第2話 猛獣使いと蝋燭

 つい、昨日のことだ。

 それは某SNSの公式アカウントによる、こんな書き出しから始まった。

「平素よりメック・マイスターズ・オンラインをお楽しみいただき、誠にありがとうございます」……


 MeMeOnの公式といえば、その極限まで突き詰めた業務効率に定評があった。言い換えると、めったに活動しないのだ。

 シェアした方に抽選でプレゼントなんてもってのほか、投稿一覧にはメンテの日時告知だけが並ぶ。更には「アプデ内容はゲーム内で御覧ください」という徹底ぶりだ。

 MeMeOnの広報担当が素早く仕事を終えてシャツを一枚脱ぐと、スパ○ダーマンだった、という夢を見たことがある。たしかにそれなら納得だ。

 閑話休題。そんなアカウントが「平素から」?「お楽しみいただき」?「誠にありがとうございます」?


 それだけでただならぬ雰囲気を感じさせるには十分だった。

 そう、それはまるで……身内に不幸が起きて、電話口で何と言うべきか迷っているような口ぶりだった。


 悪い予感に限って当たるものだ。


「弊社が運営するVRMMO『メック・マイスターズ・オンライン』は誠に勝手ながら、2063年12月31日をもってサービスを終了させて頂くことになりました。これまでご愛顧いただきましたお客様方には、感謝の言葉もありません」


 およそ一年後の日付が書かれていた。

 魔法を解くためのおまじないだな。【EZ】は唐突にそんなことを思った。


 コーヒーを淹れにテーブルを立ち。


 湯気の立ったマグカップを持って戻った。


 その時、全てをめちゃくちゃにしてやりたい衝動にかられたが、EZは自分を律した。

 少なくとも、あと一年待つべきだ。

【EZ】が「メック・マイスターズ・オンライン」を初めてプレイしたのは、今から四年前になる。

 当時彼は大学生だったが、就活に失敗し、実家に帰って来ていた。

 ―――「あのーその話長くなるやつですよね?」


 惑星カーマインの首都、ランディング・オブ・エンブリオ。そのカフェの一角。対面に座っていた女性が眉根を寄せている。

 EZの身長は平均的な男性のそれだったが、彼女はその頭一つ分低い。ライトブラウンの髪を活発な印象のツインテールに結んで、その先端は重力の方向を指し示していた。

 彼女の名前は【シュリー】。EZとは長い付き合いの友人である。


「そこは覚悟して聞いてやるもんだぞフツー」

「いやあ……正直興味なくて。それに俺もリアルの話あんまりしたくないし」

 まあ確かに君はな。リアルじゃ髭面坊主のオッサンだもんな、と言いかけて口をつぐむ。

「そっか、だよな。じゃあ要点だけ言うわ。昨日は、申し訳ない」

 EZは深く頭を下げた。

「別にいいよ。酔ったはずみで言っただけだろ」

「ああ……でもマジで悪かったと思ってる。本当に……自分が恥ずかしい」

「だからもう謝んなって。こっちだって嫌なこと思い出すだろ……」

 シュリーが苦笑いする。


「ごめんごめん、それでもう一つあるんだけどさ」

「何?陰気じゃないやつ、頼むよ」

「目、閉じて」


 シュリーは言う通りにした。街の喧騒の中、EZが近づく足音が聞こえる。そして頭のすぐ側で、小さな金具が擦れる音が。

「これって……」

「もうちょい待てって」足音が遠ざかる。「いいぞ」

 シュリーは鏡を出し(みんな自分のアバターを見たがるので、ほとんどのVRMMOには鏡を出す機能があった)、音がしたあたり……額の右あたりを見た。

 6枚の花弁。小さな花の輪郭が、真鍮の輝きを纏っていた。


「これ……まさか……」

「お詫びの印に。まあ、余った素材で作ったから大したものじゃないけど」

「いや嬉しいよ。ありがとう!」

 EZはてっきり茶化されると思っていたので、彼女の反応には少し驚いた。

「アクセサリーなんて初めて作ったけど、喜んでくれたなら良かった」

「私もこんなの貰うの初めてだよ!これってブレーキワイヤーだよね」彼女の一人称は気分によって変わった。

「ああ。細かい細工は鑞接でやって、模様はマスキングしてメッキ。結構楽しかったなあ。」

 EZの口が熱を帯びる。

「クラフトモードの機能の半分も使いこなせていないのかも知れないな、俺。普段はウルフ弄るだけだし、たまには違うことやってみないと……ああ、時間が足りないよ~うう~」

「まーた落ち込んでる。この人間フゴイド運動が」


 EZが再び辛い現実に向き合おうとしたそのとき。

「お熱いですね、二人とも」

 一台のホバーバイクがカフェの前に停まった。

「あれ、リーダー?」

「よかった、お元気そうで。昨日は落ち込んでいる様子でしたから」

 ヘルメットを脱いだ男は、爽やかな笑みを浮かべた。

 彼こそが、EZやシュリーがが所属するコープのリーダーである。名前は【ジーク】。

 EZは彼をこう呼ぶ。「ジーさん」と。


「あれ、バイク新調したの?」彼の乗っているホバーバイクは、車体全体が青く塗装されている。真新しいコーティングが、エンブリオに降り注ぐ昼光を反射していた。

 またハンドルは一回り小さくなり、より繊細な操縦が可能になっていた。

「ええ、もう貯金なんて意味がないですからね」

 ジークは苦笑いして答える。

 彼はクラン内で一番若く、まだ20代前半だった。だがその落ち着いた雰囲気は、30いや40と言われても違和感はない。

「どうですか?乗り心地は」

「最高ですよ。やっぱり僕はこのサイズ感が好きなんです。ちょっと小ぶりだけど、運転している感じがする」

「分かるなぁ、それ」

 EZは目を輝かせながら言った。ステッペンウルフみたいな大型を振り回されつつも乗りこなすのもいいが、自分の体の延長として扱うなら、やはり小型が良い。


「EZさんのは、その、大きいですよね」

「ジーさんの"もう一両"ほどじゃないけどね」

「あれは街に乗り付けるには向きませんから」ジークが苦笑いをする。


「それよりリーダー、今日は何か用事?」

「ああ、忘れるところでした。実は、先程【ドライフ】から連絡がありまして」

【ドライフ】。たまに名前を聞く大手コープの一つだ。

 先月開催された大規模イベント『深き眠りの森』では、大型クリーチャー「流離い鉱アイボリードメイン」を討伐、大量の上質象牙アパタイトを獲得したらしい。


「へえ。ウチみたいな零細に何の用だろ」

本部ヘッドクォーターに大きな頭蓋骨がありますよね。あれが欲しい、ということで」


 ジーさんの運営するクラン、【白樺】は20人程度からなる小規模なクランだったが、そのメンバーはクローズドβ版からの古参プレイヤーや、元〈帝國ジ・エンパイア〉の将校もいる、いわば少数精鋭だった。そんな一癖も二癖もあるやつらの集会場は混沌としていて、おもちゃ箱をひっくり返したように由来不明のガラクタが転がっている。

「あれは確か、今はもう手に入らないんだっけ。前に【香具矢】が言ってました」

 白樺本部の応接室に鎮座する、独特の存在感を放つガイコツ。それはかつて惑星オブシディアンに棲息していた、海竜種リヴァイアサンの骨だ。しかし、謎のアップデートにより、ステータスはそっくりそのまま鬼磯蚯蚓サンドストライカーというワーム系クリーチャーに差し替えられ、入手不能になってしまった。

 後日にMeMeOn開発チームが公開した情報によると、制作上のポリシーの一つとして"ドラゴンを出さない"という取り決めがあり、海竜種リヴァイアサンはグラフィックチームが勝手に作ったが、ドラゴンっぽすぎたため適切なものに差し替えたまでだという。曰く、ドラゴンはファンタジー的であり、SF的リアリズムに立脚したMeMeOnの世界観を損ねる可能性があるとか。


「そうなんですよ。【ドライフ】はウチがあれを持っていたことを何処かから聞いたようでして」

「なんであんなものを欲しがるのかな……」

「先方に聞いてみたのですが、なんでもメンバーの一人に、海竜種リヴァイアサンに思い入れがあるのだとか」


「ふうん、で……」EZは話の流れが読めてきた。俺たちに声を掛けるということは。


「譲るのぉ?」シュリーは白々しく問う。


 ジークは少し溜めて、言った。「いいえ」


「ヒューッ!」


 EZは口笛を吹き、シュリーは虚空に正拳突きをしながら「そうこなくっちゃ!」と叫んだ。

 とある漫画の中の漫画家じゃないが、目上の人や実力で勝る人にNOを突き付けることを至上の快感とする人種が存在する。


 コープ【白樺】はまさにそんな連中の集まりだった。そしてそれを束ねるジークは、猛獣使いの如く彼らを操る。操られていた、ということに遅れて気づく瞬間、EZたちは彼に畏怖と敬意を抱くのだった。


「協議の結果、試合形式で決着をつけることになりました。6on6のベースアタック戦です。EZさん、シュリーさん、参加して頂けるでしょうか」

「そいつはWhy not?ってやつだぜ、ジーさん」EZは気障に答え、

「大暴れしちゃうぞ♪」シュリーは楽しげに腕まくりした。熟練の美少女ムーヴであった。

「【白樺】が勝利すれば、【ドライフ】が用意した報酬を受取ります。【ドライフ】がこの戦いで勝利すれば、頭蓋骨の所有権は【ドライフ】のものになります。これでよろしいですね?」

「オーケー」

「おっけーだよー」

「では決まりです。あと、一つお伝えしたいことがありまして」

「ん?」


「この試合には、我々の今後がかかっています。この戦いに勝てば、【白樺】の名は一躍有名に……とまではいかないまでも、【ドライフ】をフェアな舞台で下したとして知られることになるでしょう。それは我々にとって大きなアドバンテージです。是非とも勝ちたいんです」

 ジークの表情は真剣そのもので、彼の本気が伝わってくる。

「あんた……燃えてるな」サービス終了を知って、彼もまた思うところがあったのだろう。


「はい、【白樺】はまだまだ未熟な集団です。この機会に少しでもレベルアップを図りたいと考えています。私は、もっと高い景色を見たい。そのためにも、どうかご協力お願いします」

「任せろよ。【ドライフ】なんてぶっ潰してやるさ」

「わーい!みんなでがんばろ~!」


 ――――――――


「やる気満々だったな、リーダー」シェリーは嬉しそうに言った。

「そうだね。あんなジーさん初めて見た」

「もっと高い景色を見たいって言ってたね。【白樺】は自由にやってたけど、これからどうなるんだろうね」

「それはジーさんの決めることだ。俺らは全力でサポートする、嫌になったら抜ければいいさ。あの人も【白樺】が強くなるために、【ドライフ】との試合で何か掴めるって魂胆なんだろう」


「EZはどうするの?」


「俺は残るよ。ここが好きだから」

 そう言うEZの顔に、もう悲しみの色はなかった。

「楽しみ尽くしてやるさ、この世界を。世界中のみんなそう思ってるんだ。これから一年、ぜったい退屈しないってことだけは保証できるんだからな」

「ふぅん」シュリーは頬杖をつき、にやにやした。


 蝋燭は、燃え尽きる寸前が一番明るく輝くものだ。

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