第16話

「こんな汚い犬に乗らなきゃいけないなんて、まったく冗談じゃない。魔獣に乗るなんて、栄誉ある王都軍人のすることか」

「そもそもトップが魔獣なのが問題だろう。戦闘力がずば抜けてるからって、魔獣同士のけんかに人間の階級与えるなんておかしいよな」


 下卑た声にいやらしい笑いがさざめく。


「そうそう。あんな半端な人か魔獣かもわからないのが上官なんて、ほんとついてない。はやく異動したいもんだ」


 耳障りな声の主は複数いるようだった。

 ギンロウを見ながら、柵の外で話しているのだろう。


 遠慮のない言葉から考えるに、ギンロウの群れのなかにササラや、寝転んだ天狼姿のスコルには気が付いていないようだ。もふもふの毛皮がちょうど目隠しになっているらしい。


「……わざわざここで言うなんて」


 思わずこぼれたササラの声には、怒りがこもっていた。


 魔獣の多くは人に害をなす。

 そのため万人に歓迎されるとはササラも思ってはいない。けれども、いくら悪感情を抱いていたとして、わざわざその対象の目の前にして口にする必要はない。


 ササラのつぶやきににじむ怒気につられたのか、あるいは言葉に含まれる悪意を感じ取ったのか。リーダー格のギンロウが「グルゥ」と低くうなる。


 一方、スコルは何を言うでもなく巨躯を隠すように項垂れていた。

 悪意ある言葉を向けられた当事者である彼は、立派な牙を剥きだしにするでもなく、太い脚で不届き者を蹴散らしに向かうでもなく。ただただ、耳に届いた言葉に黙って気付けられていた。


 耳を下げた横顔の寂しさに、ササラの庇護欲が刺激される。


(あの時の仔犬を守れなかったぶん、今のこの人を守らなきゃ!)


 燃えるような使命感に突き動かされ、ササラは腕をひとふり。ギンロウに道をあけさせた。


 ザッと音を立てて左右に分かれたギンロウの群れの向こうに、魔獣の調教師の姿を見て声の主たちは驚く。


 呆れたことに声の主は軍人たちだった。三人そろって軽鎧を身に着けていることから、見回り中なのだと思われた。


(同じ施設内に悪口の相手がいるって知ってるのに、どうして堂々と口にするんだろう)


 不可解さに首をかしげたくなるのをこらえつつ、ササラは動揺する軍人たちににっこり笑いかける。


「軍人さま方は魔獣についてどれほど知っていますか」

「は?」


 予想外の笑顔と問いに男たちが戸惑った隙に、ササラが続けた。


「魔獣とひと言でくくっても、弱いものは魔栗鼠から、強いものは魔竜などその種類は数えきれないほど。そのなかでも伝説級とされるのが、天の名をいただく魔獣種。天龍を筆頭としたその一群に名を連なるのが、スコル将軍の血に流れる天狼なのです!」


 どうだ、とばかりにササラが腕を広げて示した先には、うずくまるようにして座る金の毛並みの天狼。

 悪口の相手であり、自身らの上官でもある相手がそこにいたことにようやく気が付いて、男たちはあからさまに表情を変えた。


「すっ、スコル将軍! 先ほどのはそのっ」

「あれは、その、言葉のあやと申しますか!」


 慌てて言い繕おうとする姿はあまりに醜い。


「あやとは何ですか! 汚い犬だなんて言葉以外の素敵な意味があるとでも言うんですか。そんなわけないでしょう!」


 ぴしゃり、ササラに言われて男たちは黙り込んだ。

 なおも叱りつけようとするササラを止めたのはスコルだった。


「いいのです、あるじどの。彼らと同意見の者は少なからずおります。俺がかつて辺境の森に捨てられたのも、獣の姿しかとれぬ俺を厭うた親族のしたことでありましたから」


 寂し気な、諦めたようなスコルの言葉は、むしろササラの怒りに火をつけた。


「何もよくありませんっ」


 叫んで、ササラはスコルの巨大な顎を両手で抱きしめる。

 俯く顔を引き起こし、無理やりに目を合わせて、ぺったりと伏せられた耳でも聞こえるように語りかけた。


「魔獣は確かに恐れるべき存在です。獣なんですから、当然です。でもあなたは、スコル将軍は人でしょう?」

「こんな姿なのに、俺は人だと……?」


 不安げに揺れる大きな瞳に、ササラはにっこりうなずき返す。


「もちろんです。だってあなたの心は魔獣じゃない。人だもの。あなたが恐れられるとわかってその姿を見せたのは、仲間を守るためだったんでしょう?」


 マドレットがスコルに心酔したその戦いの場で、スコルが己の秘密を明かすのにどれほど迷っただろうか。

 当時の彼を思えば、ササラの胸は張り裂けそうだった。


 だからこそ、しっかりと伝えなければならない。

 抱きしめた腕に力を込めてササラは続ける。


「あなたの牙や爪は確かに鋭く、恐ろしい。だけどその牙で切り裂いたのは人に害成す魔獣でしょう? その爪を振るったのは仲間を守るためでしょう? だったら私はあなたを怖がることなんてない。むしろあなたが仔犬じゃなかったら出会えなかったんだから、天狼の姿になれることに感謝しなくちゃ」

「あるじどの……」


 冗談めかして笑うササラに、スコルもかすかに目元をやわらげる。それに併せてへしょげていた耳もほんの少しだけ持ち上がった。


「それに、人と天狼のどちらの姿もとれるなんて、強いしかわいいし最強じゃないですか!」


 ササラが力説したとき。


「まったくもってその通りです!」


 鋭い声が轟いた。

 見れば、男たちの真後ろにマドレットが立っている。

 彼女の姿に気づいた男たちが「ひいッ」と悲鳴を上げる程度には、マドレットの表情は恐ろしい。


「あっはあ。君たち、さっき面白いこと言ってたよねえ。あっちでちょーっと詳しく教えてくれなあい?」


 マドレットの後ろからひょっこり現れたのはシルヴァだった。

 途端に、男たちの怯えようが加速する。


「ぎゃあッ、シルヴァ中将!」

「申し訳ありません、申し訳ありません!」

「お、お詫びを、スコル将軍にお詫びを……!」


 膝をついて頭を下げ、必死に許しを請う男たちにシルヴァが顔を寄せた。


「あっちで、って言っただろう? 口を閉じろ」


 にっこりと笑顔のままで告げる声の低いこと。

 真っ青になって口を引き結んだ男たちの首根っこを、マドレットがむんずとつかむ。


「お前たちは、こちらで話を聞こうじゃないか。ゆっくりと、な」


 大の男三人をずるずると引きずって消えていくマドレット。彼女の後を追って背を向けたシルヴァが、ふと振り向いた。


「こっちはこっちで、ごゆっくり〜」


 にこやかに告げた彼は、ひらひらと手を振って去っていく。

 残されたササラとスコルの間に沈黙が落ちた。

 気まずいものではない、どこか甘やかで気持ちをそわそわさせる沈黙だ。


「あるじどの」


 先に沈黙をやぶったのはスコルだった。

 そろりと目をあげてササラを見た彼は、恐る恐るというふうに言葉をつむぐ。


「あるじどのは、人とも魔獣ともつかない俺が、その」

「好きですよ」


 言いよどむスコルを遮って、ササラは告げた。

 スコルの耳がピンと立ち、金の目が真ん丸に見開かれているのを見つめながら、続ける。


「言ったでしょう。あなたが天狼だったから、私たちは出会えたんです。それに、こんなおっきなもふもふに、遠慮も警戒もしないで抱き着けるなんて、幸せです!」


 にっこりと心からの笑顔で言えば、スコルの耳がちょっぴりしょんぼり。「いや、ちょっとは警戒もしてもらっても。いや、でも遠慮はしないでもらっていいので……」などとぶつぶつ言う。


 それからいやいや、と頭を振って、スコルはササラを真っすぐ見つめた。


「あの、では今夜は俺の屋敷で!」


 言いかけたところへ、不意にシャランと音が舞い降りてくる。

 涼やかなガラスの羽根音に身を起こしたササラの肩へ、彼女の愛鳥リィンがとまた。


「ピィ」

「リィン。なあに、脚に手紙?」


 差し出されたリィンの脚には紙が結び付けられていた。ササラがほどいてみれば。


「『門の外で待ってるよ 兄より』……ごめんなさい、スコル将軍。今日は母と兄のお店に行きます」


 姿は見えないが、あまりにタイミングの良いササラの兄にスコルはがっくり。耳は伏せられ、尾は垂れさがる。

 あからさまにしょんぼりとした姿を見たササラは、兄の手紙で口元を隠しながらぼそぼそと続けた。

 

「あの、明日の作業、私が顔を出すのは昼過ぎからなので。午前中は王都をぶらぶらしてみようかと思ってたんです。だから、もしスコル将軍がお暇だったら、なんですけど……」

「はい! お迎えにあがります!」


 パッと顔をあげ、尾をぶんぶん振るスコルが全身で喜びを表現していて、ササラの胸はキュンと高鳴る。

 相手は成人男性、身分ある相手、と保っていた理性はもはや風前の灯。


(もしかして、お家にお邪魔したらこの素敵なふかふかボディを愛で放題……? だったら、このもふもふ毛皮で寝たりなんて……うわあ、なんて贅沢! 楽園なんじゃ!?)


 スコルの自宅へのお誘いに、ササラが陥落する日はそう遠くない。


 

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魔獣の調教師ですが魔獣将軍を手懐けた覚えはありません! exa(疋田あたる) @exa34507319

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