鉄狼は朽ちゆく道を往く
@3atrix
序章
第1話 孤狼慟哭
惑星カーマインの砂漠を、二輪車が駆けていた。
直径1メートルはある大径のタイヤは砂に埋まりながらも力強く回転し、砂丘の緩やかな起伏を否定するようにまっすぐに、一直線に走っていた。
どこかに向かっているわけではなかった。なにかから逃げているわけでもなかった。ただ、走っているのだ。
ライダーの表情はフルフェイスヘルメットで覆われ窺い知れない。ただそれだけではなく、何者の接触も許さないという強い意志が感じられるほど、その男は微動だにせずシートに座り、ただスロットルを開いていた。かつて誰かが言った、二輪乗りは
しかし、世界は彼に独りの時間を許してはくれないらしい。
遠くから声が聞こえてくる。スピーカーのハウリングを含んだ声だ。
『そこの赤いバイク!止まりな!』
バイクの男は聞こえません、と言わんばかりにスロットルを緩めることなく走り続ける。
すると、後方上空からけたたましいジェットエンジンの音が響いてきた。そして、あっという間にそれは彼に追いつく。
角張ったシルエットがバイクの真横までやってくると、その両翼端に備え付けられた二機のエンジンを垂直近くまで立てて並走した。
無骨な装甲で覆われた、対地攻撃タイプのティルト・ジェット機。V-22オスプレイ輸送機の回転翼をジェットエンジンに付け替えたような見た目をしている。
機首下に取り付けられた20ミリ機関砲が、威圧的にバイクの男に照準を合わせていた。
『金か最上級パーツ置いてきな!じゃなきゃ痛い目見るぜ』
「……また今度にしてくれ。今日は機嫌が悪い」
『いい度胸してんじゃねぇか……
「別に、そういうわけじゃない。それに……」
『それにィ?』
「…………」
『なんか言えどわぁっ!?』会話は中断された。急旋回しなければならなかったからだ。
突然、のっぺりとした壁が地面から突き上がり、二人の間を隔てたように見えた。それは砂丘だった。
―――あのバイク野郎、ここに着くまで時間を稼いでやがったのか―――『クソッ!どこ行きやがった!』
バイクと並走して会話するために低空飛行していたティルトジェット機だが、高度を上げてあたりを索敵する。砂丘の向こうにいるはずだ。近くか?遠くか?コクピットの男が周囲下方を見渡すと、機関砲が視線に連動して回転した。
砂丘のすぐ下。影の中に一瞬、閃光が見えた気がした。
『ちくしょっ!』なんらかの攻撃を、撃たれた。もう遅いかもしれないが、操縦桿を切り回避機動を取る。一瞬遅れて、ライムグリーンに輝く光弾が機体のあった場所を横切った。プラズマ弾。砂丘から飛び出したバイクが砂煙を上げながら遠ざかる。
『くそったれがァ!』
機関砲の銃口が再びバイクの方向を向いた時、既にそこに彼の姿はなかった。砂塵の中へ溶け込むように、彼は再び姿を消したのだ。
『どこに消えた!』
コクピットの男は罵声を浴びせながらも、敵の位置を把握しようと頭を働かせる。全周囲に姿が見えないということは……『真下か!』
即座に機体を傾け、滑るように円軌道を描いた。すると彼が予測した通り、眼下に赤いバイクの姿があった。
すぐさま機関砲が火を吹いた。バイクは砂埃を巻き上げながら急発進し、弾丸を避ける。
20ミリ弾が水飛沫のように砂を跳ね上げ、それがだんだんとバイクに近づく。
ティルトジェットのパイロットには勝算があった。プラズマ砲の弾速ならば発射を見てから回避できる。もしあいつの武装の中で、上空まで届く射程と装甲を貫くだけの威力を持つものが他になければ、安全な空から機銃を撃っているだけでいい。そう思った直後、パイロットはその考えを後悔することになる。
―――水滴がフライパンの上で弾けるような音と共に、衝撃で視界が揺れた。傾いた機体を立て直そうとするがうまくいかない。
機体のシステムが、右エンジンにダメージを受けたと警告している。出力は20%まで落ちていた。
『インテークをやられたのか!?まさか!?』位置関係から言って、バイクと”逆方向”から攻撃されたとしか考えられなかった。
あるいは、一度避けたはずのプラズマ弾が……逆方向に反転して戻ってきた、なんてことしか。
まさか。ティルト機のパイロットは照準カメラの映像をズームさせる。
赤いバイクの左側面が展開し、隠されていた砲身が現れていた。確かにあれは、先程の攻撃に使ったプラズマ砲だ。それが弾を放った後も帯電し、バチバチと音を立てて輝いている。
『二次誘導プラズマ!?んなマイナー武器を!?』驚く暇もなく、赤いバイクは二発目のプラズマを射出する。今度はコクピットに向けて。
『クソッタレ!』
ティルト機は左エンジンの出力を高め、機体をスピンさせプラズマ弾をかわす。しかし、回避機動が甘かったのか、戻る光弾が尾翼の一部を掠めた。
「勝負あったな。今ならまだ許してやる」
声が聞こえてきた。バイクに乗ったライダーの声だろう。ヘルメット越しに聞こえるその音声は、どこか機械的な響きを持っていた。
『うるせぇ……うるせぇうるせぇ!!』完全に血が上ったパイロットは、機首をバイクに向けた。
『コイツで終わりだ!!』両翼に懸下された箱が展開し、中から無数の小型ミサイルが現れた。そしてそれらは一斉にバイクに襲いかかる。
マイクロミサイル・スウォーム。高速の対象には一般的な戦術だった。
「馬鹿が……もう知らん」
赤いバイクはスロットルを開き、エンジン音を高鳴らす。「行くぞ」
V型8気筒がオオカミの遠吠えのようなうなりを上げる。
「思い知らせてやれ、〈ステッペンウルフ〉!」
オート・ローンチ・コントロールが静止状態から最適なギア比を選択し、エンジンの出力を最大効率でタイヤから路面に伝え、車体を前に押し出す。
背後にミサイルの大群が迫ってくる。バイクの男はミラーを一瞥すると、すぐに前を向いて集中する。
一瞬のブレーキワークで、前輪への荷重が増す。フロントフォーク……否、ハブセンターステアリングのフロントスイングアームが沈み込み、サスペンションのストローク量が調整される。同時に、クラッチレバーとペダルを操作し、シフトアップ。エンジンが回転数を上げ、過剰に回転させられたホイールが空転を始める。
前輪を軸に、車体そのものをコマのように回すことで、後輪を滑らせる。スリップダウンドリフト。
―――ステッペンウルフは、進行方向に対して真横を向いていた。
時間にして0コンマ数秒という僅かな間、車体を右に倒したまま慣性に任せて滑らせると、地面に接したカウルから砲身が飛び出した。その砲台には《肘》があった。
その腕のような可動式砲台で強引に姿勢を立て直すと、再び加速を開始する。
後ろに続くミサイルたちは、急激な方向転換により振り回され、互いに衝突したり、コースを大きく外れてしまったり、あるいは空中分解を起こしたりしていた。
それでもいくらかは赤いバイクを追いかけているが、取り囲むように展開していたものが一方向に偏ってしまった。
ステッペンウルフの機関砲が火を吹き、無数のミサイルを近づく側から花火に変えていく。爆発の光に照らされた砂丘の上には、既に赤いバイクの姿はなかった。
――ティルトジェット機のパイロットは、モニターに映った光景を見て呆然としていた。
砂塵の向こう側、砂丘の上からこちらを見下ろしているバイクの影。
『なんだ……なんなんだよアイツは……!』砂塵の中から再び現れた赤いバイクは、まるで弾丸のように一直線に飛び出した。
『くそっ!』慌ててティルトジェットも飛び立つ。
だが、遅かった。
砂煙を巻き上げながら、バイクは一気に距離を詰める。
『くそがぁ!』機関砲を乱射するが、当たらない。
機関砲の弾幕をかいくぐりながら、バイクはさらに加速する。
その先にはゆるやかな上り坂を形作る砂の丘があった。
『止まれェッ!!』パイロットは絶叫しながらトリガーを引く。
しかしバイクは止まるどころかさらに速度を上げた。車体左右から生えた《腕》を盾にして、弾丸の雨の中を突き進む。
そして、そのまま丘の頂点に差し掛かると、バイクのエンジン音が一層大きくなった。そのまま、斜面を駆け上がる。上へ、上へ。
そして、跳び上がる。『嘘だろ!?』ティルトジェットのパイロットが驚愕の声を上げるのと同時に、バイクは宙へと躍り出た。丹念に赤く塗装されたカウルが、陽光を受けて眩しく輝く。
――赤いバイクは、ティルト機と同じ高度まで上昇した。そして――
第三の武装を展開した。
『…………え?』
前輪が下がり、内部に収納されていた砲身が展開する。内部機構が車体を強固にロックし、エネルギー供給を開始すると、紫色の稲妻が迸った。
レールキャノン―――電磁力によって弾体を加速し、撃ち出す兵装。その威力は砲身の長さに比例する。
バイクのような小型の
全長3メートルを超える砲身が、機体を貫くように配置されてあった。
そこから放たれる砲弾は、ティルト機の装甲をやすやすと貫き、機能していた方である左エンジンを粉々に打ち砕いた。
……爆炎を背中に受けながら、ステッペンウルフは着地した。すこし遅れて、ティルトジェット機が地面に衝突し、大きな衝撃音を立てた。
「……ふぅ」バイクを駆る男は息を吐いて、ヘルメットを脱いだ。後ろを見ると、奇跡的に生き延びたらしいパイロットが、機体の残骸から這い出してくるところだった。
バイクの男はハンドガンを取り出すと、無造作にパイロットを狙う。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
パイロットは両手を上げて降伏の意思を示した。
「……お前、こういう追剥みたいなこと、いつもやってるの?」
男は銃を向けたまま、反対側の手で青りんご味の
「いや、俺はただの運び屋さ。戦闘は専門外」
「その割には随分手馴れてたな」
「まあ、俺達の仕事柄、ね……」
「そうかい。じゃあさっさと死んでくれ。目障りだから」引き金に指。
「待てっ!取り引きしないか?巡回警備に死角があること知ってるか?この先にある遺跡なら――」
言い終わる前に、男は引鉄を引いた。乾いた発砲音が響き、男の脳天に風穴が空いた。
「……こんなもんかね」
***
惑星カーマインは、宇宙植民時代初期において、資源開発のために開拓された星の一つだったが、度重なる戦争と環境破壊により荒廃の一途を辿っていた。現在は、人類居住圏の外縁部に位置する辺境の星として知られている。
そうした経緯もあってか、この星の文化はときに奇妙なほど西部開拓時代のそれに近似していた。
この酒場もそうだ。
バーカウンターの棚には琥珀色の蒸留酒が並び、テーブル席では馬ならぬ数百馬力のエンジンを搭載した鉄騎を駆る無法者たちが顔をつき合わせる。彼らは開拓者であり、傭兵でもあった。
カランカラン!とドアベルが鳴り(これまた西部劇風味だ)、新たな客が入ってくる。
その男は心ここにあらずといった様子で店内を見回すと、壁際のテーブルで一人グラスを傾けていた女に声をかけた。
「よお、暇してたか?」
「なんだ、生きてた。てっきりどっかで野垂れ死んでると思ったのに」
女はぶっきらぼうに言った。
「かろうじて生きてるよ、かろうじて……」
男、【EZ】は虚無的な笑みを浮かべながら、女の向かい側の椅子に腰かけた。そして、
「……死ぬかも」
ぼそりと言った。
女はかける言葉がわからなかった。ただ、黙って聞いていた。
「ああ、そうだ。賞金首をひとり倒してきたぜ。ティルトジェットのやつ」
「ふーん、
「まあね」
「気は済んだ?」
「少しは」
EZの纏っていた暗いオーラが、少しだけ薄れた気がした。女はそれを良いことだと思った。
「頼んでたブツは?」
女は懐から小さな袋を取り出して、それをテーブルの上に置いた。
「はい、これでいい?」
「おう、サンキュ。さすがだな」EZはさっそく中身を確認しようとしたが、女は直前で袋を引っ込めてしまった。なんだよ、と不満げに言うと、彼女は答えた。
「もうこれで最後にして。今日みたいに人をガキの使いみたいに扱った挙げ句、1時間23分52秒も待たせるなんて」
「あーうん、悪かった、約束する」
「棒読みっぽいな……まあいいけど。」女が袋を手渡すが早いか、EZは早速中身を確かめた。
もう、自分だけの世界だ。そんな彼を、呆れたような目線で見つめて、女はグラスを煽った。
男は袋から取り出した、ねじ切りされた小さな機械部品を矯めつ眇めつして、うん、うんと頷く。
「注文の寸法ピッタリだ。このプラグがあれば、プロトン燃料の圧縮比をさらに上げられる。最大過給圧もだ。」
「パーツ一つで大騒ぎ」
「騒ぐさ。ステッペンウルフの性能はまだまだ上げられるってことなんだぜ。あ待てよ、燃焼速度が変化するなら、ピストンヘッドの形状だって……」
そこまで言って、彼は深くため息を吐いた。
「これからだってのに……どうして……」
彼は軽く開いた右手を口元に持っていった。それを見て、女は目を見開いた。
手はテーブルの高さと口元を往復する。
まるで、彼にしか見えない空想の飲み物があるかのように。
「待った!ハーフ・ダイブで飲んでるのか?」
「そうさ。リグの設計を妄想しながら飲む酒ほどうまいものはない」
彼は開き直ったように、虚空の杯を叩きつけた。
「やめとけ、最悪アカウントBANだぞ」
「構うもんか。俺にはこれが必要なんだ」
「中毒者みたいなこと言ってないで、ほら、早く帰ろう」
「うっせえこのネカマ野郎!」
気まずい沈黙が店内を覆った。
「はぁ……先落ちるわ。じゃあ」女はそう言うと、光の粒子を残して消えていった。
残されたEZは、深いため息をついていた。
今のは、流石に無い。酔っていてもわかる。謝罪文を送らなきゃな。
しかし、内心では自分以外に当たりたい気持ちもあった。そうでなければ、傷心と自分自身の品性下劣さに耐えられなくなりそうだ。
「なんで終わっちまうんだよ……メックマイスターズオンライン」
プレイヤー名EZは、サービス終了が決定したフルダイブVRMMO、『メックマイスターズオンライン』の片隅で、静かに涙を流し続けた。
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