第11話

「ヒュード士官、こちらは俺の客人だ」


 ササラを見下ろす女性との間に、スコルがずいと身を乗り出した。

 大きな背中にすっぽり隠れたササラは、前が見えないからとこっそり横にずれる。


 その動きに合わせて、長身の女性が目を細めた。


「客人、ですか。スコル将軍がお戻り次第、お連れするようシルヴァ中将からのお達しです。お客人のご案内は私、マドレット・ヒュードにお任せください」


 言葉こそ丁寧で表情もまた取り繕ってはいるが、マドレットの目に友好的な雰囲気がないことは、ササラに伝わってくる。


(魔獣よりよっぽどわかりやすい。この方、何に苛立ってるんだろう)


 初対面の魔獣はまずよく観察すること。

 ササラは長年の習いで、人間相手だということも忘れてマドレットをじっと見る。


 長身のマドレットと、平均的な女性の身長のササラ。

 自然、見上げる形になったササラの上目遣いに、マドレットの態度は硬くなるばかり。表面上はわからないけれど、ササラは敏感に感じ取っていた。

 そこへ。


「気を利かせてくれたところ申し訳ないが、彼女は俺の大切な方なのだ。君にはシルヴァにもうしばし待つよう、伝えてきてもらいたい」


 あるじより大切なものはない、と部下のご機嫌など気づきもしないスコルが言った途端、とうとうマドレットの眉間にしわが寄った。


 大切な、とスコルが口にした瞬間だとササラは見てとり、ハッと後ずさる。


「お言葉ですが、将軍!」


 噛みついてくる、とササラが身構えたときにはマドレットの不機嫌な声が飛び出していた。

 当然、人間である彼女は魔獣のように噛みつきはしないものの、言葉でササラを突き刺そうと声を尖らせる。


「見たところ、軍施設とは関係のなさそうなか弱いご令嬢ではありませんか。スコル将軍ともあろうお方が軍紀を乱すなど、そちらのご令嬢はよほど身分ある方なのでしょうか」


 攻撃のために発されたマドレットの言葉であったが、ササラはあまりに意外なものであったため、目を丸くして驚くばかり。


(田舎の古着が、高貴な方のお忍び服に見えたのかな? う~ん、見えるかなあ?)


 ササラが見下ろした服は、持っているなかでも新しいほう。

 とはいえ、旅装のままなものだからしっかりと着古したほうの古着だ。


 それも作業性の良さから上下そろって男物である。

 長めの裾をズボンに押し込み、腹まわりがあまりがちなズボンを端切れ布で締め上げている姿は、お洒落さなど皆無。

 いくらお忍びとはいえ、身分ある物が着るようには見えなかった。


(こんなことなら都に着いたとき、母さんたちが贈ってくれた新しい服に着替えていれば良かったかな。でも、きれいな服を着て魔獣の相手はできないし)


 ササラの仕事は魔獣の調教だ。ならばやっぱり、今身につけている服がこの場にもふさわしいはず、とササラは背筋を伸ばす。


(私は私のことあるべき姿をしているんだから、恥じることなんてないもの)

 

 思いを新たにしたササラをよそに、スコルは部下を睨みつけた。

 上官に明確な敵意をぶつけられたマドレットが、目を丸くしたそのとき。


 外壁側の小扉があいて、どっとなだれこんできたのは銀の毛皮の魔獣の群れ。


「「ギンロウ!」」


 ササラ、マドレットが異口同音に呼んだ名前は、かたや喜びにはずみ、かたや警戒を帯びている。

 魔獣の群れを前に声を弾ませた異様さにマドレットが目を見開いている間に、ササラは駆け込んでくるギンロウたちにぴしりと手のひらを向けた。


「止まれ!」


 ぴたりと止まった群れの先頭に続いて、後続のギンロウたちも駆け込んできた矢先、ぴたりぴたりと動きを止める。

 最後にスコルの愛馬と、その後にあわてて駆け込んできたのは、細身の青年だ。


「あッ! スコルいた! ちょっとちょっと、なにこのやばい群れ! お前の馬、なんてもの引き連れてきてんの!」

「シルヴァか。ちょうど良い。戦える魔獣を連れてきたぞ」


 叫ぶ青年、シルヴァにスコルは得意げに胸を張る。


「戦える魔獣って、そりゃまあギンロウなら、戦闘時にも怯まないでしょうけどよ。こんなの誰が管理できるって……」


 騒ぐシルヴァをよそに、スコルの愛馬はとことこ歩いてササラの前へ。優雅に膝をおり、一礼する首すじをササラは感謝を込めて手のひらで叩く。


「ありがとう、みんなを連れてきてくれて」

「ぶふんっ」

「みんな、お座り!」


 ササラのひと言で、待機していたギンロウの群れが一斉に腰を下ろした。

 

 巨大な軍馬をはべらせ、ギンロウを一言で座らせる。

 ササラの手腕を目の当たりにして、細身の青年が「わあお」と歓声をあげた。目を見開いたマドレットの頬もほんのりと緩む。


「すごいねえ。その子か! スコルが突然、軍を脱走して連れて帰ってきたっていう調教師さんっていうのは」


 ぱちぱちと拍手をしながら近寄ってくる青年に、マドレットがハッとしたように表情を険しくする。


「シルヴァ中将、待てと座れができるだけでは、ただのかわいい獣です。戦闘時に対応できなければ、無意味です。人命も関わることですから、魔獣の様子と人となりとを慎重に見極められたほうが……」

 

 言いながら、マドレットはササラとギンロウとを交互にちらちらと見る。

 そしてスコルはそれが不快だとばかりにササラを背に隠そうと動き、ササラは人間の機嫌など後回しだ、とギンロウの群れの先頭に座る一頭を誉めている。言葉が通じない人と魔獣とが信頼関係を保ち続けるには、ぶれない対応が必須なのだ。


「ははーん」


 あごを撫でながら一同を見回していたシルヴァは、にんまり笑った。


「そうだなあ。ギンロウが騎馬がわりになってくれるなら心強いけど、マドレットの言うことももっともだしなあ。お嬢さんにはもうちょっと実力を見せてもらおっか」

「シルヴァ! その必要はない。この方は俺が」


 スコルがかばうように前に立つが、ササラは手のひらで彼の動きを制した。


(わたしが性別と年齢と見た目で侮られるのはいつものこと。だからって侮られたままじゃ、ギンロウたちの立場だって悪くなっちゃう。それは許せないから、ここは自分でなんとかしなくちゃ)


 ぴたりと止まったスコルにちいさく微笑みを向けて、ササラはシルヴァとマドレットに向かって一歩踏み出す。


「構いませんよ。侮られたままではこちらも仕事にならないですから」

「おっと、見た目の割に強気だね? いいねえ、そのやる気」


 茶化すようなシルヴァの言葉には反応せず、ササラは微笑を浮かべて彼を促した。

 もはや不機嫌を隠そうともしないマドレットには、触れないほうが良さそうだとそっとしておく。


「どうしたら認めてもらえるでしょう」

「そうだね〜。ギンロウに指示ができるのは見せてもらったから、まずは知識の確認かな」

「知識の? 記述試験があるんですか?」


 手に入る限りの魔獣の情報は手に入れてきたつもりのササラだが、王都で主流の魔獣となると詳しいといえるほどの自信がない。

 

(こんなことなら、兄さんと母さんのお店に寄ってひととおり話を聞いてから来れば良かったかも)


 ササラがこっそり冷や汗をかいていると、シルヴァはゆるゆると首を横に振る。


「いいや、それよりもっと実用的なこと。このギンロウたちが過ごせる場所を作って欲しいな。もちろん、この軍施設内部で、ね」


 親指を立てて施設を示したシルヴァの顔には、にんまりとしか言いようのない笑みが浮かんでいた。

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