―参― 〈身体拘束ゼロの時代へ〉

 亡き両親の介護をきっかけに、産科医は老人医療の世界へ飛び込んだ。

 まもなく20年近くなるが、相変わらず目にするのが身体拘束である。


  〈身体拘束ゼロの時代へ〉


 2001年、厚生労働省「身体拘束ゼロ推進会議〉が小冊子を出版した。

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/zaishien/gyakutai/torikumi/doc/zero_tebiki.pdf


 ここでは前書きの概要だけ引用――。


「身体拘束は、人権擁護の観点から問題があるだけでなく、高齢者のQOL(生活の質)を根本から損なう危険性を有している。身体拘束によって、高齢者の身体機能は低下し、寝たきりにつながる恐れがある。さらに、人間としての尊厳も侵され、ときには死期を早めるケースも生じかねない」――。


身体拘束は「やむを得ない」のだろうか


「現場のスタッフは、身体拘束の弊害を意識しながらもなかなか廃止できないジレンマの中で『縛らなければ安全を確保できない』と自らを納得させることにより、身体拘束への抵抗感を次第に低下させているのではなかろうか」――。

「実態を見るならば、介護保険施設等では真に『緊急やむを得ない場合』として身体拘束を行っているケースは少なく、むしろ身体拘束に代わる方法を十分に検討することなく『やむを得ない』と安易に身体拘束を行っているケースも多いのではないだろうか」――。


身体拘束を許容する考え方を問い直そう


「確かに、家族が施設や病院側の説明を聞き、身体拘束に同意する場合もあるだろう。しかし、その同意は家族にとって、他に方法のないやむを得ない選択であったこと、そして縛られている親や配偶者を見て、家族が混乱し苦悩し後悔している姿を、私たちは真剣に受け止めなければならない」――。


全員の強い意志で『チャレンジ』を


「現場のスタッフのみならず、施設や病院の責任者や職員全体が強い意志を持って、今までのケアのあり方を見直し、これまでの考え方を根本から変えなければならないこともあり得る。身体拘束を『事故防止対策』として安易に正当化することなく、高齢者の立場に立って、その人権を保障しつつケアを行うという基本姿勢が求められるのである」――。

「身体拘束をしないケアの実現にチャレンジしている看護・介護の現場を見ると、スタッフ自身が自由さを持ち、誇りとやりがいを持ってケアに取り組んでいる姿に出会う。身体拘束をしないことにより「自由」になるのは高齢者だけではない。家族も、そして、現場のスタッフも解放されるのである」――。


 この小冊子が出版されたのは、ナント2001年だ。

 既に20年以上もたつというのに、全く古さを感じられない。

 それだけ、老人医療介護の世界には、人権意識の進歩がなかったということか……。


  死の近き生き物なれば食べぬなり逆にあらずとあらためて知れ(医師脳)


  常ならぬツナギの下着を着せられし翁の眼は何もかたらず(医師脳)


  七夕の短冊に書きし誓ひなる「拘束ゼロ」を必ず果たさむ(医師脳)


  七夕の願いもむなしく今日付けの退職届で落着させたり(医師脳)


  拘束具を咬み切らむとさへする老いゐるに応へられざり無念の辞表(医師脳)

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