第8話

   *


 翌日、朝六時に起こされた。夜のあいだ彼女は眠らずに、ずっと部屋にある漫画を読んでいた。そのせいで明かりが点いたままだったので、眠りは浅く、起きるのがつらかった。彼女は前日も夕食をとらず、朝食も断った。「お腹空かないんだよね」と言って、それだけだった。

 七時に家を出た。出る直前、彼女が「洗濯ばさみ持って行かなきゃ」と言い出し、窓際にあった物干しハンガーから洗濯ばさみを一つむしり取った。というか、破壊して無理やり取ったのだが、眠かったので何も言えなかった。

 電車に乗って一旦都心に出たあと、乗ったこともない路線の特急に乗り換えた。その特急からもう一度乗り換えてしばらく揺られたところで僕たちは降りた。そこは周囲を山に囲まれた無人駅だった。

 改札を抜けると、目の前の道が舗装されていないことに気づいた。道幅は、奥に進めば進むほど細く暗くなっていくのが見えた。僕たちの他にも、そこで降りた人が二人いて、どちらも若者だった。男と女。女の方は山ガールみたいな格好で、男の方は秋葉原からここへワープして来てしまったみたいな格好をしていた。つまりオタクみたいだった。

「なんか、そういうスポットになってるんだよ。心霊だかパワーだか」と彼女は言った。

 山ガールが先にずんずんと歩いて行った。僕たちはそれについていく形になった。僕たちの後ろにオタクがついてきていた。

 道はやがて山道に変わった。右側が崖になっており、崖の下からは水の流れる音が聞こえてきた。

 その先にトンネルが現われた。軽自動車が一台通れるか通れないかという道幅で、高さもそんなにない。両側の壁が苔むしたわけでもないのに、緑色に変色していた。長さは100メートル以上あり、入口から見た出口の光は豆粒くらい小さかった。

 先に山ガールが迷わずそこに入っていったので、僕も尻込みせずに後につづくことができた。すぐ後ろにいたはずのオタクは、かなり遠くの方で汗をかきながら一生懸命歩いてきていた。どうやらみんな同じところを目指しているらしい。

 トンネルを抜けた先にそれがあった。人の背丈の三倍くらいはある石柱が地面に突き刺さっており、周囲は3メートルほどあった。分厚い円板を何枚も積み重ねたような形状をしており、円板の一枚一枚の側面には模様が刻まれていた。その模様は決して不規則なものではなく、何かしら目的や意図を持ってつけられたような感じがあった。

道は石柱に突き当たって終わっており、あとは引き返すしかない。石柱のまわりは一切整備されておらず、自然のままに放置されていた。

山ガールはスマホで写真を撮るたびに、その撮れ具合をいちいち確認していた。10分くらい撮りつづけてようやく満足のいくものができたのか、最後に自分と石柱が映るようにセルフィーを撮って帰っていった。

「じゃ、あのオタクが来る前にやっちゃおう」と彼女がせかせかしながら言った。

「何をするんですか?」

「目と鼻と口と耳を閉ざした状態でこの石柱のまわりを一周するの」

「ほんとですか?」

「早く。オタクがトンネルに入ってくる!」

 僕は両手で耳を押さえ、口を閉じた。彼女はポケットから洗濯ばさみを取り出して、僕の鼻にくっつけた。石柱の前まで行くと目をつぶり、慎重に円を描いて歩き、一周した。

「まだ目を開けないで!」、彼女の怒鳴る声が聞こえた。「まだちょっと足りないかも! もう一周した方がいい!」

 僕は一周した。

「ダメだ! 行き過ぎた! 戻って戻って! 後ろ歩きで一周!」

 後ろ歩きで一周戻った。

「よし! そのくらいでいいでしょ!」

 目を開けたが、自分が壁抜けバグの中にいるような感じはしなかった。2周3周するとどうなってしまうのだろうか。

「オーケー。じゃあ、はやく帰ろうか」

 僕たちはトンネルを戻っていった。向かう出口に人影が見えた。オタクだった。

「そうだ。手を繋いで」彼女が言い、僕に手を差し出した。手をつなぐと、彼女はずんずんと前に進んでいった。

 トンネルのちょうど真ん中あたりで、僕たちとオタクはすれ違った。オタクはトンネルの右側をこちらに歩いてきていたので、僕たちは左側を通って、すれ違った。薄暗い中で、スマホを使っていたオタクの顔がほのかに明るく浮かび上がっていた。

 トンネルを出たとところで、彼女はつないでいた手を放し、トンネルを振り返った。

「ほら、今気づかれなかったでしょ? あの人に」

「そうですか?」

 気づかれなかったかと言われると、そうかもしれないという気になるが、単にオタクが僕たちから目を逸らし無視していただけのようにも思えた。どちらとも言えない。

「じゃ、急いで帰ろう。後は会いに行くだけだよ」、彼女は言った。

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