第14話
感情的になったまま放ってはおけない、と感じたササラは、マドレットを伴い軍の食堂へやってきた。
(魔獣じゃないんだから、自分の気持ちくらい自分でなんとかするとは思うんだけど、気になるしね)
日暮れを迎えたばかりのこの時刻、食堂に人影はない。この後に控える夕食に備えて、厨房内部では作業の真っ最中と大変な騒ぎだが、その喧騒が良い具合に話声をまぎらせてくれる。
(ここなら気持ちを吐き出してもらっても、きっと大丈夫なはず)
食堂の入り口が解放されているのが気にはなるが、入り口からも厨房からも離れた箇所ならば問題ないだろう、とササラはマドレットを席にうながし、自分も腰を下ろす。
「もしかしてマドレットさんは、魔獣が……いいえ、魔狼がお好きなのですか?」
ササラがおそるおそるたずねると、マドレットは「はい」と弱弱しくうなずいた。
「魔兎や魔栗鼠ならともかく、あんな大きな魔狼が好きなど、おかしいとはわかっているのですが」
「おかしくなんてないです!」
叫んだササラは、思わずマドレットの手を握りしめていた。
「魔狼のふさふさの耳、きりりとしているのに気を許した相手にはすこし緩む鋭い目、そして感情を隠し切れずにふわふわふりふりされるあの尾ときたら、もう!」
ササラが熱く語るものだから、マドレットはあっけにとられた様子。ぽかんと顔ををあげ、ためらいがちにつぶやいた。
「恐ろしくは、ないのですか。あんなに大きな魔獣なのに……」
「大きいからこそ良いんですっ」
はっきりと断言したササラは、マドレットの手をぎゅうぎゅう握りながら続ける。
「もちろん、愛玩用の小型魔獣もかわいいです。かわいいですが、魔狼のかわいさはそれとはまた違うんです。大きく恐ろしいからこそ、なついてくれたときにだけ見られるしぐさが愛おしく、また尊いと思えるんです。その気になればひと薙ぎで大の男を吹き飛ばせる威力を持つ尾が、喜びのままにバサバサと振り回されるからこそ、たまらない気持ちになるんですっ」
「あ、ああ……そうなのです!」
マドレットが感極まったように、もう一方の手でササラの手をがしりと包みこむ。
「恐ろしい気持ちもありつつ、なついたら天狼姿のスコル将軍のようにゆったりまどろむ姿が見られるのだろうか、などと考えてしまうと、もうたまらなくなってしまって」
「マドレットさんはスコル将軍のあの姿を見たことあるんですね」
王都に入るときからこっち、スコルの天狼姿を見ていないササラは、もしかして秘密なのだろうか、と思って黙っていたのだが。
マドレットはあっさりとうなずいた。
「はい。以前、大型の魔獣との戦闘時に見せていただいたことがあります。隊員の危機に忽然と姿を現した大型の天狼。神々しいまでの金の毛皮で駆け抜ける様はあれこそ天の名をいただくにふさわしいと身震いしたのですが。その後、戦闘を終えて毛づくろいするくつろいだお姿と、背中に草のタネがついたとかでひっくり返ってゴロゴロなさるお姿がもう、もう……!」
「ああ……それはたまりませんね……」
語られた内容にササラは深い共感を覚える。
気持ちのこもったその声に、マドレットは思うところがあったのだろう。
興奮に染まった顔をしゅんとさせ、ササラに頭を下げる。
「あなたが魔獣の調教師だと聞いて、将軍の愛らしくのびのびしたお姿がもう見られなくなるのではないかと危惧するあまり、失礼な態度を取ってしまいました。申し訳ありません」
「え! そんな!」
思わぬことを言われて、ササラは目を丸くする。
「私はギンロウたちの調教のために来たのであって、スコル将軍はあくまで雇い主です。そもそも人としての自我がある相手に調教なんて、必要ないですから!」
「そうでしたか」
あからさまにほっとするマドレットの様子に、ササラはそんな誤解をされていたのかと赤面してしまった。
慌てるササラに親しみを持ったのか、マドレットが照れたように続ける。
「我々にはまだ触れる許可が下りない魔狼に囲まれて、思うさま触れておられる姿にも嫉妬してしまったのです。調教師どのの特権であるとは、わかっているのですが」
ほんのりと羨望をにじませたその言葉があまりにも予想外で、ササラは思わず叫んでいた。
「思うさまなんて、そんなことありません!」
「そうなのですか?」
不思議そうなマドレットに、ササラはうんうんと何度もうなずく。
「むしろ、調教師だからこそ魔獣との距離感には注意しなきゃいけないんです。私が格下に見られてしまえば、魔獣は野生の本能のままに行動します。そうなったとき、人に対して危険とみなされたあの子たちは殺されてしまう。そうならないために、私は褒めるべきときにしか褒められないし、叱らなきゃいけないときはきっちり叱らなきゃいけないんです。本当は、あの子たちといっしょの寝床でもふもふの毛皮に包まれて眠りたいのに……」
それはササラの本心であり、胸の内に秘めていた願いでもあった。
長年、魔獣と暮らすなかで意識していった魔獣との線引きは、必要なものだとわかっていても魔獣が大好きなササラにとってはさみしい線引きでもあったのだ。
「そんな想いを抱えておられたとは……」
感激したように、マドレットがつぶやいたとき。
「だったら俺の毛皮で寝てください!」
声があがったのは食堂の入り口。
「スコル将軍!?」
振り向いたササラが名を呼んだときには、スコルは素早く駆けこんできて、ササラの目の前に立っていた。
「ササラさんがお望みとあらば、不肖スコルッ」
「待て!」
勢い込んで話し出したスコルの目の前にササラが手のひらを突き出したのは、ついうっかりだった。
ついうっかり、エサに飛びつく魔獣を相手にしたときのように対応してしまったのだ。
(……やってしまったものは仕方ない、よね)
こほん、と咳払いをひとつ。ぴたりと動きを止めたスコルをそのままに、ササラはマドレットに向き直る。
「ええと、そう。私は調教師として、褒めるときにしか撫でてあげられないんです。でもマドレットさんたちは、これから信頼関係を作らなきゃいけない。だから、ご自分のギンロウが決まったら、目いっぱいかわいがってあげてください。群れのトップはスコル将軍だから、マドレットさんたちは絆を深めるようにしてほしんです。そうすれば、ギンロウのほうでもマドレットさんを守ろうと、応えてくれるはずですから」
「はい」
マドレットは頷くと、握ったままだったササラの手をほどき膝をついた。
「調教師どのの英知と慈悲に感謝を!」
深く頭を下げ立ち上がったマドレットは「では、一刻もはやく信頼関係を築くためにも、ギンロウたちに食事を与えて参ります!」ときびきびした動きで立ち去った。
去り際に抱えた紙袋のなかから見えたのは、魔獣の太い骨。
肉食魔獣が硬い物を噛むのが好きだと知っていて、どこかから調達してきたのだろう。
(隊のなかにマドレットさんみたいな魔獣好きがいるなら、ギンロウたちもすぐにここに馴染めそう)
ササラがほっこりとした気持ちで見送れば、あとに残されたのは椅子に座ったままのササラと直立不動のスコルだけ。
(この人、どうしよう……)
ササラがぱちり、ぱちりと瞬きを繰り返している間に、食堂にはぞろぞろと人が入って来始めた。
話しに夢中になっているうちに陽がすっかり落ちて、夕食の時間を迎えたらしい。
食堂に入ってくる誰もが、下級軍人のように気を付けをした将軍の姿に目を剥いた。
が、その目の前にいるのがササラだとわかると納得の顔をする。
ここ数日の間、スコルがササラの後ろを忠犬のごとくついて回り、大切な主人に近づく相手には誰彼構わず威嚇したせいだ。
はじめこそ、いつものきりりとした将軍の姿との差異に混乱する人びとだったが、とうとう慣れてしまったらしい。
(まずは「待て」をやめさせなきゃ。でも、なんて言おう。「よし」じゃ、それこそ魔獣扱いだし……)
ササラが迷いを見せたのが、スコルにも伝わったらしい。
待ての姿勢を解いたスコルは、ササラに顔を寄せた。
「そうだ、ササラさん! ご無事ですか!」
「無事もなにも、軍施設から一歩も出てませんから……?」
なんの話だろう、と首をかしげながら、ササラは胸をなでおろす。
(自分で「待て」を解いてくれて良かった。魔獣ならしっかり叱らなきゃいけないところだけど、スコル将軍は人だもん。叱る必要なんてないし、距離感だってそんなに気にしなくて……ううん)
気にするべきでは? とササラは思い直した。
改めて見つめたスコルの美丈夫っぷりに、今更になって顔が熱くなってくる。
そんなササラの様子には気づかず、スコルは真面目な顔で言い募る。
「部下からの報告で、本日の作業員があなたに無礼な態度を取っていたと。周囲が口を出す前に、ご自分で立ち向かっていってしまわれたと聞きました。大事には至らなかったようですが、俺の部下が役立たずで、申し訳ない!」
ぴしりと下げられた頭を見下ろして、ササラは「将軍が生真面目な方で良かった」と胸をなでおろす。
おかげで、心を落ち着ける余裕が持てた。
熱くなりかけた頬が元通りになるのを感じながら、ササラは「いいえ」と意識してゆったりと告げる。
「あれは私が対応しなきゃいけないことだったんです。口を出さずにいてくださったおかげで、作業がずいぶんはかどりました。ですから、見守ってくださった部下の方たちにはお礼を伝えてくださいね」
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