第3話
ササラの決意から八年。
辺境の村の魔獣牧場はぐっと大きさを増していた。森を開拓し、柵を広げた牧場の規模は村自体よりも広いほど。
倒壊寸前だった小屋などとうに無い。
代わりに建つのは頑丈で立派な厩舎だ。
設備を新調するために必要な資金はあっという間に溜まった。
母と兄が貴族の手を借りて王都に開いた愛玩用魔獣販売店は、魔獣の質の良さと購入時点で躾が終えられている点が評価され、貴族の間でひいきにされた。
ササラが考案した魔獣ごとの飼い方をまとめた小冊子のおまけも人気を後押ししたと、母から届いた山のような売り上げと今後の運営計画に添えられた手紙には書かれていた。
サムひとりだった従業員は今や数十人を超え、ササラは若き牧場主として奮闘の毎日を送っている。ちなみに父は長年、家族に貧しい暮らしをさせたことを深く悔いて、いち従業員として肉体労働に精を出す毎日だ。
「では、各自、仕事をはじめてください。わからないこと、迷うことがあったら遠慮なく先輩や私に声をかけてくださいね」
「「「はいっ」」」
ササラの声に答えて、集まっていた従業員たちがそれぞれの持ち場に向かう。
朝の指示出しを終えたササラは彼らを見送って、ひと息をついた。
そんな彼女の肩でしゃららと涼やかな音が鳴り、ガラスフクロウが透き通った羽根を広げて飛び立つ。
「リィン、行ってらっしゃい。周辺の見回りよろしくねー!」
「ピィッ」
八年来の相棒に手を振ったササラは、ふと空に浮かぶ小島に気が付いた。
魔力を帯びた大地が浮き上がり、雲に混じって空を流れる浮島だ。
「はあ。浮島を思い通りに動かせたら、王都までの行き来も楽ちんなのに」
「やめとけ。浮島の上なんて行ったら、有翼人どものいい餌食だ」
「アーヴィン!」
振り向いた彼女に、アーヴィンは「よお」と軽く片手をあげる。
八年前は少年であった彼は、今や立派な冒険者の青年へと成長を遂げていた。
「久しぶりだね。次に帰ってくるのは半年後じゃなかったの?」
ほうぼうを回って珍しい魔獣を見つけてきてやる。
そう言ってアーヴィンが出て行ってから、まだ二月ほどしか経っていない。
不思議がるササラに、アーヴィンは苦い顔をする。
「王都のほうで有翼人との小競り合いがはじまってるらしくてな。冒険者は国内に戻っておけ、だとよ。冒険者っていったって、俺は魔獣の調査と捕獲に精出してるだけの中堅どころなのによお」
「アーヴィンも忙しいんだね」
しみじみと言うササラを見下ろしたアーヴィンがため息をついた。
「お前に言われたかねえな。牧場と親父を任せられてから何年だ? あんなおんぼろ牧場をここまででかくするために必死こいて働き詰めて。お前、まだガキのくせによお」
「もう、三つしか違わないくせに子ども扱いするんだから」
憎まれ口が彼なりの心配だとわかっているから、ササラはむくれる真似をして見せる。
事実、魔獣の納品や生態についての調査など、牧場の発展にアーヴィンの存在は欠かせなかった。世話になりっぱなしの一家は彼を身内に迎えることも考えたが「根無草のほうが身軽でいい」と断られ、魔獣を運ぶ荷車の専属護衛に雇いたいと言っても「一箇所の留まるのは性に合わねえ」と肩をすくめられてしまう。
二人目の兄のような存在にほんの少し気持ちをゆるめたササラは、アーヴィンの服装に目をやり首をかしげた。
「遊びに来てくれたにしては、ずいぶん重装備だね。急いで来たの?」
帯剣したアーヴィンは珍しくフル装備で、埃除けのマントまで身につけたままだ。稼ぎに余裕のなかった少年のころは別として、村に着いたら身軽でいたいと宿に荷を預けてくる彼が珍しい。
「ああ、これを頼まれてな」
背中の荷袋を下ろし、取り出したのは一枚の手紙だ。
受け取ったササラは差出人の名前を見て瞬いた。
「兄さんから? 一昨日届いた荷車にも手紙を載せてのに。魔獣の仕入れに変更でもあったのかな」
「さあな。なんでも急ぎらしくてよ、俺に指名依頼出してきやがった。まあ、こんな辺境と王都を行き来するのなんてお前んちの荷車だけだからな」
「ごめんね、アーヴィンも忙しいのに」
「どうせ国に戻ったばっかで暇だったんだ、構わねえよ」
ふたりが穏やかに話していると、不意に空から「ピイィッ」と甲高い鳴き声が降ってくる。
「リィンの警戒鳴き! なにかあったんだ」
「怪我はないみたいだが」
空を見上げたアーヴィンが目を細めた先では、ガラスフクロウのリィンがしきりに羽根を鳴らしながら飛び回っていた。
あえて羽根で陽光を散らし、シャラシャラと音を響かせているのはその下に警戒対象がいると主に伝えているのだろう。
段々と近づいてくるリィンの姿にアーヴィンは舌打ちする。
「従業員を集めて避難を……」
ササラが言いかけたとき、すぐそばの柵のなかで魔獣たちがざわめき出した。
柵は魔獣の大きさや力の強さに合わせて作られている。多少暴れたところで破損や倒壊の恐れはないが、群れの全員が暴れれば力の弱い者や小柄な者が怪我をしかねない。
素早く柵に駆け寄ったササラは息を吸い込み、腹の底から声を出す。
「静まりなさいっ」
ぴしゃりと発した一言で、浮ついていた柵のなかの魔獣たちがぴたりと止まる。
途端にササラは表情をやわらげて魔獣たちにやさしく声をかけた。
「いい子。騒がなくて大丈夫。私が様子を見てくるからね」
「ピィ!」
ササラの肩にリィンが降り立つ。警戒するように羽根をふくらませたガラスフクロウは、牧場を囲む森の向こうを睨み据えている。
ちり、と肌が泡立つ感覚を覚えて、アーヴィンは腰の獲物を手に取りササラを逃がす算段をつけながら構えをとった。
ザッ。
森の下生えを鳴らして現れたのは、巨大な馬に乗った偉丈夫だ。
頭からすっぽりかぶった外套に隠れて顔は見えない。
「人間……、か?」
「たぶん……首はあるから。首無騎士じゃないと思う」
警戒するふたりと一羽のやや手前で、騎手が手綱を引き馬を止まらせる。
理性あるふるまいに、やっぱり人間だ、とササラがほっとしたとき。
馬の背から転げ落ちるように降りた偉丈夫が、ササラの前に跪いて彼女の手を取った。
「どうかあなたの手で俺のことを躾けてください」
低い声で言って、うっとりとササラを見上げる美丈夫の頭から外套が落ちる。
美しい男だった。
金に輝く切長の目は力強い光を帯び、同色のまつ毛に彩られてなお雄々しさを感じさせる。
大柄な体に似合いの顔のパーツはどれも大ぶりで、けれどバランス良く配置されているせいか彼自身の持つ気品のためか。品の悪さなどみじんもなく、むしろ神々しいまでの美しさのなかに親しみやすさを生み出している。
けれど、なによりもササラの目を惹いたのは、黄金色をした豊かな髪の毛だ。
長い髪を無造作に首の後ろで束ねた様は、まるで狼の尾のよう。
なんてすてきな毛並みなんだろう。よく手入れされてる毛艶が良いんだ。私もブラッシングしてみたい。などと、さすがのササラも成人男性に向かって言うのは憚られて、心のなかだけにとどめる。
まばゆいばかりの金の髪が風にそよぐ様はなんて美しいんだろう、と見惚れていたササラは、男の口から出た言葉など聞こえなかったことにしたい気持ちでいっぱいだった。
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