墓参りの名人
小原光将=mitsumasa obara
第1話
これは、僕が墓参りの名人になるまでの物語。
*
一人で暮らすということも板についてきた。中学一年の春から、アパートに住みはじめて五年以上が経っていた。
僕が一人になってから数えて六回目の夏休みは、友人との会話の急な断絶によって始まった。
終業式を終えて、午前中のうちに学校をはけ、電車に揺られているところだった。ドアの横にもたれかかって、窓の外の景色を見るともなく見ていた。僕の向かい側には、向井という男が立っていた。小学校からの幼馴染で、クラスの中では唯一の友達と言える存在だった。
向井はさっきから数学と現代文の難しさについて話していた。数学という教科は、どれだけ勉強して公式を覚えても「わかった気」にはなれず、自分が何をやっているのかということがはっきりしない。逆に、現代文の方は、問題を解いているあいだ自分では完璧に理解した気持ちになって回答しているのだが、答え合わせをするとその答えが合っていないときがある。つまり、自分では完璧にわかったと思っている問題の回答が実は間違っているということがあるということだった。
これは不思議なことだ、と向井は言った。
「わかったと確信しているのに不正解、わからないと思っているのに正解、それが不思議ってこと?」と僕はききかえした。
「そう」
「でもまあ、そういうもんなんじゃない? ほかの教科でも同じことあるし」
「そうかなあ。ケアレスミスでの間違いではなくて、ほんとうに、なんで? ってびっくりする感じの正解と不正解が極端にあるんだよね」
そう言われても、そうなのか、としか思いようがない。僕がそういう事態をあまり意識したことがないからかもしれないが。僕がその話に共感を示さないことに気がつくと、向井は、「今年の夏はどうするの」ときいてきた。
「普通に勉強。勉強しかないだろ」、僕は答えた。
「まあそうだよな。予備校の先生は、毎日来て10時間勉強しろとか言ってる。無理だろそんなの」
「まあそういうのは多めに言うものだから」
「そうなんだよ。お前は予備校通わないの?」と向井が訊いてくる。
「通わないね。金がないし」、金があるかどうかは実際僕にはわからないけれど、と心の中で付け足す。
「そうかー残念だな。授業してるときお前が隣にいてずっと俺に教えてくれたらいいのになって」
向井はバカではないが、かと言って頭がいいわけでもない。現代文と数学のわからなさの質の違いを分析することはできても、現代文と数学でいい成績を収めることは中々できないようだった。
「でも、一日くらい遊んでもいいよな?」、同意を求めるように、向井はきいてきた。
「まあ、いいんじゃない?」
「いつかどっかに行こうぜ」
「別にいいけど、一日くらいなら」
「なんなら三日でもいいけど」
「三日はいやだな」
「じゃあ一日にしよう。お前は行きたいところある?」
「ないね」
「行かないといけないところとかは?」
「まあ、墓参りとか」
「それ以外で」
そのとき、電車がゆっくりと駅のホームに入ってゆき、ガタンと大きく揺れたと思うと、完全に停車した。ドアが開かれたが、誰もそこから出入りしない。
「お前は相変わらずやりたいことがなさすぎる」、向井はそう言いながら、ホームの柱にある、駅名が書かれた板を探していた。今自分が何駅にいるのかわからないのだろう。
「向井の行きたいところでいいよ」と言うと、向井はこちらを見ずに、
「いや、今度ばかりはお前に決めてもらわないと」と言った。
そのとき、ちょうど駅名がわかったのか、僕の方を一瞬見た。
「やべ、今日俺ここだわ」
そう言うや、向井はさっさとドアの方に歩いて行き、ホームに降りるとこちらを振り向いて何かを言いはじめた。しかしそれと同時にドアがばたんと閉まってしまった。向井は電車が走りだすと同時に、ガラスの向こうを流れて行った。向井の言おうとしたことが、僕には一言も届かなかった。
ひとり取り残された感覚が、背筋に当たるエアコンの風と共に感じられた。
向井との別れと同時に、僕は完全に学校から切り離され、孤独になる。今はもう、学生でもなく、何者でもない。それが、僕にとっての夏休みというものだった。
勉強と墓参り。それ以外の要素を、僕は夏に知らない。
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