第5話

「あー、ちょっと待て。いや、お待ちください」


 驚きに固まるササラと、彼女を見つめるスコルとの間に割って入ったのはアーヴィンだ。

 いつもの粗野な物言いをした彼は、けれどすぐに口調を改める。


「王都にも魔獣の調教師はいるでしょう。それも、国の認めた実力のある優秀な調教師が。何もこんな辺境の牧場に将軍御自ら足を運ばずともよろしいのでは?」


 丁寧ではある。

 丁寧ではあるが無礼失礼なんのその、明らかな棘を感じさせるアーヴィンに、ササラはハラハラしてしまう。

 けれどスコルは腹を立てるでもなく、ゆっくりと立ち上がると頭を横に振った。

 

「確かに調教師はいる。いるが、彼らが調教し得るのは代々その家で繁殖させ人に慣らしてきた馬型の魔獣や鳥型の魔獣だ。あれらは人によく懐くぶん、戦闘には向かない。陸上戦においては頼もしい味方となる軍馬だが、対空戦となると機動力に欠けてな……」

「対空戦、てことはやっぱり、有翼人との衝突が近いってことか」


 苦い顔をしたアーヴィンがうなるのを聞いて、スコルは眉をあげる。


「やはり、というのは? 有翼人による侵攻の可能性が高まっていることは、民間人にはまだ伏せられているはずだが」


 いぶかしがる将軍を前に、身内を守ろうとササラは声をあげた。


「あの、アーヴィンは冒険者なんです。ギルドを通して国内に戻るよう通達があったとかで」

「冒険者内でも噂が立ってるんですよ。このところ有翼人どもがえらく攻撃的だから、近いうちに荒れるんじゃないか、って」


 アーヴィンの補足を聞いて、「そうか」とスコルが眉を下げる。


「君たちの情報網も侮れんな。いや、それだけ事がひっ迫しているのだろう。しかし、評判の牧場の主があるじのような可憐な方だとは思いも至らず……」


 将軍自ら馬を駆り調教師の元を訪れるなど、事はずいぶんと逼迫しているらしい。

 このままではスコルが帰ってしまいそうだと、ササラは覚悟を決めた。


「将軍さまは」

「スコルとお呼びください」

「え、なぜ」


 呼びかけた途端、間髪入れずに名前呼びを要求してきた将軍に、ササラは思わず素で返してしまう。

 すると、途端に金髪の偉丈夫がしょんぼりとしょげてみせる。


「そちらの冒険者を名で呼んでいたのに、俺はだめなのですか……」

「まあ、付き合いの長さの問題だわな」

「アーヴィンっ」


 遠慮のないアーヴィンのひと言を咎めれば、スコルから恨めしげな視線が飛ぶ。


「ほら、そのように親しげに……」

「まあ実際、親しいからな」

「アーヴィン!!」


 しょげる将軍、混ぜっ返す冒険者。

 ふたりのせいで話が遅々として進まないことに苛立ち、ササラは肩を怒らせる。


「ややこしくなるからアーヴィンは静かにしてて! 将軍も! 話が進まないのでとにかく聞いてくださいっ」

「へいへい」

「拝聴します!」


 ひとりは肩をすくめ、ひとりは直立不動。

 やりにくいことこの上ないが、構っていてはまた話が停滞してしまう、とササラは気を取り直してスコルを見上げた。


「将軍さ……スコル将軍は」


 見つめてくる目力の強さに負けて、妥協する。

 狼めいた金の目をしているくせに子犬のように情に訴えてくるなんてずるいと思ってしまうのは、ササラが魔獣好きだからだけではないはずだ。


「スコル将軍はどのような魔獣を想定していますか? せっかくご期待いただいても、人を乗せられる大きさで空を飛べる魔獣はまだ手元にいないのですが」


 ペガサス、グリフォン、ドラゴンなど空を飛ぶ魔獣は確認されているが、どれも希少で冒険者であっても見たことのない者が多いほど。

 そして万一、発見できたとしてもペガサスは気位が高く、グリフォンやドラゴンは気性が荒いため人を乗せることはないだろう。


 王都での噂は辺境までは届かない。

 兄や母からの手紙、あるいは荷車の御者からの話で評判が良いと聞いてはいたが、噂には尾鰭がつくもの。

 そのため、スコルがどんな噂を聞いたかササラにはわからないが、わざわざ単騎で駆けてきた将軍をいたずらに期待させてしまうのは避けたかった。


 するとスコルはにっこり笑ってうなずく。


「いずれも希少な魔獣ですからね、高望みが過ぎるとわかっております」

「そうですか」


 ササラがほっと息をつきかけたところへ、スコルが続ける。


「もっとも、あるじどのであれば出会った暁にはどんな魔獣であれ、忠誠を誓うでしょう。それらの魔獣はまだ、あるじどのに出会う幸運に恵まれていないだけですから」

「……はあ」


 きらきらの笑顔で断言されても、ササラは戸惑うばかりだ。

 彼の自信はどこから来るのか。そもそも呼び方が「あるじどの」というのは、牧場のあるじという意味よりもご主人さま的な意味合いが含まれているような気がしてならないササラだった。


 何と返すべきか戸惑うササラに、肩で半目になっているリィンがうながすように「ぴぃ」と鳴いて、彼女は気を取り直す。


「えっと、では、まずお伝えしておきたいのですがうちの牧場は愛玩用の魔獣を取り扱っています」

「はい。手紙にも記しましたが、そのうえでこちらの牧場主の評判にすがりに参ったのです。有翼人の侵攻が予期されてはいますが、いまだ時期は未定。打てる手は打とうということで、国からの使者を寄越す前に俺が視察を、と伺わせていただいたしだい」

「ああ、それでおひとりで」

 

 将軍自らやってくるなど、一触即発の状態なのかと思いきやそこまででもないらしい。

 納得したところでササラは胸に落としてある手製の笛を手に取った。


「では、スコル将軍の誠意にお応えして、こちらもできる限りの手札をお見せします」


 言って、手にした笛を吹く。

 音はない。

 ひとの耳には聞こえない。けれど笛の音が響き渡るのが聞こえたかのように、スコルはくっと顔を上げた。


 直後、森がざらざらと鳴り始める。

 スコルが身構え、続いて彼の軍馬が森に顔を向けて落ち着かない様子で脚を踏み鳴らし、土をかく。


 ひりつく空気を引き連れて森の暗がりからぬうっと姿を見せたのは狼だ。

 それもただの狼ではない。馬と変わらぬ体躯を銀色に鈍く輝く毛並みで飾る狼型の魔獣。


「ギンロウの、群れ……!」


 将軍レベルの男が顔を強ばらせるほどの脅威である魔獣が、群れを成して駆けてくる。

 

「あるじどの、お下がりください!」


 鋭く叫んだスコルが、いつ剣を抜いたのかササラにはわからなかった。アーヴィンが息を飲んでいるあたり、冒険者である彼にはその恐ろしく速い動作が見えたのだろう。


 スコルが剣を構え、睨み据えたことで駆け寄る狼たちは脚を止めた。

 群れの大部分の狼は立ち止まり、動かない。中でも大柄な一頭だけが諦めずにこちらに来たそうに唸り、うろついてはいるものの、スコルの間合いに入る隙を見つけられずにいるようだった。


 とても強いのだな。ササラは自身の前に立つ男の背を見つめて思う。金の髪が踊る広い背中に頼もしさを覚えながらも、ササラは彼をなだめるためにその背にそっと手を添えた。


「剣を下ろしてください」

「いや、しかし……」

「お願いします。私を信じて」

 

 渋る彼をじっと見上げる。

 言葉にせず、目と目を合わせて思いよ伝われと願うのはササラの調教師としてのくせのようなもの。

 その仕草が背の高い異性からどう見えるかなど、まったく思慮にないササラなのだった。

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