる底辺から探そうとするだろうか。再度いうが、わたしは当時今よりも下手くそで、でも書きたいものだけはあった。だから下手くそなりに、いつも完結まで書いていた。Hさんからみれば、わたしのそのがむしゃらな下手くそさが愛すべき原石として映ったようだ。ここまで下手くそな人いる? というほどの下手さで、でも完結まで一定の高熱で走りきる書き手。

 位置づけとしては、ちょうど一次審査の下読みのバイトさんが、下手なんだけど惹かれるものはあるよね、と落選作に呟くような感じだったのではないか。物語に対する莫迦みたいなわたしの没入具合に、北の大地で小説を読むことに没頭していた十代の頃の自分の姿を重ね合わせ、Hさんはわたしの姿にある種の懐かしさをみていたのではないかと、Hさんの当時の心情を勝手に想像する。それもこれも、わたしがそれほどまでに下手だったからだ。下手だったが、自由帳にずっと漫画を描いている小学生のような夢中の度合いだけは高かったのだ。


 想い出したことがある。Hさんが贔屓にしている作家さんの一人が盗作されたことがあった。スカウトされて本が出版された実力派の方だった。Hさんは、作者よりも、その話をHさんから聞いたわたしよりも怒っていた。作者さんもわたしも、「そういう人は人気者になることが目的で盗作するのだから、そんな人には何を云っても無駄で、開き直られる」と忠告したのだが、Hさんは盗作者に直訴メールまで出したようだ。

 Hさんは誰に対しても、とても謙虚で礼儀ただしかった。安定の人気作家から底辺のわたしまで、態度が一貫していた。少し茶目っ気のあるところもあった。そして作品をいつも丁寧に読んでは、古典や聖書の知識まで動員して行き届いた感想をくれた。


 その後のことは少し哀しい。

 現在とは違うペンネームを使っていたわたしの2~3/1000人の読者の中に、残念なことにストーカーがいた。これもまた、なぜわたしに眼をつけたの? と云いたくなる謎を経て最初こそ星屑にしか過ぎないわたしの熱心な読者であったが、次第に口出しがはじまり、命令が多くなり、何かと思い通りに動かそうとして、しまいには脅迫や嫌がらせにとエスカレートしていった。ひどい時には「わたしがその作品の創始者」と匂わせるようなことまで云い出した。

 ストーカーはわたしの周囲の人間を片端から攻撃して潰していった。小説書きだろうが、Hさんのような読み専だろうが容赦なかった。嫌がらせに辟易してみんなわたしから去り、Hさんもネットから消えた。

 わたしはストーカーから逃れるために、大好きだった物書きが出来なくなっていた。私生活では身近な人を看取り、転居も繰り返し、しばらくネットからも離れた。その間に、Hさんとの連絡も途絶えた。


 星屑にとって、神さまのような人。誰もが待ち望むような読み手であり感想書き。それがHさんだった。

 もしわたしがお礼を云いたい人がいるとしたら、たくさんの読者さまと共に、Hさんのことを忘れることは出来ない。

 あれから十年以上経つのに、こうしてまだHさんに感謝している。書き手と並走してくれていたといっていいHさんは匙加減が絶妙で、とくに続きを促すこともリクエストをすることもないのだが、黙ったまま、ずっとわたしや、Hさんが認めた作家さんたちを見守ってくれていた。

 Hさんがもしどこかの出版社の担当者なら、作家は誰もが安心して乗せられてしまうのではないかと想うような、書き手を信じる力をお持ちの方だった。


 時代はかわって、今は読んでも★や♡をつけてスマートに去っていく人が多いのだろう。だからこそ、Hさんのような読み専に特化した方に一時でも巡り合えたことはすごく幸運だったとおもう。

 いまは孫のお世話でもして暮らされているのだろうか。北海道に何かあるたびに、いつも読み専として書き手さんたちを支えていたHさんのことを想い出す。 [了]

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