第2話

   *


 夏休みが始まって一週間が経ったある日、叔父さんから電話がかかってきた。

「元気にしてるか」と叔父さんは快活に言った。

「まあ、普通」、叔父さんの口調とは対照的に僕の声は落ち着いていた。悪く言えば、それは冷たかった。

「夏休みは始まったか?」

「うん。一週間くらい前にね」

「そうか。今は受験勉強か?」

「うん。それぐらいしかしてない」

「まあ、根を詰めすぎないようにな。お金のことは心配しなくてもいいから」

「わかってるよ」

「ところで」と叔父さんは言った。「今年はお盆にはそっちには行けなくなったんだわ。俺の方が仕事忙しくなって」

「そう、別にいいよ」

「ごめんね。墓参りは一人で行ってよ」

「うん。大丈夫」

「もう墓参りには慣れっこだべ」、叔父さんは軽く笑いあげた。「ああ、あと今日食べ物を段ボールに詰めて送ったから、明後日くらいには着くよ」

「ありがとう」

 それから少しくだらないことを二人で話したあと、僕は電話を切った。

 叔父さんは新潟で父方の祖母と一緒に暮している。父方の祖父は僕がかなり幼いときに亡くなったので、まったくその記憶がない。祖母と叔父さんの家族は、最近は一年に一度や二度会う程度になってしまったが、電話に関してはかなり頻繁にかけてくる。週に一度のときもあれば、二度のときもある。そんなに頻繁にかけてこられると、必然話すこともなくなるのだが、そう思いながらも、話しはじめるといつのまにか1時間も経っているということがよくあった。叔父さんの話術なのかもしれない。お盆になっても、僕に帰ってこいとか顔を見せろとか煩いことは言わず、その代わりに電話の着信音を鳴らすのである。人工的で機械的であるはずの着信音が、なぜか自然な響きを持って感じられるのはそのためか。

 その日の夕方、現代文の練習問題を解いていたとき、間違えてしまった。いや、間違えることならよくあるのだが、自分では正解だと確信していたはずの回答が不正解だったのだ。アが、イだった。自信が揺らいだというより、練習問題に対する信頼が薄れた。僕が間違っているんじゃなくて、解答を作った奴が間違っているんじゃないか、そう思ってしまうくらい、僕にはその問題に確信があった。

 そのとき、向井の言っていたことが思い出された。あれは、今のようなことを言っていたのか、と。僕は何気なく聞き流していたが、確かにそうなのかもしれなかった。

 思わず向井に電話をかけてしまいそうになったが、予備校にいるのかもしれないと思って、やめておいた。その代わりに、メモ帳の一ページを破り取って、


  わからない正解と、わかった不正解


 と書いた。それを見ながら少し考えて、さらに、


  正しくない正解と正しい不正解


 と書いた。そしてその紙きれを、勉強机の横の壁に掛けてある小さめのホワイトボードに、磁石で貼り付けておいた。

そのホワイトボードには、ほかにも忘れてはいけない予定が書かれていたり、電気代の納付書などが貼り付けてあったりする。それは父さんが元々使っていたもので、このアパートに引っ越してくるときに、捨てるのが勿体なくなり持ってきたのだった。

翌日、僕は墓参りに行った。墓は、電車で三駅のところのそこそこ大きいお寺の中にある。寺の近くの本屋に用事があったので、そのついでに墓に行くことにしたのだ。

 僕にとって墓とは、もののついでに行くところでもあるのだ。花やお供え物を用意せず、ただ寺に行って、住職に短く挨拶をして、線香を買い、それを墓の前で煙らせ、手を合わせ、それだけで帰ってくるということをよくしていた。

しかし、その日はなぜか、手を合わせて祈っているとき、それをしながらも自分の中でどうしてこんなことをしているのだろうという考えが浮かんできた。長年の習慣として、定期的に――そしてそれは一般よりもかなり頻繁に――墓参りに来ているわけだが、いよいよそれが空虚なんじゃないかと僕は思いはじめていたのだ。線香の匂いがいつもより薄い気がした。

 帰りの電車の中、本屋で買った本を読んでいると、少し勇気づけられた思いがした。それは、ちくま日本文学シリーズの川端康成の巻の一番はじめに載っている『葬式の名人』という小説だった。

夏休みに入る前に、図書室で川端康成全集の中からたまたまその短編を拾い読んで、僕はびっくりした。その小説がまるで僕のことを書いているかのようだったからだ。といっても、書かれていることは僕の状況とはまったく違ったものだった。僕のことだと思ったのは、なぜだろう。わからないが、とにかく僕はそう思ったのだ。

『葬式の名人』を改めて読んでいるあいだも、やはり僕のことが書いてあるのだと確認するような気持だった。

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