第6話

   *


 僕が小学校高学年のとき、あるゲームが流行った。トワイライト・ゾーンという、いわゆるRPGである。内容は、モンスターを集めて育てていくというよくあるものだったが、他と一線を画したのはモンスターが寿命で死ぬという設定だった。モンスターのレベルは100が上限だが、普通にプレイしているだけではレベル80くらいになるころには死んでしまうのだった。寿命を迎える前にレベル100に到達したモンスターは死を超越して永遠に生き続けられるという裏設定もあった。しかし、ほとんどのプレイヤーは、一緒に旅をしたお気に入りのモンスターを亡くしてしまうという経験を味わった。僕もその一人だった。

 そのゲームには、バグを利用して攻略することを想定した仕様が盛り込まれていた。壁抜けバグを利用して普通なら行けないところにゆき、アイテムを手に入れることができたのだ。そのアイテムを取りに行く途中で、主人公は死んでしまった自分のモンスターに再会することができた。つまり、壁抜けバグを使っているあいだ、主人公は幽霊的な存在になっているということなのだ。この設定がけっこう受けたため、トワイライト・ゾーンは大ブームになった。

 彼女は電車の中でトワイライト・ゾーンのことをずっと話していた。つまり、これから僕たちがやろうとしていることは、ゲームの中で壁抜けバグをするようなものなのだ、ということだった。

「やったことあるでしょ? トワイライト・ゾーン」

「やったことありますけど、わざわざそんな喩えを持ってこなくても、やろうとしていることはわかりますよ」

「わかりやすいと思ったんだけど」

 駅を出て、僕のアパートまで歩いていく道で、そんな話をしていた。周囲の人間には見えない彼女も、トワイライト・ゾーンはプレイしたことがあるのだろうか。

「本当に泊まっていくんですか?」

「うん。でも私、全然眠らないけどね」

 アパートに着き、彼女を中へ入れた。ちゃんと靴も脱いでくれた。

 彼女は大げさな声を上げて、部屋に入った喜びを表現し、部屋中を検分しはじめた。

「何このホワイトボード!」と言って、大したこともない電気代の振込書などを見たりしている。

「あまりずかずかと生活に踏み込むもんじゃないと思いますけどね」などと言っても聞く耳を持たなかった。

「これ何?」とトーンを一つ落として、彼女が言った。手に持っていたのは、メモ帳の切れ端だった。「わからない正解と、わかった不正解。正しくない正解と正しい不正解……」

僕は、ばしーんと、ひったくるようにその紙を奪った。

「うわっ、びっくりした」

「だから勝手に触らないでくださいよ」

「今の何? 詩?」

「詩じゃないです。メモです」

「変なことをメモするんだね」

「いやこれは、僕が考えたんじゃなくて、友達に言われたことをそのまま書いただけなんです」、半分嘘だが、まあいいだろう。

「へえ、友達いるんだ。それはよかった」、偉そうに腕組みをして彼女は言った。「それにしてもものが少ないねー。本棚とホワイトボードとベッドとイス、机。カーペットも地味」

「別にいいじゃないですか。そんなこと」

「本棚には、面白くもなさそうな本ばかりだし。漫画より本の方が多い人は陰キャだよ」

「なっ。それは失礼じゃないですか! 僕じゃなくて作家に」

「そうなの? じゃあ何が面白いの? この本の中で」

 そう言われると少し悩んでしまう。人に勧めるとなると自分にとっての面白さというものをより客観的に見ることになってしまい、大概の場合自分が面白いと思った観点が馬鹿らしく感じられてくるのだ。

「でも、まあこれかな」と言って、本棚から取り出したのが、ちくま日本文学シリーズの川端康成の巻だった。

「えー! やだよそんなの!」

「いやでも最近読んだ中だと……」

「何が面白いの! 口で言って! 読むの面倒だから!」

 僕は半分苛立ちながらも、冷静になって内容を思い出した。彼女は本棚に向き合ったまま胡坐をかいて座っていた。

「語り手は子どもの頃から自分の家がなくて、故郷に帰ってくるときは大体親戚のうちに泊めてもらっていたんです。そんな語り手が親戚の家に帰っているとき、ひと月のあいだに三回も葬式に参列することになる。で、その葬式の様子を語っていくんだけど、そのうちに自分の身の上話になっていく。それは自分がどれだけ子どものころに血縁の死を目の当たりにしてきたか、葬式などの行事を経験してきたか、というものです。それで自分がいかに葬式の作法をマスターするに至ったかとかが説明されます」

「もー、長いなあ。私は気が短いんだから、要するにどういうことなの?」

「要するに」と僕は言う。「語り手は、目の前の故人の冥福を祈るために行った自分の作法が、自分の精神をそれ以上の何かに対して祈るモードに切り替える、ということを知っていた。作法にそういう効果があることが暗に描かれているんです」

「それ以上の何かっていうのは?」

「多くの人が死んだ、ということ。目の前の葬式で弔われる一人の人間の死ではなく、多くの人が死んでいった死のこと……」

「なるほどね。作法によって一人の死への悼みではなく、より普遍的な死を悼むモードに変わることができる。それは面白いや」、彼女は言った。「でもそれじゃあ結局は作法をよくしましょうというだけのことになるんじゃないの?」

「いや、作法というのはただの形で、作法に精神を切り替える効果があることが描かれただけで、作法をよくしようは言ってないと思います。作法が間違っていても、精神が切り替えられることはあるんじゃないかって僕は思いますし」

「ルーティーンってやつだね」、彼女は軽く言いながら、本をぱらぱらとめくると本棚に戻した。

「読まないんですか?」

「私、長い文読めないんだもん」

「短編ですよ」

「短編だって長いよ」

 不思議だった。話していることは理知的で、理解も早いのに。

 彼女は立ち上がって伸びをした。勉強机の方に歩いて行き、イスにドカッと座ると足を組んだ。

「あの、名前は何ですか? 今さらですけど」と訊いた。

 僕は本棚の横に正座したまま彼女の方を向いたので、構図だけ見ると主人にお伺いを立てている従者のように見えなくもない。

「なんで答えなきゃいけないの、そんなこと」

「そんなことって、僕のうちに泊まろうとしている人の名前も知らないなんて」

「じゃあ、いいよ。ただし私がそれに答えたら、私から君への質問にも答えてもらうよ」

 何もそこまで駆け引きをしないといけないことなのかと訝ったが、とりあえず了承することにした。「じゃあ、名前は何なんですか」

「さあ、私にもわからない」

「それはズルいですよ」

「だって本当にそうなんだもん」と彼女は言う。「でも、名前は無い、とは言わずに、私にもわからないって言ってるあたり、本当っぽくない?」

「まあ確かに、そうですね」、不服だがそう言うしかない。

「じゃあ私からの質問ね」、彼女は人差し指をぴんと立てて、その日一番の楽しそうな表情をした。「君のお父さんとお母さんはどうして死んじゃったの?」

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