第12話 スリーピング・ビューティ part3


 ***「……シュリー」口の中がからからに乾いていく感覚を、EZは感じた。


「俺があの戦闘機を助けたいって言ったら、どうする」


「キレてぶん殴る。ロケットパンチ100連発」

 ファーストサイトの指が波打つように小刻みに動く。性能をフルに発揮すべく、最終セルフチェックを行っているのだ。


「それでこそ」

 一つはショートストロークV8過給、一つは圧縮着火V12。二つの原動機が唸りを上げた。***


 帝國の戦闘機パイロットは、自機のレーダーに金属反応を感知し、すぐに通信を開いた。

「こちら帝國空軍第134飛行隊、コールサイン・スピカ。貴機の所属を知らせよ」


 だが、返事はない。


『応答なし』

「くそっ、ふざけやがって」

『威嚇射撃を行う。よろしいですね?』


 僚機の通信を聞き、許可する、と返したのち、自身も機銃発射トリガーに手を掛ける。

 照準ターゲティングポッドに搭載されたカメラを操作し、レーダーに映った物体の姿を拡大表示させる。


「人型機体リグか」


 全高6mほどの、骨太のシルエット。漆黒の平面からなる装甲板が全身を覆っている。右手にシンプルな円筒形の大型火器を装備している。擬人化された戦車を彷彿させた。


 僚機が警告のために機関砲を撃ち込む。曳光弾が敵機の周囲にばらまかれ、周囲の地面が爆ぜた。が、敵は微動だにしない。

「何だこいつは」次の瞬間、別の僚機から面食らった声が聞こえた。


「ターゲットに接近する機影あり!7時方向、距離およそ300!」


「なに!?」反射的にそちらへ視線を向けると、一両の赤いバイクがターゲットラハトに向け一直線に通り抜けていくのが見えた。


「レーダーモード切り替えの隙を突いて接近してきたのか!」


 凡そアクティブレーダーというものは、電波を空間に放ち、帰ってきた反射波を受信することで周囲の物体の位置を把握する。機械的な駆動を用いないフェーズドアレイレーダーならば、瞬時に全周を走査し、範囲内であれば、まるで石膏型を取るように周囲の地形や立体空間を把握できる。


 しかし、一つの目標の距離と移動を追跡するためのモード、所謂"ロックオン"状態では、レーダーの機能はその一つに「注目」する……つまりは一点を追い続けるため、他の情報をシャットアウトしてしまう。


 あの赤いバイクは、黒い人型機体リグがロックオンされたタイミングを見計らい、その死角となる位置から一気に距離を詰めてきたのだ。


「ふざけるなよ……帝國をあなどった代償は高いぞ」


 ***


 赤いバイクはぐんぐんとスピードを上げて、標的との距離を縮めていく。


 鞍上のEZは、ヘルメットの中で冷たい汗を流していた。


 MeMeOnのアバター疑似感覚は大雑把で汗や唾液は出ないはずだから、これは本物の冷や汗だな。


 帝國と一戦交えようなんて。エキサイティングな体験を求めているにしても割に合わない。帝國の賞金リストに人相が載れば、帝國軍だけでなくフリーランスの傭兵にも狙われることになるだろう。


 それでもこの体と機体を動かすのは、サービス終了を告げられたことで生じた焦燥感だろうか。それとも単に、悪質プレイヤー集団に狙われた者を助けようという義侠心だろうか。


 そのどちらでもない。EZの思索は100km/hの風に溶けていく。


 もっと速く。もっと遠くへ。俺とステッペンウルフは行きたいのだ。


 ラハト・ハ=へレヴのマイスター。彼女との奇妙な縁が、そこへとつながる気がした。


『警告します。ただちに減速し、進路を変更せよ。さもなくば攻撃を行います』

 帝國軍のパイロットが呼びかけてくる。だが、EZは応じるつもりはなかった。


「悪いな。先を急いでる」

 その返答はジェットの爆音とキャノピーに遮られて聞こえなかっただろうが、帝國の機体は降下し、機銃を掃射し始めた。浅く後退角のついたクリップトデルタ翼の後ろについた動翼エルロンがパタパタと動き、攻撃コースを調整する。


 なら見せてやろう。こっちにだって翼はある。


 ハンドルを素早く切ると、車体が右旋回を始める。ハブセンターステアの利点は、オフロードでも常に理想のキャスター角を維持することだ。車体が回転し始めた瞬間、ライダーズグローブの指がタッチパネルに触れる。リアウイングの迎え角をプラスに。通常はダウンフォースを発生させる空力板だが、その逆向きの力を生み出すことでステッペンウルフのリアタイヤが浮き上がる。前輪を軸に回転を始めた機体が、そのまま独楽のようにスピンした。


 ほんの一瞬のジャックナイフ・ターン。急旋回の後、横滑りしながらも機体は元の体勢を取り戻し、帝國の機銃攻撃をかわす。


 毎分2000発発射されるうちのほんの一発がテールをかすめ、火花が散る。


「予想より10度浅かったな」


 EZは機体の挙動が予測と少しズレたことを記憶に留めつつ傾きを立て直して、着陸している戦闘機のもとへと向かう。


『まだかEZ!長くはもたんぞ!』


 シュリーの通信だ。振り返ると、ファーストサイトは帝國機2機からの機銃掃射を凌いでいた。


「ヒコーキと戦うって分かってたら、対空ミサイルでも積んできたんだが……あのアホめ」


 しかし、今更そんなことを言っていても仕方がない。中折れ式ライフルに榴弾を装填する。

 シュリーはコンソールを操作し、時限信管を最短にセットした。冷蔵庫の残り物で作った対空兵装って感じだな。


 FCSが銃口を敵機の予想着弾位置に向ける。「いくぜ」

 トリガーを引くと、轟音が鳴り響き、空に向かってオレンジ色の花が咲いた。


 ***


 シュリーはうまく敵を引き付けてくれていた。人型機体はそこそこ機動力があり射角も広いので、航空機からするとなかなか厄介な相手なのだ。


 そろそろ到着か。スロットルを緩め減速する。


 EZが視線を上げると、視界いっぱいに翼を広げた赤い機体が見えた。


 近くに寄ってみると思っていた以上に大きい。全長20mほどの機体は、超音速で飛ぶとは思えないほど繊細でスマートな形状をしていた。

 胴体からゆるくS時のカーブを描いて接続された機首にコクピットがある。


 EZはここにきて登る手段を考えていなかったことに気づいた。

 クラフトモードに入り、鉄マテリアルで長い棒を平行に2本伸ばし、等間隔にいくつも梁を渡してはしごを作る。


 早速それを立てかけようとして、EZは少しためらってからまたクラフトモードに入ると、はしごの先端をタイヤ補修用のラバーマテリアルでコーティングした。


 裸の金属が触れたら傷がつくかもしれないと思ったのだ。自発的にそうさせるほど、美しい機体だった。手すりをしっかり握り、慎重に登っていく。


 やがてコクピットにたどり着いた。表面の塗装をよく見ると同じ赤でもウルフの赤とは違い、飴細工のように艷やかで、炎のような揺らめきを湛えている。EZはこんな塗装がされている機体を初めて見た。


 キャノピーの向こうでは、パイロットがヘルメットを小脇に抱えて眠っている。すうすうと寝息まで聞こえそうだ。

 軽く叩いてみたが、反応はない。羨ましいくらい安らかな寝顔。


「さて、どうしたものかな」EZは呟きながら、キャノピー周辺に目をやる。外部から開けられる仕掛けはないか。


 強化樹脂かなにかで作られたキャノピーは一体成型で継ぎ目がない。とすると、一点で固定するタイプか?


 機体リグ前方にはレーダーが入っているはずだ。左右はスリムすぎてアクチュエーターが仕込めないだろう。となると、後方。


 設計者の視点に立って考えれば、駆動部位の近くに操作パネルなりスイッチがあって然るべきだろう。


 ……当たりだ。キャノピーの後ろに四角く分割されたパネルに触れると、小さなダイヤル式スイッチが現れた。


「おはようございますっと」

 90度ひねると、涙滴型のキャノピーがゆっくりと起き上がった。


 席上のパイロットと電子機器アビオニクスが白日の下に晒される。加圧されたコクピット内の空気がシュッという音とともに開放され、ささやかな風が女の黒髪をふわりと持ち上げた。


 ―――――美しい―――――


 EZの口から思わず声が漏れた。それは、その女があまりに美しかったから……

 ではない。その機体の操縦系……その完成度の高さに感嘆したのだ。


 シートは深く傾斜し、パイロットは寝るような姿勢を取る。人体にかかるGの影響を軽減するにはそのような姿勢が最適だということをEZは知識として知ってはいたが、こうして実際に見るとよく理解できた。大Gによるブラックアウトは脳の血液が下へと流れることで起きる現象だから、体を水平にすれば起こらないわけだ。

 そのせいだろうか、彼女の表情はとても穏やかだ。


 EZが感心したのは、そんな脱力した状態でも彼女の右手は操縦桿、左手はスロットルに触れていたということだ。操縦するとき、体に無駄な力はまったく要らない。


 操縦桿とスロットルも、それぞれの手に吸い付くように馴染んでいる。有機的なフォルムは、子供が無邪気に握りしめた粘土のようだ。無数のスイッチやトリガーが取り付けられ、この機体リグH O T A SHands On Throttle And Stickで動かせることは明確だった。


 脚は膝あたりからダッシュボードの下に収まっており、その上に多機能ディスプレイを中心とした計器類が並んでいる。バックパネルは高級感のあるつや消し黒で、何十時間眺めていても飽きが来ないと思わせる。「全部つや消し黒でいいmatte black everything」という常套句を彼女が知っていたかどうかは不明だが、計器類の表示を見易くするためだろう。


 それらすべての部品が、すべての要素が、操縦と戦闘という目的のために集約されていた。


 EZはキャノピーを開けた目的も忘れ、ただ目の前の至高の逸品に魅了され、その輝きを自作ウルフに取り入れられないかと貪欲に観察した。


 やがて、欲望は危険域へと加速していく。


 コクピットの目線の高さは?計器類の視界専有の割合は?後方確認チェックシックスは?


 ―――――俺がこのシートに座ったとき、どんな景色が見えるんだ―――――


 EZは膝立ちになり、外装の赤と内装の黒の境界を、ゆっくりと踏み越えようとして……


 【イセ】に平手打ちを受け、地面へと転落した。

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鉄狼は朽ちゆく道を往く @3atrix

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