第15話

 叱責ではなく感謝を、と笑顔で言われてしまえば、スコルは黙るしかない。

 お役に立てると思ったのに、とばかりにしょんぼりしていたスコルだが、ハッとしたように顔をあげた。


「そうだ! ギンロウの寝床が出来たのですねっ」


 うれしそうなスコルに、ササラはこっくり頷く。 


「はい。まだ囲いを作った段階ですけど、今日は雨も降らないだろうからギンロウたちもようやく落ち着くと思います。優秀な作業員さんたちのおかげです」

「では! ようやくササラさんを我が家にお招きできるんですね!」


 期待にきらめく瞳で見つめられて、ササラも思い出した。


 王都に来てから毎日、スコルは熱心に誘ってきていたのだ。「あるじどのを我が家にお招きしたい」と。

 シルヴァが「やだ、積極的!」などと茶化していたが、ササラの返事は「行けません」の一択だった。


 慣れない場所に連れて来られたギンロウたちを、寝床も定まらない状態で放ってはおけないから。

 

「だったら一番近くの部屋をササラちゃん用にしちゃう?」


 シルヴァの提案もまた、ササラは辞退した。

 

「ギンロウが見える位置で、あの子たちより安全な場所に寝させてください」


 ササラがそう願ったのは、できるだけ早くギンロウを土地に馴染ませたかったからだ。

 群れが従う相手であるササラが寝起きしていれば、ギンロウたちもまた安心してくつろげる。同時に、ギンロウたちと軍人たちが万一衝突するようなことがあっても、すぐに止められる。


 そう主張したササラに、スコルはせめて、と魔獣舎を建てる予定地に天幕を立てた。


 軍費で開発された天幕と、スコルが全力で探してきた寝袋は質が良く、藁に布をかけただけの辺境の村の寝床よりよっぽど上質な住まいができあがっていた。

 

 いっそあのまま天幕で過ごしてもなんの問題もないけれど、ササラは魔獣舎を作る作業の合間に、天幕を畳んだのだった。

 スコルはそれを目にして、喜んでいるのだろう。


(ふふ。天狼姿なら尾の風圧で食堂がめちゃめちゃになってそう)


 ササラがつい想像して笑ってしまうくらいには、スコルの喜びようはわかりやすかった。

 けれど。


「いえ、せっかくですけど」


 ササラが断りの言葉を口にしようとした、そのとき。


「あっ、いたいた~。おーい、ササラちゃーん」


 食堂の入り口からひょっこり顔をのぞかせたシルヴァが手を振っていた。

 さっそうと歩み寄ってくる細身の彼のその後ろに、続く人影がひとり。


「兄さん!」

「ササラ!」


 目を丸くするササラと良く似た青年が、シルヴァを追い越して駆けてきた。

 驚くほどの美形というわけではないが、街中で見かければ「ちょっと良さそうな人」と思われる外見。そこに、ササラよりもとっつきやすそうな雰囲気を持ったササラの兄、コキリコだ。


 その肩には見慣れたガラスフクロウ、リィンがとまっている。


「リィンあなた、王都に来てからずいぶん自由にしていると思ったら、兄さんのところに行っていたの?」


 心配はせずとも気にはかけていたササラが腕を伸ばせば、リィンはそこに飛び移りつつも、素知らぬ顔で羽根繕いをはじめた。

 生意気な態度を取る愛鳥に「もう!」と憤るササラに、コキリコが「もうはこっちだよ」と口をとがらせる。


「ササラってば、いつまで経っても顔を見せに来てくれないんだから。アーヴィンからの手紙を受け取って、今か今かと待ってるのに連絡のひとつも寄こさないものだから、リィンにお願いしたんだよ。ササラのところへ案内して、って」

「それで、たずねてきたおにーさんを俺が案内してきた、ってわけ」


 褒めてくれていいんだよ? と軽口を叩くシルヴァは置いておけば良いとして、母と兄に連絡を忘れていたのは、ササラの落ち度だった。


「ごめん、兄さん。ここは辺境と違って人も物もそろってて、どんどん作業が進むのが楽しくって」


 素直にあやまって「でも」とササラは表情を明るくする。


「ひと段落がついたから、今日はお店のほうに顔を出そうと思ってたところ!」

「……後ろの彼は、そうは思っていなかったみたいだねえ?」


 兄に言われて振り向けば、そこには悲しみを目で訴えてくるスコルが。

 

(なんて目をするの……これじゃまるで、ごほうびのおやつをお預けされた魔獣みたい)


 待てを続けさせるべきか、はやく良しと言ってやるべきか。

 魔獣調教師としての思考に一瞬、悩んだササラだったが、寸でのところで相手が人の姿をした偉丈夫、スコルだと思い出した。


「もしもササラがそちらの彼のお宅に泊まるつもりだったなら、兄として彼とオハナシをしなくちゃいけないんだけど?」

「ううん、ううん! 私が自分でお話してくる!」


 笑顔のまま、ちょっぴり雰囲気を強張らせた兄に首を振って、ササラはスコルに目を向ける。


「あの、すこしだけ時間をもらえませんか。二人きりで話したいんです」

「もちろん!」


 すかさず頷こうとしたスコルの前に、コキリコが顔を突き出した。


「もちろん、ダメだよねえ?」


 にっこり笑顔の威力は、将軍位にある男すら震え上がらせる。

 この笑顔があったからこそ、より幼いササラではなく兄のコキリコが母とともに王都へ行くことになったのだ。


「ええと、それでは我々はどうすれば」

「いや、ていうかスコル。周り見て見ろよ」


 ぽん、と肩に手を置いたシルヴァに促されてスコルがあたりに目をやる。ササラもつられて周囲に目を向け、食堂いっぱいに集まった人々の視線にぶつかり、慌てて顔を伏せた。


(そうだった、ここ食堂だ! 夕飯時になったんだから、それはいっぱい人が集まってくるよね!)

 

 焦るササラの肩に手をやり、シルヴァが笑う。


「二人っきりはだめっていうおにーさんの希望も、二人で話したいっていうお二人さんの希望も叶えられる良い場所、俺、知ってるよ」


 ***

 

 もふもふとふかふかに囲まれて、ササラとスコルは向かい合っていた。


 二人の周囲に人影はない。人影はないが、ギンロウの群れの毛皮が夜空の月に照らされてふわさらもふさらと、きらめいている。


 そう、シルヴァの言う「良い場所」とは、ギンロウの群れのただなかであった。


「確かに、ここならひと目につかないな」

「二人きりでもないですしね」


 笑い合ったふたりは、互いに相手が話し出すのを待つ。

 毛皮に囲まれたうす暗いに落ちたのは、探り合うような居心地の悪い沈黙ではなく、遠慮しながら手をつなごうとするような、くすぐったい沈黙。


「我が家に来てはもらえませんか」


 ふと、その沈黙をやぶったのはスコルだった。

 いつもの忠犬めいたそぶりはなりをひそめ、ささやくように告げる彼の見目の良さをササラは改めて実感する。


(魔獣でもないのに、胸がドキドキするなんて……)


 はじめてのことにササラが戸惑い、胸を抑えたとき。

 スコルは意を決したように拳を握った。

 

「俺なら! 俺ならあなたがどれほど撫でまわそうと、主従を忘れたりなどしません! どうか俺のことを思う存分もふもふしてください!」


 声と同時に、ぶわりと広がった金の毛皮に、ササラは埋もれる。

 その毛並みの良さ、手触りの素晴らしさにうっとりするササラの目の前で、スコルはころりと寝転がった。


 どうぞ好きにしてください。


 そう言わんばかりの姿に、ササラの心はぐわんぐわんと大きく揺れる。


「とっても素敵です。ふわふわで、もふもふで……でも」


 ササラが断りを口にしようとしたとき。


「あーあー。獣臭くってたまらないな」


 無粋な声が、二人のひと時を打ち壊した。

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