第11話

   *


僕の感情が落ち着いたあとも、僕たちは森の中で時間をつぶしていた。辺りは本格的に暗くなり、隣で仰向けになっている彼女の姿も気を抜くと闇の中に溶けてしまいそうだった。木の葉のすき間から差し込んでくる月の光が唯一の頼りだった。

僕の中に、一つの仮説が芽生えていた。それは彼女との出来事についての疑惑であり、両親についての記憶を信じるがゆえの当然の帰結だった。

「三日連続で墓参りすることになっちゃったね」、彼女は言った。「もう墓参りの名人だね」

「今日のは墓参りとは言えないですよ」

「そうかな。ある意味かなり高度な墓参りだったと思うけど。エクストリーム墓参り」

「そう言えば、僕はあの石柱に戻らなくていいんですか? 今壁抜け状態なんですよね?」

「ほっとけば自然に元に戻るから大丈夫だよ」

「本当にあんなことする必要あったんですか。どこもバグってるような感じはしないんですけど」

「壁抜けバグはものの喩えだよ。それにちゃんとあの光を見たでしょ。普通だったらあんなものは見えない」

彼女がおもむろに立ち上がったので、僕も立った。服についた葉を落としながら、彼女は森の出口の方へと歩いていった。

「もうそろそろ帰らないと。君は勉強もしないとダメだよ。生きているわけだから」

森から大通りに出て、駅の方角へと歩いていく。車が何台も僕たちの横を通り過ぎてゆき、僕たちの会話に騒音をもたらした。

道の先から、スーツを着た男が歩いてくるのが見えた。数秒後にはすれ違っているだろう。

「それにしても、面白い会話だったね。夫婦漫才を見てるみたいだったよ」

そう言いながら数歩先を歩いている彼女の手を、僕はつかんだ。彼女はぎょっとして振り返り、手を振りほどこうとした。が、振りほどく力よりも強く、僕は握っていた。

「何?」、彼女は言う。

僕は何も言わず、ただ歩道の真ん中で待っていた。

スーツを着た男が僕の前まで来た。そして不審そうに数秒硬直した僕の姿を眺めると、左に避けて通り過ぎていった。革靴の足音が聞こえなくなってから、僕は口を開いた。

「やっぱり嘘ですね。でもあなたが見えてないのは本当だ」

「……うん。正解」、照れるように彼女は言った。

「そして僕が見たあの光も、嘘ですね」

「どうしてそう思う?」

僕は言った。「まず一つは、僕が電車の中で話した家族の思い出しか、光の会話の中に出てこなかったということ。二つ目は、自分を怪物のように見せることもできるとあなたが認めたこと。それができるなら、僕に幻のようなものも見せることも可能だろうと思いました。でも三つ目が一番重要でした。というのも、母さんは父さんのことを『あなた』とは呼ばないんです」

「そうなんだ。それは知らなかった」、彼女は口元を手で隠していた。

「僕が十一歳のころまでは、つまり二人が死ぬ少し前までは、母さんは父さんを『あなた』と呼んでたんです。でも僕が十二歳になったあたりで『あんた』に変わった。この呼び方が、死んでから変わるとは思えなかったんです」

「なるほどね。大正解だよ。あれは私がそう見せてただけ」と彼女は言った。

「でも、どうして父さんと母さんがいつもあんな風に喧嘩してたのを知ってるんですか?」

「うーん、勘かな。君が年上に対しても不満があるなら言い返す性格だというのがわかったから、それなら親はこんな感じだろうという気がしたんだよ」

「その程度の予想であそこまで正確にはできないはずですよ」

「どうかな。君が感情移入し過ぎたんじゃないの? それに死に別れてからしばらく経っているわけだし、記憶もあいまいになってるでしょ?」

そんなはずはなかった。あの会話はほとんど完璧と言っていいくらい、父さんと母さんを表していた。僕がそれそのものだと思って歩み寄ろうとしてしまうくらいには。

「まあ、何はともあれ、正解してくれてよかったよ。正直、わかってもらうつもりでやってたからね」、不満と不信をあらわにしている僕を茶化すように彼女は言った。

「でも、どうしてこんなことをしたんですか?」

「ん? じゃあ逆にきくけど、他にわかったことはある?」

「他にわかったこと?」

「ないなら別にいいけど」

「あるんですか?」

「さあ」

「それって、動機も自分で考えろってことですか」

「別にそこまでのことは言ってない。禅問答したいわけでもないしね。君は今、わかっていない正解をしたわけだよ。あるいは『正しくない正解』を」

 彼女は僕に背を向けて歩きだした。背中の真ん中に、木の葉が一枚くっついていた。

 駅に着くまでのあいだずっと考えていたが、わからなかった。なぜこんなことをしたのか。まずそれ以上に、彼女が何者なのかさえわからないのだ。生きてもいないし、死んでもいない存在。それは答えのようで答えになっていない。

 駅のホームで電車を待っているあいだ、考えに耽る僕をよそに彼女は口笛を吹いていた。反対側のホームに電車が滑りこんできたとき、彼女は言った。

「じゃ、私こっちだから」

「え、そっち側なんですか?」

「てゆーか私も明日までに帰らないといけないから。結構ギリギリなんだよね」

「……そうですか」

「まっ大丈夫だよ。またいつか会えるから」、勇気づけるような笑顔。そして「次は鍵を失くさないようにね。生野太一くん」

 電車のドアが開き、人が溢れるようにホームに広がった。彼女はその人ごみの中に、あたかも本物の人間であるかのように紛れ込んでいく。車両の中に入ってしまうと完全にどこにいるのかわからなくなり、あるいはもうその人群の中にすら彼女はいないのではないかと僕に思わせた。

 彼女はそのようにして僕の目の前から消えた。

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