第13話
「そこの杭、高く出過ぎです! 胸のあたりまで打ち込んでください。この高さを基準にして、他もよろしくお願いします!」
完成図を片手にササラは指示を飛ばす。
軍内部の空いたスペースには、木材が山と積まれ多くの作業員たちが行きかっていた。
ササラが軍に籍を作ってもらった二日後には、シルヴァの手配で小屋の建築資材が届けられた。
さらにその翌日、軍に属する技師の紹介で呼ばれた作業員たちがやってきたのだ。
まとめ役の現場監督は、ササラを見るなり怪訝そうに顔をしかめた。
その場は忠犬よろしくそばに控えていたスコルによって、文句は封じられていた。けれど、スコルは将軍であり常にササラのそばに居られるわけもない。
いよいよ工事が始まるというこの時間、スコルは抜けられない会議があるとかで、シルヴァに引きずられて姿が見えなかった。
代わりに、とお目付け役を任されたマドレットには、ギンロウの食糧の調達を頼んだため、今はササラひとりきり。
指示を伺いに来ることなく作業をはじめた男たちに、ササラは声を張り上げたのだ。
ササラの声にいち早く反応したのは、大槌を構えていた現場監督だった。彼は無精ひげを生やした口元をへの字に曲げ、ササラを振り返る。
「お嬢ちゃん、胸のあたりまでなんて低すぎる。現場を知らんのなら、余計な口は挟まないでもらおうか」
言いながら、ことさら勢いよく地面に下ろされた大槌がずうんと大きな音と振動をあたりに振りまいた。
日に焼けた大男が、ぎろりとにらむ眼光は鋭い。並みの娘なら悲鳴をあげて青ざめるところだが、ササラにしてみれば何のことはない。
(うーん、威嚇行動。けど、子どもを連れた魔栗鼠のほうがよっぽど怖いかも。人間は飛びかかってこないから、安心だもん)
どれだけにらまれようと命の危険がないと思えば、怖くなどない。
「監督の言っているのは、馬の小屋を作る現場ですよね? それじゃあ、あの子たちには合わないんです」
あの子たち、とササラが示した先では、ギンロウが群れで輪を作っていた。
工事のためにやってきた男たちは、ギンロウのそばを通らなければいけなくなるたび、びくびくしつつ大回りする。ギンロウのほうでは人間の動きなど興味なさげに、大あくびだ。
そんなギンロウに向けてササラは指笛をピィッと鳴らす。
「おいで!」
パッと跳ね起きた群れのリーダーがササラを目がけて駆け出すと、他のギンロウたちも後を追って走り出す。
瞬く間にササラと現場監督の男の周囲はギンロウで埋め尽くされた。
「お、おい?」
「見ててください」
戸惑う男を視線で制して、ササラはギンロウに手で合図する。
ササラの手の動きに合わせて駆け出したギンロウのリーダーは、地面に突き立てられた杭を目がけて一直線。ぶつかる寸前、とんっと軽く地を蹴り杭を跳び越えた。
「「「おおっ」」」
見ていた作業員たちも、周囲に居た軍人たちも、いっせいにどよめいた。
杭の高さは大人の背よりも頭ひとつぶん高いほど。それをいともたやすく跳び越えて、ギンロウのリーダーはササラの元へ戻って来た。
「よし、よし。いい子。えらかったね」
わしわしと毛並みをなでるササラの手に、ギンロウが目を細めてのどをさらけ出す。
馬と変わらない体躯の魔狼が、まるで愛玩動物のように気を許す様に、現場監督は目を丸くした。
「見てもらってわかったと思うんですけど、ギンロウに限らず魔狼に柵は無意味なんです。王都の城壁くらい高くすき間なく積み上げれば、出入りを防げますけど」
「だ、だったら、そもそも柵なんて作るだけ無駄じゃねえか!」
唾を飛ばす現場監督に、ササラは「はい。無駄です」とにっこり笑う。
驚き目を剥く現場監督にササラは続けた。
「敵意を持って境界を越えようとするギンロウに、柵は無意味です。だから、この軍施設に作るのはこの子たちを閉じ込めるための檻じゃなくて、この子たちの領域と人間の領域とを分けるための柵なんです」
「領域を分けるための柵、だって……?」
意味がわからない、と言いたげな視線は現場監督だけでなく周囲にいる作業員たちからも伝わってくる。
そこから説明しなくてはいけないのだな、と気づいてササラはギンロウの頭を撫でて群れへ戻るよう促した。
「今回、小屋を作るギンロウは、魔獣のなかでも群れをつくる種類の魔狼です。群れの結束は固くて、主人と仰ぐ人間であっても巣穴には入れないくらい」
言いながら、ササラが見やった先ではリーダーのギンロウを群れが迎え入れている。互いに身体を擦り付けあうギンロウの群れは、よく見れば中央に若い個体を取り囲むようにして、輪をなしている。
人びとがギンロウを警戒するのと同じように、ギンロウのほうでも群れを守るため周囲を警戒しているのだ。
「だから今回、必要なのはギンロウと人の領域を明確に分けるための柵なんです。だから高さは必要なくて、むしろギンロウが周囲を観察するためには低いほうがいいくらい。でも軽く跨いで通れるような高さだと、事情を知らない人がうっかりギンロウの領域内に入ってしまうかもしれないから、胸の高さでお願いしたいんです」
言って、ササラは現場監督をじっと見つめる。
辺境の村でだって、実家の魔獣舎を大きくする際にはあれこれと悶着があった。今よりずっと幼かったササラの言葉を聞いてくれる大人は少なくて、家族や従業員のサムじいさんにずいぶんと助けられたことをササラは忘れていない。
(今はみんながいないんだもん。まずは私ひとりで伝えられることはしっかり伝えなきゃ。これでもダメなら、シルヴァ中将かスコル将軍に頼ることも考えて……)
ササラが次の手を考えはじめたころ。
「……わかった。嬢ちゃんの言うようにしようじゃねえか」
「本当ですか!」
思った以上にあっさりと応じてくれた現場監督に、ササラは驚き声をあげる。
すると、現場監督はいかつい顔をにっと笑いで崩して大槌を担ぎ上げた。
「納得のいく理由があるなら、従わねえ理由はねえ。それにあんたはあんたで、魔獣のことに関しちゃだがな、建物の強度やら構造やらに関わる箇所は、俺たちのやり方に従ってもらうこともあるぞ」
「もちろんです! むしろこっちが勉強させてもらうので、よろしくお願いしますね!」
「ふんっ。そうそう学べるとも思えねえが、聞きたきゃいつでも声かけろや!」
照れたように耳を赤くして言われても、怖くもなんともない。
軍側の指示者であるササラと現場監督とのわだかまりが溶けた後は、作業員たちの動きもより良くなった。
***
夕暮れが迫るころ、現場監督と作業員たちは「今日の仕事はしまいだ」と帰っていった。
まだ完成ではないが、外枠は組みあがった。現場監督からも「犬っころを中に入れてもいい。明日の作業開始までならな」と許可をもらっている。
というわけで。
「おいで。入ってよし!」
ササラはギンロウたちを柵の内側に招き入れた。
馬房と違って仕切りはない。群れのリーダーが気に入りの場所を見つけると、ギンロウたちは序列が高い順に次々と好き勝手な場所に腰を下ろして丸くなる。
「今夜は天気も悪くなさそうだし、屋根がなくても平気だよね」
空を見上げたササラがひとり、つぶやいたとき。
ドサ、と何かが落ちる音。
振り向けば、呆然と立ち尽くすマドレットがいた。彼女の足元には何かが詰まった紙袋がある。
「そんな、もうギンロウとの間を隔てる柵ができあがっているなんて……!」
衝撃を受けた様子の彼女は、ササラに気づかないようで、打ちひしがれたままうめき続ける。
「そんな、そんな……せっかく毎回の食事でちょっと懐いてきてくれて、今日こそはもふもふささせてもらえるかもしれないと思ったのに……くうぅ……」
(この人、魔獣好き……?)
「大きい狼耳さわさわして、太い尻尾でぱしぱしされたかったのにぃ……!」
(あ、魔狼好きなんだ)
納得と同時、ササラが覚えたのは共感だった。
通りかかる軍人たちが足を止めて「何事か」と見守るなか、ササラはマドレットへと歩み寄った。
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