第4話

   *

 

 本当は二日つづけて墓参りに行くつもりはなかったし、三日つづけるつもりもなかった。しかしそうなってしまったのだ。

 最初の墓参りから帰ってきて、アパートの玄関まで来たとき、僕は部屋の鍵を失くしてしまったことに気づいた。しかし、今から探しに戻るのも無謀なので、アパートの管理人に電話をして合鍵を届けてもらった。それでとりあえず部屋の中に入ることができた。しかし合鍵をいつまでも持っているわけには行かないので、明日鍵を探しに行くことにした。

 翌日、鍵を探しに行く場所は限られていた。というのも、鍵を移動中に落としてしまうほど自分は注意散漫ではないと思ったからだ。可能性として一番高いのは、ポケットからいろいろと物を出し入れしたお寺、というか墓場であるはずだった。

 というわけで僕は墓場に向かった。その前に、お寺の住職に、昨日鍵の落とし物が届けられなかったかときいたが、ないということだった。

 墓場に向かったとき、最初に気づいたのは、あの女性が今日も来ているということだった。白いパーカーに黒いパンツ。そしてヒップホップっぽさのあるあのキャップを被っていた。昨日見たのとまったく同じ姿で、あの女性が立っていたのだ。しかも、僕の墓の前で。彼女は両手をぶらんと下げて、ただ墓に向かい合っていた。

 僕が後ろから歩み寄ったときも、彼女は僕に気づかずにいた。墓場には僕たち以外誰もいなかった。

「あの」と僕はその背中に声をかけた。

「イキノくん?」と彼女は振り向かずに言った。「いや、イクノくん、か」

「え? まあ、はい」

「どうして俺の名前がわかったんだ、って思ってるでしょ?」そう言って彼女は振り返った。やはり昨日と同じ服装だった。

「いや、墓の家名を見たんですよね?」

「……まあそうだけど。すぐに気づくのか」、残念そうな顔をして彼女はいった。「君、昨日もここに来てたよね?」

「ええ、はい。僕もあなたのことを見ましたよ」

「やっぱり! そう、あの辺りをぶつかりそうになって通り過ぎたよね?」

「ええ、まあそうですけど」

「やっぱり!」、彼女の眼の光はきらきら輝いて楽しそうだった。でも何を楽しいと思っているのかはわからない。

「うちの墓の前で何をしていたんですか?」

「え? まあ何だろう。お墓を見てたの。ていうか、君だってどうして二日連続でお墓参りに来てるの? お墓参りマニア?」

「落としたものを探しに来たんですよ。たぶんここにあると思うんです」

「何?」

「家の鍵です」

「それなら、これじゃない?」

 そう言って、彼女は墓のお供え物を置いておく皿を指さした。その上には、確かに鍵があった。

「……これですね」

鍵が墓の前の皿に置かれていると、それだけで何かメッセージを放っているような気がしてくる。光沢がぎらぎらと青空を反射していた。

「見つかってよかったね」、首を突き出して彼女は言った。

「ええ、はい。ありがとうございます。あなたがここに置いたんですか?」

「違うよ。私が来たときからここに置いてあった。変わったこともあるもんだね」、ニッコリと笑う。

 僕は鍵を取りポケットに入れた。もしかしたら昨日墓参りをしているあいだに無意識のうちにここに置いたのかもしれない、と思った。

 そのとき、墓の向こうの、茂みの中から一羽の蝶が飛んできた。小さな花びらが風に散らされるかのように、力なく上下に揺れていた。仮に自分の意志でどこかに飛ぼうとしていても風向きが悪ければ決してそこにはたどり着けないのだろう。それだけの飛ぶ力が蝶にはないのだ。その蝶は墓と僕たちの頭の上を通り過ぎて、墓場の中をぐるぐると回りはじめた。

 彼女は口をぽかんと開けて見上げていた。蝶を見上げているのか、空を見上げているのかわからなかった。

「あの、僕はもう帰りますね。とにかく鍵を見つけてくれてありがとうございました」

「えっ、もう帰っちゃうの? 早くない?」

「用は済んだので」

「せっかくお墓まで来たんだから、手を合わせて行ったらいいじゃん」

「いや、昨日も墓参りに来たばっかりなんで」

「なんで? 別にいいじゃん」

 彼女の言葉からは悪意なんかひとかけらも読み取れず、自分がただそう思ったからそう言っただけなのだ、ということがわかった。

 言い争いになるのもいやだったので、仕方なく僕は墓に向き合い、瞑目し合掌し、祈っている感じを見せた。目を開けて、彼女の方を見た。彼女は笑っていた。

「見られてると恥ずかしい?」

「いや、別に……」

「じゃあ、てきとうに祈ったのはどうして?」

「てきとう? ちゃんとやりましたよ」

「昨日に比べると、何でもなかったよ。今のは」

 彼女が僕を批評するようにそう言ったので、僕は少しかちんと来て、もう帰ってしまおうという気になった。墓参りをとやかく言われるのは、自分の趣味をとやかく言われるよりムカつくことだった。

「じゃあ、僕はこれで帰ります」

 僕は早足で墓場を出て行く方に歩いていった。ちらりと振り返ると、彼女は僕を見送るではなく、後ろについて来ていた。

 寺を出ても彼女が後ろについてきているのがわかったが、気付かないふりをして、そのまま駅まで歩いていこうと思った。

 住宅街を抜ける道に人影は少なかった。歓楽街の人ごみの中に飛びこむことができれば、彼女だって簡単に撒けるかもしれないが、このあたりにはそういう場所はない。

 また振り返ると、彼女は10メートルくらいの距離を置いて、パーカーのポケットに手を突っ込んで歩いていた。他人を装っているが、明らかに僕についてきている。

 そのとき、歩く先の交差点が赤に変わろうとしているのに気づき、とっさに走り出して、点滅する青信号を渡った。彼女もそれに気づき走りだしたが、信号はすでに赤に変わって車が通行をはじめていた。

 してやったり、と彼女を見ると、こちらに向けて頭の上で手を振っていた。待ってくれ、とでも言っているのか。しかし、それに構わずまた走りだし、僕は大通りから細い路地に入った。駅まで走って行くことにした。

 五分くらい走って最寄りの駅に着いた。駅前の交差点をゆっくり渡りながら息を整えていると、渡って行く先に白いパーカーを着た女が見えた。人の陰に隠れて体半分が見えているだけなので、あの女かどうか定かではない。

 まさか、と思った。そんなわけがない。しかし、キャップも被っている。いや、ただのヒップホップ女だろう……。

女のまわりにいた人が動いて、全身が見えた。黒いパンツ、大きいスニーカー。やはり彼女だった。

「なんで逃げるの?」

 交差点を渡り終えた僕に彼女はそう言った。あまりに驚いていたので逃げる気も起きなかった。

「……どうやって先回りしたんですか。ストーカーですか」

「ストーカーではないよ。頑張ったら案外何でもできるもんなんだよ、私はね」

「はあ、そうですか」

 彼女は人差し指を僕に突き立てて、こう言った。

「君、墓参り、嫌い?」

「いや、好きも嫌いもないですよ」

「そうかな。昨日見たときもなんか暗い顔をしてたから」

 僕は駅に向けて再び歩き始めていた。それに合わせて彼女もついてきた。今度は振り払うつもりもないので、ゆっくりと歩いた。彼女は僕の隣でぺらぺらと話した。

「仮に好きでも嫌いでもなく、普通なのだとしても、なんていうかな、昨日の君は墓参りに対して冷笑的だった。そうじゃない?」

「どうかな、覚えてないですね」

「結局、たかが墓参りだって思っているでしょ」

 その言葉には図星だった。いや逆に、たかが墓参りだと思っていない人間が他に何人いるだろう。

「それは確かに思ってますよ。無意味かもしれないなって」

「そう、それよ。私はそれが言いたかったのは」

「でもじゃあ無意味じゃないって言うんですか? 墓参りが? どう考えたって無意味でしょ」

「いや、無意味じゃない」と彼女は言った。「教えてあげるよ。なぜ墓参りが無意味じゃないのか」

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