第2話

 まばたきをひとつ。

 意識を今に戻したササラは、少年冒険者の親切を素直に受け止め笑顔を見せる。


「ありがと、アーヴィン」

「礼なら買い付けのとき、金額に色付けてくれ」


 ぶっきらぼうに言うアーヴィンの耳はすこし赤い。

 彼の不器用なやさしさがうれしくて、ササラはくすくす笑った。


「ふふふ。母さんに頼んでみるね」


 ササラが言ったとき、小屋の扉が勢いよく開かれた。勢いが良すぎて外れた扉の向こうに立っていたのは、ちょうど話題にのぼったササラの母だ。


「か、母さん?」

「なんかめちゃくちゃ怒ってるぞ……?」


 ひそひそと言葉を交わすふたりの元へ、ずんずんと歩み寄って来た母の額には青筋が立っている。辺境の村に不似合いな美貌を持つ彼女は、なまじ美しいだけに怒った顔の迫力がすさまじい。


「ササラ!」

「はい」


 そんな迫力美人の母に名を呼ばれて、ササラはきりっと返事をした。


「今年に入ってから王都に送った魔獣の種類と数、覚えているかしらっ!?」


 唐突な問いかけにササラは目を丸くしながらも、宙を見上げて指を折る。


「ええと、ナガグツネコが二十匹、キノミドリを五羽でしょ。ボールリス三匹に、フウセンガエルを一匹。それからゴシキモモンガを八組とフクロウサギが十七匹、だね」


 つらつらと挙げられる名を聞く母は眉間のしわをどんどん深くし、凄みを増していく。


「……ずいぶんたくさん売っていたわね」

「うん。どの子がどんなエサを食べるかわかってきたし、どんなところで暮らしてるかもずいぶんまとめられたから、一度にお世話できる数も、扱える魔獣の種類も増えてね。それに、買い付けのおじさんが荷車が大きくなってまとめて運べるようになったから、たくさん売ってほしいって言ってたし」


 こっくり頷くササラの頭をなでて「研究熱心で頑張り屋で良い子ね」と笑う。

 笑ったまま、ササラの母は低い低い声を出した。


「聞いていたわね、あなた。それと、買い付けのおじさん?」


 ぞっと背筋の凍るような声だったと、後にアーヴィンは語る。

 魔狼の唸り声よりも低く、竜の威圧よりも恐ろしい怒気のこもった声に、扉の向こうでふたりの大人がびしりと直立不動の姿勢をとった。


「父さん! おじさんも!」

 

 ササラに呼ばれて父は「あはは……ごめんね、ササラ……」と力なく笑い、買い付けの男は無言で視線をそらす。

 その後ろから、ひょっこりと顔を出したのは細身の少年。ササラの兄、コキリコだ。


「兄さんまで。どうしたの?」

「うん。母さん、これ。父さんの部屋から持ってきたよ。魔獣の販売記録簿」


 やんわりと笑ったコキリコが差し出した紙束を受け取った母は、目を落として数秒。

 かっと目を見開いた。

 肉食魔獣よりも鋭い眼光で買い付けの男を射抜いた母は、まばたきをしないままに告げる。


「あなたとの取引は中止します。うちが魔獣の販売を始めてから今日までの取引額に関しても、さかのぼれるところまでさかのぼって『話し合い』ましょう」

「ひいっ! わ、悪かった! 俺が悪かったから、命だけは!」


 悲鳴をあげ、尻もちをついた買い付けの男の股間近くを踏み抜いて、母は優雅に笑った。


「嫌だわ、あなたの命なんてはした金にもならないもの、必要ありません。私が言ったのは話し合い、それから私たちが受け取るはずだった正当な取引額、ね?」

「ひいぃぃぃぃぃ!」


 にっこり笑いながら男を追い詰める母の背を見つめて、ササラは小声で兄にたずねた。


「ね、どうしたの? おじさん、何か悪いことしたの?」

「したというか、ずっとしてたみたいだね。うちから買った魔獣の買い取り価格がね、王都での魔獣一匹の販売価格よりずいぶん安いらしいんだ。母さんが言うには詐欺レベルだって」

「え、でもそれは移動費とかその間の世話をする手間賃だって説明されたって、父さんが……」

「今年一年で僕らが売った魔獣の金額は、王都で売ってるキノミドリ一匹ぶんより安いんだって」


 ササラとアーヴィンは顔を見合わせる。

 

「一年分が、一匹分だと?」

「キノミドリって一番安く取引される子が? ほかの全部を合わせたのより高く売られてるの?」


 ぱちぱちきょとん。

 目を瞬かせているササラをよそに、眉を寄せたアーヴィンがコキリコに身を寄せた。

 年の近い少年ふたりは片やひねくれた冒険者、片や温和な調教師見習いだが、不思議とウマが合うのか仲が良い。


「何でわかったんだ」

「魔獣をお買い上げくださった貴族の方がね、よく躾けられてると感心して直接お礼を言いたいって使いの方を寄越してくださったんだ。あの、小屋の外で立ってる人なんだけど」


 見れば、確かに小屋の外には身なりのいい男が立っている。


 貴族の従者であるという男は「素晴らしい躾という付加価値があるのだからもっと値をあげるべきだ」という主人の考えを持って、躾をしている牧場の見学を兼ねてやってきたらしい。

 そこで買い付けの男による買い叩きが発覚したということだ。


「ていうか、お前ら家族は何でいままで気づかなかったんだ」

「そこは、ほら……魔獣の調教をはじめたころは僕らがまだ小さくて母さんの手が空かなかったし、何やっても不器用な父さんが『買い付けの人とのお話しはまかせて!』って張り切ってたから、王都での販売価格とかの書類も任せちゃったんだって。ここがよそからの情報が入ってこない辺境なせいもあるんだろうけどね……」

 

 がっくりと肩を落とすコキリコに、さすがのアーヴィンも「そうか」としか言えなかった。

 誰もがうなだれ、兄妹の父が「う、ううう、ごめんよ、ごめんよみんな〜」と泣いている。

 そんななか、母は強かった。

 

「というわけで!」


 ばんっ、と強く両手を打合せた母が覚悟を決めた目で家族を見回す。


「私とコキリコは王都へ行きます! 仲介業者なんて入れるからいけないんだわ。私が魔獣販売人として王都で働きます。だから父さんとササラは魔獣の仕入れと調教をお願いね!」

 

 それはササラ十歳の夏。

 母と兄は不正を働いていた買い付け人を荷車にくくりつけて、王都へ旅立った。


 頼りない父とおんぼろな家を残されたササラは決意する。


 大切な魔獣たちを守るため、今以上に働かなくてはならない。そして、魔獣に関する知識を増やさなくてはならない。

 無知ゆえに貧しく、貧しさゆえに魔獣たちに苦労を強いてきたと、幼いながらもササラにはわかっていた。


「私ががんばらなくちゃ……!」


 不安も戸惑いも飲み込んで、家族のため、魔獣のため、いつか助けられなかった仔犬に誓って家も魔獣たちも守っていくと、ササラは心に決めた。

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