第12話

 すかさず声を荒らげたのはスコルだ。


「あるじどのは調教師だ! 建物を作るのは技師の仕事だろう」

「「あるじどの……?」」


 うっかり呼び名を間違えた(彼からすれば正当な呼び名を口にした)スコルに、マドレットとシルヴァがそろって声をあげた。


「あ! いや、さ、ササラさん……」


 ハッとしたように口をつぐんだスコルはササラに顔を向ける。


(しまった、みたいな顔をしてこちらを見られても……)


 魔獣姿ならまだしも、地位のある立派な成人男性を庇護できるほどの能力はササラにない。というか、この場で最も地位があるのはスコルのはずなので、ササラが助け船を出すまでもないはずだ。

 そんなわけで、ササラはスコルの発言をなかったことにしようと決めた。


 そっと視線を逸らした視界の端で、あからさまにしょげるスコルが見えた気もするが、気のせいだ。

 

「……この子たちの寝起きする場所を用意させてもらえるなら、むしろうれしいです。けど、軍の内部の施設を私みたいな一般人が使っちゃって良いんですか?」


 スコルのあからさまな視線を受け流したササラに、シルヴァが面白そうに目を光らせる。いたずら好きの魔獣、幻狐を前にしたような気がして、ササラはちょっぴり身構える。


「あー、良いの良いの! 今回は魔獣舎なんて前例がないからどうとでも書類は作れるし、君なら今に身内扱いになりそうだし、ねえ?」


 シルヴァの含みのある物言いに、マドレットの視線はますます険しくなり、反対にスコルは喜色を露わにした。


「身内……! そ、そんな、まだご両親への挨拶も済ませていないというのに!」


 浮ついた声をあげるスコルに、獣の尾が生えていたなら激しくぶんぶんと振られていただろう。

 ふさふさの尾の幻覚が見える気がする、とササラが思ったとき、すぐそばで「え、かわい……」とかすかな声が聞こえた気がしたが。

 そちらに目をやれば、マドレットが赤い顔でササラをにらみつけてきた。


 すぐに視線はそらされたが、赤髪の美女は敬愛する上司に目を向けると戸惑ったような声をあげる。


「スコル将軍、なにをおっしゃっているのです。ご両親への挨拶などと、そのような、結婚準備のようなことを……!」

「けっこん!」


 もはやマドレットの言葉を復唱することしかできないスコルは、立派な大人ではなく有頂天になった魔獣にしか見えなかった。


(浮かれたギンロウみたいでちょっとかわいいけど、どうせなら天狼の姿になってくれれば良いのに)


 スコルの見目は麗しい。見目麗しい成人男性が頬を染め、期待に満ちた目で見つめてくる破壊力は相当なものだ。

 けれどそれは一般的な女性に対してのみ有効なのであって、ササラには魔獣の毛ほどの魅力しか伝わっていなかった。


 先ほどから騒がしい将軍とその部下とは放っておいて、ササラはササラの成すべきことをせねばならない。

 そのために相手の名を口にする。


「ええと、シルヴァさま?」


 マドレットからはなぜか敵意を向けられている。

 スコルは浮かれて頼りにならない。

 ならばこの場で頼りになるのはひとりだけ。


「シルヴァでいーよ。階級は中将、スコルより下だからね。年齢はいっしょだけど」

「では、シルヴァ中将」


 口調の軽さは目立つが、地位は十分。

 ササラは足元に侍るギンロウの背を撫でて、食えない笑みを浮かべるシルヴァに微笑み返す。


「この子たちの、魔獣の小屋を作るために使って良い予算、人員、敷地を教えてください。それと、小屋を作成している期間の私の軍内における立場も知りたいです」


 ひと息に告げれば、シルヴァはきょとんと目を丸くした。

 

(あら、魔鴨みたいな顔)


 ササラが見た目のひょうきんさで有名な魔鳥を思い浮かべていることなど知らないシルヴァは、その顔のままぱちりぱちりと瞬きをして「へえ」とつぶやく。

 これまでのおどけたような声ではないそれは、素直に漏れた感嘆の響きを宿している。


「ササラちゃん、だっけ」

「はい。辺境の村で魔獣の調教師をしています、ササラと言います」


 そういえばあいさつをしていなかった、と改めてササラは名前を告げた。

 家名はないため、代わりに職名を足しておく。


 継ぐべき家を持つ者は、役所に届けを出して家名を登録する。

 いつだったか、母や兄の手紙に「都に住まいを持つ人々はほとんど皆が家名を持っているようだ」と記されていたことをササラは思い出していた。

 今のササラ一家ならば登録料を払うことは難しくないが、ならば家名を何にするかとなったときに母は「とにかく強そうなものを」と主張し、兄は「覚えやすくて呼びやすいものを」と述べ、父は「長いほうがかっこよくない?」と言って意見がまとまらなかったため保留のままとなっているのだ。

 

(家名もない田舎者だ、って思われるかな)


 笑顔をうかべたままこっそりと観察をするササラだが、シルヴァの表情に変化はない。むしろさっきまでよりもうれしそうに笑っている。そして、意外なことにマドレットもまた格別な反応を返しはしなかった。


(地位も家名もない田舎の人間が大切な上官にくっついてるのが気に入らない、っていうわけじゃないのかな?)


 ならばマドレットの敵意はどこから来るのだろうか。

 不思議に思うササラに、シルヴァがにっこりと笑う。


「俺はシルヴァだよ。シルヴァ・ニュフ中将。こう見えてけっこう偉いひとだからね、ササラちゃんに専属魔獣調教師の席、作っちゃうね! それとスコル専属の調教師ってのもつけとこうか?」

「え!」

「え?」

「え!?」


 スコル、ササラ、マドレットの順であがった声にはそれぞれ、歓喜、困惑、驚愕の響きがこもっていた。


 三者三様の反応に、シルヴァが「あっは!」とおかしそうに笑う。

 目を細めたその顔は、やっぱり幻狐に似ているとササラは思う。

 

 そんなことを考えていたササラの耳に、マドレットのかすかなうめき声は届かない。


「そんな、スコル将軍が……調教されてしまう……!? 調教なんて、そんな、魔獣のようにお手やおすわりも覚えさせられてしまうなんて、そんな……!」

 

 マドレットの熱のこもったをちらちらと向けられたギンロウは、ササラの足元で迷惑そうにひとつ尾を振った。

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