第3話 クラフトモード
自宅のドアを開けた時、腕時計の時刻は午後7時半を示していた。今日の仕事は意外と長くかかってしまったらしい。でも残業代は出ないくらいの微妙な時間だ。玄関に一歩足を踏み入れた瞬間から、家中の電気が点いた。もっとも、同居人などいない。AI制御の照明システムが自動で作動しただけのことである。
『おかえりなさいませ』
靴を脱いでいると、頭上から合成音声が降ってきた。俺は驚きもしない。
「ただいま」
『本日の夕飯はいかがいたしましょうか?』
「買ってきた」手に持っていた袋を掲げる。
『提案ですが。3日連続でお弁当というのは如何なものでしょうか? 健康維持の観点から推奨できません』コンサルタントAIが小言を言う。
「わかってるよ。明日は何か作るさ」
やっぱり音声通知は切ろうかな……なんてことを考えながらシャワーへ向かう。
汗を流し、手早く食事を済ますと、もう8時を回っていた。”決戦”は9時、時間がない。
ゴーグルを装着すると、部屋の一角を占拠している巨大なベッドのような器具に横になる。ベルトで体を固定すると、それは起き上がり、俺を持ち上げた。
そして、ゴーグル越しに見える俺の部屋が少しづつ透き通って、収縮し、彼方へと消え去っていく。その隙間を埋めるように、極細のネオンのような格子が空間を満たす。まるで光でできた檻の中に閉じ込められたような感覚を覚える。
俺はその状態で仮想現実を体験する。俺はその中で、モンスターマシンを駆るバイク乗り【EZ】となるのだ。
【EZ】はモーテルの一室で目を覚ました。ベッドから起き上がると、足早に部屋から出る。彼は外に面した二階の廊下に居た。下観には駐機場。
多種多様な
EZは廊下の欄干に足をかけると、躊躇なく飛び降りた。落下ダメージとかいう野暮な仕様はない。
浮遊感の後、彼の両足は固い床の上についた。碁盤目に整列配置された、しかし無秩序と言えるほどに様々な姿かたちをした
愛機の前まで歩く間、横切っていくそれらを見る。
B級アクション映画から出てきたような、グリルからマシンガンを生やしたキャデラック。
甲殻類を思わせる4本の鉄の爪で地面を掴む多脚戦車。
反重力ホバーユニットで浮かぶ円盤型飛行物体。
重装甲・大口径火器を備えたタンクローリーのような汎用輸送車両。
そして──
「よう、相棒」
メタリックレッドに輝く大型バイクがあった。EZはそいつの傍らに立つと、ねぎらうようにトランクをばしばし叩いた。
―――お前が一番カッコいいぜ―――
無言で語りかける。その声に応えるかのようにエンジンが始動し、振動音が低く響き始めた。アイドリング音はいつも通りだが、念を入れてチェックを行うべきだろう。今日の戦いにミスは許されない。
EZはホログラフィック・ウインドウを呼び出すと、クラフトモードを選択した。
周囲の風景が半透明になり、消えていく。きっかり1メートル間隔の格子模様だけが描かれた白い空間に、ぽつりと自分、そして
「さて、と」
まずはリフトアップだ。EZが手元のムーヴハンドルを動かすと、赤い車体はたやすく2メートルほど持ち上がった。
車体下部を覗くと、隠されていた細かな傷が明らかになった。オフロードを飛ばした際に、小石が擦った跡である。
『メンテってってのは、目から始まるんだ』……
それはゲームではなく、現実で、仕事で聞いた話だ。より正確には、先輩に聞かされた話だ。
視点の角度を変え。外装や視線を遮るものを外し。ライトを当て。拡大鏡を使い、細かい部分まで確認する。そうして初めてわかる不具合もあるし、整備不良で事故を起こすこともある。
だからこの世界も同じように、徹底的に観察し、理解し、納得しなければいけないのだ。
車体を元の位置に戻すと、次はタイヤの状態を調べる。前輪と後輪を軽く回しながら見て回る。トレッド・サイドウォールの減りは許容範囲だ。
EZはメニューからフィラーを選択し、傷やすり減った部分にあてがった。シュウシュウという音とともにインベントリから
仕事でこんなことができたら便利だよなあ。EZはフィラーを使うたびにそんなことを思って苦笑してしまう。
外装の次は内装だ。
ディスマントルダイヤルを選択し、ひねる。すると、回転量に応じて、
パーツの一つ一つが相対位置を保ったまま空中に浮かび、パーツとパーツの間を繋ぐケーブルも、ネジの一本に到るまで、解かれていく。
ダイヤルを戻すと、逆回しで元に戻った。またひねり、分解させる。動きが爽快なのでついつい遊んでしまう。
仕事で……「いや、くどいか」
数百に及ぶパーツの中を
メニューから、ビューワーの切り替えを行う。"変形度強調"を選択。
機体剛性を担うフレームパーツを主として、無数の矢印がパーツから飛び出した。それら一つ一つがクラフト時点からパーツがどのように変形し、歪んでいったのかを示していた。
「プラグ交換以来、後方への応力が強まってるな」
EZは呟き、設計図の問題箇所にカーソルを合わせた。それはエンジン周辺部の接続部分だった。
パワーが増し、加速がより苛烈なものになったことで、その部分は大質量たるV8エンジンの慣性がもたらす後方への力に耐えきれず、変形しているのであった。
ここ数日のテストランで感じた僅かな違和感の正体はこれか。
その歪みは目視で判別できないほどのごく小さなもの。だが、その変化によって発生する挙動の乱れは、ゲーム的な補正を以てしても、看過できるものではない。
「突貫工事だが、これくらいならなんとかできるだろ」
EZは、そう自分に言い聞かせるように呟いた。
該当箇所の変形を抑えるように、設計を変更しなければならない。幸いにして、まだ変更は間に合う。
エンジン接続部に掛かる応力に対して、設計が不十分なところを補強していく。
カドの内側に斜板を入れ、溶接する。
薄すぎたブラケットを厚くする。現実ならプレス業者に頼むところだが、ここではスケールハンドルを動かすだけでいい。
同様のことを補強によって新たにストレスを請け負うことになりうる他の部分にも行う。
その上で、ケーブル類を通すためのスリットや、他の可動パーツとのクリアランスを確保する。
これは意外と手間だな……
ふとそう思い、腕の時刻表示ホログラムを見ると、もう08:40を回っている。「ヤバっ」
作業に夢中になって、すっかり時間を忘れていた。
『焦って雑になるんじゃねぇぞ。患者の腹開けた後焦る外科医がいねぇのと同じだ』……
先輩の説教をまた思い出す。その例え話も、先輩の先輩から脈々と受け継がれてきたのだろう。
(でも、ドラマとかだと焦る外科医って割といるよな)そんな口答えを今更考えながら、手は経験で覚えた作業をひとりでにこなした。
EZはひとしきり補強を終えると、ディスマントルダイヤルを戻し、全パーツを一体化した。
車体の核となるフレーム周辺の細部をけっこう弄ったが、全てのパーツは、まるで元からその位置にあったかのように何も問題なく収まった。チューニングはかくありたいものだ。
ビューワーを切り替え、総重量や重心位置が大きく変化していないことを確認すると、最終動作チェックに入る。
座席に座り、ハンドル右のブレーキレバーに隠された小さなトリガーを引く。車体の右側面が展開し、隠蔽されていたマシンガンが展開する。
右手をハンドルから放すと、ホログラムの拳銃を握っていた。青白い光でできた直線的なそれを真横に向けると、その動作をなぞるようにマシンガンが横を向く。
トリガーを引くと、マシンガンが連動して発射。着弾地点はEZが照準した通りのポイントだ。
左のトリガーを引く。それはやはりクラッチレバーに隠されている。左側面に隠蔽されていたのは、二次誘導プラズマ砲。これの使用者は少ない。その欠点や、それを踏まえてなおEZが使用する理由は、これから明かされるだろう。ホロ・インターフェイスによる管制は同じく異常なし。
両足の甲でステップを同時に持ち上げる。シートの下で金属が噛み合う音がした。前輪が下がり、ヘッドライトとの隙間から分割収納されていた超電導レールが飛び出した。前輪と同じだけ後輪も下がり、車体は水平に保たれている。
メーターと併設された多機能ディスプレイは今、レールキャノンの照準や着弾予想位置を
かくして、全武装のチェックが終了した。
「よし、行こう」
EZはそう言うと、メニューを開き、"完了"ボタンをタップした。
ここまでの変更がセーブされ、チューニングで増量した分の
インベントリを開き、中質鉄、中質クロム、中級軽合金の消費量を見る。
大した量ではないが、タダではない。
戦利品のぶんで、黒字収支になってくれればいいが。
EZがそんなことを思い、再び前を見た時、新品同様に輝く赤い二輪車に目を奪われた。
流線型のヘッドランプ。そこから続く、なめらかに起伏を描くカウル。搭乗者を椀型に包み込む形状は、気流を効率的に受け流し、かつ身体で風を切る感覚を与えてくれる設計だ。後部の可動式ウイングは、ダウンフォースによって後輪の摩擦力を高めるとともに、空中での姿勢制御も行う。
エンジン周りだけカウルは大胆にカットされ、片側4基、計8基のショートストローク・シリンダーを収めたエンジンを惜しげもなく露出している。縦型配置された機械の心臓から後ろに伸びるものは2つ、
各シリンダーからの排気は8-2-1のマニホールドを通った後タービンを駆動する。高回転を実現する排気圧の犠牲にターボラグを得たが、未燃焼ガスを再点火加圧するミスファイアリング・システムの導入である程度軽減している。
前輪は地面とほぼ平行なスイングアーム式のサスペンションに支持されている。ハンドルと接続されたリンク機構によって左右のアームを前後動させステアリングを行う。一般的なフロントフォーク、チェーンドライブとは趣を異にする、どこか未来的な外見だ。
そして最も驚くべきことは、武装がないこと。
全ての武装は内部に格納されている。大型だが、町中を走っていても全く違和感がない。
ゲームシステムにさえ牙をむく、孤高の狼。
〈ステッペンウルフ〉。
あぁ、本当に綺麗だ。俺が作り、俺が名付け、俺が駆る愛騎。
***
「アイツ遅いな……」【シュリー】は呟きながら、自分の席のディスプレイで時刻を確認した。08:58。
「なーんか、トラブルでもあったんじゃない?」
向かいに座る中性的な容姿のプレイヤー、【香具矢】が応えた。「もしかして、バックレた?」腰まで伸びた金髪を弄りながら冗談めかす。
「アイツに限ってそれはないネ」と【アイネ】。こちらの容姿は少女。バレエに出る王子様のような服とポーズで足を組んでいる。「ただ、アイツは妙に抜けてるところがあるからネ」
「確カニ。昨日モ夜マデてすとらんヤッテタ。寝坊カモ」
加工された声でそう言って【Quon】がケラケラ笑う。大鎌を担いでいるが、あくまで飾りだ。
アイネと香具矢は顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
「来ないに100
「ノった、来ないに100ネ」とアイネ。
「オレモ」とQuon。
「あたしパス」とシュリー。「来た時、賭けてたってバレたら気まずいし」
「なによ、来る前提の話じゃん。信頼してんだ」EZとシュリーはデキてる、というジョークを彼はオモシロイと思っているのかよく口にした。
「団長は?」シュリーは呆れて話を他に振った。
「来るに300
まさか?シュリーは団長と同じ方角を見つめ、ぴょんぴょん跳ねた。ツインテールが揺れる。
地平線の彼方、藍色の夜空と赤茶けた大地の境界に、わずかに土埃が見えた。「ほら!見えてきた!」
皆が目を凝らす。
次第にその大きさを増すそれは、まさしくEZのバイクだった。
「遅刻してんじゃんネ」と【アイネ】。その背後にジークが忍び寄っていた。
「香具矢さん、アイネさん、Quonさん。」にっこり微笑んで、掌を差し出す。
「見えてたでしょ!?絶対見えてたでしょ!?」「バカ香具矢ぁ!駆け引きで団長に勝てるわけないネ!」「いんてりやくざ……」
ぎゃーぎゃー言い合う内に、EZはすぐそこまでやってきた。
「すんませぇ~~ん!!」情けない大声を上げて、赤いバイクが停まる。
「ギリギリですね、EZさん」団長の鉄の笑顔の裏には、北極海の如き冷たさがあった。
「すみません……クラフトに夢中で……いやほんと、申し訳ないです……」EZは頭を掻きながら謝る。
「そうでしたか、心配しましたよ。
団長がコープ【ドライフ】の代表に小走りで向かったのを見て、シュリーはEZを小突いた。
「時間かけすぎ」
「リアルで仕事なら、納期二ヶ月は欲しいやつだ。勘弁してほしいよ、全く」
シェリーは、何の話?、と呆れるしかなかった。
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