蛇の足
イェール連邦の街角に講和条約の締結を知らせる号外が撒かれた数日後、穏やかな街の一角に、乗り合いのバスが止まった。我先にと降りる乗客に混じり、お仕着せのスーツに顔をしかめる青年が出てきた。しきりにシャツの襟元を気にしていた。青年は車内から呼びかけられ手を伸ばす。出された手を借り、深緑のデイドレスを着た背の高い娘が降りた。
「……野球観戦に付き合ってくれるという約束はいつ果たしてもらえそうですか?」
赤い髪を手櫛で整えながらの質問に、青年は少し気まずそうに応じる。
「次は必ずと約束したいが、そうも言えない。休暇のための書類、異動のための書類、新設部隊のための書類――文句は口約束でやってくれない中佐に言ってくれ」
「言えませんよ、おっかない。……まあ、しばらくの間は? ヘイズルが実家に招待してくれるということで? 許してあげようとも思っていますが?」
ヘイズルとミチカは、二人でパートリッジヴィル家を訪ねようとしていた。
二一一連隊は隊員の損耗により維持が困難であるとみなされ、その戦歴をガルディアの手前まで記録に残し、事実上の解体となった。
一方で、ヘイズルとミチカには、中佐の名の下に新たな辞令が下された。
「君が来たいと言ったんだろう……? まあいい。それよりミチカ、なんだあの、隊員番号六を希望するとかいう怪文書は。おおかた、あの、ドゥ・バッシュがどうとかだろうが、彼は五番じゃなかったか?」
「背番号五は彼のものです。一番近くで見るなら背番号六をつけるのがいい――」
二人に下された辞令とは、新たな隊の編成である。中佐の直属部隊として、表向きは軍警察の一部門として機能するという。もちろん裏の顔は、フィアーキラーが将来的に起こすであろう事件の後始末だ。そこには、二一一連隊の生き残りを追うというのも含まれている。
野球観戦もままならず、戦後を迎えてしばらくたって、ようやくの凱旋となったのも、事務的な処理に手間取ったからだった。
ヘイズルは長旅で固くなった首を解すように、一度、おおきく回した。
「背番号六なら近くで見れる……? 守備位置が近いとかか?」
「正解です。ちょうど横並び。彼は主にセカンドなので、私は背番号六をつけて
「……君から習っているせいで俺のなかでは守備の要しかない謎のスポーツになりつつある」
ヘイズルが苦笑交じりにミチカの革鞄を持ち上げると、彼女は急に神妙な顔をして言った。
「私の格好、変じゃないですかね? 髪の毛とか、それから、えーと……」
「よく似合ってるよ。似合いすぎてて変じゃないかというなら分からなくもないが」
「……あの、本当に招待してくれるとは思ってなくて……感謝してます」
「そういうのは目を見て言ってくれ。ほら、行くぞ?」
歩きだしてすぐ足を止め、ミチカは言った。
「あの、私、ホープくんに嫌われたりしませんかね?」
「……大丈夫だよ。あれで人懐っこい子だ。――それに、美人に弱かった」
「あ、やった。玉の輿チャンスですね」
「その手の冗談を継父の前で言ってくれるな? 生真面目で人の良い方だ。びっくりして卒倒しかねない」
言ってから、ヘイズルは内心で呟く。
――冗談よりも、寄付金の行方を知って憤死されるかもしれんな。
もちろん、義父はすべてを知っていたのかもしれないが。
すでに失われていることになっている資料では、戦前、戦中にパートリッジヴィル家が寄付してきた多額の献金と医療援助は、大部分がフィアーキラーの開発と、異能の研究に割り振られていた。となれば、ヘイズルの記憶の片隅に残る、義父の書庫に隠されていた、得体の知れないホルマリン漬けは――。
戦争の経験と、悪夢が生み出した、偽の記憶であって欲しかった。
いや、いまでもそう信じようとしているフシが、ヘイズルにはあった。
「――まあ、それ以前に俺が帰るのは三年ぶりだ。手紙も受け取るばかりで出したことがない。俺の顔なんて忘れられて――」
「そんな心配はいりませんよ」
ミチカが満面の笑みを浮かべ、胸を張った。
「……頼もしいことを言ってくれる。何か根拠でもあるのか?」
「顔は忘れても、家族の声は、言葉は、どうあったって忘れませんから。そうでしょう?」
ミチカの自信ありげな微笑みに、ヘイズルは肩を竦めて手を差し出した。
――思うことはあれど、今は。
今だけは、忘れていよう。
「ホープが声変わりしていないことを祈るよ」
本当に、心の芯から。
さらば獣め安らかにくたばり給え λμ @ramdomyu
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