―弐― 〈社会的共通資本〉
このような多くの出会いに加え、さまざまな医療介護施設をも訪れた。そこで目にした不具合は、必ずしもすべてが震災によるものだとも思えない。おそらく震災前から存在した不具合が見過ごされてきただけではなかろうか……。
〈社会的共通資本〉
宇沢弘文著『社会的共通資本』を読み直しての一首。
『社会的共通資本』の医療なるにもはや破綻のあるを憂ふも
その破綻の根底には、医療や介護という業界や運営を市場原理に委ねてしまった「医療の市場化」があるという。
そもそも(医療や教育・警察・消防をはじめとする)国民の基本的な生活に関わる制度インフラは「社会的共通資本」という社会全体の共通資産なのだ。
「医療は社会的共通資本であり利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」と言う宇沢弘文氏の言や宜なう。
もう少し生々しい現実を、森田博之著『うらやましい孤独死』より引用する。
「世界一多い病床数を誇るがゆえに、ふだんから空床になりがちな日本の病院では、自院の収益確保のために患者を集める〈集患〉が当然のように行われている。〈集患〉の対象となるのは高齢者だ。高齢者は複数の疾患を抱え、次第に要介護状態となり、最終的に死に至る。/その過程において、どの時点で入院になるか、その判断にはグレーゾーンが非常に大きい。/本人の状態や思い・家族の介護力など総合的な判断で決まるというのが一応の建前だが、医療・介護の素人である患者側の発言力は多くの場合で弱いと言わざるを得ない。医師をはじめとした医療・介護従事者の判断が優先されがちである。特に、高齢者住宅や老人ホーム・介護施設ではこの傾向が強い。/患者を確保したい病院側にしてみれば、病院グループ内の高齢者住宅や介護施設に入所している高齢者は、常に〈入院予備軍〉として確保されているわけである」と容赦ない。
ちなみに著者は、彼の有名な北海道〈夕張市立診療所〉で勤務、現在は鹿児島市で〈ひらやまのクリニック」を開業中である。
高齢者の実情に関わらず、報酬要件を満たし収益が発生する限り、医療・介護サービスの提供は何の疑問もなく継続されていく。
「日本の医療の大部分は、もはや慢性期医療という名の〈高齢者ビジネス〉になってしまっている」と、前述の森田博之センセは手厳しい。
帝国データバンクの『特別企画:医療機関の倒産動向調査(2021年)』によると「診療所の倒産は前年比1.8倍に急増」だという。
「コロナ禍で(感染リスク回避に伴う)患者減少や(感染者増加に伴う)労働環境の悪化などのため」と聞くが、果たしてそれだけなのだろうか。
宇沢弘文氏は著書『社会的共通資本』のなかで、日本の医療制度の矛盾を次のように指摘する。
「医療的最適性と経営的最適性の乖離ということではなかろうか。医学的な観点から最適と思われる医療行為を行ったとき、経営的観点からは望ましくないような結果を生み出す。(中略)要するに、医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるべきであるというのが、社会的共通資本の医療としての考え方の基本的意識であると言ってよい」
もともと存在していた「医療的最適性と経営的最適性の乖離」という医療制度の矛盾が、コロナ禍で顕在化しただけらしい。
「では、なぜ日本の医療では〈市場の失敗〉が起こるのだろうか? これにはいくつかの理由が考えられるが、主なものとして〈モラルハザード〉と〈情報の非対称性〉があげられる」と、先述の森田博之氏は著書『日本の医療の不都合な真実』で語る。
「市場原理が働かずどんどん伸びてゆく国の医療費、それを何とか抑えるために国は診療報酬を低く設定し、それを補うために病院は更に供給量を増やす、これが〈薄利多売の日本医療の現状〉の基本原理である。またそれと同時に医師数も制限され、それなのに医療提供量は伸びてゆく、これが医師のブラックな労働環境の基本原理である」と明快だ。
――「仕方ないんですヨ」とは絶対に言いたくない。
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