第10話

「わあ! 人がたくさん!」


 門をくぐったササラは、思わず歓声をあげていた。


 夕暮れを迎えようというのに、行き交う人は辺境の村の祭りよりよほど多い。ひしめくように建つたてものはどれも背が高く、通りに面した部屋の窓辺には花が飾られていて目に楽しい。

 通りを歩く人々も、祭りでもないのに鮮やかな衣服をまとっているようにササラの目には映った。


(リィンも近くで見れば良かったのに)


 ササラが空を見上げたのは、相棒のガラスフクロウが夕焼けの空のどこかを飛んでいるはずだから。

 人混みを察知したガラスフクロウは、面倒は嫌いだ、とばかりに都へ入る前に空へ飛び立ってしまった。

 薄情なようでいて情にあついリィンのことだから、姿は見えないが、きっと空のどこかに溶け込んでササラを見守っていることだろう。


「あるじどの、あまり離れては人波に呑まれます」


 朗らかに微笑むスコルのまなざしで、ササラは自分がはしゃいでいることに気がついた。

 

(嫌だ、子どもっぽいって思われた?)


 立ち止まり、赤面したササラにスコルはにっこり。行き交う人々にぶつかられぬよう、ササラを道の端にエスコートする。


「感情を押し隠さず振る舞うあるじどのも、愛らしくて魅力的です。ギンロウたちに見られなくて良かった」


 ササラのいかなる表情もひとりじめしたい、という欲にまみれたスコルの発言であったが、ササラは別の意味にとる。


「そうですね。あの子たちにみっとも無いところを見られていたら、幻滅されてしまうもの。先に行っていてくれて良かった……」


 ギンロウとスコルの愛馬は、門で別行動となっていた。

 町中を魔獣の集団が通過するわけにもいかず、かといってスコルもササラも付いていない状態で他者に任せるには、不安が残る。

 しかしスコルが「あるじどのを都へ案内する役目は誰にも譲らん!」と門番の詰め所で吠えたため、スコルの愛馬がギンロウに付き添い別行動することとなったのだった。


 そんなこととは知らないササラは「王都には魔獣を引き受ける窓口があるのだなあ」などと感心していた。


「あの、万一はぐれてはいけませんから、その、あるじどののお手を」

「そうだ、その呼び方!」


 そわそわと下心満載で言いかけたスコルをさえぎり、ササラは声をあげる。


「スコルさまは将軍でしょう? だったら、私のような地位も何もない田舎娘を『あるじ』と呼ぶのはおかしいと思うんですが」

「え、いやしかし。俺はあなたに命を助けられたあの時から、俺のあるじはあなただけだと心に決めていて」


 怪しくなってきた雲行きに、スコルはしどろもどろ。

 ササラは構わず正論をつきつける。


「それはスコル将軍の気持ちのうえでのお話ですよね。あなたの役職と実績に付き従う方たちは、きっとそれでは納得しません。ですから、私のこと名前で呼んでください」


 きっぱりと告げるササラの態度は、魔獣をしつける時のそれ。

 ササラに全面服従を誓っているスコルが逆らえるものではない。


「さ、ササラさま……?」


 恐る恐るスコルが口にするも、ササラは首を横に振る。


「将軍が、いち小娘に敬称をつけますか?」

「うっ!」


 スコルとて、対外的に今の呼び方が適していないことくらいわかっていた。

 そのうえササラに咎める視線でじっと見上げられれば、スコルの服従心がうずうずする。


「さ、ササラ……さん」


 敬称を略すよう促されても、スコルにはできなかった。

 せめても、と悪あがきのように付け足した『さん』に、ササラはにこっと微笑む。


 将軍と、将軍に依頼された魔獣の調教師にはほどよい距離感の呼称だと判断したのだ。


「はい、スコル将軍」


 微笑みとともに名を呼ばれたスコルは、主人に褒められた犬さながらに


「ササラさん!」

「軍の魔獣がいる場所はどちらでしょう、スコル将軍」

「はい?」


 スコルはきょとんと首をかしげた。

 名前を呼ばれるうれしさは彼方へ飛んで、空いた頭でササラの問いかけを咀嚼する。


「軍に御用ですか?」

「はい。私は魔獣の調教師として呼ばれたんですよね。だったら今いる魔獣も見ておきたいし、ギンロウたちの暮らす場所についても確認しておきたいですから」

 

 ササラの発言はしごくもっとも。

 けれどスコルは驚き、固まった。


「あ、あるじどのに都を案内して歩く俺の夢が……!」


 スコルの頭のなかで、ササラと過ごす甘く華やかな時間の妄想が流れては消えていく。

 都ならではの甘味や軽食を食べ歩く夢。

 あるじに似合いの服を選び、あるいはあるじを輝かせる装飾品を贈る夢。


(あわよくば、俺の色をまとうあるじを見られると思っていたのに……!)


「もしかして、軍の内部に入る手続きがけっこうかかります? もし数日かかるなら、家族がいる魔獣屋に行って待ってますけど」


 心配そうに言うササラに嘘をつくことなど、スコルにはできなかった。

 もはや当初の目的など、かなたへ忘れ去ったスコルの残念な妄想は、ササラのまじめさの前にはかなく散ることとなったのだ。


「くっ……! 俺といっしょならば、手続きは最低限で済みます。行きましょう、いますぐに!」

「はい!」


 ※※※


 軍の施設は王都の方々に点在している。

 なかでも、スコル率いる対魔獣部隊に割り振られているのは王都の北端。都のぐるりを囲む石壁に沿う、わびしい場所だ。


 都内をまわる馬車でやってきたササラは、スコルがさっそうと差し出した腕につかまり馬車を降りた。

 

「このような寒々しく、むさ苦しいところにあるじどのをお連れするなんて……」

「すてきな場所ですね!」


 スコルが悔しげにつぶやくのをよそに、ササラはにこにこ笑顔で軍施設に近づいた。


「都の喧騒が遠いから、魔獣たちは落ち着いて過ごせそう。外壁に沿って東西に長く伸びた形だから、魔獣を走らせる訓練にも使えそうですね。北側が壁になってるおかげで冷たい風は防げそうですし、ほかの三面を遮るものがないから魔獣たちがたくさん陽を浴びられるのも、とってもすてき!」


 ササラは木枠で囲われた軍施設内部を外から眺めて、うっとりする。


「こちらを設計された方は魔獣を軍で飼うことを考えておられたのでしょうか」


 手放しで褒めるササラを入り口へと案内しながら、スコルは照れていた。


「あるじどのに褒められるとは、うれしいことです。実は俺があれこれと口を出したのです。馬の管理に良いように、と考えたのですが、結果として魔獣にとっても過ごし良い環境になったのですね」

 

 照れ照れと笑うスコルは、とてもそうは見えなくとも将軍だ。

 軍施設の入り口に立つ門番は、将軍スコルのそんな笑顔をはじめて目にして驚いた。

 驚くべき笑顔のまま、スコルはササラを伴って門番の前に立つ。


「こちら、魔獣調教師のササラさんである。入場手続きを頼む」

「あ、はい。ええと、入場理由は魔獣調教のため、紹介者はスコル将軍、将軍との間柄についてはいかが記しましょう」


 将軍の常にない姿に衝撃を受けつつも、門番の青年は己の職務を忘れてはいなかった。

 ササラが入場するための書類に何と記入すべきか、スコルにたずねて手が止まる。


「我があるじどのだ!」

「は?」

「ちがいます!」


 胸を張って答えるスコルに、門番は目を丸くし、ササラは素早く否定する。


 その賑やかな声を聞き咎めたのは、施設内を歩いていたひとりの軍人だ。


「スコル将軍のあるじどの、だと?」


 大股で門へ向かってきたのは、スコルに負けず劣らない長身の女性。

 明らかな不満を声ににじませた彼女は、スコルに黙礼をしてからササラを見下ろした。

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