第6話
ササラは剣を握るスコルの袖をつかみ、彼を見つめる。
気持ちのこもった視線を一心に浴びるスコルは、目の前に脅威がいるというのに顔が熱くなるのを止められなかった。彼女に他意などなくとも、いやむしろ無防備であるからこそ、その視線の破壊力は増していく。
見つめ合いの結果、やがて将軍職にある男がそっと視線を逸らすほど。
「……わかりました。あるじどのの言う通りにします。しますから、その、袖を離していただければ……」
「あっ、ごめんなさい。つい」
ササラが手を離すと、スコルは剣を鞘に戻す。
けれどいつでも抜けるようにと身構える彼を置いて、ササラは狼に向けて歩き出す。
リィンはその背を押すように、広げた羽根をしゃらりと鳴らしてササラから離れた。けれど遠くへは飛び去らず、近くの柵に止まって羽根をたたむ。
心配でたまらないといった顔をしているのは、スコルひとり。
「あるじどの!」
「まあまあ、見てなって」
たまらず、というように声を上げたスコルをアーヴィンが引き止める。
「私を信じて、見ていてください」
振り向いて軽く微笑んだササラは、ふと足を止めてそばで鼻息を荒くするスコルの馬に手を伸ばした。
落ち着かなげに頭をふるその鼻面にそっと触れ、静かに声をかける。
「大丈夫。落ち着いて。あの子たちはあなたを襲わない」
馬はかしこい生き物だ。恐慌状態にあるわけでもないのに、むやみに声を荒らげる必要はない。
もとより熟練の調教師によってひととの信頼関係を築いている馬は落ち着かなげにしながらも耳を傾けて、素直にササラの声を聞いてくれる。
言葉の意味までは伝わっていないだろう。それでも、伝えたい思いを受け止めてくれたらしい馬は「ぶふぅ……」と大きく息を吐いて視線をササラに移す。
強張っていた筋肉がほぐれたのを見てとって、ササラは「良い子ね」と微笑みかける。
落ち着きを取り戻した馬はもう大丈夫だと、彼女は改めて狼の群れに向き合った。
そわそわと動きまわる狼たちの先頭に立つ、一際大きな狼は群れのリーダーだ。
真剣な表情をしたササラはリーダーの狼と視線を合わせて手のひらを向ける。リーダーがぴたりと動きを止め、きっかり五秒。
不意に手を下ろしたササラが笑顔で告げる。
「よし!」
「きゃうん!」
うれしげな鳴き声は甘えた仔犬のよう。
鋭い眼光を喜びにきらめかせながら駆けだしたリーダーの狼は、ササラの前でごろんと横になり、腹を見せて期待の眼差しを送る。
「えらい、えらかったね。ちゃんと待てが出来た! 笛の音で来てくれたのも、えらかったよー!」
明るい声で盛大に褒めながら、ササラがわしゃわしゃとリーダー狼の腹をなでまわす。
へっへっと息を吐きながら身をくねらせるリーダーは、太く長い尾をぱさぱさと振り嬉しそうだ。
その姿を羨ましげに見ている群れの狼たちも、ササラを囲んで「きゅふきゅふ」と見た目にそぐわないかわいらしい声で鳴いている。それはまるで、仔犬がかまってもらおうとするかのように。
「なんだ、これは」
大型の魔獣がひとりの女性を囲み、わふわふきゅふきゅふと甘えた鳴き声をあげている。
異様ともいえる光景にスコルがつぶやくのに、アーヴィンがにやりと笑った。
「すげえんですよ、うちの魔獣姫さまは。あんな大型で凶暴な魔獣だって手懐けちまうんだから」
得意げなアーヴィンにスコルはぽつり。
「……俺にはしてくれなかったのに」
「は?」
「俺のことは撫でてくれなかったし褒めてもくれなかった!」
「え、うん? まあ、それは初対面だし、というか人間相手だしな……?」
なぜ俺はフォローするようなことを口にしているのか。アーヴィンが疑問を覚える横で、スコルがふらりと進み出る。
向かう先はもちろん、ギンロウとたわむれるササラの元だ。
「あはは、舐めちゃやだよ! も〜」
リーダー狼をひとしきり褒め倒したササラは他の狼もおいでおいでと手招いて、狼の群れの真ん中でもふもふの毛皮に埋もれている。
ふぁさふぁさと振りたくられる尻尾や手や頬を舐める舌のくすぐったさにササラが笑っているところへ、ぬうっと黒い影が落ちた。
「え?」
両脇を手でつかまれて、ササラは目を丸くする。
「ずるいです!」
ずぼっ、ともふもふの只中からササラを引っこ抜きながらスコルが吠えた。
その声があまりにも切実だったせいか、単に驚いたのか。周囲にいたギンロウたちは素早く飛び退いて、スコルとササラのまわりにぼっかり空間ができる。
「俺だって、俺だって……!」
「え、あの、ちょっと!?」
スコルは言いたいことが渋滞していて言葉が出ないらしい。一方のササラは、初対面の異性に脇をつかまれ目を白黒させている。
見かねたアーヴィンが助けに入ろうと、一歩を踏み出したとき。
スコルがササラを抱きしめ、狼のリーダーをにらみつけた。
途端に空気が重くなる。
「なん、だ……この威圧……!」
自然と身体が強張り体の芯が震えるのを感じながら、アーヴィンは必死に前を向く。
そこには、およそ人間とは思えない迫力を見せるスコルと、ギンロウの群れのリーダーが。
一見、両者は睨み合っているような形をとっているけれど、勝敗は歴然だ。
「きゅぅぅ……」
哀れな声をあげて視線を逸らしたのは、リーダーだった。
その瞬間にスコルが浮かべた勝ち誇った笑みをアーヴィンは見てしまった。血の滴るはらわたを口にしたオークキングのごとき愉悦に満ちた凶悪な表情を。
リーダー以外の狼たちも見てしまったのだろう。そろって「きゅぅ」「きゃわん!」と悲鳴めいた声をあげ、ふさふさの尾を股に挟んで後退っている。
けれど抱きしめられていたササラが顔をあげたときには、鬼のような形相はきれいさっぱり消えうせていた。
「いかがですか、あるじどの! 俺のほうが序列が上だと認めさせましたよ!」
尾があったなら激しく振りたくられていただろう。
そう確信が持てるほどに、スコルの顔は期待に輝いていた。
そんな輝くイケメンの顔を見上げるササラもまた、目を輝かせている。
「すごい……」
「っあるじどの!」
「すごいです、スコル将軍! これでギンロウの群れを安心してあなたに預けられます!」
「あるじどの……?」
「この子たちなら、空は飛べないまでも戦闘時に怯むことはないでしょう。跳躍力がありますから、きっと将軍の手足となれますよ!」
すごいすごいとはしゃぐササラは、呆然とするスコルの腕からするりと降りると「きゅうん」と甘えた鳴き声を出すギンロウの群れのリーダー、否、元リーダーの横にひざをついた。
「今日からこの方があなたたちのリーダーよ。とっても強い方だから、安心して従ってね」
いい子いい子、と撫でまわされる狼を見つめるスコルは、絶望に染まり切った顔をしている。
この男、まさか泣くんじゃないだろうな、とアーヴィンが心配していると、しゃがんだままのササラが顔をあげた。
「本当にすごいですね。私なんて、ギンロウのリーダーを降伏させるのに数時間にらみ合ったんですよ。それをひとにらみだけで、なんて本当にとってもお強いんですね!」
曇りの無い笑顔で褒め称えられては、スコルもそれを受け止めるしかない。
「はは、ははは……将軍の名を貶めなかったようでなによりです。はは……」
「貶めるなんてそんな! こんなに強い方が国を守ってくださってるんだって、安心しました」
ササラが褒めれば褒めるほど、スコルは『かっこいい将軍』らしくあらねばと思うのだろう。
頬を引きつらせながらも健気に笑ってみせる男に、アーヴィンはもうちょっと優しくしてやろう、と憐れみを抱くのだった。
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