―壱― 〈東日本大震災に共時性〉

 被災地では、思いがけず「奇妙な出会い」もあった。


(盛岡タイムス『杜陵随想』20210318)より引用――。




  〈東日本大震災に共時性〉


 東日本大震災から10年。


 毎年このころ〈共時性:シンクロニシティ〉が思い浮かぶ。ユング心理学では、共時性という訳語を「意味ある偶然の一致」として使う。


 日常の会話でも「噂をすれば影」とか「虫の知らせ」とか、共時性に関する言葉は昔からたくさんあった。


     ◇


 沖縄での医療支援に〈ゆいまーる〉というプロジェクトがある。沖縄の方言で〈助け合い〉を意味し、離島に安定した医師供給体制を確保する〈ドクターバンク事業〉と〈僻地支援医療機構の運営〉を行っているそうだ。


 これに共感した私は、国際医療協力の経験から「老後は沖縄の離島で医療協力をしたい」と考え、既に〈ゆいまーる〉プロジェクトに参加申し込みをしていた。


 そんな折、2011年3月11日の金曜午後に起きたのが東日本大震災!


 弘前市も停電が続き、暖房のない夜を過ごした。翌日午後に電気は復旧したが、テレビ画面に映る惨状に震えた。思いは被災地での医療支援。


「おそらく青森県でも沿岸地域の被災者が内陸へ搬送されるだろうから十和田市周辺の病院では医師不足になるはずだ」と勝手に危惧し、十和田保健所の反町所長へ電話した。


 その話が青森県庁へ歪曲されて伝わり、健康福祉部医療薬務課から「深浦町関診療所の支援を」と依頼される。


「東日本大震災の応援で、なぜ日本海側の深浦に……」と疑問もわいたが、十和田の件は私の取り越し苦労だと知り、気軽に「深浦の医療支援もいいか」と引き受けてしまった。


 3月18日、病気療養中だった柳先生の代診として関診療所へ出かける。診療を終えた頃に吉田満町長と本田副町長が見えたので、関診療所や地域包括ケアのありかたについて話しあった。


 話題は「深浦町が無償で被災者を受け入れる」件に及ぶ。


「青森県では初めての被災者受入表明になるだろうが、今の混乱状況を見たときに被災者を待つだけで十分だろうか?」


「深浦町の車で被災者を迎えに行くなら、医師や看護師なども連れて行って道中の安全を図ったら?」


「できるだけ早く、現地の情報収集をかねて、深浦町から医療支援チームを出したら?」


 こんな熱っぽい会話のなか、町長の奥さんが岩手県大槌町の出身で現地情報を得やすいからということもあり、深浦町〈カンガルー作戦〉第一陣は3月21日の派遣と決まる。当然の成り行きで町長がリーダーとなり、地域包括ケアセンターのスタッフと私も派遣メンバーに決定した。


     ◇


 東北道は許可車両しか走っておらず、途中の岩手山サービスエリアでガソリンを満タンに補充できた。盛岡南インターを降り、国道340号線から県道26号線に入ると、自衛隊の大型車両などが山道を進むため、そのあとに長い車列が続く。ノロノロ運転のなか(現地に入ったら食事はできないだろうと判断し)持参のおにぎりで早めのお昼を車中でとった。


 道路の右側を流れる大槌川の河原にはプラスティックの漁具などが目立ち始める。さらに下ると、川の両側に(下流から押し上げられてきた)家や車などが積み重なり、津波の破壊力を実感した。


 市街地に入ると様相は一変。


 大火の後の鉄くずと瓦礫の山が道の両側に寄せられており、焼け跡には(国立釜石病院時代に見慣れた)ショッピングセンター・マストが残るだけだった。警官の指示に従い城山を目指す。


 大槌町中央公民館の対策本部に到着後、大槌町の副町長にお悔やみとお見舞いの挨拶を述べ、医療支援の指示をもらいに仮設診療所へ向かう。


 廊下で〈沖縄県医師会〉の看板を発見。


 沖縄からの支援と知り、すぐ〈医師〉のラベルを貼った黄色いベストの男性に声をかける。――と、沖縄県伊江村立診療所の阿部所長だった。東日本大震災が起こらず、私が〈ゆいまーる〉プロジェクトに参加していれば、沖縄でお会いしたかもしれなかった人なのである。


 挨拶もそこそこに、薬品や医療資材は前日に運び込まれて十分にあることや、岩手県立大槌病院のスタッフが大槌高校で診療活動に当たっていることなど、阿部所長から詳しい現地情報を得ることができた。相談の結果、深浦チームの診療支援は(道中で被害状況を見てきた)金沢地区にと決定する。名残惜しかったが、阿部所長とは再会を約束し別れた。


 これが(10年前の東日本大震災で経験した)シンクロニシティの顛末である。


     ◇


 なぜ(沖縄の離島での医療支援を諦めて深浦の関診療所へ出かけた)私が……(沖縄の伊江島から東日本大震災の医療支援にきていた)阿部所長と……(2011年3月21日の昼に)岩手県大槌町の中央公民館で遭遇できたのか?


 これは「意味ある偶然の一致」なしに理解できない現象だ。その〈意味〉とは、人びとが被災地に寄せた〈ゆいまーる〉の強い力だったと思う。


「助け合おう!」という日本中(いや世界中)の強い気持ちが、シンクロニシティを引き起こしたのだ。




ある過去にシンクロニシティありし思ふ願はくは未来にも起こらむことを(医師脳)

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